~道義~ この世の営み
深々とする夜更けの出来事である。
一つの荘園が陥落した。単一農耕を主流とした広大な土地で、その中心にある町にまで火の手が及んでいた。澄んだ空気と煌々と光る月に黒煙がかかる空。阿鼻叫喚の煉獄も収まりつつある大地には倒壊した家屋、血にぬれた広場、死屍累々の山。
そして、それを見下ろす巨人の影。
その巨人は一回り小さいポーン級〔パンツァー・グランツ〕を従えていた。
ジャララ……、シャララ……。
その巨人が瓦礫の中を歩くたびに、両腕部から垂れ下がる鎖が地面に引きずられて冷徹な音を響かせる。時に重く、時に涼やかに、その音色は女郎の艶歌のごとく冴え冴えとしていた。
シャララ……、ジャララ……。
罪人を拘束する鎖か、死を知らせる死神の楔か。その呪縛から解かれたようなナイト級の容姿は濃紺の装甲を身に纏い、マントはぼろ布となって首に巻かれていた。
「領主、貴族たちは収容しろ。被害状況、どうなっている?」
鎖の〔AW〕の外部スピーカーから鼻にかかった声が発せられる。
付き従う〔パンツァー・グランツ〕が答えようとしたとき、屋敷が立ち並ぶ区画で巨大な爆音が轟いた。未だ貴族の家を襲撃する暴徒がいるようだ。
〔AW〕部隊は歩みを止めて、頭部を左右に振ってセンサーアイを輝かせる。望遠カメラに窓ガラスや調度品を破壊する人々の姿が映った。
「やめさせろ」
鎖の〔AW〕は追随する一機に視線を向けていった。
「暴徒鎮圧はほかの班が担当している。よほど、ここの経営はひどかったらしいな」
「それが現実であっても、これ以上の破壊活動は無意味だ。止めに行け」
「わかったよ。ボーマン隊長」
指示を受けた〔パンツァー・グランツ〕は小走り気味に脚部を動かすと、貴族の家々が並ぶ区画へと歩を進める。その動きは重々しく、地面が揺れ、倒壊寸前だった家屋が脆くも崩れ去る。
鎖の〔AW〕、〔ゼルドナァ・ボーマン〕は両腕部のウインチを作動させると垂れ下げていた鎖を巻き上げる。
「現金な連中だ。有頂天になりやがって」
〔ゼルドナァ・ボーマン〕の操縦席で、操縦者が悪態をついた。操縦席は外の冷え切った空気とは違い、蒸すような暑さに包まれていた。
争いはとうに終わっている。それでもここで労働をさせられていた奴隷たちの不満が湧き上がれば、簡単に収まるものではない。下剋上が起きて、自分たちに追い風が来ていると知れば反抗は大きくなる。しかし、フライハイトが大々的に動かなければ、おそらくここに住まう奴隷たちは自分たちの生活環境が悪かったなどと思いもしなかっただろう。
「まったく……っ」
〔ゼルドナァ・ボーマン〕の操縦者は吐き捨てるようにして言った。
ちょうど機体も鎖を巻き終えたところである。腕部が二回りは太くなり、重厚感が増した。
「ここの農民たちはどこに集めている?」
「教会の方に」
もう一機の機体からの報告を聞いて、〔ゼルドナァ・ボーマン〕は静かに止めていた足を進める。ポーン級とは比べ物にならない重々しい地鳴りを響かせて、踏みつける脚部はかぎづめを地面に食い込ませる。そうでなければ、リア・ラックやサイド・ラックにある装備をもつけているこの機体のバランスなど取れなかった。
「教会に集めたのか?」
「目印としては便利ですから。深い意味はありませんよ。それに、彼らにそれほどの学はないでしょう」
〔パンツァー・グランツ〕の容赦ない言い方にであったが、〔ゼルドナァ・ボーマン〕は返す言葉がなかった。
彼らがこの荘園を襲撃したのは、ここの劣悪な環境を改善させるためであった。残飯のような食料や豚小屋のような家屋、一年に一度しか衣服はもらえないために冬場は餓死者、凍え死ぬ人が多発する。打って変わって、利益を搾り取るばかりの領主、貴族たちは絢爛豪華に自分を着飾り、農奴たちを軽蔑し続ける。
領主や貴族が自分たちの幸福をすり減らして、農奴たちを思い遣るようなことはなかった。
権力を手にした人間の道理である。
