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2. あなたが、ともちゃんなの?

 週明けの月曜日。いよいよやってきた秋本天音の初登校日。

 大きな校舎の見慣れない昇降口が、天音の前にずーんと立ちはだかる。


 大勢の生徒が談笑しながらスッと自分の下駄箱に靴を入れて校内へと進んでいくのに、天音だけが自分の下駄箱の位置がすぐにわからず、きょろきょろと探し回っていた。

 昇降口に次々と入ってくる生徒が天音を抜かして廊下の方へと去っていく。この建物が、周りの生徒みんなが、匂いも空気感も何もかもすべてが、自分一人をのけ者扱いしているかのように天音は感じていた。


(なんなの、このアウェー感……!)


 だがくじけてはいけない。自分は確かに入学試験を突破してこの学校の生徒となったのだし、何よりも、あの「ともちゃん」が教室で待ってくれているはずなのだ。


 やっとの思いで自分の番号の下駄箱をみつけることができた天音は、今度は未だどこにあるかわからない自分の教室を探すために、一年生の教室が並ぶ廊下へと足を踏み入れた。

 はいはいどいてください、例の入学以来一度も来てない出席番号一番が来ましたよ~、と心の中で唱えながら、活気のある朝の廊下を猫背気味に進んでいく。

 一年一組、出席番号一番。何よりも目立つことを嫌う天音だが、偶然にも大それたポジションに座ってしまった。これも何かしらの天罰なのだろうか。悪行をはたらいた覚えはないのだが。


 校舎一階の一番奥の教室。そこが一組だった。歩くペースを遅くして通り過ぎざまに教室の中を覗いてみる。

 やはりというかなんというか、天音が期待していたような、まだ生徒同士が互いに緊張しているような雰囲気はもうそこまで感じられなかった。すっかりみんな打ち解け合っている気がする。すっかり輪が形成されてしまっている気がする。

 教室前方の戸をそろそろと開け、すぐそばの机に誰もいないことを確認した。恐らくここが出席番号一番である私の席なのだろうと見切りをつけ、カバンをそっと乗せる。


 秋本という名字は、五十音順で出席番号を決めるとどうしても先頭の方に来てしまいがちだ。

 誰か私より前に座れるやつはいなかったのか。相川とか青木とか。私を一番なんかにさせるなよ、相川青木。

 ともちゃんに続いてまたも脳内に生まれた想像上の生徒に文句をつけながら小さく溜息をついたとき、隣の席に座っている女子生徒がこちらを見ていることに気が付いた。


(わ、綺麗な人……)


 まともに目を合わせたわけではないが、垢抜けた顔立ちの女子だということは視界の端に映っただけでもわかった。

 机に置いたプリントを眺めながら何やら考え事をしていたようだが、天音が机に荷物を置いたときからずっと天音の方に注目している。

 優しげな瞳に温かい雰囲気が漂っていて、パッと見で明るそうな〝いい子〟だと天音は思った。


 さっそくやってきた、試練の時。勇気を出して乗り越えなければいけない最初の壁。

 天音は緊張する胸を抑え、たどたどしくなってしまいつつも、ぎゅっと拳を握って隣の席の女子に自分から話しかけてみた。


「あぁ、あの……ここって……その、出席番号一番の席で合ってますよね?」

「そうだけど……もしかしてっ」

「あ、あの私っ、秋本って言って……今日やっと初めて来れたんですけど……」

「やっぱり! あなたが秋本さん!? 風邪治ったんだね!」

「え、ええ……おかげさまで……って、えぇ!?」


 目の前のいい子系女子はガタンと音をたてて椅子から立ちあがると、天音の手をとって「よかったよかった」と喜んだ。

 まったく見ず知らずの人に突然手を握られ、気圧されてしまう天音。会ったこともないクラスメイトが風邪から復帰したことをこんなにも喜べるのは何故なんだ、と思わずにはいられない。

 変わった性格の子なのか、それとも突き抜けていい子なだけなのか。


 やや後方にいた別のクラスメイトが「どうしたの?」と声をかけ、いい子系女子が「この子が秋本さんなんだって! 風邪なおったみたい!」と返す。

 入口周辺にいた生徒の視線が一斉に自分の方へと集中し、天音はなんとか笑顔を作って「あはは、どうも……」とぎこちなく挨拶した。クラスメイトたちが微笑ましそうに控えめな会釈を返してくれたのを見て、天音はやっと「ここにいていいんだ」と思えるような、自分がこの学校に受け入れられたような安心感を少しだけおぼえることができた。


