嫌われ令息ですが、何か?
「レオン様なら、きっと素晴らしい従魔を召喚なさるでしょうね」
その声に、笑いを堪える響きが混じっていた。
俺は振り返らなかった。
振り返れば、そこで終わりだ。
相手の顔を見た瞬間、言い返したくなる。
言い返せば、また「乱暴者」「癇癪持ち」「貴族の恥」と陰で囁かれる。
もっとも、今さら評判など気にしていない。
なぜなら、俺、レオン・アズラエルは、すでに嫌われ者だからだ。
公爵家の次男で、年齢は十二歳。
血筋だけなら立派な貴族の子息だが、魔力量は兄たちの半分以下。
剣の腕も平凡で、礼儀作法は最低。
おまけに口が悪く、気性も荒い。
使用人たちは俺が廊下を歩けば目を伏せ、兄たちは俺を見下し、父は俺を失敗作のように扱う。
屋敷の人間は、俺のことを陰でこう呼ぶ。
”狂犬レオン”ーー悪くない。
犬は好きだし。
ーーそして、今日。
貴族の子どもにとって、一生を左右すると言われる従魔召喚の儀式が行われている。
俺が立っているのは、この国の神殿にある召喚の間だった。
十二歳になると従魔召喚の儀式が行われるのだが、貴族にとって、従魔召喚は成人前の通過儀礼である。
召喚された従魔の格は、そのまま将来の評価に繋がる。
魔獣を召喚すれば有望株。
精霊を召喚すれば天才。
では、何も呼べなかった者は?
答えは簡単だーー。
神殿の床には古い魔法陣が刻まれている。
壁際には父と母、二人の兄、そしてその他大勢の貴族たちが並んでいた。
(ここは、見世物小屋か?)
俺は心の中で舌打ちした。
***
ーー黒瀬真人。
それが、前世の俺の名前だった。
大手食品メーカーの営業部長。
結果がすべて。数字がすべて。使えない奴はいなくても同じ。
そう信じて、部下を詰め、追い込み、黙らせてきた。
そして最後は、愛犬を庇ってトラックに轢かれた。
そのハクを抱きしめたところで、俺の人生は終わった。
終わったはずだった。
次に目を覚ました時、俺はこの世界の赤ん坊になっていた。
貴族の三男で、前世の記憶持ち。
いわゆる転生者だーー。
普通なら、ここから人生やり直しの第二幕だろう。
だが、俺は変われなかった。
赤ん坊からやり直した程度で、魂が変わらなければ、世界が変わっても結局同じみたいだ。
社内でのあだ名は、”地獄の黒瀬”。
そして今世でも、俺は見事に嫌われている。
前世で使えない人間を切り捨ててきた男が、今世では使えない人間扱いされている。
因果応報というやつだろうか。
神様とやらはどうにも悪趣味すぎる。
「レオン・アズラエル。召喚陣の中央へ」
俺は召喚陣の中央に立つ。
足元の紋様が淡く光った。
円の外では、すでに召喚を終えた貴族の子どもたちが、それぞれの従魔を連れている。
炎をまとった鷹。
角のある黒馬。
白く大きな大蛇。
どれも貴族らしく、見栄えがいい。
中でも、一番注目されていたのは俺の兄、ギルバートだった。
アズラエル家の長男。
金髪碧眼。
品行方正。
魔力も高く、父のお気に入り。
二年前の従魔召喚の儀式で、ギルバートが召喚したのは、紅蓮鳥と呼ばれる炎属性の鳥だった。
羽ばたくたびに火の粉が舞い、周囲の令嬢たちがうっとりしていたのをよく覚えている。
「レオン。せめて虫より大きい魔獣を呼べるといいな」
「兄上こそ、その鳥に頭を焼かれないようお気をつけください。中身が軽いと、よく燃えそうですから」
兄の笑みが固まった。
周囲が息を呑む。
だが、俺は気にしない。
こういうところが嫌われるのだと、よくわかっている。
だが、わかっていることと直すこととは話が別だ。
神官が眉をひそめる。
「静粛に。これより、レオン・アズラエルの召喚の儀を始める」
俺は右手を前に出す。
神官に教えられた通り、召喚陣へ魔力を流し込む。
体の奥にある、ぬるい水たまりのような魔力を押し出す感覚があるが弱い。
自分でもわかる。
兄たちが川なら、俺の魔力は雨漏りだ。
天井の隅から、ぽたり、ぽたりと落ちる程度だ。
召喚陣の光も弱かった。
周囲から、くすくすと笑い声が戻ってくる。
神官でさえ、困ったように咳払いをした。
「レオン・アルベール。残念ながら、召喚は――」
その言葉は、最後まで続かなかった。
召喚陣の中心に、小さな白い光が灯った。
最初は、淡く、頼りなく、今にも消えそうな光。
けれどその光は、ゆっくりと膨らんでいった。
大広間の空気が変わる。
笑っていた者たちが、ひとり、またひとりと口を閉じた。
白い光は、瞬く間に広がっていった。
光の中に、何かがいる。
それは、小さな影だった。
四本の足。
丸い耳。
ふわふわの毛。