その間違った道理を〔ゼルドナァ・ボーマン〕率いる部隊が武力をもって崩したのである。
それによってここで働かされていた農奴たちはようやく自分たちの待遇がおかしいことに気づいたのも真実だ。今回の件に同調したのは、自らの愚かしさにも一因があることを知らねばならない。
〔ゼルドナァ・ボーマン〕は教会前にある広場に集まった人々の前に立ち、その数を確認する。広場を埋め尽くし、周囲の瓦礫の上にも人が集まっている。
誰もがつかれた表情で冷たい月を頭上に控えるナイト級を見上げていた。男がいた。女もいる。子供老人も集まって、天の使いを見るような眼差しを射る。血と焦げた臭い、寒さに彼らは震えている。
〔ゼルドナァ・ボーマン〕は静かに排熱ダクトから熱風を吐き出すと、白い煙が宙に溶けていった。
「みな、ご苦労だった。この日よりこの土地はフライハイトによって幸福を実現させる」
〔ゼルドナァ・ボーマン〕が外部スピーカーで語り掛ける。
「これから自らの手で国を作り、生活を築いていく。それは困難と知ってほしい。だが、もう誰もみなを苦しめる者、痛めつける者はいない」
集まった人たちは静かに〔ゼルドナァ・ボーマン〕を見上げて、目に涙を浮かべる。
「みな、自由だ。誰も縛り付ける物はない。自由なのだ!」
〔ゼルドナァ・ボーマン〕が芝居がかったことを言うと、民衆は涙を流し声を上げた。
口にはしなかった苦しい記憶が今日、この夜を境に終わるのだと痛感して涙する。
「今日より自由を勝ち取った。温かい食事をとり、温かい暖炉と寝床で疲れを取るといい」
〔ゼルドナァ・ボーマン〕は高らかにそういって部下の機体にセンサーアイの発光信号で彼等の寝床の準備を急がせた。
忙しくなる、という予感がフライハイトにはあった。
だが、ゴーグルモニタの中には不安げにしている人影もあることも承知しなければならない。
* * *
午前の光をも遮る生い茂った針葉樹の森の中には、朝露の香りが残っている。
その中にアカシカの群れが木々の合間に生える草を食んでいる。あたりを警戒する様子はなく、淡々と食事を取っている。この時期、アカシカは繁殖期に入っており群れで行動することが多い。
その群れに猟銃を持ったフォノが姿勢を低くして迫る。ダブダブのズボンと厚手のコート、毛皮の帽子を身に纏い、腰には弾丸やナイフを納めたベルトが巻かれている。
「…………」
息を殺して雑木林を這うように移動する。
アカシカの群れまで一〇〇メートルといった距離に迫る。
と、一頭のメスしかが顔を上げてあたりを見回した。灰色の毛の色艶はくすんでおり、おそらく年長のシカなのだろう。それだけに警戒心が働いているのかもしれない。
フォノはさっと頭を下げてアカシカたちの足音に注意する。
だが、大きく移動する気配はない。自分たちを害する敵の射程に入っていないと判断したようだ。
フォノは一つ息をついて、雑木林から少し顔をだし群れから少し離れたオスのアカシカに狙いを定める。上下連装の猟銃を構える。
ゆっくりと立ち上がって、射撃の姿勢を整える。銃床を肩に当て、頬をつける。銃身の先にある照準と視線を合わせる。
アカシカは動かない。午前の涼しい空気の中、風下にいるフォノの匂いなどわかりはしなかった。
手前の引き金に指をかけて、牡鹿の心臓を狙う。
灰の中の余分な空気を抜くように息を吐いて、止める。
フォノはこの時ばかりはいつになってもいい気分がしない。指先一つに命がかかっている圧力は言い知れない負担である。例え、害獣として処分しなければならない生き物、生活のために必要なことであると頭で言い聞かせても生理的に拒否するところがある。
その葛藤は一分とない。だとしても、この一分の間すらなく、機械的に命を取るような人間にはなりたくはない。
立派な角を生やしたアカシカは何かに気づいたようにパッと顔を上げると鼻先を上げて盛んに鼻を働かせ始めた。
「――――っ」
気づかれた。
フォノはそう直感し全身に力を込める。その瞳が大きく見開かれて、引き金を絞った。
ドウッ!
