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ウォーリー その5

「笹塚さんと知り合いになれたきっかけは、ピアノだったの」


 ベッドの縁に腰掛けて、源尾は静かに語り出した。


「大学に通いはじめてすぐのころね、わたし、まだどこにどの教室があるのか慣れてなくって。それで、授業の教室を間違えて、全然違うところに行っちゃったの。そしたら、そこで笹塚さんがさっきみたいにピアノを弾いてた。綺麗で、激しくて、哀しくて、楽しくて、時々くすぐったい音で……わたし、その時に人生ではじめてジャズを聞いたんだ。演奏が終わった後でわたし、つい笹塚さんに話しかけちゃった。そしたら『それってわたしの顔のこと?』って大真面目な顔で聞いてきて……それから仲良くなったの」


「楽しい人だったんだな」


「うん。伊瀬冬くんだったらすっごく仲良くなってたと思う」と源尾は少し無理に笑い、さらに続ける


「笹塚さん、いつも冗談でわたしを笑わせてくれて、いつもかっこよくて、時々ちょっとおっちょこちょいで……とにかく笑顔が絶えない人だった。だから、あんなことになるなんて……」


 ここまで言われればこれ以上聞かないでもわかる。現実の世界でも笹塚さんは亡くなったんだろう。きっと、夢と同じように屋上から落とされて。


 親しい人が殺された経験なんて俺には無い。それどころか親類縁者の葬式だって出たことがない。死というものにもぼんやりしたイメージしかない。でも、悔やんだって悔やみきれない思いを抱える源尾の気持ちは少しだけわかる。だから救いたい。どうすれば後悔をやわらげることが出来るかなんてわからないけど……


 それでも、ここがまだ笹塚さんの『生きている』夢の世界なら、やりようがあるはずだ。


 俺は「行こう」と源尾の手を取った。


「笹塚さんを助けに」





 源尾と共に部屋を出ると、玄関扉を開けてすぐのところが大学の目の前に通じていた。奇妙に思いながらも外に出ると、その瞬間に扉が消えた。絶対に逃げるなと、世界が俺たちに告げているようだった。


 大学は相変わらず〝夢まつり〟の最中で、多くの人が行き交っている。この騒がしくも愉快な空気の中で、一人ピアノを弾きながら死を待つ人がいるなんて思えない。「とりあえず、笹塚さんのところに行こう」という俺の言葉に黙って頷いた源尾は、青い顔をしながらもしっかりとした足取りで歩き出した。


 騒がしい方向を選んで歩いていく人の波をかき分けるように進み、彼女の待つ教室棟へ。五階まで上って教室の前まで行くと、例の『枯葉』が聞こえてきた。ついさっきは軽快で小気味好い音だとしか思わなかったのに、今になって聞いてみると、秋の隙間風に肩を縮める哀愁のようなものを感じた。


「行くぞ」という俺の言葉に源尾が小さく頷いたのを確認してから扉を開き、「あの」と声をかける。演奏を止めてこちらに振り返った彼女は俺を見て、それから源尾を見て、「綺麗でしょ?」と微笑んだ。死の気配なんて微塵もしない、穏やかな笑みだ。


「どしたの。ぼーっとしちゃって。もしかして、私の演奏に聞き惚れた? もしくは、私の顔に見惚れてる?」


 軽く冗談を飛ばし「へへ」と照れたように笑うその姿を見て、源尾は弾かれたように駆け出した。勢いそのまま彼女に抱きついて、「笹塚さんっ!」と声を上げ、濡れた鼻先を胸に埋める。たいして驚くようでもなく、あっさり受け入れ源尾の頭を優しく撫でた笹塚さんは、「泣き虫あいちゃんだ。変わんないなぁ」としみじみ言った。


「覚えてるんですか、わたしを」


「当たり前」と誇るように胸を張った笹塚さんは、続けてこちらへからかい混じりの眼差しを向けた。

「さてさて、今日はどしたん。ステキな彼氏くんつれて、一人っ子の私に自慢でもしに来たのかな?」


 火にかけたフライパンみたいに俺の耳は熱くなった。





 さすがに「あなたはこれから死にます」とは言えず、俺達は「ただ会いに来ただけです」と適当に言い訳した。笹塚さんは「そっか」とこれを受けて、それから少し考えるようにあごを指で摘まむと、「だったらこれから一緒に大学祭でも周ろうか?」と提案した。


「いいんですか? わたしたちが一緒で」


 心配そうな顔をする源尾へ「いいに決まってるでしょ」と満面の笑みで答えた笹塚さんはキーボードの電源を切ると、早速俺達を教室から連れ出した。


 笹塚さんの案内のもと、俺達は大学構内を周った。彼女はずいぶん顔が広い人らしく、どこへ行っても「おう」と軽く挨拶されたり、「寄ってきなよ!」とか気安く声を掛けられたり、「どうせ売り物になるモンじゃないからさ」と少し欠けたフランクフルトを無料で貰ったりしていた。笹塚さんはその度に、こちらを向いて「人気者はつらいねぇ」と冗談を言う。そしてそういう彼女の姿を見るたびに、源尾は嬉しそうに微笑む。俺には決して見せたことのない表情で。なんというか、笹塚さんとは人間としての差をただただ実感させられるばかりだ。


