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第七話 逃げた花嫁

 翌朝、プロコップ・フォン・フライケイラーは、宿の裏手で子供たちに囲まれていた。


 朝の空気は薄く冷えていた。屋根の端から夜露が落ち、厩の横では《名誉》がのんびりと草を噛んでいる。青鳥亭の煙突からは、朝食の煙が細く上がっていた。


 ユリアが二階の窓を開けると、ちょうど下でプロコップが胸を張っているところだった。


「よいか、諸君。旅において最も重要なのは勇気ではない」


 子供たちが口々に言った。


「逃げ足?」


「馬?」


「パン?」


「違う」


 プロコップは厳かに指を立てた。


「地図だ」


「地味」


「地味ではない。地図とは、逃げ道を上品に紙へ描いたものだ。これを持つ者は生き、持たぬ者は迷い、そして迷った者はたいてい、私に道を聞く」


「でも逃げ足卿、前に森で迷ったよ」


「あれは迷ったのではない。森の方が私を迎えに来たのだ」


「森って歩くの?」


「高貴な男の前では、森も動く」


 子供たちは笑った。


 プロコップは腹立たしげに帽子を直したが、腰の袋から昨日のパンを取り出し、小さくちぎって一人ずつ渡していた。口では追い払う。手は追い払わない。変な男だった。


 リーザが後ろからそっと言った。


「フライケイラー様は、お子様に好かれるのですね」


「好かれているというより、遊ばれているわ」


「それでも、嫌がってはいらっしゃらないように見えます」


「本人は嫌がっているつもりでしょうね」


 ユリアは窓を閉めた。


 部屋の中には、畳み終えた荷物が置かれていた。


 旅はまだ始まったばかりだというのに、すでに衣服の裾には細かな埃がついている。王都の屋敷にいたころなら、侍女が顔色を変えて払っただろう。ここでは、埃など誰も気にしない。


