第2章:蜃気楼のキャラバン
「世界をどう見るかは、自分自身が決める」
過酷な現実(砂漠や戦争)の中でも、想像力と信念という「物語の力」を持つことで、人は暗闇の中に光を見出し、歩き続けることができるのだろうか……
初投稿です。よろしくお願いします。
※この作品は小説家になろう、カクヨムで同時掲載しております。
孤独は、飢えよりも鋭くアミラを苛んだ。
街を離れて三日。アミラの喉は焼けつくように乾き、唇の端はひび割れて、笑うことも拒むようにこわばっている。昼間の砂漠は、逃げ場のない暴力的な太陽がすべてを支配していた。アミラは祖父の教えを守り、日中は岩の隙間に身を潜め、琥珀の蝶が羽ばたく夜にだけ、月明かりを頼りに歩き続けた。
夜の静寂があまりに深く、自分の足音さえ自分のものではないように思える時、彼女は琥珀に囁きかけた。返事はない。けれど、布越しに握りしめる琥珀が、彼女の体温を吸ってじんわりと温かくなるたび、彼女は自分がまだ「生者の側」にいることを確信できた。
四日目の夕暮れ、異変が起きた。
地平線の揺らめきの向こうに、いくつもの黒い影が現れたのだ。最初は、死を前にした脳が見せる蜃気楼だと思った。しかし、風に乗って微かに届いたのは、家畜の鳴き声と、金属が触れ合う鈴の音だった。
「……ひと……だ」
アミラは、鉛のように重い足を無理やり動かして駆け出した。視界の端で、夕陽を浴びた琥珀が鋭い蜂蜜色の光を放ち、周囲の砂粒を黄金の飛沫のように弾き飛ばす。
「助けて……!」
掠れた声は風に掻き消されたが、鈴の音が止まった。
現れたのは、数台の古びたトラックとラクダを連れた、商人のキャラバンだった。顔を泥と布で覆った人々が、天から降ってきた幽霊でも見るような目で、アミラを見つめていた。
「おい、子供だぞ」
「どこから来た? 独りか?」
低い男たちの声が飛び交う中、一人の女が前に出た。顔の半分を黒い布で隠し、腰に古びたナイフを差した女――ザラだった。彼女はアミラの前に屈むと、厳しい目つきで少女を上から下まで眺め、最後にその胸元で光る琥珀に視線を止めた。
「水だ。まずはこれを飲みな」
ザラが差し出した革袋から、一筋の水が滴り落ちた。アミラにとって、それはどんな宝石よりも輝いて見えた。震える手で受け取った革袋は驚くほど重く、そして生き物の肌のような生々しい温かさを持っていた。
一口、水が喉を通った瞬間、アミラの全身が歓喜の叫びを上げた。泥の混じった、生臭い水。けれどそれは、枯れ果てた彼女の命を再び繋ぎ止める、真実の救いだった。
荷台の隅に座らされたアミラを、焚き火の明かりが照らし出す。
「綺麗な石だね、お嬢ちゃん」
ザラが隣に腰を下ろした。その声は砂嵐のように低く、冷ややかだった。彼女の手は荒れ、ナイフを握り続けたようなタコが硬く盛り上がっている。
「この砂漠じゃ、水とパン以外の『綺麗なもの』は、一番最初に捨てられる運命にあるんだ。それを持ってるってことは、お前さんはよっぽどの幸運か……あるいは、死ぬよりひどい呪いを持ってるか、どっちかだね」
アミラは反射的に、琥珀を服の中に隠した。
焚き火を囲む男たちの沈黙が、アミラの背筋を冷たく撫でる。彼らの瞳には、喉を潤した安堵など微塵もなく、ただ暗闇の中で光る琥珀を「換金できる資源」として値踏みする、ぎらついた欲の色が灯っていた。
(だめ。離しちゃだめ)
心の中に、祖父の声ではない、もっと幼くて鋭い羽音が響いた。
ザラの手が、アミラの首元、琥珀の紐へとゆっくりと伸びてくる。アミラは息を止め、身体を硬直させた。ザラの指先が、アミラの皮膚に触れる。