 大学構内にはサークル室を一手に引き受ける古くさい棟があって、その地下一階にある部屋で学生バンドがジャズのライブをやるらしいと掲示板に貼られていたチラシで知った。 一歩前を行く笹塚さんが「行ってみようか」と言ったのを、その隣を歩く源尾が「行きましょう!」と食い気味に賛成し、後ろを歩く俺に「いいよね?」と了解を取る。当然、俺は「もちろん」と答える。ふたりとひとりでそこへ向かった。


 部屋の前にはすでにそれなりの行列が出来ていて、開場を待っているような状態である。列に並んで間もなくすると動き出して、前の人に続いてぞろぞろと部屋の中に入った。


 中央列のやや右寄りに、笹塚さんを挟むようにして三人並んで座る。「開演までもう間もなくです」という司会のアナウンスを受けて、源尾は「お茶でも買ってきましょうか」と笹塚さんに言った。


「お、せんきゅー、あいちゃん。頼めるかな?」


「はい。行ってきます」と源尾はにこやかに言って源尾は席を立つ。慌てて席を浮かしながら「俺が行こうか」と言ったが、源尾は「大丈夫」と譲らない。おまけに笹塚さんが「君はここだ」と俺の腕を強く引っ張り、無理やり座り直させる。こうなるとどうしようもない。


 彼女は俺の腕を掴んで逃がさないようにしたまま、興味津々といった様子で訊ねてきた。


「ねぇねぇ、実際のところ君ってあいちゃんとどういう関係なのさ」


 俺は即座に「友人です」と答えた。「今のところは」と弱腰の所信表明を付け加える勇気さえ、この人の前では湧いてこない。答えを聞いた笹塚さんは、「そっかぁ、ふぅーん」といやに含みのある顔をする。「なんですか」と言っても、「いやぁ、なんでも」とはぐらかすばかりだった。


 いたずらな表情をふと引き締め、真面目な顔になった彼女は、まじまじと俺の顔を見た。


「ねぇ君、知っての通り、あいちゃんってめちゃくちゃいい子だからさ。大事にしてあげなくちゃだめだよ」

「……笹塚さんも、源尾のこと大事にしてやってください」

「私はもうすでにかなり大事にしてるけど? これ以上やったらあいちゃんが壊れちゃうくらいにね」


 そこで源尾が戻ってきて、「お待たせしました」と笹塚さんにお茶のペットボトルを渡した。「せんきゅ」と明るく言いながら受け取った彼女は、それのふたを緩めながら俺にこっそり耳打ちした。


「とにかく任せたよ、色男くん。あいちゃんを幸せにするのは君だ」





 ジャズライブが終わってから部屋の外に出ると、もう日が暮れかけていた。屋台は軒並み片付けをはじめているが、祭りの夜はこれからといった様子で、まだまだ大勢の人がいる。笹塚さんの話によると、後夜祭に芸能人が出演するから、それ目当てでくる生徒が多いのだという。


「みんなよく行くよねぇ。たいした人が出るわけでもないだろうにさ」


 笹塚さんが笑いながら言ったその時、遠い空から線路を走る車輪の音が聞こえてきた。見ると、上空にはいつの間にか黄色い車体が浮かんでいる。彼女は「もうそろそろお別れかぁ」とこちらの事情を知ってるような口ぶりである。しかし不思議と驚かないのは、この人のオーラが成せる技なのだろうか。


「今日はお世話になりました」と俺が言うと、彼女は「うむ」と答えて親指を立てた。


「約束は守りなさい。君がかっこいい男の子でいたいならね」

「約束ってなにしたの、伊瀬冬くん」


「いや、たいしたアレでも」と誤魔化す俺に、「つまんないことだよ」と助け舟を出した笹塚さんは、続けて源尾をぎゅっと抱いた。


「ど、どうしたんですか笹塚さん」と訊ねる源尾は、恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに頰を緩める。


「んー? ほら、今日のお土産にって思ってさ。かわいい女の子をぎゅーっとしてから寝ると、いい夢みるんだぜぇ?」


 軽い冗談で返した笹塚さんは、ぱっと腕を離してこちらに背を向けると、「じゃ」と軽く言ってから去っていった。佐藤の姿は周囲に見えない。ひとまず、俺達がここを出るまでの間だけなら彼女は無事だろう。


 俺と同様に安心したのか、小さく息を吐いた源尾は「よかった」と呟いた。


「もう大丈夫だよね、笹塚さん」

「大丈夫だ、きっと」


 やがて電車が俺たちの前まで降りてきて、出迎えるように扉を開けた。中に乗り込み、座ると同時に浮遊する車体。空に飛んだことにより、建物で隠れていた夕日が車内に差し込んできて目が眩む。


 ふと外を眺めれば屋上にはぽつんと人影がひとつある。こちらに向かって手を振ったそれの背後にもうひとつの影が迫る。影は影にぶつかって、そのうちのひとつが屋上から落ちていく。


 突然のことに「あっ」と声を出した頃にはすでに、俺は源尾の部屋に戻っていた。


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