~赤い騎士~ 小さな王妃のわがまま
今回はスピンオフ。三篇構成になります。
世界観の補完程度に読んでいただければいいと思います。時系列的には十一章と十二章の間です。
巨大国家フラリスの子飼いとしてリップルトン国領は存在している。しかし、その実態は自治権を容認された中堅国家である。西ヨーロッパと東ヨーロッパの境にある首都はマース川を源流とした人工支流、マンテェッツァ川を水路として豊かな土地柄といえる。
その佇まいは中世期から発展してきた城塞とその下に連なる城下町、そして囲うようにして広がる農地が特徴的である。城から見下ろした街並みは緑と収穫を終えた茶色の土地が目立つ、片田舎風味なところがあった。
その外周を囲うようにして、バレット・バレット麾下のバイン・シフ艦隊が停泊している。
その旗艦である〔ローテァ・ケーファー〕の艦長室にバレットはいた。
「このような役目をすることになるなんて……」
バレットは複雑な表情でつぶやく。
いつもの軽装ではなく、一般的なカートルと呼ばれるワンピース型の服装をしていた。ベルト代わりの布で胴回りを締めれば、きゅっとしまった腰つきがあらわれた。
艦長室にしつらえてある姿見を見て、バレットは裾を掴んで全身を見た。
「へんでなければ、いいのだけど……」
すると、ドアをノックする音が聞こえた。
バレットは厳しい顔つきになって、服を軽く払った。
「誰か?」
「ヴィロォ・ハルゲンであります。防衛について、ご意見を伺いたく参上しました」
「ええ。どうぞ」
バレットは聞きなれたヴィロォの声だとすぐにわかっても、形式的な関係は持続していた。
「失礼します」
ヴィロォは慇懃に艦長室へと入ったが、バレットの乙女らしい格好に一瞬ぎょっとした。彼にも見慣れない格好で、体のラインが出ているとなお女らしかった。
「何だ?」
バレットは不機嫌な物言いをして、ヴィロォを睨んだ。彼の驚いた表情を見逃さなかった。
「いえ、見慣れない格好をするものですから」
ヴィロォはまじめな顔を作るも内心笑いながら、艦長室のドアを閉めた。
その視線の先でバレットは背を向けると、おろした赤毛を軽く持ち上げるようにして払って机の前に移動する。
「王妃様の命令だ。聞いているだろう?」
「まぁ、そのためにここを留守にするのですから、こちらも指揮系統はしっかりとしておきたいのです」
「そうだ」
バレットは嘆息しながら、机にある頭巾を取って頭を覆った。
「問題はないと思うが、リップルトン領の王はわたしたちにとって黒い噂が絶えない。警戒はすべきだろう」
バレットは振り返って、ヴィロォがかすかに口元を緩めているのを見つける。
「おかしいか?」
その一言にヴィロォの堅い顔つきが崩れて、くくっと笑いをこぼした。
「そんなに、おかしいか?」
バレットは不安になって、自分の姿をもう一度確認する。何しろ着慣れない服である。股下に冷たい空気が入り込んでくるのは、どうにも不愉快である。
ヴィロォは軽く手を上げて、制する所作を見せると肩の力を抜いた。
「おかしくはない。が、見慣れない格好だからな。スカートだぞ?」
「わたしも一応は女だ。スカートくらいは穿く」
それが精一杯のバレットの返しであった。そんな主張をしなければならないのが、腹立たしかった。
「どうだ?」
バレットは腰に手を当てて、ヴィロォを睨んだ。
「どうだじゃないだろ。まったく」
ヴィロォはあきれた様子でいった。改めてバレットを見れば、見目麗しい生娘そのものである。だが、頭の中は子供っぽい部分が抜け切れていないようだ。
バレットは居直ると一度咳払いをして、話題を戻した。
「で、何が不足しているのだ?」
「ああ、それはだな――」
