第9話 過去と現在
翌朝。
アラームが鳴る前に、玲が先に起きた。
寝ぼけた目で、隣にいる僕の顔をじっと見つめている。
銀色の睫毛が、朝日に透けていた。
しばらくしてから、そっと額にキスが落ちる。
「起きて、遅刻するよ」
優しい声だった。
起きたというより、起こされたに近いけど、不思議と嫌じゃなかった。
支度は二人で並んでやる。
鏡の前を交代しながら、銀髪を整える。
一晩で、“お揃い”が当たり前になっていた。
「今日も迎えに行くから、教室どこかLINEして」
「分かった。早く終わったら僕から行くよ」
「待ってる」
軽く笑って、僕たちは大学へ向かった。
——視線は昨日より増えていた。
「あの二人、付き合ってるらしいよ」
「マジで?」
噂はもう広まっている。
講義棟の分かれ道で手を振って、僕たちは別れた。
「じゃ、昼にLINEする」
「うん」
教室に入って席に着くと、斜め前の男子が振り返ってきた。
「ねぇ、もしかしてキミ、一ノ瀬先輩の——」
人懐っこい笑顔の男だった。
「俺、田中。経済学部。先輩と同じサークルだったんだけどさ」
軽い調子で話しかけてくる。
「どうやって落としたの?」
「関係ないだろ」
「ごめんごめん、怒んないでよ」
悪びれる様子もない。
そのまま講義は終わった。
スマホが震える。
『終わった。どこ?』
玲からだった。
正門に行くと、すぐに見つかる。
銀髪は目立つ。
……でも、その前に一つ気づいた。
玲が誰かと話している。
女子学生だった。
「連絡先だけでも——」
「ごめんね、無理」
はっきり断っている。
僕に気づいた玲は、すぐに表情を変えた。
「待った?」
「今来たとこ」
「ボクの彼氏。じゃあね」
それだけで、会話は終わった。
帰り道。
「僕、彼女だと思われてるんだけど」
玲は吹き出した。
「だってキミ可愛いもん」
「笑うなよ」
でも、少しだけ気になっていた。
「嫌?」
「男だもん」
玲は立ち止まって、まっすぐ僕を見る。
「じゃあボクが彼女でいいけど」
「玲は僕の彼女だよ」
一瞬、玲の顔が赤くなる。
「……反則」
そのまま、話は服の話になった。
セレクトショップに入って、玲が僕の服を選ぶ。
「これ着てきて」
試着室から出たとき、玲は固まっていた。
「……ボクよりカッコいいじゃん」
「そう?」
「それ買って」
結局、そのまま購入した。
近くの公園で、玲がじっと僕を見ている。
「完璧」
「どうした?」
「見惚れてた」
少し照れたように笑う。
「モテたらやだ」
「玲にだけモテたいよ」
その一言で、玲は完全に黙った。
耳だけが真っ赤だった。
しばらくして、玲がポケットから小さな箱を取り出す。
「これ」
中には、シルバーのリングが入っていた。
「イタリアで買ってた」
僕の左手を取って、薬指に通す。
「ぴったり」
「ありがとう」
玲も同じリングをつけようとして——
「……入んない」
結果、店に戻ることになった。
サイズを直してもらって、ようやくお揃いになった。
「完璧」
その言葉が、やけに嬉しかった。
夜。
コンビニで買い物をして、帰ろうとしたとき。
「……あ」
マンションの前に、人がいた。
田中だった。
「やっぱりここだ」
「なんでいるの?」
「学務課で住所聞いた」
空気が一気に変わる。
玲は僕の前に立った。
「で、何の用」
「一ノ瀬さんに用があんだけどさ」
その言い方が、気に入らなかった。
「帰って」
「冷たいなぁ」
田中は笑って、去っていった。
部屋に戻る。
玲は、しばらく黙っていた。
そして突然、僕に抱きついてきた。
強く。
「……あいつ、前のセフレ」
静かな声だった。
「大学入ってすぐ。遊びで付き合ってたやつ」
「大丈夫だよ」
「キミに迷惑かけたくない」
「任せて」
玲の手が、僕の服を掴む。
しばらくそのままだった。
「……情けないな、ボク」
「そんなことない」
少しだけ笑って、玲は離れた。
「ご飯食べよっか」
静かな夜だった。
でも、不思議と重くはなかった。
スマホが震える。
玲はそれを見て、すぐに伏せた。
「貸して。僕が送る」
「いい。自分でやる」
震える指で、ブロックを押す。
「これで終わり」
「守るから」
玲は僕を見つめて、もう一度抱きしめた。
「ボクにはキミだけだから」
キスをした。
長く、静かに。
言葉の代わりだった。
そのまま夜は過ぎていく。
でも——
布団に入って、玲が眠ったあと。
スマホが一瞬だけ光った。
見えたのは、たった一言。
『待ってる』
知らない名前。
でも、嫌な予感だけが残った。
——見なかったことにするか。
それとも。
僕は、しばらく眠れなかった。