鈍い発砲音と共に、全身を走る衝撃にフォノは顔をゆがめた。銃身が跳ね上がる。
梢にいた小鳥たちが一斉に羽ばたき、群れのアカシカたちも跳ねるようにして逃げ出した。
ただ一頭を残して。
「…………」
フォノは猟銃を下ろしながら、横たわるアカシカへと小走りに駆け寄る。
近くで見れば立派なアカシカで二メートル近い。まだ全身を痙攣させて、生きている。当然だ。これほど大きければ、一発で致命傷というわけにはいかない。
だが、もう逃げることも死の運命から離れることはできない。
フォノは心を鬼にして、猟銃を肩にかけ、ベルトから大きめのナイフを取り出す。角を片手で抑え、前足を踏みつける。そして、開いた首元へとナイフを振り下ろした。
その刺突の感触に全身が震えあがるが、さらに刃をねじってとどめを刺す。手に伝わる肉の感触がべっとりとまとわりつき、ヒューヒューと風を切るようなシカの息の根が耳に残った。
そのすべてが止まると、いよいよ森に静寂が降り立ってフォノの心もまたどこか上の空になってしまう。
フォノはナイフを引き抜き、真っ赤な血をふき取ると息絶えた牡鹿の前に跪く。そして、帽子を取り、手を合わせて静かに祈りをささげる。
「主よ。恵みに感謝します」
狩猟をする際の慣わしのようなものである。それでも、少し気分が晴れるのは自分が生きていくために必要なことであると実感できるからである。
大切に引き継がれなければならない命の糧だ。無駄にしてはいけない。
* * *
森のそばにある酪農家に柾と結子は厄介になっていた。秋空の下、広い牧場では牛や羊が冬に備えて牧草を食べ歩いている。そして、のどかな風景に囲まれる大きな納屋と小さな石造りの家があった。
「お婆さん、納屋の掃除終わったよ」
「ありがとうね」
柾は暖炉の前の椅子に腰かけいる老婆の横で膝をついてその手を握った。
天窓から差し込む午前の日差しが簡素な部屋を照らす。部屋の隅には糸車や毛織物が山のようにある。
「すまないね。旅人にこんなことをさせてしまって」
「何言ってるの。お婆さんから牛乳と布を分けてもらったんだから、当然でしょう」
「ああ、そういえばそうだったね」
老婆は視力の弱くなった瞳を柾に向けながら、彼女の小さな手を包んだ。自分の年老いた手には若く、小さな手の感触はとても心休まる。
「息子夫婦はまだ戻らないのかい?」
「そうみたいです……」
そこで柾は家の階段を上がってくる音を聞いて、その方向に顔を向ける。
見れば、結子が顔をのぞかせて手招きしている。
「お婆さん、ちょっと失礼してもいい?」
「ああ。いいとも」
柾は短く断りを入れて、老婆のもとから離れて結子の後についていく。階段を下りて、一階の土間に出ると乾草の匂いが立ち込めた。
玄関から吹き込む空気で澄んではいたが、肌寒さが二階よりも増した気がした。
「どうしたの?」
「この先の町、襲撃を受けたんだって」
結子は声を潜めていった。
柾はぞっとして立ち止まると、一度二階の方を振り返り結子の背中を押して外へと足早に出ていく。
「南の方の? どういうこと? お婆さんの息子さんは町に買出しに出てるって話なのに」
「だから、噂なんだけど……」
外に出ると、ちょうど狩猟から戻ってきたフォノと鉢合わせになった。猟友会の面々は仕留めたアカシカを玄関先に並べて解体の準備を始めている。
「ただいま、柾。ミトさんいる?」
「お帰り。というか、それどころじゃないの」
柾はそう言ってフォノから視線を外すと家の裏手へと回る。
