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ガイア・レコード  作者: 平田公義
特別編
91/118

~赤い騎士~ 町は王妃様のおもちゃ箱

 リップルトンの城下町は坂道の多い土地柄ゆえバイン・アウトーなどの歩行車が活躍していた。収穫祭の準備ともなれば、行きかう荷車やバイン・アウトー、馬車とすれ違う回数も増える。


「痛くはございませんか?」

「はい。こうして町を見物するのも、よい勉強です」


 エクセルカ・リヴィーナ二世は頭にかぶるショールを少し上げて、祭りの支度にいそしむ市民層を見物する。下り坂にあったために身体の重心が取りずらいが、蹄鉄の音は実に軽快で体が弾む感覚が楽しいとも思う。


 この辺りはパレードの通り道になるのだろうか。段々に並ぶ家々からはまじないを織り込んだ幌が張られ、道中にはチョークで進行方向を示す矢印があった。


 手綱を握るバレットは目を輝かせて町を見るエクセルカを一瞥しつつ、進行方向に気を配る。


「どこか寄りたい場所はございませんか? サンジャルミ教会、鍛冶屋、仕立て屋……」

「バレット。あなたにはご婦人をエスコートする心得が足りていないわ」


 エクセルカは堅苦しいバレットの並べた行き先に頬を膨らませた。


「はぁ。しかし、わたしにはご婦人の趣向はわからないもので」

「その生真面目さ、少しは和らげる必要があります。バレット、水路の方へ」


 エクセルカの指示に従って、バレットは片手で巧みに馬を操る。


 石畳の坂道から土の道へと変わり、坂道も緩やかになり始める。城下町から少し外れた区画は水路沿いに水車を構えた工房がそこここに建ち並んでいる。鍛冶師や金物細工、ガラス工芸、あるいは織物まで職人たちが集まる場所である。


 さらに横手には巨大な建物がどっしりと構えている。木造の巨大建築は窓が多く取り付けられており、柔らかい日光を浴びて輝いて見せた。


 バレットの目には珍しく映った。


「ここはグレートブリテンからいらっしゃったジェニー・アライラ氏が手がけてくださった紡績工場です」

「紡績、工場?」

「機械で糸をつむぐのです。彼は発明家としてとても才気にあふれた方です。昨日にも、水路の水を使った水力紡績機を見せてくれたのですよ。バレットも見てみます?」

「いいえ。ご遠慮いたします」


 つらつらと自分のことのようにいうエクセルカにバレットは面食らった。見ない間に様々な事業を立ち上げているようだ。そのことが年に似合わない気がしてならない。


「客足もよいようです……」


 エクセルカは早くから職人街を尋ねてくる行商人たちの姿を見て満足げに頷く。ここは彼女にとって巨大なおもちゃ箱のようなものだ。工場から大きな荷車を曳いて出ていく行商人、玄関先で取引をする職人たちの様子を見ては思わず笑みがこぼれる。


