~道義~ 正しいこと、とは?
〔十三番目の城〕の甲板でボーマン・ギッズはぼんやりと空を見上げていた。真っ暗な空には煌々と光る月がぽっかりと浮かぶ。その前を薄い巻雲が通り過ぎていく。
絵筆で払ったような雲に乗って冷たい夜風が吹いた。
「あーあ。とんだくたびれもうけだ」
彼は肩に手を載せて首を回しながらつぶやいた。薄手のタンクトップ姿が寒々しく思えるが、火照った体にはちょうどいい。
その涼やかな気分を壊すように、下の方から鋭い怒声が湧き上がる。
ボーマンは眉間にしわを寄せて、手にしているパイプをくわえた。
「おまけに、これだ」
ボーマンは甲板のヘリから下をのぞき込むと、ぽつぽつと松明の明かりが揺れている。種火のように小さく、バイン・シフが動けば一瞬にして消えてしまいそうなほどか弱く見えた。
不満を爆発させた市民たちの集まりだ。
彼らは〔アル・ガイア〕の襲撃で町の一部は倒壊、半壊の被害を受けた。その補償、賠償をフライハイトに求めてきているのだ。
「連中の制止まで俺たちがやるのかよ」
ボーマンは面倒事がどっと押し寄せてくるのに辟易して、ため息交じりに煙を吐き出す。
市民たちは確かに圧政から解放されて人権の平等が認められている。だが、それを本当に理解するためにはまだまだ彼らは浅学というべきだろう。
責任を追及する権利はもちろんある。しかし、即効で補償が降りるわけがない。ましてや復興事業のさなかであるのだ。財政などは専門家が来ない限りには打つ手がない。
「これも全部、あの癇癪娘どものせいだっていうのに。子どもはいいよなぁ」
一人愚痴りながら、暗い空を見上げる。
大人げない、とボーマンは内心思う。子どものしたことに対してとやかく言っても仕方ないのだ。過ぎたことを悔やんでいるわけにもいかない。
「隊長。よろしいでしょうか?」
「あぁ? 何だよ……」
ボーマンが振り向いてヘリにもたれかかる。その正面には顎を引いて緊張する若い男が立っていた。その青い瞳が月明かりの中で艶やかに映る。
「農民五十名が家に帰してくれるように、と要求が出ています。これがその署名です」
ボーマンは藁半紙を数枚受け取って面倒そうに捲る。疲労感も相まって書式や内容などはほとんど流し読みで、誰が首謀者かなどどうでもよかった。
「いかがいたしましょう?」
「いかがいたしましょうって言われてもな」
ボーマンの淡々とした口調に若い男は恐縮して、そうですねと小さく返答する。
ボーマンはパイプを手に持ち替えて一つ息を吐く。
「どうするのがいいと思う?」
「え? 自分でありますか?」
若い男は青い瞳を大きく見開いて、背筋を伸ばす。
意見を求められても、彼は伝令役でしかない。部隊の統治者であるボーマンから書類審査の合否を聞いて、別部署に回すのが任務である。それだけだ、と彼は思っていた。
ボーマンは瞳だけを彼に向けた。
「他に誰がいる。実直な意見を聞きたい」
「ああ……」
若い男は引き攣った表情を浮かべて緊張から冷や汗を流す。
彼はまだまだ下っ端もいいところの構成員だ。何かを決める決定権などは持ち合わせていない。だからといって何も言わないでは空気が重くなるばかりだ。
「まぁ、考えろ」
若い男が必死に考えを振り絞る間、ボーマンは悠々としていた。
ただ別部署から別部署へ運ぶだけの仕事なら伝書鷲にだってできる。ボーマンが求めているのは、そんな動物でもできることではない。意見の交流と決断力、そして自責の念だ。
誰かの下で暮らすだけなら、君主や貴族たちに仕えていた方がよっぽど幸せだろう。
そうでないなら、自分の意志を相手に伝えることをやめてはいけない。
ボーマンたちはその意志を知ったからこそ、この町の解放運動をしたのだ。そして、民主化を進めるために今は指導する立場を取っているに過ぎない。
たっぷりと間をおいて、若い男はぎこちなく口を開く。
「やはり、こちらにとどめておく方がよろしいのではないでしょうか?」
「どうしてだ?」
ボーマンは間髪入れずに問いかけて、若い男をさらに困惑させた。
「それは、やはり、彼らの中にクイーン級の内通者がいるということも考えられます」
「想像力豊かだな」
