第14話 遅れてきたバレンタイン
三月一日。大学の学食。
昼時の混雑の中、玲はいつものように女の子たちに囲まれていた。
「レイ先輩、バレンタインのお返し期待してますね!」
「あたしも!手作りだったんですから!」
玲はいつものように、爽やかに笑う。
「もちろん。ちゃんと用意するよ」
完璧な返し。
——だけど、その裏で焦っているのは本人だけだった。
夜。
家に帰ると、玲はソファに座り込んでスマホを睨んでいた。
画面には「手作りチョコ 簡単 失敗しない」の文字。
「ガトーショコラ……無理。トリュフ?テンパリングってなに……」
眉間にしわを寄せてスクロールしている。
あの余裕の王子様が、完全に詰んでいた。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない。助けて」
スマホを突き出される。
「チョコ作る」
レシピサイトがずらりと並んでいた。
「ボク、料理できないんだけど」
「少しは手伝うよ」
がばっと顔を上げる。
「ほんと?」
「うん。僕も作ったことないけど」
「……お姉ちゃんとかいそうだもんね」
「いるよ」
玲が少しだけ興味を見せる。
「どんな人」
「普通だよ」
「普通ってなに」
じっと見られる。
「玲、僕の家族のこと何も知らないでしょ」
一瞬、言葉が止まった。
図星だった。
同棲しているのに、家族の話は一度もしていない。
「……まあ、そうだけど」
「まずはチョコ作ろう」
「……うん」
翌日。
製菓材料店。
「高っ。これ油でしょ?」
カカオバターの値段に驚いている。
「板チョコでいいんじゃない?」
「それ溶かすだけじゃダメ?」
「いいと思うよ」
少し考えて。
「ハート型にする」
「いいと思う」
ほっとした顔をした。
型と材料、赤いリボンまでカゴに入れる。
帰宅後、キッチンに材料を並べる。
「溶かせばいいんでしょ。余裕」
——ここまでは順調だった。
「あっつ!」
「大丈夫!?」
チョコが跳ねたらしい。
「平気……ちょっとだけ」
指に絆創膏を巻いて戻ってくる。
「ちょっと、ボクの仕事取らないで」
「はいはい」
交代する。
玲が慎重にチョコを流し込む。
「傾けすぎたら崩れる……」
真剣な顔だった。
なんとか五つのハートが完成する。
冷蔵庫へ。
「どのくらい?」
「一時間くらい」
時計は午後三時。
「……暇じゃん」
「暇だね」
玲がソファをぽんぽん叩く。
隣に座る。
テレビもつけず、ただ並ぶ。
しばらくして、玲が肩に寄りかかってきた。
「疲れた?」
「別に」
静かな時間。
「こういうの、あんまなかったね」
「そうだね」
「……いつもボク、帰ってこないし」
責めるでもなく、ただの事実。
あくびを噛み殺そうとして失敗する。
「今の忘れて」
「寝てもいいよ」
数十秒後、呼吸がゆっくりになる。
寝落ちだった。
四十分後。
起こそうとすると、服を掴まれる。
「……もうちょい」
小さな寝言。
そっと外して立ち上がる。
冷蔵庫の中。
ハート型のチョコが並んでいた。
少し歪だけど、悪くない。
仕上げに取りかかる。
ココア、ナッツ、チョコペン。
「Y」と書きかけて、やめた。
代わりに小さなハートを描く。
「何してんの」
振り返ると、玲が立っていた。
「ずるい。勝手にやらないで」
文句を言いながら、少し笑っている。
「これはボクがやる」
チョコペンを握る。
震えながら「I」とだけ書いた。
ちらっと僕を見る。
「これくらい分かるでしょ」
最後の一つには、不器用なハートを二つ。
箱に並べて、赤いリボンを結ぶ。
綺麗だった。
「はい」
「僕に?」
「当たり前でしょ」
顔をそらす。
「ありがと」
「……お返し」
ぴくっと反応する。
「三倍返しね」
「分かった」
「え、マジで?」
自分で言って驚いている。
「来週までに用意するよ」
「……マカロン」
「難しそうだけど頑張る」
「食べるよ。キミが作ったものなら」
玲が、少しだけ笑った。