「どこにお付けいたしましょう?」


 バレットは周囲を見渡しながら、エクセルカに尋ねた。


 すると、エクセルカは一軒の金物細工の工房を指さす。


「あそこに」

「かしこまりました」


 短いやり取りをして、バレットは馬を路肩に寄せる。そして、立ち止まらせると颯爽と降り立った。


 それから、エクセルカを抱き上げておろす。


「あなたはここでお待ちなさい。すぐに親方を紹介しますから」


 バレットはすたすたと工房のドアに駆け寄るエクセルカを見て、一瞬声を出しそうになった。王妃としてあまりにも軽率で慎みがない。


 しかし、ここで声を上げては彼女の存在がばれると理性が働いて口を閉ざした。


「ごめんください」

「あいよ。何のよう――」


 エクセルカはドアを開けっぱなしにして呼びかけると、かすれた声が返ってきた。


 と、その声の主はエクセルカの姿を見るなり狼狽して、工房の方を向いて声を張り上げた。


「おい、誰か! 表の馬の世話をしろ! 急げ!」

「そんなに焦らずとも、よろしいのに」


 エクセルカは男の慌てっぷりに苦笑する。


 バレットは警戒して、素早くブーツからナイフと抜き出すと背中に隠した。男が一瞬にしてエクセルカの正体を看破したように見えて警戒心が高まる。


 エクセルカは振り返って険しい顔をするバレットを見てきょとんとする。


「どうかしまして、バレット?」

「いえ……」

「そう怖い顔しないでちょうだい。銀細工職人のアムトラン親方といえば、我が領内でも指折りの職人よ」

「もったいないお言葉でございます」


 工房の主である初老の男が帽子を取って禿頭をさらしながら、エクセルカに微笑んだ。


 バレットもエクセルカが信頼を寄せているのならば、と張っていた力を抜いて素早くブーツにナイフを滑り込ませる。


 そこに裏手から回ってきた若い弟子が同じく帽子を取って腰を低くしてバレットの横についた。


「自分がお世話させていただきます」

「ええ。お願いするわ」


 バレットは手綱をその弟子に渡すと、エクセルカに差し出された手を取って店へと入っていく。


 その背中を弟子の男は深々と礼をしてドアが閉まると、惚けた顔をして帽子をかぶり直す。


「なんと素敵な赤毛のご婦人だろう……」


 彼は思わず吐息を漏らした。そして、ショーウィンドーに映るバレットの綺麗な赤い髪を目で追った。


「今日はどのようなご用件でお越しでしょうか、王妃様」


 店の主人は戦々恐々としていった。エクセルカが訪ねてくるのは珍しいことではないが、こうして個人的にご婦人一人を連れ立っての入店は初めてのことである。やましいことが無くても、妙な勘繰りが働いて禿頭が一層ひどくなる気がした。


「例の件ですよ」


 エクセルカは弾んだ声で言って、店内を見回す。


 店主もそれで納得して胸をなでおろした。


 店内には展示品の銀細工や金細工があり、ブローチ、ネックレス、指輪やアミュレットなどの小物からゴブレットやフォークやスプーンなどの食器、さらにはティアラや錫杖まで取り揃えていた。ショーウィンドーから差し込む眩しい光がそれらの金銀を輝かせて、はめ込まれた宝石が見事な光沢を放つ。


 これには宝飾品に疎いバレットでも感嘆してしまう。


「見事なものです」

「ええ。アムトラン親方の宝飾品はパリやローマ、ロンドンでも人気で、多くのパトロンがいらっしゃるの」


 エクセルカはストールを取りながら、まるで自分のことのように自慢して、工房の主であるアムトランを褒めちぎった。


 アムトランは禿頭に細く長い指をした手を載せて撫でつつ、ショーケースになっているカウンターに回り込む。


「王妃様がわたくしめにお目をかけてくださったからこそできたことでございますよ。しがない工場の研磨技師にチャンスを与えてくださった」


 アムトランはつい昨日のことのように思い出して、穏やかな表情を浮かべる。


 バレットは彼のその表情に裏表がないことをすぐに見抜いた。


「あなたには積み重ねてきた技術と経験があったのです。それはわたくしでなくても、いずれはほかの方が気づくことでした」


 エクセルカは温厚な表情でそう諭した。


「いいえ。あの時、廃材を勝手に使い、つたない物を作っていたわたしにお声をかけてくださって褒めてくださった。処罰を受けるべき御身に工房まで与えてくれたからこそ、今日のわたしがあるのでございます」


 アムトランは本当に感謝しており、小さな王妃様を心の底から尊敬していた。


 エクセルカは少し気恥ずかしそうに頬を朱に染めながら、バレットの手を引いてカウンターの前に立った。


 それから、目いっぱい背伸びをすると家臣たちに命ずるように手を挙げて高慢に言う。


「では、貴殿に頼んだ品物、こちらの聖騎士殿に似合う逸品であるな?」

「はい。こちらでございます」


 アムトランも胸を張って、カウンターの中から一つのロザリオを取り出した。


 バレットは困惑して、エクセルカとアムトランを見比べる。


「これを、わたしにですか?」

「聖騎士になったお祝いです。受け取っていただけますか?」


 エクセルカはちょっぴり恥ずかしそうに目をそらして、ちらちらと様子をうかがった。上目づかいの瞳は期待と不安で潤んでいる。


 バレットは出されたロザリオを見下ろして、嬉しさで胸がいっぱいになる。飾り気のない小さな十字をかたどった銀のネックレスであるが、宝飾品のプレゼントなど生れてはじめてであった。


