~道義~ 大衆娯楽
昼下がりの緩んだ時間。
ボーマンは旗艦である〔十三番目の城〕の艦橋に居座り、デスクの上にある書類に目を通していた。
「段取りは進んでいるんだな?」
「はい、滞りなく。予定通り開始できます」
副艦長はボーマンが眉間にしわを寄せて、厚ぼったい唇を指先で歪めているのが気になった。
「つきましては艦長に、立会人として参加していただきたいのです」
「無政府状態でか?」
「一応、他の立会人たちは手配できております」
副艦長はたっぷりと蓄えた顎髭をさすりながら言う。
ボーマンは一度副艦長の不安げな表情を見てから、書類に目を落とした。
「わざわざ俺が出ないでも、お前がやればいいんじゃないのか?」
「今、この町の大衆は英雄を讃える熱気にあふれています。隊長がなさる方がよい宣伝にもなります」
「元ジャーナリストらしい話だ」
恐縮です、と副艦長は言った。
フライハイトの宣伝をする、というよりは新しい体制を顕在化させる必要がある。それを取り仕切るのは、やはり旧体制を崩した主導者が前に出てくることが大きなアピールとなる。政務官がそれを引き継ぐ形ではあるが、英雄の偶像は人の心に根付く。それがやがて、大衆たちが組織に帰依する心理に変わるのだから。
ボーマンは冷ややかな視線で書面を眺める。
「まぁ、お前のプランはいい。だが、俺は動かないぞ」
「なぜ?」
「気になることがあるからな」
ボーマンは書面をデスクに放ると、引き出しから真新しい紙面と羽ペンとインクを取り出した。
「噂になっている〔クイーン級〕のことでありましょうか?」
副艦長の察しの良さにはボーマンを舌を巻く。
「察しがいいな」
「あれはこちらで流した緊張でしょう」
副艦長はボーマンが提示した情報工作だと思って、町に集まった人たちに拡散したのだ。
「情報戦術は俺にはないな。しかし、危機感はある」
「その中で執り行うからこそ、フライハイトのゆるぎない信念を見せつけることが出来るというもの。脅威に屈しないと」
副艦長は苛立ちを抑えた声で、紙面に文書を綴る艦長を見下ろす。
フライハイトでも指折りのナイト級使いがおじけているのではないかと錯覚させる態度だ。
「そういうなよ。執り行いは変わらずやるさ。が、これは二局面の戦いだと思ってくれ」
ボーマンは悠々とした態度を崩すことなく文書を認める。そのペンの走りは途中途切れるも、少し間を置けばまた走り出す。
「二局面?」
「物事、通り一辺倒ではうまくいかない例えだよ」
そういって、ボーマンは羽ペンの先をインクつぼに入れて、ペン先にインクを絡める。そして、次の新しい紙面を手前に引いた。
副艦長はいぶかしみながらも、書きあがった書面に視線を移した。
その視線に気づいたかのようにボーマンは口を開く。
「お前が俺の代行としてそのスピーチを読めば、大衆も納得するだろう?」
「ハッ。では、拝見させていただきます」
どうぞ、とボーマンは応えた。それから、副艦長の太い指が書きあがったばかりの書面を取りあげるのを視界の端にとらえる。
副艦長はつらつらとミミズのように繋がった筆記体に目を凝らしながらも、その文面に呻いた。
「どうだ?」
「いいでしょう。花押と年月日を書き足してもらえれば、正式な書類として使えます」
「そりゃぁ、よかった」
ボーマンはおどけたように言った。印象工作に余念のない副艦長がよしと言えば期待はできる。
「では、任せる」
「ハッ。警備にはアーデル・ヴァッヘを二、三機ほどおかりします」
「好きにしろ」
ボーマンが投げやりに答えると同時にもう一方の書面も書きあがった。
それは書置きのようなものだ。自分にもしものことがあった時に備えてのものである。黒い〔AW〕が本当に来るかどうかはわからない。死ぬとも限らない。
それでも、彼の胸中には潮騒のようにさざめく不安があった。
* * *
その日の夕暮れは赤黒い不吉な空色となった。地平線へと沈む太陽が傷口からぷっくりと噴き出した血の玉のように輝き、周囲は膿血のごとく濃密な赤が広がる。そこにかぶさる黒い雲は傷口からあぶれた瘡蓋のように重く、固くこびりついている。
人々の瞳すら、その空の色に染まっているように感じられた。
半壊した警察署の前。〔パンツァー・グランツ〕が得物を手に包囲し、そのさらに内側でこの町に滞在する人々は胸にどす黒い物を抱えて集まっていた。
彼らが取り囲む広場の中央には高台があり、多くの人はさらにそのうえ、天高く掲げられた刃の光に目を奪われていた。
断頭台、断首台、ギロチン――。
人々の口から列挙される悍ましい名前の斬首刑装置は刃に赤い夕陽の血を滴らせて輝く。
「こんなものを使う……っ」
柾たちは人垣の中に埋もれながらも、掲げられた刃の輝きを見つけることが出来た。