「そんなことって何よ?」
「フォノ、お疲れ様」
隣につくフォノに結子が言った。
「嫌な噂を聞いちゃったから、柾、少し焦ってる」
「どんな噂?」
フォノは帽子を取りながら一緒に歩いていく。
裏手ではミト・ハルルスタンが洗濯物を請け負っている。森の中に隠している〔エクセンプラール〕から運ばれた分と合わせて、洗濯紐には多くの衣服が万国旗のように干されていた。
「ミトさん! どういうこと!?」
「ん。何が?」
ミトは洗濯の手を進めながら、近寄ってきた柾たちを一瞥する。
「この先の町が襲撃されたって」
「南の方の?」
フォノは驚いて、洗濯物を握りしめて柾の方に体ごと向いた。
「知らないわよ、そんなこと。誰がそんなこと言ったの?」
ミトは険しい顔をして問い詰める。
柾も鋭い視線を結子にいて、説明を求める。
「だから、噂なんだって……」
責められて、結子も弱ったように顔を俯かせてコートのすそをぎゅっと握りしめる。
「誰から聞いたの?」
「ついさっき通ってった行商人の人。町は封鎖状態でバイン・シフがいるって」
ミトと柾は閉口する。
「修道騎士団か、フライハイトか。わからないわね」
「行って様子を確かめよう」
柾は実直に言った。
確証を得るためには行動あるのみ。それにこの農場に残る老婆のことが心配であった。もし老婆の息子夫婦が封鎖された町にいて帰れない状況が続くと、老婆は一人寂しい思いをするだろう。そのことが気がかりでしかたなかった。
「あなたはじっとすることも覚えなさい」
ミトは落ち着きのない柾の赤い鼻先をつまむと左右に振った。
「けど、お婆さんが息子夫婦が帰ってくるのがいつもより遅いって言ってるんだよ。この辺りに町と言ったら、南に行ったところが一番近いんだよ」
「封鎖状態なんだから入れないかもしれないのよ。それよりも、入れたとして出ることの方が難しかもしれないのよ」
ミトは柾の鼻先を払うとじっと彼女の顔を覗き込んだ。
「それは、そうだけど……」
柾はその視線を避けるようにして瞳をぐるりと回す。その間に何かいいアイデアが生まれないかと画策する。
そこにフォノが友人の癖を見て、辟易しながら言う。
「もう少し様子を見よう。むやみに動いて、騒ぎを起こしたらここも襲われかねない」
「そうだけど……」
柾はから返事をして、ふと何かを思いついたように目を見開いた。ミトの顔を押しのけて、フォノに熱い視線を送る。
「ねぇ。フォノが狩りで取ってきたのって何?」
「え? 鹿よ。畑を荒らすからって」
「その皮とかお肉とか売りに行けば様子を見に行けない?」
柾の思い付きにミトは頭を抱えた。
「話を聞いてた?」
「聞いてたよ。けど、この時期お肉とか毛皮とか重宝されるだろうから、入れてくれるかも」
「安直すぎよ」
フォノは柾のわきを小突いて非難する。
「行商人だって入りたがらないのに」
「だからってさ、このままお婆さん一人にするわけにはいかないでしょう」
結子の弱気な発言にも、柾は屈しない。
「義理があるのはいいけど、そこまですることないでしょう?」
「ミトさんまで何言ってるの。いいもんっ! だったら一人で行ってやる!」
柾は一人ずんずんと表の方へ向かって歩いていく。
「やめさない!」
「やーだ! 絶対言うこと聞かないもん!」
こうなっては意地でも自分の意志を貫く。
「もう勝手になさい」
ミトは独り言を口にして、柾に背を向ける。
フォノと結子は二人の背中を交互に見て恐る恐る柾の方へ向かっていった。