二人は展開している艦艇の陣形とリップルトンに駐留する自警団との連絡手段や緊急時の指揮系統を手短に打ち合わせる。
互いに知り尽くしている感があり、ほとんど部隊の責任者であるバレットへの確認で終わっている。まどろっこしいことであったが、バレット・バレットは気を抜かなかった。
「留守の間、頼む」
バレットは打ち合わせをそう締めくくった。
ヴィロォも形式的な敬礼で返した。それから、踵を返して部屋を後にしようと歩き出す。その後ろにバレットは続いた。
その気配にヴィロォは立ち止まって振り返った。
「何だ?」
バレットは壁になるヴィロォをきょとんとして見上げる。
すると、ヴィロォは眉根をひそめる。
「護身具は?」
「ん。そんなもの、これで十分だろう」
バレットはスカートのすそを上げて、穿いているブーツのつま先を床に叩いた。重たい鉄の音が鳴った。
「投擲のナイフなら、威嚇ですむ」
バレットがそう付け加えるも、ヴィロォは腕を組みながら唸る。
「しかしなぁ、王妃様も一緒なんだろ?」
「十分だ」
バレットはかたくなに言い張った。
すると、ヴィロォが腰に手を回してあるものを引き抜いた。
「一応、持ってくか?」
それは重々しいリボルバー式の拳銃である。修道騎士団ではごく一般的な護身具であり、帯刀と同じく許されているものである。
しかし、バレットはそれを嫌そうに睨んでその手を払いのける。
「こんな野蛮な武器、誰が使うもんか」
「上達しなかったからと言って邪険に扱うな」
その一言にバレットはいよいよ怒って、ヴィロォを横切って先を急いだ。
「閉じ込められたくなかったら、さっさと出ろ!」
「その物言い。ツェッツァー隊長に似ちまって」
ヴィロォは彼女の剣の師であり育ての親であるゴルドー・ツェッツァーを思い出しながら肩を落とす。
渋々部屋を出ながら、怒っているバレットを見下ろす。
「バーレットはどうします?」
「任せるっ」
バレットはつんけんしながら、伝書鷲のことを言ってさっさと部屋を施錠する。それから、さっさと通路を歩いて行ってしまった。
* * *
「やはり、わたくしは街に出るなど賛成できません」
「なぜ?」
石造りのリップルトン城のテラスからのどかな街並みを見下ろしていた城の主、エクセルカ・リヴィーナ二世は背後から飛んできたしゃがれた声にこたえる。しかし、その大きな瞳は城下町に注がれたままである。
彼女の背よりも高い手すりにやってきた小鳥のチチッとかわいらしい声を耳にして、風に揺れるネグリジェの裾を押さえる。
彼女の背後で年寄りの侍女、アレイッサ・サマージュが肩をすくめて深いため息をついた。
室内では忙しなく年若い侍女のリリン・マルフェスが動き回って、クローゼットからハンガーラックを引っ張り出していた。
「あなた様はこの国の王妃として、じきに政治をつかさどります」
「そのための社会勉強は必要になりましょう?」
エクセルカは振り返りもせず淡々と答える。
「バレットはまだかしら……」
そうつぶやくと国の郊外に展開しているバイン・シフの方に目を凝らした。
見かねて、アレイッサが彼女の小さな肩にしわがれた手を乗せる。
「聖騎士殿は約束の時間に必ず参ります」
アレイッサはそういいながら、エクセルカの小さな肩と自分の手を見比べて思う。
「私では王妃様を街にお連れすることはできない……」
口の中でそうつぶやきながらも、かといって見習いのリリンを付き人にするのも不安であった。ならば、顔を知っている聖騎士バレットに護衛をさせたほうがいい。
「近頃、お城に詰めてばかりでしたものね。賛同しかねますが、身なりをちゃんとしないことには失礼ですよ」
アレイッサは暗い顔を隠して、今はエクセルカのわがままもいいだろうと一人納得した。
「そうね。そうよっ。おめかしをしなければ!」