 やっぱりみんないい子なんだ。悪い子なんてそうそういないんだ。そうだよ、だってそこそこ勉強を頑張らなきゃこの学校には入れないはずなんだから――そう思いながら、少し自分には大きいような気がする椅子に腰掛ける。

 朝からずっと緊張しっぱなしだった身体がようやく落ち着き、想像以上に自分は疲れていたようだと実感する。ただ登校してきただけだというのに。

 天音が小さく一息つくと、隣のいい子系女子は座り直した席ごとすすすっと近づき、天音よりやや背の高い身をかがめて、見上げるように上目遣いで話しかけてきた。


「私、神山和沙(かみやまかずさ)って言います。ずっと隣の席が空いてたから、どんな子が来るんだろうって気になってたんだ~」

「ああっ、どうも……えと、秋本天音です」

「あっそうそう、秋本さんが休んでた間のプリントとか、まとめて机の中に入ってるからね。たぶん全部揃ってるから」

「えっ、もしかして神山さんがまとめてくれてた……?」

「んーん全然! 私はただ机に入れてただけだよ~」


 いい子系女子こと神山さんの気遣いが、ずっと緊張しっぱなしだった天音の胸に温かく染みわたっていく。遠慮がちな笑顔の可憐さに思わずときめいてしまう。

 もしかして、この人が……!


「と、ともちゃんなの……!?」

「ん?」

「あっ、ああいえ、何でもないですっ」


 ずっと脳内で自分を励まし続けてくれた「ともちゃん」の正体は、この神山さんなのかもしれない……出会ってからの数分で天音は早くも確信した。

 今までイヌのぬいぐるみで代用していたともちゃんの顔の部分が、早くも和沙の顔にすげ変わっていく。

 先ほどは少しでも変な性格の人なのではないかと疑って申し訳ありませんでしたと、胸の内で全力で謝罪する。この人は正真正銘のいい人だ。間違いない。


「大変だったねぇ。いきなり一週間も休んじゃうなんて」

「いやほんとに……私もつくづく不幸だなって、自分を呪ってたとこ」

「もし私が秋本さんの立場だったらって、考えただけでも怖いもん。ほんとによく来た! えらいよ!」

「ははは……ありがと」


 なぜか和沙に頭を撫でられる天音。

 本当になんなんだろうこの人は。自分の中で神山和沙の人物評価が、なんかもういい子とかそういう次元を飛び越えて、ここまで初対面の他人を思えるのって凄くない? という領域にまで一気に突入した。

 優しさの権化か、はたまた菩薩の生まれ変わりか、平成の日本に転生したマリアなのか。


(ん……?)


 ふと、和沙の背後にいる女子がこちらをじっと見つめていることに天音は気が付いた。

 天音の左隣の席にいる和沙の、もうひとつ向こうの席に座っている子。

 平均的に見ればそこそこ小さめな身長の天音から見ても、一目で自分より小さいとわかる子だった。前髪ぱっつんの黒髪がよく似合う。

 天音が「ともちゃん」と声に出したときから、ずっとこちらを見つめてきている気がする。


(な、なに……?)


 和沙の背後からあまりにもまっすぐにこちらを見つめてくるので、天音はついつい目を逸らしてしまった。

 威圧されているわけではないと思うが、この不幸体質少女に何か言いたいことでもあるのだろうか。それともただ初めて見るクラスメイトに対して興味を示しているだけなのか。

 視線をどこに逃がしていいかわからず、通学用のバッグの中に落としたところで、提出しなければいけないプリント類が天音の目に入った。


 本来なら入学直後に担任に渡しておかなければいけないものだが、今しがた初登校を果たしたばかりの天音はもちろん提出できていない。先生が教室に来るまで待っていてもいいのかもしれないが、迷惑をかけたぶん挨拶などもしておかなければならないだろうと今になって思いつく。

 まだホームルームが始まるまでは時間があったので、天音はプリント類の入ったファイルを手に立ち上がった。


「ちょっと提出しなきゃいけないものがあるから、職員室行ってくるね」

「あっ大丈夫? どこにあるかわかる? 案内しようか?」

「ううん、大丈夫っ」


 本当は職員室の場所など微塵も把握していないのだが、優しすぎる和沙の気遣いにこれ以上甘え続けるのはなんだか気が引けてしまい、天音はそそくさと教室を後にした。

 その間も、ちびっ子ぱっつんの女子は天音の方をじっと見つめていた。


 *


 入学式当日、天音は家のベッドに寝たきりでぜぇぜぇと苦しんでいたが、そんな中、母の早苗だけは片道約一時間近くかかる学校に行って書類の受け取りや先生への挨拶を済ませてくれていた。今天音の手にあるプリント類のほとんどは早苗が代筆したものである。