そして、雷のような光の雨が降り注いだ後、そこに現れたのは、一匹の白い仔犬だった。
「……犬?」
誰かが呟いた。
次の瞬間、大広間にまた笑い声が起きた。
「犬だ!」
「落ちこぼれが犬を召喚した!」
「しかも子犬じゃないか!」
貴族たちは笑っていた。
兄も笑っていた。
父は額に手を当てている。
だが、俺には何も聞こえなかった。
白い仔犬は、召喚陣の中央でゆっくりと顔を上げた。
雪みたいな毛。
黒く澄んだ瞳。
少し間の抜けた、けれど妙に賢そうな顔。
その目を、俺は知っていた。
忘れるはずがないーー。
「……ハク?」
白い仔犬の耳が、ぴくりと動いた。
そして次の瞬間、仔犬は俺に向かって駆け出した。
短い足で、大理石の床を滑りながら、一直線にこちらへ走ってくる。
俺の胸に飛び込んできた白い毛玉を、反射的に抱きとめた。
温かくて、とても柔らかい。
それは、前世の最後に腕の中にあった温もりと、同じだった。
「ハク……本当に、ハクなのか」
仔犬は俺の顔を見上げた。
それから、嬉しそうに尻尾を振った。
「そんなものを召喚して喜ぶとはな」
兄の声が聞こえた。
その瞬間、ハクの体がぴたりと止まった。
俺の腕の中で、白い仔犬がゆっくりと兄の方を向く。
小さな喉から、低い唸り声が漏れた。
<ぐるる>
ハクの唸り声に反応するかのように、大広間の魔石灯が一斉に揺れた。
床に刻まれた召喚陣が、再び光を放つ。
白銀の輝きが、ハクの体を包んだ。
ふわふわの毛が淡く輝くきだし、額に、月のような紋様が浮かび上がる。
神官が、信じられないものを見たように目を見開いた。
「まさか……」
その声は震えていた。
「白銀の毛並み。額の聖月紋。魔力ではなく、神気を帯びた獣……」
神官はその場に膝をついた。
「白銀神狼……!」
ざわめきが、大広間を駆け抜けた。
「白銀神狼だと?」
「神獣ではないか!」
「伝説上の存在だぞ!」
「王家でも召喚できなかった神獣を、なぜあの落ちこぼれが……!」
さっきまで笑っていた貴族たちの顔から、血の気が引いていく。
兄の紅蓮鷹が、突然翼をたたみ、ハクを見るなり怯えたように床へ伏せる。
他の従魔たちも同じだった。
黒馬も、大蛇も、まるで王の前に出た臣下のように頭を下げている。
ハクは俺の腕の中で、ふんす、と鼻を鳴らした。
その得意げな顔に、俺は覚えがあった。
前世で、散歩中に近所の小型犬を追い払った時と同じ顔だ。
「おまえ……神獣になっても、そこは変わらないんだな」
俺が呟くと、ハクはまた尻尾を振った。
父が一歩前へ出た。
その声は、さっきまでとは別人のように柔らかかった。
「レオン」
俺はハクの毛に顔を埋めたまま、父を見た。
父は笑っていた。
初めて見る顔だった。
「よくやった。お前は我が家の誇りだ」
”誇り”だと?
さっきまで失敗作を見る目をしていたくせに。
神獣を召喚した途端、誇りかよ。
俺はゆっくりと起き上がった。
「レオン様、先ほどは失礼を――」
「素晴らしい召喚でしたわ」
「ぜひ我が家とも親しく――」
手のひら返し。
見事なものだ。
ここまでくると、もはや職人芸である。
父も、兄たちも、誰ももう俺を見下していない。
だが、その目が見ているものは明らかだった。
ハクの力、神獣という価値、アズラエル家にもたらされる名誉ーーそれだけだ。
「この神獣は、我が家の宝となる」
その言葉に、ハクの耳がぴくりと動いた。
「我が家の宝?」
俺は父を見上げた。
「違いますよ、父上」
部屋が静まり返る。
俺はハクの頭を、慣れた手つきで優しく撫でた。
前世で何度もそうしてきたように。
「こいつは俺の相棒です」
ハクが、嬉しそうに目を細める。
俺は続けた。
「家の道具なんかじゃない」
父の顔から笑みが消えた。
兄たちが息を呑む。
「ハク」
俺が呼ぶと、白銀神狼は尻尾を振った。
「行くぞ」
どこへ、とは言わなかった。
まだ何も決めていない。
だが、このままここにいれば、このくだらない家族にハクは利用されてしまう。
ーー公爵家のため。
ーー領地のため。
ーー名誉のため。
ーー王国のため。
きっと、いくらでも理由をつけられる。
冗談じゃない。
前世で最後に俺が願ったのは、ハクを守ることだった。
今世でも、それは変わらない。
背後で父が叫ぶ。
「待て、レオン! どこへ行くつもりだ!」
「今までお世話になりました」
それだけ言って、俺は振り返らなかった。
ハクさえいれば、家も名誉も、周囲の評価も何もいらない。
背後では、父上や神官たちがまだ何か叫んでいる。
そんなこんなで、俺はこの日、家族を捨てることにした。