エクセルカは手すりの石柱の合間を見るのをやめて、アレイッサに促されるまま室内へと戻っていく。
彼女は室内で待っていた若い侍女に促されるままに、ハンガーラックから出される子供服をあてがわれる。
「どれになさいますか、王妃様?」
リリンは笑顔で問いかける。
エクセルカはお人形のように洋服をあてがわれながら答える。
「祭りの準備を拝見するだけです。動きやすく、それでいて目立たない格好がいいわ」
「申されますが、王妃様。ここには会食や式典用のものしかありません。どれも高価なものばかり……。刺繍もですよ。綺麗にあしらわれておりますゆえ、人目を惹きます」
リリンはハンガーラックの服を両手にもってエクセルカに披露する。
王宮に入れられるものは、城下の一流職人の手で紡がれた逸品ぞろい。シルクの優雅さと金色の気品、染め色のあでやかさは一般のものとは比べ物にならない。
エクセルカはうんと思案するが、すぐにぱっと笑顔を栄える。
「でしたら、女中の方より服を借りてきてはどうでしょう?」
「そのようなこと、なりませんっ」
これにはアレイッサが驚いた声を上げて拒否した。
「なぜです?」
「王妃様ともあられる方が、我々の着る粗末なものをお召しになるのはとても、そう、とても恐れ多いことです」
「恐れ多いというが――、アレイッサ」
エクセルカは凛として手を振って見せる。亡き父親の振る舞いをまねているのだ。
「豪奢に着飾るだけの置物、それは匠の意匠。飾るだけであるなら、犬や猫でも同じでなくて?」
「おっしゃることはまぁ……」
アレイッサは演劇的な言い回しに恭しく返しながら、内心ため息が出るばかりであった。
「このようなお言葉遣いをされて。亡きお妃さまと主になんとお詫びしたらよいやら」
「リリン、服をお願いね」
エクセルカは頭の固い老婆を無視して、困惑するリリンに言った。
リリンは上司であるアレイッサの気苦労を心配しつつも、無邪気な王妃にどうこたえるべきか逡巡する。
「王妃様、婦長の申しますことにも耳を傾けられてはいかがでしょう? 婦長も王妃様のお立場を案じておられるのです」
「自分の立場は、リリンが言わずとも理解しています」
エクセルカは小さな胸をそらして言い放つ。
「民に畏敬の念を抱かせてこそ君主であると学者さんたちも申していました。しかし、未熟なわたくし、エクセルカ・リヴィーナ二世は祖母や母ほど熟達しておりません」
「難しい言葉をお使いになっても――」
アレイッサがぴしゃりと割って入る。
「あなたはまだ元服もされていない、お稚児でございます」
「それが嫌なのですっ!」
エクセルカは反射的に言った。
と、ドアをノックする音が響いた。
リリンが対応する。
「はい。どなた様でしょう?」
「テルダンだ」
くぐもった男の声を聴いて、リリンが身を震わせる。
それからすぐにエクセルカたちの方へ向きなおり、声を潜めて言う。
「ご領主様です」
その声にアレイッサが渋い顔する。
「今は王妃様の身支度の最中ですとお伝えなさい」
彼女の声が緊張にこわばった。相手がどんな人物かわかっている。エクセルカによい影響を与える人物ではない。
その緊張はエクセルカにも伝わり、同時に彼女たちの思惑も見抜いていた。
「構いません。通しなさい」
エクセルカが透き通った声で言った。
リリンは二人の合間に挟まれて、結局は王妃の命令に従うほかなかった。
「どうぞ」
身を引くようにして扉を開くと、恭しく首を垂れる。
入ってきたのは現在、リップルトン国領を治めるテルダン・リヴィーナである。年のころは三〇半ばというのに、髪のそりこみが後退して老けて見える。しかし、目の周りの力強い皺や整ったあごひげは険しくも気品を讃えた顔立ちを作っていた。
テルダンは身支度をするエクセルカを見下ろした。