「騎士様とお聞きして、あまり飾らないものとなってしまいました。あの、会則は大丈夫でしょうか?」

「あ、ええ、たぶん……」


 バレットはそういわれて言いよどんでしまう。


 修道騎士団の私物所持は一応許されている。家族からの差し入れや手紙などは騎士たちにとってはささやかな楽しみであり、日々の修練の疲れを忘れさせてくれる。


 だが、貴金属となると話は複雑だ。清貧を重んじる修道騎士が世俗の象徴ともいえる宝飾品を身に着けるのは好ましくない。ノード教会では司祭以上になれば、洗礼品として宝飾品を身に着けることもある。聖騎士に送られる宝剣もこれにあたる。ロザリオのような祈りの道具も何ら問題ない。


 問題とするなら、一国の王妃から送られた祝いの品ということである。解釈を変えれば、俗世の権力との結びつきを意味することになる。それは一信徒、一聖職者として褒められたものではない。


「やっぱり、教会の教えは厳しい?」


 エクセルカがなかなか手に取らないバレットを見て期待がしぼんでいく。


 バレットは自分の立場、ノード教会の教義、率いる部隊の会則が頭の中を駆け巡る。それでも、エクセルカの好意を無為にするのは気が進まない。


 バレットはたっぷりと間をおいて、おずおずとロザリオに手を伸ばす。そして、掌に乗せると、ゆびさきからするりとチェーンが零れる。その感触と小さな十字架に掘り起こされたレースを思わせる精緻な飾りに感嘆する。


 そして何よりも自分のために用意をしてくれた職人と王妃に深く感謝の気持ちが溢れてくる。


 この善意を無下にすることこそ、罰当たりだ。


 バレットは素敵な笑顔を浮かべてエクセルカを見た。


「素敵な贈り物をありがとうございます、王妃様。ありがたく頂戴いたします」


 それを聞いたエクセルカは満面の笑みを浮かべて、バレットを見上げる。その無邪気な表情は王妃としてではなく、一人の家族を思う子供の笑顔であった。


               *     *     *


「まったく、どういう神経しとるんだかなぁ」


〔ローテァ・ケーファー〕の艦橋でヴィロォは呆れながら、緊張している伝令役の青年を見た。伝令役の青年は十代半ばの半人前であり、おっかなびっくりに上官の顔色をうかがう。


「確かなんだな?」

「はいっ。北の丘を二つ超えた先に城塞(ブルク)級の艦と随伴艦が潜伏しておりました」


 青年は早口に同じ答えを言って、姿勢を正した。


 ヴィロォは若い彼の反応に深いため息をつきながら、自身も背筋を伸ばして椅子に座り直す。走り書きしたメモに目をやってまた頭が重くなる。


「橙色の……、イッカクの軍艦……。かつての第二十聖騎士艦隊か」

「背信の嫌疑がかけられているという部隊であると聞いております」


 青年は生真面目に言った。


 ヴィロォは言われなくてもわかっている、と深々とため息をついた。


 第二十聖騎士団がフライハイトと関係があると聞いている。


 ノード教会の情報網も広いのだ。よい評判を受ければ一般には広められる。イメージアップにつながることは率先するが、逆に悪評がつくようなことはあまり公表されない。そこで、内々に離反や裏切りの嫌疑がある艦隊や騎士たちを処理するのだ。