若い男は袖口で額の汗をぬぐい、パイプをくわえるボーマンを見つめる。
「奴に肩入れしたところで、ここの連中が得すると思うか?」
「それは、ない……と思います」
冷静になってみれば、〔アル・ガイア〕が処刑の場に乱入しなければ着々と生活の準備を進められたのだ。〔アル・ガイア〕がまだこの近くにいるという不安が農民たちを焦らせるのだ。
自分たちの土地は大丈夫だろうか。もしかしたら、種まきをする畑が滅茶苦茶にされているかもしれない。
ボーマンは涼しげに言う。
「だろう? だから、帰すくらい問題ないだろ」
「帰宅させろと言いますか?」
「希望者だけな」
ボーマンは厚ぼったい唇を揺らして、紫煙を吐き出す。
若い男は不承不承な顔をする。
「不満か?」
「管理は徹底すべきではないですか?」
「そんなことをしてみろ。今度は俺たちが悪役だ」
同じ過ちを繰り返してはいけない。誰もが思うことだ。同じ失敗はしないと心に誓いながらも、また同じ失敗をしてしまう。
「人をまとめる立場が同じ過ちをしちまったら元も子もねえだろ。あの戦いの犠牲は何だったんだってな」
ボーマンはそこまで言って気に食わないことを思い出す。
〔アル・ガイア〕の操縦者が言っていたことが、一歩間違えば現実になってしまう。圧政を力で押さえつけ、腫瘍を切り離すように貴族を排除した。そのことは民衆たちの目には正義として映り、解放運動の正当性を植え付ける。間違いなく市民たちは救われるのだ。
その行為を悪と判断する〔アル・ガイア〕のやり方はわがままであるが、決して間違っていないということは胸に刻まなければならないだろう。
「こちらにも落ち度はなる」
「それはそうですけど……」
それでも、若い男は納得できず俯く。青い瞳は迷うようにあちこちに視線を投げかける。
その答えを探すような視線にボーマンは気づいて、パイプを手に持ちかえる。
「今はまだ余韻で民衆はこちらに従っているが、いずれ落ち着く。その時こそ本当に人が、平等に生きるために必要な規範が必要になる」
「モラルですか?」
若い男は堅苦しい言い方をする。
ボーマンは思わず苦笑した。
「そういっているうちは、部隊もまとめられないな」
若い男はそれに不満げな顔をする。
「では、何が必要なのです? 何が求められているのです?」
この質問にボーマンは一瞬、眉をひそめた。自分でも明確な答えがあるわけではない。
しかし、冗談みたいな気分が湧いてきてすぐにも悪戯な笑みを浮かべる。
「子どもが憧れるような大人、かね?」
ボーマンの言葉に若い男は小首を傾げた。
* * *
夜風が重たい雲を運んで、〔エクセンプラール〕を照らす月明かりを遮る。暗闇に閉ざされて、あたりはまるで見えない。
「お婆さんのこと、残念だったね。けど、きっとすぐ帰ってくるよ」
結子が恐る恐る重い口を開く。
艦内の食堂で、重苦しい雰囲気の中三人が遅れて食事をとっていた。他には誰もおらず、みんな就寝してしまっている。冷たく張りつめた空気が肌を緊張させる。
「ミトさん、怒ってなかったね」
結子は冷たいパンを口に運びながら右隣にいる柾と向かいに座るフォノに言った。
〔アル・ガイア〕の出撃に関して、ミト・ハルルスタンは何も咎めなかった。そのことが後々恐ろしいことにつながるのではないか、という不安を結子は抱えている。しかし、柾とフォノからはそんな気色は感じられない。
心ここにあらず、といった風に黙々と食事を進めている。
「ね……。ねっ」
「ん? うん、そうだね。いつもなら夕飯抜き、とか言ってもおかしくなかったものね」
結子の不安に揺れる声と視線に気づいた柾は渇いた笑みを浮かべながら、燻製肉を口に放り込む。塩辛い味が口に広がり、疲れた体に染み渡る。水分を奪っていくパサパサした食感はあまり嬉しくなかったが。
「フォノも、そう思うよね?」
結子は探りを入れるようにフォノに問いかける。
「え? ええ……」
フォノは俯き加減に手元のパンを小さくちぎっては口に運んでいる。帰ってきてからというもの、口をきかず暗鬱とした雰囲気を漂わせていた。
結子には彼女の雰囲気がいつもの疲労感や一時の不機嫌と違うことを敏感に感じ取っていた。見つめていくほどに心配が膨れ上がって、口元の笑みが消えてしまう。