「身支度のところすまないな」
「いいえ。それで、何の用でしょう? ご婦人の身支度中ですのに」
エクセルカは付き添うアレイッサに下がるように手で指示しながら、テルダンを見上げる。
彼とは婚礼を済ませてはいるが、夫婦の関係だとはつゆほども思わない。親類同士だから、という気持ちもほとんどなかった。父の弟であり、地方の封建領主であった彼が引き抜かれたのは苦肉の策としか言いようがない。
テルダンは恥じらう様子もなく、幼稚な体つきを見て鼻で笑った。
「まぁそういうな。お前が騎士と街の下見に行くというから、見送るのではないか」
「それは光栄ですわ。そのためだけに、わざわざこちらにいらっしゃるだなんて」
エクセルカは煽るように言って、腰に手を添える。
「それに忙しい国政に努める方があなたの評判を上げるのではなくて?」
エクセルカの言い方にテルダンは眉をひそめる。
「そういえばさっき、テラスに小鳥さんがやってきていってましたわ。常駐を許可した騎士団や教会関係者もいつの間にかここを出ていってしまわれたわ。巡礼の時期にはまだ早いと思いますけどって」
テルダンは口元をゆがめて、背を向ける。子供の戯言だと言い聞かせながら、彼女の聡明さには警戒心が強まるばかりである。豪奢なマントがひらめいた。
「口の利き方には気を付けるのだな。仮にもこの国の王妃なのだ。何かの拍子に失脚することも覚えておくのだな」
「ええ、存じております」
エクセルカはワンピースの裾をつまんで会釈する。
テルダンは従者を連れてそそくさと部屋を後にする。
「小娘が……」
扉を閉めるなり、彼はそう呻いて右こぶしを左手にたたきつけた。年端もいかない子供が小賢しい策を練ったところで何もならない、とわかっていながら、彼はいまだエクセルカ・リヴィーナ二世を牛耳ることが出来ずにいる。その焦燥感は屈辱的であった。
「フンッ。度胸のない人ね」
エクセルカは腕を組んで、口元をとがらせる。
その横では緊張の糸が切れたアレイッサが深呼吸をしていた。リリンまでも短く息を吐き出すと、一度ドアを開けて通路を確認する。
「もう、行ったようです」
リリンは面倒くさそうに肩を落として扉を閉じる。
「王妃様、あのような態度を取られては本当にお命が危のうございます」
アレイッサが懇願するも、エクセルカはツンとしたまま顎を上げる。
「あの人の手を見た? 婚約指輪もなかったのよ。わたくしはね……」
そういって、首にしているネックレスを引き上げてそこにかかっている銀色のリングを見せる。
「体裁は守っているのよ、王妃様としてです。それがあの叔父ときたら、上っ面でも繕おうともしないでしょう?」
「左様でしょうけども……」
アレイッサはエクセルカの気位の高さには心労が絶えなかった。またため息がこぼれる。
「これも亡き主の血なのでしょうか?」
「お父様は聡明であられました。傲慢ではありません」
エクセルカは自分が生まれる前よりつかえているはずのアレイッサが弱気なことを言うのを咎めた。
「リリン、すぐに服の用意をなさい」
「はい。少々お待ちください」
エクセルカの凛とした声にリリンははじかれるようにして部屋を出ていった。
アレイッサはエクセルカの肩にそっと年老いた老婆の手を置く。
「王妃様、私たち使用人にいくら無茶を言おうとかまいません。しかし、聖騎士殿にはなにとぞ、貞淑をお守りください」
「もちろんです」
エクセルカは公明正大に宣言した。
* * *
バレットは馬を歩かせて、リップルトン城へとたどり着いた。
低い居城であっても、石積みの城壁は堅牢で鼠返しの反りもある。城の北門に差し掛かると憲兵が手で制した。
「どこの者だ」
バレットは手綱を引いて馬を止めると、軽やかに降り立った。チェニックの裾をさっと払って整える。
