EP 3
温かい肉団子と、没落工房の借金
マミユの案内で森を抜け、英一はゼルセル帝国の辺境都市・スタラントへと足を踏み入れた。
石畳の道に、木とレンガでできた家々。スパイスの香りが漂う市場の喧騒に、行き交う獣人族たちの姿。
それは、ファンタジーゲームそのものの光景だった。
「やぁ、マミユちゃん。無事に帰ったかい」
街の門に立っていた熊のように大柄な警備兵・ゴードンが、気さくに声をかけてきた。
だが、その視線がマミユの後ろを歩く英一に向けられた瞬間、警備兵の顔に明らかな緊張が走った。
「……マミユちゃん、後ろの男は誰だ? 見ない顔だが。その物々しい装備……どこの傭兵団の者か?」
ゴードンが鋭い視線を向ける。
かつての引きこもりだった英一なら、ここで萎縮していただろう。だが、今の彼は違う。
英一は無言のまま、ヘルメットの奥から冷徹なスナイパーの眼差しで警備兵を見据え返した。
「ッ……!」
言葉を発することなく放たれたトッププレイヤー特有のプレッシャーに、屈強な警備兵が思わず一歩後ずさり、喉を鳴らす。
「待ってくださいまし、ゴードンさん! この人は怪しい人じゃありませんの!」
マミユが、誇らしげに英一の前に立って胸を張った。
「さっき、ホブゴブリンの群れに襲われていたアタシを、一瞬で助けてくださった命の恩人ですのよ!」
「ホ、ホブゴブリンの群れを? こいつが、たった一人でか……!?」
「ええ! アタシの英雄様ですわ!」
疑念が畏怖へと変わった警備兵を尻目に、英一はマミユに導かれるまま、街の奥へと進んでいった。
◇
案内されたのは「マミユの工房」という看板が掲げられた、体育館のように巨大な石造りの建物だった。
「お、大きい……」
「昔は……お父様のお弟子さんが、たくさんいましたから」
少し寂しげに笑うマミユ。大勢の職人がいたであろう工房は、今は火の消えた暖炉が静かに佇むだけで、がらんとしていた。
「えっと、お茶を出しますね! どうか、ゆっくりしててくださいまし!」
マミユは二階のリビングに英一を通すと、キッチンへと向かった。
やがて、湯気の立つマグカップと、大皿に山盛りにされた肉団子が運ばれてくる。甘辛い、食欲をそそる香りが英一の鼻腔をくすぐった。
「はい、薬草茶と、アタシ特製の肉団子ですわ。たくさん食べてくださいな!」
勧められるまま、英一は肉団子を一つ口に運んだ。
噛んだ瞬間、じゅわっと溢れる熱い肉汁と、しっかりとした味付け。
「――っ! う、旨いっ……!」
無我夢中で肉団子を頬張る。
現実世界では親から「金食い虫」と罵られ、自室で菓子パンをかじるのが日常だった。温かい手料理を、誰かが自分のために振る舞ってくれるなど、いつ以来だろうか。
「久しぶりの……まともな食事だ……」
「久しぶり?……あの、もし差し支えなければ、英一さんのことを聞いてもよろしいかしら?」
マミユの真っ直ぐな瞳に、英一は嘘をつく気になれなかった。
彼は食事の手を止め、「ニホン」という遠い場所から来たこと、死の淵で「女神アクア」に出会い、この世界へ送られたことを淡々と語った。
「なるほどですわ! つまり英一さんは、遥か異国『ニホン』から、女神アクア様によって召喚され、ユニークスキルを授かった勇者様なのですわね!」
マミユの青い瞳が、尊敬と確信の光でキラキラと輝き始めた。
視界の端のミニマップでは、彼女の頭上に浮かぶ青マーカー(絶対的信頼)が、さらに強く発光している。
(まあ、それで納得してくれるなら、いっか……)
英一はあえて否定せず、マグカップの温もりを静かに味わっていた。
その和やかな空気を破壊する者がいた。
ドンドンッ!
工房の頑丈な扉が、破壊されんばかりの勢いで叩かれた。
「おい、マミユ! いるのは分かってんだぞ! 開けろ!」
地の底から響くようなダミ声。
マミユの顔からサッと血の気が引き、彼女は震える足で扉へと向かった。
開かれた扉の先には、熊のように巨大な獣人族の男が立っていた。分厚い筋肉に、獲物を追い詰める捕食者のような鋭い眼光。
「ラウスさん……」
「おい、いつまで待たせるんだ? 今日中に金貨100枚、用意するって話だったよな。できなけりゃ、この工房は売り渡してもらうぜ」
熊耳の男――ラウスは、土足で工房に踏み込み、嘲笑うように告げた。
「そ、そんな!? 約束は一ヶ月後のはずですわ!」
「うるせえな! どうせ用意できねえ甲斐性なしだろうが!」
マミユの瞳に悔し涙が浮かぶ。それでも彼女は、気丈に言い返した。
「お断りします! ここは、お父様が残してくれた大事な工房ですもの! 絶対に、誰にも渡しませんわ!」
英一は、テーブルの椅子に深く腰掛けたまま、その一部始終を静かに見つめていた。
彼の視界に映るHUDには、ラウスを示すマーカーが「黄色(警戒対象)」で表示されている。
(なるほど。借金の取り立てか)
ラウスが、テーブルに座ったまま動かない英一の存在に気づき、威圧的に睨みつけてきた。
だが、英一は一切の動揺を見せず、ただ冷たく凪いだ瞳でラウスを見据え返した。
――ピリッ。
空間の温度が急激に下がったかのような錯覚。
ラウスは、獲物を威嚇するはずが、逆に巨大な肉食獣に喉笛を狙われているような、本能的な悪寒を感じて背筋を粟立たせた。
「……ケッ、威勢のいいこった。まあいい、また来るぜ」
得体の知れない英一のプレッシャーに気圧されたラウスは、忌々しげに捨て台詞を吐き、足早に工房を去っていった。
パタン、と扉が閉まると、張り詰めていた糸が切れたように、マミユはその場にへなへなと座り込んだ。
「うぅ……お父さんが亡くなった時、借金が残ってしまって……。アタシが何とかやりくりしてたんですけど、金貨100枚なんて大金、とても……」
俯くマミユの小さな肩が、震えていた。
現実世界の英一なら、他人のトラブルなど見て見ぬふりをしていただろう。社会に馴染めず、ただ部屋に引きこもっていた自分。
だが、目の前のこの少女は、見ず知らずの自分に温かい食事と、絶対の信頼をくれた。
英一は、ゆっくりと立ち上がった。
そして、泣き崩れるマミユの前に歩み寄り、静かに、しかしはっきりとした口調で告げた。
「お前は、一人じゃない」
「英一さん……?」
涙で濡れたマミユが、驚いたように顔を上げる。
「まだ、一ヶ月あるんだろ? 俺に任せろ」
「で、でも、そんな! 英一さんにご迷惑なんて……」
「迷惑じゃない。美味しいご飯のお礼だ」
英一は、工房の奥にある巨大な炉と工具の山を見つめた。
「これでも、メカや金属を弄るのはプロ級なんだ。二人でやれば、金貨100枚くらいすぐに稼げるさ」
その真っ直ぐで自信に満ちた言葉に、マミユの青い瞳から、今度は温かい大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……英一さんっ。ありがとう……ございますっ!」
引きこもりだった少年が、異世界で初めて、自らの意志で誰かを守るために立ち上がった。
女神に与えられたFPSスキルと、彼自身の工業知識が交わる時、この世界の常識を覆すモノづくりが幕を開けようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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