第4話 初デート前日
翌朝。目覚ましが鳴る前に玲はもういなかった。代わりに枕元にメモが一枚。
乱雑な字で「大学行ってくる アイス忘れんな」と書いてある。その下に小さいハートがひとつ。描いた本人は絶対に見られたくなかっただろうに、置いていったこと自体がもう答えだった。
冷蔵庫にはちゃんと二つのハーゲンダッツが並んで残っている。
秋の朝日がカーテンの隙間から差し込んで、誰もいないベッドを照らしていた。
昼過ぎ。スマホが震えた。
LINEの通知。スタンプひとつ——猫がハートを抱えているやつ。続けてメッセージが届く。
「何食べたい?ボクなんでもいいけど」
送信時刻を見ると一限目の講義中のはずだった。サボっているのか、あるいは最初から出る気がなかったのか。どちらにせよ玲らしい。
昼?何してるの?
「学食〜」
写真が一枚送られてきた。学食のテーブルに山盛りのカツカレーと、隣に座った女子がピースしている。
——誰だこの女。
「隣のは同じゼミの子 ノート見せてもらってた」
聞かれてもいないのに補足が来た。察しがいいのか後ろめたいのか。
良いね、美味しそう。
「キミは?ちゃんと食べてる?」
返信が早い。カレーを食いながらスマホを触っているのだろう、タイピングの間隔が妙に短い。
「てか話逸らすな 夜なに食うか決めろ」
自分が女の写真を送ったくせに話を戻しにかかる図太さ。
数分後、もう一通。
「あと4限サボる 暇」
大学二年の秋、単位は大丈夫なのだろうか。
迎えに行こうか?
「え」
既読がついてから返信まで五秒。玲にしては長い。
「来て」
一言。絵文字もスタンプもない素の返事だった。
大学までは電車で二十分ほど。キャンパスに着くと、正門前の銀杏が黄金色に色づいていた。
中庭のベンチに玲はいた。女子二人に挟まれて。
片手を振って追い払うと、女子たちは不満げな顔で散っていった。
「早くない?」
何が?
ふっと鼻で笑って、
「返事。嬉しかった」
小声だった。
通りすがりの女子たちが騒いでいたが、玲は無視していた。
「どこ行く?」
行きたいとこある?
「服」
意外だった。
「明日キミと出かけるから」
分かった。
駅前のショッピングモール。玲はセレクトショップへ向かう。
黒のオーバーサイズジャケットを羽織って鏡の前に立つ。
「どう?」
似合ってるけど、もうちょい違うのも見てみない?
僕はダークネイビーのニットベストを手に取った。
「ベスト?ボクが?」
でもそのまま試着室へ。
出てきた玲は、少しだけ柔らかい雰囲気になっていた。
「変じゃない?」
うん、可愛い。
玲は少しだけ笑って、
「じゃあこれにする」
即決だった。
そのあと、今度は僕の服を選ばされる。
「キミ、ボクの隣歩くんだよ?」
結局、玲に選ばれたコーデを試着する。
「……は?」
似合っていたらしい。
「やっぱボク天才」
百点、と短く言われた。
「明日それ着てきて」
分かった。
帰り際、僕は言った。
プリクラ撮ろうよ。
「プリクラ?ボクらが?」
少し戸惑いながらも、断らなかった。
狭い機械の中で、玲は思った以上にノリノリだった。
「LOVE?」の画面で即「YES」を押してくるあたり、本当に遠慮がない。
落書きでは「玲♡」と書いて、ハートを量産していた。
出来上がったシールを財布にしまいながら、
「はい、帰るよ。夜ご飯作って」
当然みたいに言う。
帰りにスーパーへ寄って、夕飯を決める。
肉じゃがにする?と聞くと、
「いいね。じゃがいも多めで」
珍しく具体的だった。
家に帰って料理を始めると、玲はソファからじっと見ていた。
「まだ?」
早いって。
「いい匂いするし」
結局、鍋の前に立って混ぜる役を任せると、妙に真剣だった。
「……うま」
味見で感動している。
「米よこせ」
食卓では完全に別人だった。
「なんでこんな作れんの」
玲のため。
その瞬間、動きが止まる。
「……そういうこと言うから」
耳が赤かった。
食後、玲は珍しく皿洗いをした。
「終わった。シャワー入る」
鼻歌が壁越しに聞こえてくる。
出てきた玲は、ちゃんと髪を乾かしていた。
「学習するんで」
得意げだった。
寝よっか。
「おいで」
布団に潜り込む。
背中に手を回すと、少しだけ震えて、それから力が抜けた。
おやすみ。
「おやすみ」
数秒で寝息が聞こえた。
明日は水族館。
静かな夜だった。