「どうしたの? 元気ないけど」
柾はいつもの調子で言った。
すると、フォノは手を止めて疲れ切った瞳を彼女に向けた。蝋人形のようなべとついた肌や穂枯れしたような金色の髪。いつになく精気が感じられない。
「ねぇ、柾……」
「ん? 何?」
結子はフォノと柾を交互に見やりながら、思わず息を止めてしまう。
「もうやめましょう。他人のことにわざわざ首を入れるの」
「それは、わかってるよ」
柾がもごもごという。
すると、フォノは口元を一瞬硬く結わえた。こみあげる怒りを押しとどめるかのように、彼女の目が大きく見開かれて肩にも力が入っていた。そして、静かにパンをさらに戻していく。
「柾、もう少し言い方があると、思うよ」
結子はフォノを気遣いながら、柾に忠告する。
「言い方って……」
柾は困った表情を浮かべながら視線を泳がせる。
「そうやって答えられないのはおかしいでしょう?」
フォノは硬い口調で言った。
「今日戦ったナイト級の操縦者も言っていたわ。調子に乗ってるだけだって」
「別にそんなつもりはないよ」
「だったら、どうして無関係の人のために頑張れるのよ!」
フォノはこらえていた憤りをぶちまけるようにして叫んだ。涙ぐんだ瞳がぎょっとする柾の顔を捉えて離さない。
結子は制止しようと彼女に手を伸ばすが、それよりも早くフォノの口は動いた。
「あの子、〔アル・ガイア〕があれば何でもできる。けど、それがなければ何も言えない。何もできないじゃない。そういうのが嫌だからって、アーデル・ヴァッヘを乗り回さないでよ」
「そんなつもりで乗ってるんじゃない!」
柾も思わず声を荒げて反論した。
結子は手をひっこめて、言葉を失う。肩をすぼめて、不安な表情を浮かべて怖い顔をする二人を眺めるしかなかった。
「それじゃあ、何? 正義だとかそういう屁理屈を使って動かしたいだけ?」
「フォノ、今日は度が過ぎるよ。本当に怒るよ!」
「どうして、わかってくれないのよ!?」
いよいよ二人の口論が熱を帯び始めて、結子は勇気を振り絞って口を開いた。
「二人とも、落ち着いて! 喧嘩、しないで」
「あなたもよ、結子!」
と、フォノの怒りの矛先が仲裁に入った結子に向けられた。
結子もこれには驚いてフォノの瞳を見つめた。その怒りに猛る瞳に吸い込まれそうな気分が眩暈や吐き気を呼び起こす。
「そうやって距離を置いて、おどおどしてさ。見ていて嫌なのよ」
「結子に八つ当たり?」
柾が険のある言い方で横槍を入れる。
「事実を言ってるのよ」
フォノは結子から目を離すと、目元の涙を拭いながら言った。
「泣いちゃってさ。そういうのも卑怯でしょう?」
「もう、うんざりなのよ!」
フォノは柾の声など耳に入っていないようで肩を揺らしてむせび泣く。
それで柾も怒りで我を忘れかけていたが、胸がつっかえる思いを覚えて冷静さを取り戻していく。
だが、もうお互い気持ちは引けなかった。
「どんなにすごい機械を持ってたって、わたしたちは変わらないのよ」
「だから――」
「力には力でもって対抗するから。そういう自信過剰で対等になろうだなんて、それこそ卑怯な考え方でしょう!」
フォノの言葉に柾は声が出なかった。青ざめた顔をして、凍り付いたように動かない。
結子も不安で心臓が握りつぶされそうな痛みを覚える。
「もう、いい。おやすみなさい……」
フォノは沈黙してしまった二人を見限るようにして、逃げるように食堂を出ていった。
「あ……」
結子がはじけたように顔を上げるが、そのころにはフォノの姿はなかった。それから、ゆっくりと柾の方に目を向ける。
柾は深くうなだれていた。
「柾……」
「ごめん。急に怒鳴ったりして」
結子からは彼女の表情は見えない。だが、震えた声が胸に突き刺さる。
「しばらく、一人にさせて……」
続く言葉に、結子は胸元をぎゅっとつかみながら黙って席を立つ。
冷たい夜の空気は針のように三人の肌を突き刺し、胸の痛みを強くした。原因もわからない眩暈と吐き気、堪え切れない涙、真っ暗闇になる思考。
お互いがわからなくなる。いつも一緒でいたからこそ、その衝撃は大きく三人を打ちのめした。