 だからこそ気難しい問題でもある。


「戦闘の兆候があったんだって?」


 ヴィロォは確認のために聞いた。


「はい。甲板は慌ただしく、アーデル・ヴァッヘの起動準備のために艦底を開いているのが見えました」

「迅速な対応、痛み入るよ」

「自分は怪しい飛脚がいたというのでそれを追跡したまでであります」


 青年は畏まった。しかし、心のうちは褒められたことで自信をつけ、心臓が飛び跳ねるように高鳴る。顔に出さないのは失礼だと感じたからだ。


 ヴィロォは謙遜しているのがわかっているから、少し可愛げがないと思った。


「素直に喜んでおけ。お前の活躍は俺から隊長に伝えてやる」

「あ、ありがとうございますっ」


 青年はそこでようやく顔をほころばせて喜んだ。


 純朴な男なのだろう。騎士の誉れである聖騎士の称号を持つバレットに畏敬の念を抱いていると同時にアイドルのような憧れを抱いているに違いない。


 ヴィロォはほくそ笑みながら、デスクに体を向ける。それから、走り書きしたメモに加筆する。


「ついでにバーレットにこいつを括りつけて飛ばせ」


 その指令を聞いた瞬間、青年から笑顔が消える。


「伝書鷲の世話ですか?」

「いい経験になるぞ。生傷が出来たら、少しは迫力がつくだろうよ」


 ヴィロォは意地悪な笑みを浮かべながら、メモを青年に突きつける。


 当然、青年にそれを拒否する権限はない。現在バレット艦隊の指揮権を持っているのはヴィロォ・ハルゲンなのだから。


「はい。承りました」


 彼に言わせれば手厳しい先例である。荒鷲そのものと言えるバレット艦隊の伝書鷲、バーレットはその爪と嘴で多くの騎士たちを悩ませているのだから。


「よし。通信士、随伴艦に連絡。信号符丁三〇三、緊急警戒、緊急招集」


 ヴィロォは体を傾けて、伝声管が並ぶ通信席に座る騎士に言った。


「あいよ。信号符丁三〇三、緊急警戒、緊急招集。見張り役、聞こえてるな?」


 通信士の男はさらさらと応対する。


 ヴィロォは彼の慣れた声に一つうなずいて、席から立ち上がると若い騎士の背中を押した。


「ほれ。お前もさっさと仕事しろ」

「は、はいっ」


 青年もようやく状況の変化に気づいたのか、慌てて艦橋から飛び出していった。


 ヴィロォはその若い背中を見送ってから、艦橋にいるクルーたちを見渡す。そこにはおどけた表情はなかった。


「機関始動。アーデル・ヴァッヘ隊は出陣の準備。各砲座には砲弾の準備を急がせろ」


 歴戦の兵の声がこだまして、〔ローテァ・ケーファー〕とその随伴艦に機械の躍動が迸る。


               *     *     *


 城下町から外れた広大な農地は収穫を終えて、乾草の山を築き上げて放牧用の餌を蓄えている。


 ぽつぽつとある農家は小さく、家族単位で割り当てられた土地を耕している。冬に取れるジャガイモやニンジンなどの作物はまだ青々とした蔓を地面にはびこらせて収穫の時期を待っていた。


 その中で目を引く建物がある。


 農家の木造の納屋とは違ったレンガ造りの建物。しかも、南の方向にはガラスをはめ込んだ壁になっている。秋の高い空のいっこうをあびる建物の中には青々と葉を茂らせる草木が入っていた。


 その暖かく、甘酸っぱい香りを漂わせる屋内にバレットとエクセルカは招かれていた。


「ああいや、王妃様。これはご機嫌麗しゅう」


 すると、二重の冊子を開けて一人の男が現れる。室内にいるからか半そでにハーフパンツ、首にはくたびれたタオルをかけている。そのくせ、顎にはたわしのような髭を蓄えていた。年のころは三十歳から四十歳くらいだろうか。


