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元パワハラ部長、転生したら最弱貴族でした 〜白もふ神獣と始める異世界放浪生活〜  作者: 桔梗


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1/1

パワハラ部長ですが、何か?

「だから、何度言えばわかるんだ!」


会議室の空気が、ぴしりと凍った。

長机の向こう側で、若手社員の三原が肩を震わせている。


「この数字の根拠はどこだ」


俺は資料を指で叩いた。

紙の上で、爪が乾いた音を立てる。

三原は、唇を振るわせながら答えた。


「先方から共有された、前回の販売データをもとに――」


「もとに、じゃない。根拠を聞いてるんだよ」


声を荒らげた瞬間、会議室の隅にいた女子社員が小さく肩を跳ねさせた。

だが、俺は気にしなかった。


仕事とは結果だ。

数字がすべてなのだ。


社会人は学生ではない。

いつまでも、手取り足取り優しく教えてもらえると思うな。


俺ーー黒瀬真人は、四十二歳。


大手食品メーカーの営業部長である。

同期の中では最速で管理職に上がり、部の売上を三年連続で伸ばした。

その代わり、部下も三年連続で減った。


「三原。おまえ、自分が何を任されているかわかっているのか」


「……はい」


「わかってないから、こんな資料を出すんだろ」


三原の指が、膝の上でぎゅっと握られる。


「申し訳ありません。修正して、今日中に再提出します」


「今日中?」


俺は鼻で笑った。


「今日中じゃ遅いんだよ。二時間後には役員向けの事前説明がある。おまえの“申し訳ありません”で許されるのか?」


三原は何も言えなくなった。

会議室に沈黙が落ちる。


「使えない奴は、いなくても同じだ」


会議が終わると、社員たちは逃げるように部屋を出て行った。

静まり返った会議室で、俺は一人、窓の外を見た。


ーーその時、スマートフォンが震えた。


画面には、ペット用のお留守番カメラの通知が表示されている。

白い大きな犬が、カメラの前でこちらを見ていた。


犬の名前は、サモエドの”ハク”。

ハクはいつも、黒瀬の帰宅時間になると玄関で待っている。


会社に、俺を待っている人間はいない。

飲みに誘う部下もいない。

休日に連絡をくれる友人もいない。

家族と呼べるものも、とっくにない。


だが、ハクだけは待っている。


「……今日は遅くなる」


画面の中のハクに向かって、俺は小さく呟いた。

ハクは、まるで俺の声が聞こえたように尻尾を振った。


俺は目を細めた。


その表情を、会社の誰かが見たならきっと、腰を抜かして驚いただろう。

”地獄の部長”にも、そんな顔ができるのか、と。


その夜、帰宅したのは午前一時を過ぎてからだった。

玄関を開けると、白く大きな塊が飛び出してくる。


「ちょっと待て、ハク」


ハクはいうことを聞かず、尻尾を振ながら俺の足元をぐるぐる回り、それから前足を上げて彼の膝に触れた。


「わかった。わかったから、落ち着け」


俺がコートを脱ぐ前に、ハクの頭を撫でた。

ふわふわとした毛が、指の間をすり抜ける。


人間関係というものは、面倒だ。

期待し、裏切られ、勝手に傷つき、勝手に去っていく。


その点、犬はいい。

ただ、そこにいるだけで癒してくれる。


「おまえは楽でいいな」


ハクが首をかしげた。


「嫌味じゃない」


わん、とハクが鳴いた。


俺は鼻で笑った。


「そうか。不服か」


ハクはもう一度、わん、と鳴いた。


その夜、俺はベッドまで辿り着けず、ソファで眠った。


電気を消す気力もなかった。

スーツのまま横になると、ハクが足元に丸くなった。


白い毛の塊が、静かに呼吸している。


その音を聞いているうちに、意識が沈んだ。


***


朝五時半。


目覚ましが鳴る前に、ハクが鼻先で俺の頬をつついた。


「……わかった、わかった」


俺は重い身体を起こした。


睡眠時間は四時間に届いていない。

頭の奥が鈍く痛む。

胃のあたりも重い。


健康診断では毎年、医者に同じことを言われる。


『このままだと、いつか取り返しのつかないことになりますよ』と。


俺はそんなこと言ってられないんだ。

内心でそう返し続けて、もう何年になるだろう。


洗面所で顔を洗い、コートを羽織る。

ハクは玄関で尻尾を振って待っていた。


散歩だけは、どれだけ疲れていても欠かさない。


ハクにとって一日は、俺が玄関を開けるところから始まる。

ならば、そこだけは裏切るわけにはいかない。


外に出ると、冬の朝の空気が頬を刺した。


まだ街は薄暗い。

マンションの窓にぽつぽつと灯りが残り、遠くの道路を新聞配達のバイクが走っていく。


白い息を吐きながら、俺はハクのリードを持って歩いた。

近所の公園を抜け、川沿いの道へ出る。


「寒いな」


ハクがこちらを見上げる。


「お前は毛皮があるからいいだろう」


『わん!』


「そうか。文句か」


『わん!』


黒瀬は鼻で笑った。


ーーその時だった。


ハクが急に立ち止まった。

耳を立て、道路の向こうを見ている。


「どうした」


次の瞬間、角を曲がってきたトラックが、異様な速度で俺たちの元へ突っ込んできた。


運転手の顔が見えた。

目を見開き、ハンドルを切ろうとしている。


ーー間に合わない!!


俺は、ハクの身体を強く抱き寄せた。


考える暇などなかった。


冷たいアスファルトの匂い。

誰かの悲鳴。

遠くで鳴るクラクション。


そこで、俺の意識は途切れた。

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