「郊外に駐屯している第二十七聖騎士隊、バレット・バレットだ。これで王妃様の御目通りを願いたい」
腰ぎんちゃくからエクセルカのサインが入った招待状を取り出すと憲兵に渡した。
憲兵は実に丁寧に何度もその内容とバレットの姿を見比べて首をかしげる。
「貴殿が聖騎士殿でありますか?」
「処世のためだと理解していただきたい」
バレットは自分でも辟易する思いで、言葉を絞り出した。彼のいう通り、制服もなければ帯剣もしていない若娘を騎士と見ようとは誰も思うまい。
憲兵はああ、と納得した声を上げると招待状を返した。
「王妃様のなさることなら……。世を忍ぶ仮の姿という奴でしょう?」
「そこまで大げさではないよ」
憲兵は人懐っこそうな笑みを浮かべると受付に戻り、門を開けるように指示を出した。
バレットは仰々しく開かれる城門を見上げつつ、馬の手綱を引いて入城する。
入ってすぐは馬屋と馬車が停留する広場。硬い地面の色を見せている。居城はコの字型をしており、中庭へと続くトンネルが目に飛び込んできた。
「では、裏手で待たせてもらうよ」
バレットは受付にそういうと、馬の首を軽くたたいて中へと進んだ。
背後では再び男たちが門を閉じる掛け声を上げていた。
居城をぐるりと回るようにして、反対側へ移動する。城の一階は食糧庫や穀物蔵となっているようで、樽や木箱を運ぶ使用人たちの姿が見えた。
「変わらないな……」
たっぷりと城の周りをまわりつつ、バレットはその佇まいを懐かしんだ。
馬を連れて中庭へ直接続く西の正門へと差し掛かる。その居城の二階に直接通じる石階段に一人の少女が踵を上げ下げしながら何かを待っていた。リリン・マルフェスだ。
リリンはバレットの姿を見つけるなり彼女の方へ歩み寄り、慇懃に礼をした。
「バレット聖騎士様でいらっしゃいますか?」
「ええ。王妃様は?」
バレットが立ち止まると、馬も何も言わずとも立ち止まってくれた。しかし、土がなじまないらしく前足で地面を蹴っていた。
「もう間もなくお見えになります。それまで王妃様が聖騎士様のお相手をするようにと仰せつかわしまして、その――」
「気長に待ちましょう。女の身支度は時間がかかりますから」
リリンはバレットの紳士的な応対に少しばかり緊張を解きほぐして石階段の前に誘導する。
「つかのことお伺いしますが、聖騎士様。王妃様とはどういった関係で?」
「昔はあなたと同じ主従の関係でしたよ。何でも、エクセルカ様が姉が欲しいと駄々をこねたそうで」
「ああ、それであなた様……」
リリンはそう納得しつつ、内心ニヤニヤが止まらなかった。
「お綺麗ですものね」
「世辞はよしてよ」
バレットは柔らかい物腰で受け流した。
「こんなお姉さまがいたら、王妃様がご自慢になるのも当然です。よくお似合いですよ」
リリンは含みのある言い方をした。どこか得心した風でもある。
バレットは愛想笑いを浮かべながら、ふと城壁にある窓の方に目を向ける。見上げた角度と太陽の反射で中の様子はわからない。しかし、上から視線を感じた気がして頭のてっぺんがむず痒くなる。
「どうかなさいましたか?」
「いいえ、なんでも」
バレットはリリンの方に向き直った。
それからすぐに二階の扉が開いた。
中から世俗な服を着込んだエクセルカ・リヴィーナ二世が元気に飛び出して、バレットの姿を見つけるや否や石階段を駆け下りてくる。
「バレット!」
エクセルカの弾けるような声。
「お待ちくださいまし、エクセルカ様!!」
その後ろから手すりにつかまって、大きなショールを握りしめ降りてくるアレイッサの姿が近づいてくる。
エクセルカはそんな言葉など無視して、まっすぐにバレットに抱き付いた。