 エクセルカはショールを取って、目の前でひざまずく男を見た。


「いいえ、お忙しいところに来たわたくしも不躾だったのです。フェルナルド・バン・ルドルフ」


 それが男の名前か、とバレットは視線を髭の男、フェルナルドに向ける。


「おっしゃってくだされば迎えを出しましたのに……」

「今日は非常に優秀なエスコートがありますの。必要ありませんわ。それより顔を上げて」


 エクセルカのやさしい声音にフェルナルドは顔を上げて、そこでようやっとバレットのことを視界に捉えた。


「紹介します。第二十七聖騎士バレット・バレット、わたくしの友人です」

「ああ、聖騎士殿でありましたか。噂はかねがね……」


 フェルナルドは得心したように目を見開いて、赤毛の美女を見据える。


 バレットは顎を上げて、手を後ろに組んだ。少し身体をそらして威厳があるように見せる。


「お見知りおきを、紳士(ヘラー)ルドルフ」

「ルドルフ博士はここで植物の研究をしてらっしゃるの。ここはオランジェリーっていうのよ」


 エクセルカが嬉々としていった。自慢のコレクションを紹介する子供のようなあどけない雰囲気だ。


 バレットは感嘆の声を上げて、改めてフェルナルドを見下ろす。


「温室栽培、ですか?」

「ご存知で?」


 これにはフェルナルドが目を見張る番であった。


 オランジェリーはここ最近に広まった温室である。古くから温室栽培の史料があるヨーロッパであるがガラスを用いた温室はこの時代では最先端の技術である。


 この場所を一目見て温室であると見抜いた騎士はなかなかに博学だと感じられた。


「すこし興味がありまして」

「では、ルドルフ博士、ここの案内を頼めますね?」


 エクセルカはまた手を水平に上げて、フェルナルドに命じた。


「はい。もちろんです、はい」


 フェルナルドはきょどった言い方をしてすぐに立ち上がるとさんさんと太陽の光を浴びる室内庭園へと促した。


 温室はいたるところに植物が我が物顔で居座っている。つるつるの葉を茂らせるオレンジの樹、こんもりした土の小山には線の細い蔓、レンガの壁際に眼を向けると若木が何本か鉢植えに収まっている。


「ちょうどオレンジの収穫がひと段落しまして。レモンやイチゴなどもここで栽培しています」

「あれは、バラではありません?」


 バレットは温室の端っこで長細い鉢植えに植えられている真っ赤なバラの花びらを見つける。ほかにも水仙の白と黄色、鈴蘭のかわいらしい花がお辞儀をしている。


 エクセルカもその花々に目をむけてから、バレットの顔を見上げる。


「ここでは素敵な花を毎年、毎日のように見れるのです。それに香水の原料でもあるのよ」

「ほかにも睡蓮やチューリップなど様々な植物を取り揃えております」


 フェルナルドは重ねて言った。


 三人はぐるりと温室の中を回りながら、様々な香りが入り混じった不思議な空気に酔いしれた。


「ルドルフ博士はどうして植物の研究をなさっているのです?」


 バレットはブルーベリーに軽く指を添えながらたずねた。もう収穫時期を過ぎているのに、まだぐずったように実は熟していないようだった。


「植物が好きだから、としかいえませんね。それなら農業でもしようかと思ったのですが、ほら、こういう難しい品種を育てるには色々と物入りで……」

「ああ、そうでしょうね」


 バレットは温室の屋根を見上げるフェルナルドから視線をはずして、まだ青いイチゴの実を見つめるエクセルカに視線を移す。


「大学で教授をするにも、許可は下りませんで。そしたら、友人の学者が王妃様を紹介してくれたのです」

「博士も相当苦労をなさっているのですね」

「それはお互い様でしょう。あなたのようなきれいなご婦人が聖騎士をなさっているのですから」


 それもそうか、とバレットは肩をすくめてとっとと先を行くエクセルカを追った。その隣をフェルナルドはついていく。


「王妃様はとても聡明であられる」

「自分のことを認めてくれたからでしょうか?」

「それはもちろん。しかし、それだけでなく、あの方は本当に人を治めるセンスを持っていると感じられます」


 フェルナルドの声は力強かった。


「この温室でできた果実や花で特産品を作って貴族様や地方領主様と交易する」

「それだけでしょうか?」


 バレットは試すように聞いた。


「とんでもない。王妃様の懐は寛大です。無産市民には土地を貸し与え、税は小さくしてくださる。職人たちに仕事場を与え、面倒を見てくれます。学者もそうです。研究をする対価で教師をするように言う。そんな夢のような場所を与えてくださる」


 それとそう、とフェルナルドは一度言葉を区切って手を叩いた。


「ここは遺伝子組み換えというものをしておりまして、寒さにも強い麦の品種を作ったりもしているんですよ。目の前の農地でも安定した収穫ができるように、とリヴィーナ王妃が命令したのです」

「なるほど……」


 バレットはフェルナルドのいうことに複雑な表情を浮かべる。


 彼の話を聞けば確かに国民に優しい王妃様であろう。逆に言えば、道楽者と富裕層には懸念されそうなものだ。税収がどうなっているのかは詳しく知らないが、少なくともその夫である王は面白くないだろう。


