第二十二話 下の村の火事
朝の食堂は、昨日よりさらに静かだった。
白い卓布は皺ひとつなく伸ばされ、銀の匙はすべて同じ角度で置かれていた。
窓の外には白い薔薇の庭が見える。
庭師が早くから手を入れたのだろう、雨で落ちた花弁はもう掃かれていた。
何も乱れていない。
そのことが、ユリアには少し息苦しかった。
イリーナ・フォン・ローゼンフェルトは、薄い茶を口に運びながら言った。
「よく眠れた?」
「浅くはありました」
「あら」
イリーナは静かに微笑んだ。
「旅の疲れがまだ残っているのね。今日は何もせず、庭を歩くくらいになさい。午後には司祭が来ます。穏やかな方よ。話し相手にはちょうどいいと思うわ」
「私は懺悔を求めているわけではありません」
「懺悔ではなく、静かな会話よ」
「静かな会話は、時々、相手に黙れと言うための布になります」
イリーナの手が、杯の持ち手で止まった。
卓の向こうで、プロコップがパンを割る音だけがした。彼は今日は妙に行儀よく食べていた。昨夜、窓を開けようとしているところを見られたせいか、あるいはこの屋敷の静けさに呑まれているのかもしれない。
剣は、まだユリアの部屋にある。
そのせいで彼の腰は、今日も少し寂しそうだった。
「ユリア」
イリーナは声を柔らかくした。
「あなたは、何でも相手の悪意として受け取る癖があるのではなくて?」
「悪意がない方が厄介な時もあります」
「それでは、誰もあなたに近づけないわ」
「近づけないのではなく、近づく時に考えてほしいだけです」
イリーナは小さく息を吐いた。
疲れた息だった。
「考えすぎると、人は誰とも暮らせなくなるわ」
「考えなさすぎても、人は誰かを踏みます」
食堂に、静かな緊張が落ちた。
プロコップはパンを口へ運びかけて、そっと皿へ戻した。音を立てないようにしたつもりらしいが、かえってその気遣いが目立った。
イリーナは彼を見た。
「フライケイラー卿」
「はい」
「あなたは、今日お発ちになるのかしら」
プロコップは咳払いをした。
「その予定でございました。契約上、ヒルシュアイス嬢をこちらへ無事お送りした時点で、私の任務は一応完了ということになりますので」
「そう。それはご苦労様でした」
「いえ。苦労というほどでは。犬、ガチョウ、借金取り、元兵士、花嫁、雨、そしていくつかの精神的刃物を除けば、極めて平穏な旅でございました」
イリーナは、どう返せばいいのか少し迷った顔をした。
「愉快な方ね」
「よく言われます。主に、私が深刻な時に」
ユリアは彼を見た。
プロコップは笑っていた。
だが、今日の笑いは少し薄かった。
彼も分かっているのだろう。
ここを出れば、旅は終わる。彼は自分の借金と、曲がった羽根飾りと、少し減った名誉を持って別の道へ行く。
ユリアはこの静かな屋敷に残る。
それが、契約だった。
食事が終わる頃、廊下の向こうから足音がした。
この屋敷では珍しく、少し急いだ足音だった。
扉が開き、家令らしい年配の男が入ってくる。
名はボリス・シュタインベルクと紹介されていた。
細い体に黒い服を着た、無駄のない男だった。彼はイリーナへ近づき、低い声で何かを告げた。
イリーナの顔色が変わった。
「火事!?」
その言葉で、プロコップが顔を上げた。
ユリアも立ち上がる。
家令は一瞬こちらを見たが、すぐにイリーナへ向き直った。
「はい。下の村の粉挽き小屋から火が出たようです。夜明け前の風で、隣の納屋へ移ったと。村人たちが消し止めに向かっていますが、煙がひどく、子供が何人か見当たらないと」
イリーナは椅子の背に手を置いた。
「馬車を」
「すでに」
「医薬箱と毛布を。パンも。井戸の水を樽に詰めさせて」
彼女の指示は早かった。
ユリアは一瞬、彼女を見る目を変えた。
静かな檻の主。そう思っていた女は、少なくとも非常時には動ける人間だった。
プロコップはすでに立ち上がっていた。
「火事ですか」
「ええ」
イリーナは彼を見た。
「フライケイラー卿、あなたは旅慣れていると聞きました。村までの道は分かる?」
「道なら」
プロコップは言いかけて、少しだけ顔をしかめた。
「煙の流れによります」
「煙?」
「火事場で道を選ぶ時、道そのものより煙を見るべきです。火より煙の方が、早く人を殺します」
彼の声から、いつもの芝居が少し消えていた。
イリーナは頷いた。
「では協力をお願いしたい」
プロコップは、すぐには返事をしなかった。
ユリアは彼の腰を見た。
剣がない。
彼も同じことを思ったらしい。自分の腰へ手をやり、空を掴んだ。
「お嬢様」
「何」
「私の威厳の三割を返していただけますかな」
「必要?」
「剣が火を消すわけではありませんが、丸腰で火事場へ向かうのは、精神衛生に悪い」
「分かったわ」
ユリアは部屋へ急いだ。
廊下は、先ほどまでの静けさを失っていた。
使用人たちが走っている。
毛布を抱える者、水差しを運ぶ者、馬具を持つ者。屋敷は初めて、生きているものの音を立てていた。
部屋から剣を取り、布をほどく。
重い。
昨夜も思ったことだったが、今日はその重さが別の意味を持った。
これは彼の見栄であり、威厳であり、時には逃げる時の飾りかもしれない。
だが、それだけではない。
彼が戻るための、わずかな支えでもあるのかもしれなかった。
玄関へ戻ると、プロコップはすでに外套を羽織っていた。
ユリアは剣を差し出した。
「落とさないで」
プロコップは柄を握った。
それだけで、少し顔つきが戻った。
「落とすものですか。これは私の威厳の三割です」
「残り七割は?」
「声と態度と帽子です」
「帽子は湿っているわ」
「では現在、威厳は五割程度ですな」
彼は剣を腰に戻した。




