第12話 選ばれた理由と、約束
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む光で目が覚めた。
土曜日、朝九時。
——玲はまだ寝ていた。
僕にしがみついたまま、顔を腹に押し付けている。昨日掴んだシャツもそのままだ。
銀色の髪が朝日に透けて、やけに柔らかく見えた。
起きている時の気だるさも、傲慢さもない。
ただ静かな寝息だけがそこにあった。
十分。
二十分。
ようやく、もぞりと動く。
目が開いて、焦点が合うまで数秒。
——離れるかと思ったが、離れなかった。
むしろ顔を押し付けてきた。
「……あと五分」
返事を求めていない声だった。
そのまままた眠りかけた——その時。
ぴく、と顔を上げる。
「……なんか焦げ臭くない?」
「え?」
二人で飛び起きた。
キッチンに向かうと、コンロの上で黒い何かが炭になっていた。
「あー……昨日のやつだ」
アルミホイルの鍋敷きだった。
完全に炭化している。
「火事かと思った……」
「あぁ、良かった、火事かと思った」
同じことを言って、思わず吹き出した。
「キミ顔すごかったよ」
「どんな?」
玲が変顔をしてみせる。
「こんな感じ」
「それ絶対違うでしょ」
「違わないよ」
——絶対違った。
そんなやり取りをして、ようやくいつもの空気に戻る。
ソファに座り、玲はスマホをいじっていた。
画面にはメッセージの通知が並んでいる。
——全部既読スルーしていた。
珍しい。
ふと、玲の視線がカウンターに置かれたチョコに向く。
ちら、ちら、と僕とチョコを見比べる。
「……あれ、食べていい?」
「うん、玲のでしょ」
ぱっと取りに行き、一口かじる。
そのまま隣に座ってきた。
少しだけ残したチョコを、僕に差し出す。
「はい」
「ありがとう」
二人で一つのチョコを分けた。
何でもない、土曜日の朝。
玲が肩にもたれてくる。
重い。
けど——悪くない。
ふと、思った。
——三年。
大学一年の春に付き合ってから、もうそんなに経つ。
浮気、喧嘩、説教、仲直り。
その繰り返しで、今の距離になった。
「ねえ」
「ん?」
「なんで僕に告白したの?」
玲は少し考えたあと、ぽつりと言った。
「キミだけだったんだよね」
指でチョコの包み紙をいじる。
「ボクに寄ってくるやつ、みんな同じでさ。顔とか身体とか金とか——でもキミだけ違った」
「へえ」
「それがムカついた」
「ムカついたから?」
「違うよ。気になったの」
少しだけ顔を上げる。
「なんでこの人ボクのこと見てないんだろって」
「それで?」
「落としてやろうと思った」
「どれくらいで?」
玲は指を三本立てた。
「三日」
「早いね」
「まあボクだから」
得意げに笑う。
「でもさ」
「ん?」
「三日で落としたのに、三年も続くと思ってた?」
玲はきょとんとした顔をした。
「思ってたよ」
「なんで」
「キミ、別れるとか言わないじゃん」
少しだけ言葉に詰まる。
「僕は……初めての彼女だし」
玲の表情が変わった。
「……それ、本気で言ってる?」
「不安はあったよ」
正直に言う。
「玲はいつでも誰かと付き合えるし、いつでも別れられるから」
沈黙。
少しして、玲がぽつりと呟いた。
「……ボクさ、誰でも落とせるから、誰も本気にならないんだよ」
初めて聞く声だった。
弱い声。
「だからキミには言わない」
「運が良かったのかもね」
「運って何」
「玲に選ばれたこと」
玲が口を閉じる。
耳が赤くなっていた。
「……運じゃないし」
小さく言う。
「ボクが選んだんだから」
「うん、ありがとう」
「……ずるい」
そのまま、玲は何も言わなくなった。
でも、離れようとはしなかった。
昼前。
外に出て、ショッピングモールへ向かう。
フードコートでラーメンを食べて、雑貨屋をぶらついた。
玲が立ち止まる。
視線の先には、ペアリング。
「買おうか?」
「いいの?」
「うん」
店員に出してもらう。
シンプルな銀のリング。
玲の左手を取る。
薬指に通す。
少しだけ、照れた顔をした。
「キミのも」
今度は玲が僕の指に通す。
不器用な手つきだった。
それでも、ちゃんと嵌まる。
二人の左手に、同じ光。
「……似合わなくても知らないから」
「似合ってるよ」
「……そ」
耳が赤い。
帰り道。
夕日が長い影を作る。
手は、繋いだままだった。
玲が立ち止まる。
指輪を光にかざす。
「ねえ」
「なに?」
「来週の日曜、空けといて」
「分かった」
玲が振り向く。
少しだけ柔らかい顔で。
「約束ね」
「約束」