そうこうしていると、一台の馬車が人垣を引き裂いて、広場に滑り込んでくる。移送用の冷たい色をしたバスほどの大きさの馬車で、二匹の馬がそれを引いていた。まるで巨大な棺桶である。
その瞬間、人垣が一斉に怨念のこもった言葉を吐き出した。
「よくもこれまで酷い仕打ちをしてきたな!」
「死んでしまえ!」
「今まで散々こき使いやがって!」
柾たちは大人たちの吐き出す言葉に震えあがって、あたりをきょろきょろしながら後ろから押し寄せてくる人の圧力に小さな体が押し出される。
「あうっ」
柾たちが広場の前列にところてんのごとく吐き出されると、ちょうど馬車が断頭台の前で停車して人が降りてくるところだった。
出てきたのは後ろ手に縛られた顔面蒼白の中年男、それに続いてその妻子が降りると、別の家族が二組ほど降りてきた。中には年のころは柾たちとそう変わらない男の子まで見受けられた。
それを見かけた瞬間、柾たちは戦慄した。
「貴族の人たち、かしら?」
「一族全員……」
フォノと結子は小声で言いながら、大人たちの肘鉄が脳天に当たって口を閉ざす。
しかし、柾はさらに降りてくる黒装束の巨漢二人に目を見張った。顔をすっぽりと頭巾で隠し、荒縄で繋がった彼らを逃さない。
「処刑人……っ」
ぞわぞわと背筋が泡立ち、全身の毛が逆立った。
処刑人たちの後ろからは聖職者らしい服装の初老の男と名ばかり弁護人と警察官、最後に〔十三番目の城〕の副艦長の男が顎髭をさすりながら降り立った。
人々はぞろぞろと降りてくる罪人たち、執行者たちを見ては、罪人を罵る声と死刑執行側を讃えることが入り混じる。
その狂気の沙汰は異常だ。
「こんなことをして、何になるの?」
「それだけ辛い目にあってきたのかもしれないから、報復したいというのは当たり前」
「当たり前って……っ」
「そうしなきゃ、いつまでも苦しむことだってある。救われたいの……」
戦々恐々とするフォノに結子が苦痛を押し殺した声で応える。
柾たちのような完全な部外者からすれば到底理解できない異空間である。同じ小作農の中にもその覇気に押されるものも少なくはなかった。
「柾、これって公開処刑でしょう? やめましょうよ」
フォノは人垣に埋もれつつも、柾の袖口を掴んで引っ張る。人の熱気と体の芯が凍えるような恐怖が渦巻くこの場からすぐにでも離れたかった。
しかし、柾は銅像のように微動だにせず、じっと断頭台を見上げている。
その時、結子は手首にしているアクセサリが熱くなっているのに気付いた。それとともに、目に浮かび上がる拡張現実モニタにウィンドーが表示される。その中でプログラムの羅列が滝のように流れていく。
「フォノ、〔アル・ガイア〕の動きが勝手に動き出してる」
「わかってるわよ、そんなこと。柾、いい加減にしてよ!」
フォノも拡張現実モニタの存在に気づいており、強く柾を引っ張るが全く動かない。
三人が横着している間に、下ろされた人たちは次々と高台に追いやられて十三階段を上らされていく。人々の恨み、つらみを集めて上がっていく彼らの表情は青ざめて、ただただ所在もわからない知らない神に救いを請うばかりである。
柾たちは高台の側面に位置していたから、彼らが重い足取りで登っていく様子がよく見えた。
煉獄のような空の下、濃い影に隠れた貴族たちの様子は想像するしかない。だが、決して晴れ晴れとしたものではないことは明白であった。
「どうして……?」
柾は時間がゆったりと流れていく感覚を覚えながら貴族たちの動きを目に焼き付けた。
処刑という言葉が報復や制裁の一つであるなら、そのことを受け入れなければならないのか。
心拍数が早くなる。頭の中に重たい物がのしかかる。
高台の断頭台の前に副艦長が立つ。それから、丸められた紙片を開いて腕を前に突き出した。
「諸君。この日、我々は自立の道を歩み、自由を獲得する」
副艦長の声が空に響き渡ると、ヤジを飛ばしていた民衆は押し黙りその口上に耳を傾ける。儀式が始まるのだとわかるからだ。
熱気が嘘のように曳いていくと、寂れた町を縫うように冷たい風が吹いた。
「圧政に苦しめられ、日々を耐え忍んだ諸兄らは真に美徳と高潔さを有してこの儀を受け入れるだろう」
副艦長の後ろでは着々と処刑の準備が進められ、最前列の男が麻布をかぶらされて断頭台へと寝かしつけられた。叫び声などなかった。諦めと恐怖のあまり声すら出ないのだ。
柾は処刑人二人に無理矢理押さえつけられる彼の光景に喉の奥が引きつる。
「彼奴ら高貴を語るものは、私腹を肥やし、市民を畜生とする悪行を許した。それは人の尊厳を貶し、嘲笑うものである」
朗々とした声が空に溶けていくたび、人々の憤りは小さくなり奇妙な連帯感を生む。