バレットはその突進にびっくりするも、彼女の体を受け止める。力一杯にお尻に手を回すエクセルカの肩に手を乗せて、以前よりも手が高い位置にあるという実感が心を震わせた。
「バレット。今日はいっぱい案内したいところがあるの! 気に入ってくれると嬉しいわ」
「それは楽しみです。ああ、アレイッサさん、大丈夫ですか?」
息を切らせて降りてきたアレイッサにリリンが肩を貸した。
「サマージュ嬢。ご自愛くださいな」
「リリン。お前はまだ半人前だからそういうがね。王妃様のお世話をするとなると、こんなことでへこたれてらんないよ」
「まぁ、ひどいっ」
エクセルカはバレットから離れて、アレイッサと向き合う。
すると、アレイッサは握っていたショールをエクセルカの頭にかぶせて顔を隠すようにした。
「何をするの?」
「王妃様と領民たちに大ぴらに知られるわけにはまいりません。こうして、顔をお隠しになって見物してくださいまし」
「うぅ、こういうの嫌なのですよ」
エクセルカはショールの端をつまんで翼のように広げて見せた。
バレットは屈みこんで、彼女の目線に合わせる。
「いいものなのですよ、これ。アレイッサさんやリリンさんのお守りだと思って身に着けてください」
「そう。バレットがそういうなら、そうしましょう」
エクセルカはそういうと雪ん子のようにショールで頭を覆うと満面の笑みを浮かべる。
それから、バレットは立ち上がり侍女二人と向かい合う。
「それでは王妃様はわたしが責任をもってお守りします」
「当たり前です。しかし、聖騎士殿の腕は信用しましょう」
アレイッサは息を整えつつ、バレットに言った。彼女もバレットがどういう人間なのかは知っているつもりだ。かつてはともにエクセルカの世話をした仲である。信用はできたが、複雑な気持ちはぬぐいきれなかった。
「わかっております。日が沈む前には必ず戻りますゆえ」
バレットはそう言って、エクセルカの両脇を持ち上げると連れてきた馬の鞍に乗せる。
エクセルカは足を挙げられて、鞍に座ると高くなった視点に目を輝かせる。跨るようなことはせず、足をきちっと揃えていた。
「大丈夫です。バレットが守ってくれます」
エクセルカはアレイッサとリリンを見下ろしていった。
「はい。夕食の支度をしてお待ちしております」
「王妃様、お気をつけて」
侍女二人に心配されて、エクセルカは少し情けない気持ちになった。まだまだ二人を安心させてあげられない。外に出るだけでも彼女たちにも責任が降りかかってしまう。
早く大人になりたい、とエクセルカは内心願った。
そういっている合間にも、バレットがサドルに足をかけて颯爽と騎乗する。エクセルカの体を引き寄せるようにした。
「失礼します」
「はい」
エクセルカはバレットの片腕に抱えられて、くすぐったそうに身をよじる。
「それでは――」
「行ってまいります」
その掛け声と共に、バレットは軽く鐙で馬の腹を蹴って発進させる。
ゆったりと上下の運動を最小限にして馬は鎌首もたげて、南門へと歩いていく。歩くたびにエクセルカの体が弾んだ。その都度小さな王妃はきゃっきゃと笑うのであった。
* * *
リップルトン領から丘を三つ、四つ挟んだ場所である艦隊が停泊していた。
〔ガング〕の護衛艦に囲まれた城塞級のバイン・シフ〔二十番目の城〕は茨に束縛された獅子の旗を掲げていた。橙色の塗装は南国の果実のように派手でカミキリムシのような低く、強靭な艦体もあいまって悪趣味なものである。
「伝令はどうなっている?」
「以前、見えません」
艦橋ではい苛立ってふんぞり返る男が通信士に不満をぶつけていた。
その男、エングレッゾ・ノォは貧乏ゆすりをしながら、視線を右往左往させていた。三十路間近で血色のいい肌の色や盛り上がった筋肉はかなり鍛錬を積んでいる様子である。短い黒髪も様になっていた。
