緊急任務 4
とても大きな音が聞こえた。
その直後、パンッという破裂音が聞こえて急に辺りが静かになった。
「 」
シズさんが必死な形相で何か言っている。
「あのっ、なんですか?」
気持ち大きな声で問いかけた。
そこで私は自分の声も聞こえない事に気が付いた。
咄嗟に耳を塞いで、あー、と声を出す。
何も聞こえない。その代わり、何かヌルッとした感触が手に伝わった。
自分の手を見ると、絵の具に手を突っ込んだかのように紅く染まっていた。
(……鼓膜が破れたのかな?)
自分でも不思議なくらい冷静な感想。
今日はずっとこんな感じだ。普通ならばパニックになるような出来事が立て続けに起きているのに、不思議と心が落ち着いている。
どうして?
……そんなの、分かるわけがない。
分からないことは考えない。
私は疑問を放棄して、目先の問題と向き合うことにした。
「あの、耳がダメになっちゃったみたいです」
きちんと発声できているかも分からないけれど、とりあえずシズさんに伝えた。
彼女は驚きの表情を浮かべると、何か呟いてから険しい表情で別の場所を見た。
私も同じ場所に目を向ける。
そこでは、とにかく巨大な黒い狼がニノさんと睨み合っていた。
大きさ以外の外見は、ニノさんが首を落としていた狼と変わらない。しかし、その体躯は人間なんか丸呑みできそうなくらい巨大だった。
アレは、いつ現れたのだろう?
あれほど巨大ならば、数キロ離れていても分かるはずだ。
(……大丈夫、なのかな?)
黒い狼とニノさんは睨み合ったまま動かない。
私からは1キロ以上離れているのに、強い緊張感が伝わってくる。
(……見守るしか、ないよね?)
何かしたい気持ちはある。
でも、近付いたところで私は餌にしかならないだろう。
(……本当に、見てるだけでいいのかな?)
何もしないのは落ち着かない。
シズさんにあれこれ聞きたいけれど、今は音が聞こえない。
(……耳、治るのかな?)
緊張感の無い考えが頭を過る。
その直後、全身に強い衝撃を感じた。
「……ッ!?」
驚いて、思わず息が漏れた。
何も聞こえないけれど、悲鳴が出ていたかもしれない。
だけどやっぱり心は落ち着いている。
多分、心拍数も変わっていない。今は過去の経験で反射的に反応しているけれど、この感覚に慣れたら何が起きても驚かなくなるかもしれない。
(……それは、少し寂しいな)
またも緊張感の無い考えが浮かぶ。
私は周囲の状況を確認して、シズさんに抱えられていることを理解した。
(……逃げてるのかな?)
ニノさんの時よりは遅いけれど、やはり車のような速度で移動している。
(……あの狼、やっぱり危ないのかな?)
ぼんやりとした感想を抱きながら目を向ける。
戦闘が始まったのは、その直後だった。
巨大な狼の頬に一本の細い線が現れた。
一瞬の間が空いて、その線をなぞるような位置から血しぶきが噴き出した。
(……何が起きたの?)
そう思った直後、狼の姿が消え、代わりに一本の線が残った。
線を追いかけた先に狼が居て、今度は前脚に無数の線が現れた。
血しぶきが舞い、狼が消え、新しい線が生まれる。
それが目で追うことすら難しい速度で繰り返されている。
それを見て私は──綺麗な光景だと、そう思った
* * *
(このハルとかいう新人、どうなってるの!?)
ハルを脇に抱え疾走するシズは、困惑していた。
シズのシル情報が正しければ、ハルがこちら側に来たのは今日が初めてだ。
ハルは突然外に連れ出され、モンスターとの戦闘を見せられ、そして黒狼の咆哮で聴覚を失った。発狂しても不思議ではない状況のはずだ。しかし彼女は、怖いくらいに冷静だった。
(……精神負荷耐性系の称号持ち? それもまさかユニーク級? ……ありえない。だって、こっちで何度も死にかけてる私でさえ上級止まりなのよ? 昨日まで生きてた人が超級? ましてやユニーク級の称号なんて得られるわけがない!)
称号は、その者の経験に応じて与えられる。
初級に関しては関連する行動をすれば簡単に得られるが、中級以上はそれなりの経験を積まなければ得られない。超級やユニーク級なんて、その道を究めた者にしか得られない称号だ。
(……だけど、称号無しでこの落ち着きっぷりはありえないでしょ!?)
質問しようにも、今のハルと会話することは叶わない。
シズは唇を嚙み、現時点における最善の行動を優先することにした。
(……最短ルートで帰還して報告して、一秒でも早く援護を……ああもうっ、なんでこんな後方に4等級の化け物が現れるのよ!?)
戦闘能力を計る上で最も重要な指標は「等級」である。
人間の場合、それはステータスを見れば良い。しかしモンスターのステータスなど見ることはできない。だからモンスターの等級は、これまでの「実績」によって決定される。
シンプルに、殺された数である。
等級1の者を殺したモンスターは、等級2以上の評価となる。同様にして、等級2の者を殺したモンスターは、等級3以上の評価となる。
人間の場合、等級の上昇によって受ける恩恵は絶大だ。例えば等級の異なる人間が戦闘した場合、極一部の例外を除いて一方的な展開になる。
故に、組織に所属する者はこう教えられる。
己よりも上の等級を持つモンスターと遭遇した場合、最優先で逃亡せよ。ひとつ上のモンスターと戦闘することは無謀な冒険であり、ふたつ違えば自殺である。
現在ニノが戦闘している巨大な黒狼の等級は4。
即ち、等級3の者が何人も殺されていることを意味している。
だが──
(……やっぱり、スキル持ちって化け物ね)
シズは走りながら後方の様子を確認して、そう思った。
ニノの等級は2。本来なら一瞬で食い殺されて終わりだ。
しかしシズの目に映ったのは、ニノが黒狼を圧倒する様子だった。
ニノは黒狼の攻撃を紙一重で回避し、漆黒の皮膚を流れるように引き裂いている。
そしてニノと黒狼の戦闘は、等級1のハルでは残像しか見えず、等級2のシズにも目で追うことが精一杯の速度で行われている。
有り得ない光景だ。
それを可能にしているのは、彼女が持つスキル。
数百年の歴史において前例は存在しない。
唯一、等級に影響を与える規格外のスキル。その名を──
──月夜ノ蝶。
肌に感じる陽光により等級が減少し、肌に感じる星光により等級が上昇する。
月下美人という花がある。
夜に咲き、朝には萎む花だ。
ニノは花のように大人しい存在ではない。
戦闘中の彼女は激しく、しかし繊細かつしなやかに動き回る。
色素を持たない純白の肌と紅い瞳。陽光に嫌われた彼女は白を呪い、黒を好む。故に持つ刀の色は黒。その三色の輝きが宙を舞う姿は、蝶と呼ぶに相応しい。
本人曰く、ニノ・エフェクト。
その名の通り、それは彼女にだけ与えられた特別な力である。