 階下へ降りると、女将のヴァルヴァラが勘定書きを持って待っていた。


「お嬢様、こちらでございます」


 ユリアはそれに目を通した。


「部屋代、食事代、馬の飼葉代。これは?」


「修理費の一部です」


「銀の櫛の?」


「はい。フライケイラー様が、ヒルシュアイス家へつけておけと」


 ユリアは紙から目を上げた。


 プロコップは入口のところで、ちょうど子供たちから逃げるように戻ってきたところだった。手にはなぜか木の棒を持っている。


「フライケイラー卿」


「はい。朝から私を呼ぶ声が実に冷たい。心臓に霜が降りそうですな」


「修理費を私の家につけようとしたの」


 プロコップは一瞬だけ女将を見た。女将は腕を組んでいた。


「女将。信義というものを知らんのか」


「宿代を踏み倒した方に言われたくありません」


「踏み倒したのではない。支払いの時期について、私と未来がまだ合意していないだけだ」


「未来は迷惑でしょうね」


 ユリアが言った。


 子供たちが入口の外で笑った。プロコップは咳払いをした。


「お嬢様。昨夜の件は、道徳的にも人道的にも、実に美しい解決でありました。しかるに、美しい解決には費用がかかる。花瓶と同じです。倒せば割れる。直せば金がかかる」


「あなたが立て替えると言ったのでは?」


「言いました。しかし立て替えるとは、最終的な負担者が私であるという意味ではありません」


「言葉の使い方が汚いわ」


「言葉は使えば汚れます。飾っておくものではない」


 ユリアは勘定書きを畳んだ。


「私が払います」


 プロコップの顔が明るくなった。


「さすが子爵令嬢。慈悲と財力が同じ馬車に乗っていらっしゃる」


「ただし、あなたへの報酬から引きます」


 プロコップの顔から光が消えた。


「お嬢様」


「何」


「それは慈悲ではなく、処刑です」


「生きているでしょう」


「私の財布が死にます」


「あなたの財布はもともと虫の息よ」


 女将が堪えきれずに笑った。子供たちも笑う。プロコップは彼らを睨んだ。


「笑うな。金の問題は高尚で悲劇的なのだ」


「逃げ足卿、貧乏なの?」


 厩番の少年が聞いた。


 プロコップは傷ついたように胸を押さえた。


「貧乏ではない。資金が一時的に私の理想に追いついていないだけだ」


「ずっと?」


「一時が長いこともある」


 ユリアは勘定を済ませた。


 外へ出ると、朝日はすでに街道の水たまりを薄く照らしていた。


 アーニャとイリヤが宿の前に立っている。アーニャは昨夜より少し目を腫らしていたが、背筋を伸ばしていた。イリヤは姉の後ろに半分隠れている。


「ありがとうございました」


 アーニャが言った。


 ユリアは彼女を見た。


「私に言うことではないわ。あなたがすべきことは、弟に嘘の代わり方を教えないことよ」


 アーニャは少し顔を伏せた。


 プロコップが横から言った。


「お嬢様、別れの朝に刃物を配るのはお控えを」


「必要なことよ」


「必要なことにも包装紙はあります」


 ユリアは彼を見た。


 プロコップは少しだけ目を逸らした。


 イリヤが小さく言った。


「逃げ足卿」


「その名で呼ぶなと言っている」


「銅像、馬に乗ってるのがいい?」


 プロコップは真剣な顔になった。


「当然だ。馬は大きく、私はさらに大きく作れ。民衆は感謝にむせび、敵は恐れおののく」


「逃げてるところ?」


「違う。前進しているところだ」


「どっち向き?」


「安全な方角だ」


 イリヤが笑った。


 プロコップは、懐から小さな包みを出した。固い黒パンと、干した果物が少し入っている。


「これは貸しだ」


 イリヤは受け取らなかった。


「払えない」


「では、銅像の土台を少し高くしろ」


 アーニャが弟の手を取って、包みを受け取らせた。


「ありがとうございます」


「礼はいらん。礼は腹の足しにならない。働け。食え。泣くな。泣かれると、私が悪人に見える」


 それだけ言って、プロコップは《名誉》の引き具を確かめた。


 昨夜外された馬具がもう一度整えられ、栗毛の馬はヒルシュアイス家の馬車の前で静かに首を振った。プロコップはその首筋を軽く叩く。


「行くぞ、名誉。今日も我々は、不当に重い現実を引く」


 《名誉》は草の残りを噛みながら、何も答えなかった。


「沈黙は覚悟の証だ」


「たぶん朝食の続きよ」


 ユリアが言うと、プロコップは聞こえなかったふりをして御者台へ上がった。


 青鳥亭の子供たちは、馬車が出るまでずっと手を振っていた。


「逃げ足卿、また来てね!」


「次はガチョウに勝ってね!」


「パン忘れないで!」


 プロコップは振り返らずに手だけ上げた。


「失礼な連中だ。私は二度と来ん。来るとしても、あのガチョウが老衰してからだ」


 馬車の中で、リーザが小さく笑っていた。


 ユリアは窓の外を見た。宿場町はすぐに小さくなり、青い鳥の看板も、やがて朝の光の中に紛れて見えなくなった。


 街道はゆるやかに丘を越えた。


 昼前には、畑の多い村へ入った。


 村の名はリントドルフと言った。麦畑の間に低い家々が集まり、教会の鐘楼だけが少し背を伸ばしている。道端には白い花が咲き、垣根には洗濯物が揺れていた。


 村は妙に騒がしかった。


 人々が広場の方へ集まっている。女たちはエプロン姿で囁き合い、男たちは腕を組んで、何かを待つように立っていた。


