第7話 揺らぎの中で
三日目の朝、僕たちはほぼ同時に目を覚ました。
チェックアウトの時間は近かったけど、どちらからともなく笑い出して、「まぁいいか」と荷造りはゆっくりになった。
帰りの電車。
玲は片耳だけイヤホンをつけて、目を閉じている。
でも、その手はずっと僕と繋がれたままだった。
駅に着くまで、一度も離れることはなかった。
見慣れた街に戻る。
マンションの鍵を開けると、出発前と変わらない部屋が僕たちを迎えた。
何も変わっていないはずなのに、空気だけが少し軽く感じた。
「ただいま、って感じする」
玲はそう言って、ソファに座りながらスマホを取り出す。
そして、何の迷いもなく連絡先を開いた。
スクロールされていく名前の羅列。
「多すぎ。我ながら引くわ」
「すごいね」
「褒めんな」
苦笑しながら、玲は指を動かし続ける。
ブロック、削除、ブロック。
淡々と、けれど確実に。
「頑張って」
「頑張るもんでもないけどね、こんなの」
一時間くらいかかった。
途中で何度か「こいつ誰だっけ」と首を傾げながらも、全部消した。
「終わった」
「長かったね」
「指つった」
僕が手を握ると、玲はそれをじっと見下ろした。
「労い?」
「そうかも」
手の甲に軽くキスをする。
「王子様はボクのほうなんだけど」
「じゃあ僕は姫かな」
「似合ってるよ」
からかうように笑う玲に、思わず苦笑する。
「僕からしたら玲が姫だよ」
「183cmの姫がどこにいんの」
「ここにいる」
一瞬、玲は言葉を失った。
それから顔を背ける。
「……ずるい」
「何度も言うよ」
「やめて。心臓もたない」
両手で顔を覆う仕草が、やけに可愛く見えた。
くだらない会話。
でも、それが心地よかった。
こんな時間が、この部屋には足りていなかったんだと思う。
夕方。
荷解きもそこそこに、僕たちはソファでだらだらしていた。
テレビをつけては消して、ただ隣にいるだけの時間。
そんな中で、玲がふと真顔になる。
「あのさ」
「なに?」
「大学始まったら、また周りうるさいと思う」
「そうだろうね」
「また女の子寄ってくると思うけど」
少し間が空く。
玲が僕を見る。
「信じてくれる?」
僕は少し考えてから、答えた。
「大学でも横にいていい?」
玲が目を見開く。
予想していなかった答えだったみたいだ。
「いいの?目立つよ」
「いたい」
短くそう言うと、玲は唇を噛んだ。
「……じゃあ、いて。ずっと」
「うん」
玲は顔を逸らして、袖で目元を拭いた。
「泣いてないから」
「玲こそ大丈夫?」
「何が」
「大学で僕といるの」
「当たり前でしょ」
即答だった。
その言葉に、少しだけ安心する。
大学が始まるまで、あと二週間。
その間、僕たちは普通の生活を過ごした。
一緒に買い物をして、料理をして、同じベッドで眠る。
当たり前のはずの日常が、こんなにも満たされるものだとは知らなかった。
——ただ。
その平穏が、ずっと続くとは。
この時の僕は、まだ思っていなかった。