 しょっぱなからどん詰まった学生生活がなんとか円滑に回り始めようとしているのも、こうした親の気遣いがあってのことなのかもしれないと、天音は静かに親に感謝した。

 娘のいない寂しい入学式から帰ってきた母親は、「先生たち、みんないい人そうだったよ」と言っていたっけ。

 ほとんど知らない校内を勘だけを頼りに歩いて職員室を発見した天音は、母の言葉を思い出しながらおそるおそるノックをして戸を開き、まだ名前しか知らない担任の教師がどこにいるのかを近くにいた教員に尋ねた。


「あのすみません、乙守先生っていらっしゃいますか……?」

「んんー? 乙守先生ー!」


 教員が少し離れた席にいる女性に声をかける。ぱっと振り向いた女性は、この遠慮がちに立つ不幸少女を一瞬で秋本天音だと認識したらしく、「こっちこっち!」と手招きして呼んだ。


「秋本さんでしょ? よかった、やっとこられたのね」

「本当にすみません先生、いきなり休んでしまって……」

「はぁー、とりあえず一安心……あっそれプリント類? 預かるわ。ちょっとそこの椅子座ってて?」

「あ、はいっ」


 一組の担任である乙守紗季(おつもりさき)先生は、ぱっと見は若くて小綺麗な人だった。まだ三十歳にもなっていないのではないだろうか。

 だからといって新任っぽいような初々しい雰囲気はなく、忙しそうなこの職員室の中にあってどこか落ち着き払っている。

 頼りになりそうな先生でよかった。これなら、私がこの学校に入学するにあたって最も不安だった〝懸念事項〟も、なんとかなるかもしれない――天音がそう思った瞬間だった。


「んんー? もしかしてその子が、例のトマトメイトの娘さん?」

「っ!」


 背後から何者かが声をかけてきて、天音の肩がぎくっと強張った。


「ちょ、ちょっと間宮(まみや)先生! それはほかの生徒には内緒だって……!」

「わーかってるって、今はこの子以外生徒いないから大丈夫~」

「いるじゃないそっちの方に!」

「あれ? あーほんとだいたわ。でも聞こえてないっしょ。にひひ」


 乙守先生が、天音の後ろから現れた謎の教師を小声で叱る。

 トマトメイト……それは天音にとって、絶対にこの学校では聞きたくなかったNGワードだった。

 うつむいて生気を失いかける天音に気づき、乙守先生が慌ててフォローに入る。


「だ、大丈夫よ秋本さんっ。先生の中には何人か知ってる人もいるけど、生徒には絶対に口外しないってお母さんとも約束したから。ねっ?」

「う……はい……」

「あれーでも可愛らしい子だねぇ、あんまお父さんに似てなくない?」

「みっ……間宮先生! だからそういうことは……!」

「あーはいはい、わーったわーった」


 間宮、という苗字らしい女教師は天音の横を通り過ぎつつ、コーヒーの入ったマグカップを机に置きながら乙守先生の隣の席に座り、「あーし、一年二組の担任の間宮みこ。現文のせんせーだから」とこちらに笑いかけ、ピースにした指をちょきちょきと動かした。


 小綺麗な乙守先生と比べると、だいぶ雑……というか、新学期早々ジャージの上に白衣、首にはホイッスルをぶらさげるという奇妙な出で立ちをしている。

 なんで体育教師でもなければ化学の教師でもないのにジャージと白衣を着ているのだろう。その笛は一体いつ使うんだ。そういった雰囲気がすでに、天音が開口一番に思い込んだ「デリカシーのない人」という第一印象が間違ったものではないことをじわじわと確信させていた。


「あの……ちょっと、今までの学校でもいろいろ……本っ当に色々あったので、絶っ対に秘密にしておきたくて……」

「そ、そうよねっ。大丈夫大丈夫。先生たちはあなたの味方だから」


 先ほどまであんなに頼りがいのありそうだった乙守先生が今は小さく見える。天音はとりあえず提出するものだけ提出し、とぼとぼと自分の教室へ戻った。

 順風満帆に行くかと思われた高校生活。漕ぎだした海は穏やかで綺麗なものだと思っていたのに、実際はゴツゴツの暗礁だらけだったことに今更気づかされたような気分だ。


 自分が芸人の娘であることは、何が何でもほかの生徒に知られてはいけない――知られてしまったが最後、これから仲良くなれそうな気がするあの和沙でさえ、縁を切らなければいけないような事態になってしまうだろう。

 あの間宮とかいう教師は要注意人物だ。噂が漏れるとしたら、間違いなくここになる。


 天音は得意のしかめっ面で、間宮が担任を務める一年二組の表札を睨みつけながら、自分の教室へと戻った。

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