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表と裏

中途半端だったので消して、書き直しました





 とても不思議な感覚だった。


 灰雁亭に立ち寄るようになったのは、昨日今日の話ではない。

 真冬のネヴ島の「合宿」から返されて以来、当たり前に領邸に居場所がなかった少年は、土地勘もない街をよく、あてどなく徘徊していた。

 宮廷地と名のつく通り、官僚による官僚のための街であるエーラフガングに、魔法使いの居場所はほとんどない。いかにも金のなさそうな子供が一人、瀟洒な門前店を冷やかして歩くことを、歓迎する施設はあまりなかった。商売なのだから当たり前だ。それに対して悪感情を抱いたことは一度もない。

 書籍街の奥の方に分け入ってみると、独特の生態系が築き上げられているようだと──気づいたのはいつの頃だったろうか。

 染料の道に邁進するあまり、勢い余って竜血樹脂(ドラゴンブラッド)まで仕入れてしまった薬種屋。年に一度あるかないかの誓約魔法を伴う外交文書のために、アリラ亜大陸からはるばる仕入れた米漉き紙をいつまでも置いている写本屋。魔法素材としてではないけれど、慣れ親しんだ品に接する時間があることは、たぶん少しの救いのようなものだったのだと思う。

 少なくともここでは、招かれざる客ではない。


 どの店も大概は混んでいることなく、目の前の品を静かに吟味している数名の客がいた。たまに店主と稀覯品にまつわる議論になっているところを見かける。魔法使いとして働き始めてからは、この街では自分しか買わないだろう品を引き受けにいくような関わりになった。互いに顔だけは知っていた、袖すり合う程度の、背景でしかない間柄だった人びとからこうして質問責めにあう日が来るなどと、正直なところ想像したこともない。


「没食子のインクはどこでも買えて取り回しがいいんですが、ペン先がすぐやられるんですよね。ご店主、何か妙案はないだろうか」

「そりゃあどの店で尋いても同じことを言うだろうな。書き終えたらすぐ拭く、できれば水洗いする。結局は地道に勝る対策はないんだよ」


 ──イェレさん、こんな喋るんだ。


 日頃満足に「いらっしゃい」も言わない店主とあっという間に打ち解けたらしいグステンは、羽根ペンの手入れについて話し込んでいる。アンドリースや他の2人も似たようなものである。

 なじむのが早すぎる。

 陽の者の集まりなのは知っていたけれど、本当に不思議な人たちだなと思う。グイグイ来られるのが苦手な日陰者を構えさせない、不思議なゆるさがあるのだ。


 ──懐に入ろう。


 出発の前の日、夫君の執務室でのグステンの言葉を思い出す。人の心の柔らかい場所にすっと足を踏み入れることは──教会領の人たちにとって──案外造作もないことだという、あれは宣言だったのだろうか。……




  ⚸




「……とまあ、こんなところだ」


 何杯目かになるゴブレットの中身を、さすがに少しずつ嘗めながら──それまでの単細胞然とした物腰を引っ込めて、クラウディアは抑えた声で悠然と笑う。


「こちらの手の内は晒した。ここまできて、腹の探り合いをする気はない。貴様のことだ、『協議』などと書簡には書いていたが、何か望みがあって来たのだろう」


 アーモンド型の金眼をうっすら細めて、「さっさと言え」と騎士は低く笑って見せた。さっきまでの短気で鉄火な印象と打って変わって、こうすると格段に酷薄な印象になる。

 油断ならないタイプだ。接見が始まる瞬間から絶えず見せてきたあの無頼めいた物腰も、こちらの油断を誘うポーズだったのもしれないという気にさせる。


「そうですね……」


 口元に手を当てたグステンは、しばし考え込むように沈黙し──やがて気遣わしげな顔で、紙束の中から何枚か取り出しながら続けた。


「真摯にご対応いただいていることは、シュピーゲル家の主張を丸呑みせず、丁寧に突合してくださったことからも理解しております。私どもの調べ、被害者本人への聴き取りとも大筋は相違ありません」


 そこまで言うと──なんとも複雑な、安堵したような笑みを端正な顔に浮かべる。


「お変わりない。──内容が内容なだけに、折り合えない覚悟もして参りましたので、正直に言うとほっとしております。体面だの沽券だのの前に、曲がったことが大嫌い。閣下らしいご判断です」


 言われたクラウディアは、ほんの一瞬、妙なものでも見たかのように怪訝な顔をしたあと──白けきった表情で、ふっと短く息をついた。


「当たり前だ。たかが家名を継いだくらいで、騎士がそう変わると思うな。時流に合わせて剣とペンを持ち替える、貴様ら文官とは違う」

「懐かしい。領都時代も、よくそうやってどやされました」


 はは、と、この部屋にきた時と同じだけの熱量で、気のおけない旧友のようにグステンは笑った。


 これは──。

 怖いな。そう思った。

 現在のクラウディアの実際がどうあれ、今この場ではグステンの名指しする〝騎士クラウディア〟のイメージが、彼女の一挙手一投足を統制している。まだ若く、未熟で頑なながら、おそらくはひどく実直だった時代の自己像を──ザウスナ家という高い階位を負ってなお──いまだ騎士でもあるクラウディアは、きっと裏切れない。






表と裏/小林武史


合宿とは

https://ncode.syosetu.com/n7462km/89/


「懐に入ろう」の回

https://ncode.syosetu.com/n7462km/122


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