受難の日々を受けてきた人々がこれまでの日々を振り返り、その胸の内に悲しみを抱く。どんなに時を経ても、消えない恨み辛みはただ溜まりこむばかり。滾々と沸き立つような黒く、静かな心の波に副艦長の言葉が波紋を一つ、また一つと広げていく。
冷たい空気の中の静寂に、フォノと結子は悪寒を覚えながら柾の左右についた。
「柾、どうしたの?」
「早くここを離れないと……」
怖い物を見てしまうという恐怖感。同時に見てみたいという背徳的な好奇心。
小さな体を駆け巡る複雑な感情が柾たちから考える力を衰えさせようとする。
「ゆえにそれが人の美徳、高貴がするものならば、赦されるのか? いいや、そんなはずはない!」
副艦長の強い声が響いた。
柾たちの体がその声に震えあがる。
「人の上に立つならば、その精神を持って領民たちへ恩恵を与えるべきである。その義務を果たせぬものがなぜ、幾年も諸兄らを苦しめたのか」
民衆の期待は一気に高まる。
フライハイトは苦しみと同時に願いをわかっていると感じたからだ。
「神の寵愛を、教会のもたらす法が彼らを許したからだ。自らの力ではなく、目に見えない存在に依存していた。しかし、そのことは諸兄らにも非があることを忘れてはならない」
副艦長は冷徹に言った。
「神を妄信的に信じるばかりに自らの世界を狭めてしまったのだ」
聖職者の説法を聞いているような感覚を柾たちは覚える。
「だからこそ、その過ちを認め、改正することが諸兄らの第一歩と心得てほしい。それによって、自由への道が開けるだろう。しかし、それがなされなければ、次にこのギロチンの刃にかかるのは己であると覚えてほしい」
悍ましい、と柾たちは感じた。
自己陶酔したような言い回しは、そのほかのものを否定するかのよう。教会の異端審問と何ら変わらない。自分たちの認めないものは徹底して破壊する。その原動力がスピーチに凝縮されていた。
頭の中がしびれてくる。湧き上がる恐怖と怒りが呼吸を短くする。
すでに断頭台では首を固定されて、処刑人たちが刃を下ろす準備に取り掛かっていた。ギロチンは技量の差も貧富の差もなく、罪人の首を斬り落とす。ただ斬り落とす。平等に誰に対しても、血を吸った刃は人を殺す。フライハイトが目指す平等と自由を象徴するかのようである。
副艦長は見世物小屋の座長にでもなったように、断頭台を振り仰いで人々に見せつける。
「そして、この場、この瞬間より旧体制は崩れ、新しい諸君らの政治はなされるのである!」
高らかに彼の声が響くと、民衆が湧き上がった。
「違う……」
柾は首を横に振った。
刃の光、血染めの空、黒くぼけた高台、処刑人、暗澹とする貴族たち。その光景が川の流れのように渦巻き、首元が締め付けられるような痛みが走る。
「どうしてそうなるの? これじゃ、ただの人殺しだ!」
柾が堰を切ったように叫んだ。
誰もがその金切り声に目を向いて、その方向に注目する。高台にいる人たちも、暗い地面に立つ影法師のような三人組を見下ろす。
柾たちから民衆が離れていく。
「みんなが気に食わないからって殺して、それで新しくしようっていうの。そんなの、全然間違ってる!」
柾は断頭台を見上げて鋭い視線を副艦長に射た。
フォノと結子はそんな彼女の横について、同じように断頭台を見上げる。
「自由を手に入れる方法が身勝手な私法だなんて、おかしいでしょう!」
「そこの小僧、口を慎め!」
副艦長が声を張り上げた瞬間、遠くで重たい地鳴りの音が響いた。
集まった人たちがどよめき立ち、ただならない雰囲気を感じ取る。
「自分たちの思い通りになる世界を作りたいだけでしょう?」
柾がつぶやいた。それにかぶさるようにして、爆音が轟いた。
町の周囲に展開するバイン・シフの艦砲射撃である。地平線の彼方から飛び出してきた黒い影を攻撃しているのだ。
集まった人たちが柾たちから遠ざかり、あたりを見渡す。高台に建つ面々も何事かと周囲を見渡す。処刑人たちもうろたえて、思わず頭の頭巾を外していた。
そして、周囲に立つ〔パンツァー・グランツ〕がいち早く赤い空を駆ける黒い巨人の影を察知した。
「誰かを殺して成り立つ世界なんて、絶対に認めない!」
赤い空に風を切る音がこだまする。
集まっていた人たちが委縮して、空を見上げた。
その瞬間、広場を外れて瓦礫の上に黒い巨人〔アル・ガイア〕が降ってきた。着地の衝撃に誰も立っていることはかなわない。手をつき、尻をついて、遅れてきた強烈な風に体を丸める。
高台にいる人たちも同様で顔を上げたとき、黒い兜の奥で四つの瞳が赤く輝くのを見た。
「あなたたちは間違ってる」
柾は立ち上がるとそう言い放つ。
その彼女の声にこたえるようにして、〔アル・ガイア〕は上体を正し、赤い夕日に染まる断頭台を睨み付けた。その四つの瞳もまた血のようにどす黒い色を湛えていた。