 教会の前には白い布が張られ、花輪が飾られている。結婚式の準備だろう。だが、祝いの明るさはなかった。


 御者台のプロコップが、肩越しに振り返った。


「これは面倒事の匂いがしますな」


「村の匂いではなく?」


「村の匂いは家畜とパンと噂です。これは騒動です。非常によろしくない」


「避けるの?」


「避けましょう。結婚式の騒ぎに巻き込まれると、たいてい酒か涙か殴り合いが付いてきます。どれも衣服に悪い」


 その時、広場の方から女の泣き声がした。


 プロコップは目を閉じた。


「聞こえなかったことにしましょう」


「聞こえたわ」


「お嬢様の耳は時に過剰に有能です」


 ユリアは馬車の扉を開けた。


「少し見てくるわ」


「少し、という言葉は危険です。人は少し覗くつもりで井戸に落ちる」


「あなたは馬車にいれば?」


「私が馬車に残れば、護衛の職務を放棄したことになる。だが同行すれば、命の危険がある。まったく、職業倫理とは卑劣な罠ですな」


 そう言いながら、プロコップは馬車を広場の端へ寄せた。


 《名誉》の手綱を柵に結び、馬の耳元で低く言う。


「名誉、ここで待て。主人の名誉が危機に瀕している間、お前だけは本物の名誉を保つのだ」


 《名誉》は道端の草へ首を伸ばした。


「聞いていないわね」


「信頼の証です」


 広場へ近づくと、事情はすぐには分からなかった。


 教会前には花婿らしい青年が立っていた。背が高く、金髪で、整った顔をしている。だが、その表情は怒りと困惑で少し崩れていた。


 彼のそばには、年配の女が椅子に座っている。顔色が悪く、膝に毛布を掛けていた。母親だろう。


 村人たちは口々に何か言っている。


「逃げたんだって」


「式の朝に」


「親不孝な娘だ」


「アイヒナーの家はどうするんだ」


「ボリスが可哀想だ」


 ユリアはその名前を拾った。


 ボリス・シュナイダー。


 花婿の名らしい。


 彼は村人たちに向かって、何とか落ち着いた声で話していた。


「ナターリヤは、きっと気が動転しているだけだ。見つかれば、話をする。誰か、森の方を見てくれないか。川沿いも。彼女一人では危ない」


 言葉は優しかった。


 だが、優しい言葉には時々、相手の逃げ道を塞ぐ縄が混じる。


 ユリアは花婿の手を見た。右手の手袋を外し、左手に握っている。手袋の革は新しく、結婚式のために用意したものだろう。彼はそれを何度も折り曲げていた。


 プロコップが小声で言った。


「花嫁が逃げたようですな」


「ええ」


「では去りましょう。花嫁が逃げる結婚式に、外部の旅人が関与してよいことは一つもありません」


「逃げた理由が気にならないの」


「気になります。だからこそ去るのです。気になるものは、たいてい噛みつきます」


 その時、広場の端から小さな男の子が走ってきた。


 年は十ほど。頬に泥をつけ、息を切らしている。彼はボリスの前まで来ると、何か言おうとして口ごもった。


「ミーシャ、どうした」


 ボリスが聞いた。


 男の子は周囲を見回した。


「姉ちゃん、森の古い水車小屋にいる」


 広場がざわめいた。


 ボリスは顔を明るくした。


「本当か。案内してくれ」


 男の子は一歩後ろへ下がった。


「でも、姉ちゃん、来ないって」


「今は混乱しているだけだ」


 ボリスの声が少し硬くなった。


 男の子は唇を噛んだ。


「違う。姉ちゃん、泣いてた」


 年配の女が椅子の上で細い声を出した。


「ナターリヤは何を考えているの。こんな日に。村中に恥を」


 ボリスは母の肩に手を置いた。


「母さん、落ち着いて」


「落ち着けるものですか。あの子が来なければ、家はどうなるの。私はもう長く立っていられないのに」


 その言葉で、ユリアは花婿を見た。


 ボリスは母の肩に置いた手に、ほんの少し力を込めた。慰めの手ではない。黙ってくれ、という手だった。


 プロコップもそれを見たらしい。


「お嬢様」


「何」


「今、目が光りましたな」


「あなたの目もね」


「私はただ、非常に面倒な構図を見てしまっただけです。花嫁、花婿、病気の母、村人、弟。これはよくありません。逃げるなら今です」


「あなた一人で?」


「できればお嬢様も」


「私は水車小屋へ行くわ」


 プロコップは天を仰いだ。


「私は確かに、護衛として雇われました。しかし、花嫁回収業者ではありません。契約書にそんな不吉な文字はなかった」


「では戻って」


「戻ったら、後でお嬢様に『あなたは逃げた』と言われます」


「事実なら言うわ」


「そこが恐ろしい」


 プロコップは溜息をつき、男の子に近づいた。


「小僧」


 男の子は警戒して見上げた。


「小僧じゃない。ミハイルだ! 皆はミーシャって呼ぶけど……」


「そうか、ミーシャ。私はプロコップ・フォン・フライケイラー。由緒ある騎士にして、迷える婦人とおせっかいな令嬢の案内を必要としている男だ」


 ミーシャは彼をじっと見た。


「弱そう」


 プロコップは胸を押さえた。


「初対面で真実を投げるな。子供には礼儀というものがないのか」


「逃げる人?」


「逃げるべき時を知る者だ」


「じゃあ、姉ちゃんの味方?」


 プロコップは少しだけ黙った。


 それから言った。


「姉が本当に逃げたいなら、逃げ道を選ぶ手伝いくらいはする」


 ミーシャはうなずいた。


「こっち!」


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