 血税をことごとく道楽につぎ込まれるのだから。その資金があればもっと別の政策ができるだろうと嫌悪していてもおかしくはない。


「納税すれば生活に還元するお心があると、領民もわかっているのです」

「教師をしている学者が、そうさせているのではなく?」


 エクセルカにそこまでの人徳があるとはさすがに思えない。まだ年端もいかない子供が見知らぬ誰かのためにそこまでできるものだろうか、と親しい中ながら思ってしまう。


「流行り病についても命令を下すのに、ですか?」


 フェルナルドはエクセルカが人工の池に浮かぶ睡蓮の花を観察しているのを見て暗い顔をした。


 これにはバレットも苦い表情をして唇を固く結った。


「流行り病で先代の領主様、お妃さまを亡くしたと聞いています。薬草学についてもかなりご執心のようで……」

「……すみません。わたしの想像以上にご成長なさったのですね」


 バレットには無邪気にしているエクセルカが立派に見えた。どれほどのことに興味の手を伸ばしているかわからない。そのすべてをしっかりと理解しているのかも推し量るほかない。


 思わず首にかけている銀のロザリオを握りしめた。


「王妃様は先代のご遺志を継いで国のために、と我々のような本当の道楽者を社会に役立ててくださっているのです」


 彼のため息にも似た声はバレットも納得せざるを得なかった。


 エクセルカ・リヴィーナ二世は確かにまだ国政を左右できるほど成熟してはいない。そして、それを支えているのはフェルナルドやアレイッサに見る彼女を取り巻く大人たちなのだ。


「バレット、お魚がいますよ」


 生簀をのぞき込むエクセルカがはしゃいでバレットとフェルナルドを見た。


 バレットは柔らかい笑顔を浮かべると、今にも水面に零れ落ちそうなエクセルカの髪を後ろからそっと後ろに持っていく。


「髪を汚してしまいますよ?」

「ありがとう、バレット」


 エクセルカは耳の後ろを撫でられる感触に思わず笑みを零し、バレットの細い指先に頬を近づけた。その指先は今は亡き母の艶やかさを思い出させた。記憶としてはっきりとしない。おぼろげでありながら、母がこのような優しい手をしていたことは心か、魂かに刻み込まれている。


 バレットはじゃれつく猫のようなエクセルカに微笑みながら、睡蓮の浮かぶ生簀に視線を移すと小魚の群れが泳いでいる。何かの稚魚なのだろうか。


「小さいですね、お魚」

「鯉の稚魚ですから。あちらはマスの稚魚がいまして、養殖をしてるんですよ」


 フェルナルドは隣の区画を顎で示していった。


「山間は魚の運搬も大変ですからね」


 バレットは以前に魚の干物を運搬したことを思い出して苦笑した。補給部隊として各領土の救貧院に届けることもしていたが、その時の生臭さは強烈で、髪の毛が十日間もどぶ臭かった。


 エクセルカは揺蕩う水面を見つめて、泳ぎ回る稚魚を見据える。目を大きく見開いて、動き回る彼らを観察する。


 そうしている彼女がバレットには年相応の子供にしか見えなかった。いずれは一国を担う女王にしては、あまりもあどけなく、そして市勢を知らない。王妃という肩書がエクセルカを押しつぶしてしまうのではないだろうかと不安になってしまう。