その瞬間、琥珀がドクンと熱く脈打った。
ザラの瞳に一瞬だけ、冷酷な光が走る。それは優しさの仮面が剥がれ落ち、砂漠の獣が牙を覗かせたような、一瞬の隙。
「……冗談だよ。今は寝な。明日の夜明けには出発する」
ザラは立ち上がり、暗闇の向こうへと消えていった。
アミラは荷台の硬い板の上で、琥珀を両手で包み込んだ。周囲から聞こえるいびきや、遠くで鳴くラクダの声が、すべて自分を捕らえる罠の音のように聞こえた。
琥珀の中の蝶は、焚き火の影を借りて、荷台の壁に大きく不気味な影を落としていた。それは彼女を守る騎士のようでもあり、闇に怯える自分自身の写し鏡のようでもあった。
焚き火が白い灰になり、キャラバンの男たちが重い眠りに落ちた頃、アミラはトラックの荷台で微かな話し声を聞きいた。
「……あの石があれば、検問の兵士を一人や二人買収するどころじゃない。新しいトラックが手に入るぞ」
「黙れ。ガキ一人から奪うなんて、俺たちはそこまで落ちちゃいない」
「ザラ、あんたこそ現実を見ろよ。このままじゃ次のオアシスまで燃料が持たないんだ」
それは、ザラと部下の男の言い争いだった。ザラの声は鋭さを欠き、迷っているように聞こえる。アミラは心臓が口から飛び出しそうなほどの恐怖を感じ、暗闇の中で琥珀をきつく握りしめた。
物音がして、アミラはとっさに寝たふりをする。
荷台の覆いがめくられ、冷たい夜気が流れ込む。ザラが戻ってきた。
ザラはアミラの枕元に膝をつく。彼女の手がアミラの首元、琥珀の紐へと伸びる。アミラは呼吸を止め、全身を硬直させた。
しかし、首にかかった手は琥珀を奪うのではなく、アミラの乱れた髪をそっと撫でる。その手のひらは驚くほど震えていて、昼間の冷酷な商人とは思えないほど、一人の母親のような悲しみに満ちていた。
ザラは、アミラの耳元で消え入りそうな声で囁き、
「……あんた、起きてるんだろう。今のうちに逃げな」
アミラが目を開けると、ザラは自らの首に巻いていた布と、小さな水筒、そして一切れの硬いパンをアミラの膝の上に置いた。
「この石を見せびらかして歩くんじゃないよ。……いいかい、ここから西に三つ目の岩山がある。そこを越えれば、古い地下都市の入り口が見えるはずだ。そこなら、強欲な男たちの目からは逃げられる」
アミラはザラの瞳を見つめた。昼間、あんなに怖かった彼女の瞳に、今は深い後悔と慈しみだけが浮かんでいる。
「どうして……?」
「……あたしにも、あんたと同じくらいの娘がいたのさ。同じように、綺麗な石を拾っては宝物にしていた」
ザラはそれ以上語らず、アミラの手を引いてトラックの影へと降ろす。
「行きな。後ろを振り返るんじゃないよ」
アミラは闇に溶け出すように、再び独りで砂漠へと駆け出した。
背後でキャラバンの鈴の音が遠ざかっていく。
孤独と恐怖が再び彼女を包み込んだが、不思議と足取りは軽くなっていた。
ザラから譲り受けた布を頭に巻き、その隙間から琥珀を覗き込むと、中の蝶が今までで一番強く、黄金色の光を放った。それは、祖父の思い出だけでなく、ザラという他人が見せた「一瞬の善意」が光を強めたかのようだ。
アミラは暗闇の砂漠に向かって、力強く一歩を踏み出した。目指すは三つ目の岩山。その先にある「鏡の街」へと。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたなら、書いてて良かったです。
評価・感想・ブックマーク、など頂けたら嬉しいす。