 バレットはふと空を見上げて、ガラス越しに移る秋空を見上げる。燦々と輝く太陽の下、低い雲が足早にかけていく。


「…………?」


 薄い雲が太陽にかかると、一羽の鳥のシルエットが目に移った。大翼を広げて、グライダーのように旋回をしている。その足元でキラキラと光を放っていた。


 バレットに悪寒が走る。


「失礼。王妃様をお願いします」


 バレットはフェルナルドに小声で言うと、温室を足早に出ていった。


「バレット? どうしましたの?」


 エクセルカは足早に出ていくバレットの後を追っていく。表情に不安が募り、胸の内が早なる。


 その後ろをおどおどと続くフェルナルドは王妃に何かあっては困ると思った。だが、ただついていくことしかできない。


 温室を出ると冷たい空気が容赦なく肌を叩いた。


 エクセルカは身体を縮こまらせながらカートルの裾をはためかせるバレットを追う。そこで、上空で甲高い鷲の鳴き声がこだましているのに気付いた。


 言い知れない不安が小さな心臓をつついた。


 そのまま、馬丁が控える厩舎へと赴いて、厚手の手袋をして真鍮製の笛を咥えるバレットの隣についた。その腕には、鞍に携えていた分厚い皮手袋がはめられていた。


 彼女が空を見上げて、笛を吹いた。


 甲高く、長い息で響き渡る笛の音は風を切るようであった。


「その笛……」


 エクセルカは以前にも聞いたことのある笛の音に息をのむ。


 すると、上空にいた鷲が翼をばたつかせて高度を落とし始める。翼を畳み急降下し、それから翼を広げると地上をすれすれを滑空する。


「修道騎士団の鷲」


 エクセルカはバレットの視線の先を見て、高速で迫る鷲を見つけるなりそうつぶやいた。


 すぐに鷲、バーレットはバレットの腕に取りつくと喚き散らした。翼を大きくはばたかせ、鋭い嘴で今にも目玉を抉らんと前後に頭を振る。


「ご苦労様」


 バレットはそう口にしながら、力強い足についている書簡を手にして片手でその内容を確認する。


「バレット、急ぎの用ですか?」


 エクセルカは慎重に尋ねた。そこにようやく遅れてフェルナルドがついた。


 バーレットは人間が増えるなり、その方向を睨み付けて威嚇する。フェルナルドは獰猛な鷲の眼光に及び腰であったが、エクセルカは鷲など眼中になかった。


 バレットの険しい表情が心配で仕方ないのだ。


 しばらくして、バレットは口から笛を取るとエクセルカたちに顔を向ける。


「所属不明の艦隊がこちらに迫っているとの報告がありました。わたしはすぐに戻って部隊を率いねばなりません」

「そう……」


 エクセルカは不安な気持ちを飲み込んで、顔を上げて胸を張った。


「戦闘があるというの?」

「可能性はあります。王妃様はすぐにお城にお戻りください」

「わかりました」


 バレットはエクセルカが何か言いたげに手を胸の前で組むのを見て苦い顔をする。それを紛らわせるように、腕に乗るバーレットを送り出す。


「お前は先に戻って書簡が届いたことを教えなさいっ」


 投げ出されるようにして飛び出したバーレットは不満そうに一声鳴くと、〔ローテァ・ケーファー〕の方角へと飛んでいった。


 バレットはすぐに笛をしまって、馬の下へと走った。


 馬丁が素早く馬を引いて、出迎えてくれる。


「聖騎士様!」

「ありがとうっ」


 バレットは礼を言いつつ、サドルに足をかけて颯爽と騎乗する。スカートの裾が膨らんだ。


 乱暴な乗り方に馬も一瞬ぐずったが、彼女に手綱を取られると頭を振って言うことを聞くしかなかった。


紳士(ヘラー)ルドルフ。王妃様をお頼み申します」

「わかりました。聖騎士殿もご武運を」

「バレット!」


 エクセルカが毅然とした態度で今にも駆けだしそうなバレットを見上げる。


「あなたの活躍、期待しております」

「お任せください!」


 バレットはエクセルカの激励に応えると、馬を走らせた。


 その駿馬の走る後姿を見送りながら、エクセルカはフェルナルドに顔を向ける。


「わたくしたちも行きますよ」

「お城にですね」

「いいえ。この辺りで働く人たちに避難命令を伝えます」

「そんな――っ」


 フェルナルドは絶句した。


 王妃自ら民に避難命令を伝えに行くなどあってはならない。それに、もし戦闘が起きて修道騎士団が後退するようなことになれば、真っ先に城外の畑が戦地になる。


 そんな危険な場所に居合わせたくはなかったし、王妃をとどめるわけにもいかなかった。


 だが、エクセルカの意志は揺るがない。


「我が領土のこと。わたくしが指揮を取らねばなりません」

「それは王がなさるのではないでしょうか?」

「今この場で足があり、早く動けるのに何もしないなど愚か者のすること! 君主は戦となれば先陣を切り、民を導かなければならない。それが義務である。飾りだけの主に誰が従うか!?」


 エクセルカの声にフェルナルドはハッとなった。


 なぜ、彼女に敬愛の念を抱くようになったのか。学者に手を差し伸べ、職人を雇い、奴隷に土地を与えたのも王妃の意志である。自分の意志で人々に生きる希望を与えてきた。


 エクセルカの高潔な精神に救われてきたのだ。


 フェルナルドは跪くと、毅然とした面構えでエクセルカを見据えた。


「畏まりました、王妃様。不肖ながらこのフェルナルド・バン・ルドルフ、お供させていただきます」

「よい面構えをしたそなたである。期待しております」


 エクセルカの凛とした声にフェルナルドは恭しく頭を下げた。

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