「ったく、何が問題なんだ」
「聖騎士殿――」
「その呼び方、するんじゃない!」
エングレッゾは通信士の呼び方に声を荒げた。
通信士は押し黙って不機嫌な上司に合わせる。
「俺たちはもう修道騎士団じゃないんだ。フライハイトとして動くんだ」
「そりゃぁそうでしょうけども。叙任当時、ノード教会でも第四、第七、第八聖騎士に続く武勲の聖騎士と期待されていた方がこんなことで怒んないで下さいよ」
通信士のささやかな皮肉に、エングレッゾも青筋をひっこめて怒鳴りたい声を飲み込んだ。
それを見るなり通信士はフライハイトに来てよかったとも思うのだ。この艦隊の他のクルーにもそういう上下関係がうやむやになっているのを心地よく思っているものもいる。
「伝令が帰ってきました。十二時の方向」
「わかった――」
エングレッゾは居直って、艦橋の窓から外を見る。ちょうど丘を下ってくるバイン・アウトーが一台、まっすぐに向かってくるのが見える。鏡を天に掲げて光を反射している。
その光信号を見張りは確認して、伝令役だと艦橋に伝えた。
「戻ったらすぐに上がるように伝えろ」
「了解」
通信士がそう答えて、受け入れを要請する。
伝令役はすぐに〔ツヴァンツィヒ・ブルク〕に収容されると、直接艦橋へと上がった。
「申し訳ありません。侵入と出立に想定外の横やりが入りまして」
伝令役の構成員はまだ若い男であったが、物おじしないハキハキした言い方でエングレッゾや艦長たちと面していた。
「入国に手間?」
艦長のスキンヘッドの男が顎に手を添えて疑問の声を上げる。
「はい。修道騎士団の艦隊が駐屯しておりました。その検問を誤魔化すために時間を費やしてしまった次第です」
「修道騎士団? ばれてはいないだろうな」
「偽装の交易許可証を発布してもらうのに、色々と手を回しましたからね。足はついていないと思います」
伝令役は自信をもって伝える。自分の仕事に抜かりはない、とまっすぐな瞳が訴えかける。
これにはエングレッゾも信用したくなった。
「そうか。こちらも向こうの言うことを聞きすぎて、配慮が足りなかった」
「いいえ、滅相もございません」
伝令役は少しばかり緊張してエングレッゾに言った。彼にとっては修道騎士団の頃も、フライハイトの今でもエングレッゾ・ノォは憧れの戦士であることに変わりはないのだ。
そういう憧憬や人望もなければ、一個艦体がノード教会から離れてフライハイトに転じるようなことはできない。その点ではエングレッゾ・ノォは稀代の聖騎士と期待されたのは嘘ではないのだろう。
実際、エングレッゾは彼の伝令の遅れを許し、自分の欠点を看破していた。
艦長が渋い顔で伝令役に目を向ける。
「それで? 修道騎士団の艦隊というのは?」
「それが……、どの情報にもない艦隊です。赤い色をしたブルク級が率いておりました」
「聖騎士団艦隊か……」
艦長も二十番代より前の形式のブルク級については聞き知っていたし、そのあとの型式にも叙任式の際に何隻か目撃している。
と、話を聞いていた機関士長が今にも飛び出しそうな丸い目を彼らに向ける。
「あれでしょう? 噂になってた第二十七聖騎士の艦ではないですかねぇ? 女がなったっていう」
「しかも美人の? アレが……」
伝令役が下卑た笑みを浮かべていった。
「考えられることだな」
エングレッゾもその意見を肯定して、デスクに広げている地図に視線を落とす。
「しかし、女が聖騎士になる時代とは教会も堕ちたな」
「女っ気がないからな、うちは」
艦長は実に残念そうにスキンヘッドを撫でて、虚空を見上げた。
「旧教も重い腰を上げたということか?」
冗談交じりに艦長が言う中でエングレッゾは不機嫌な顔をする。
「だからと言って、認められることか? 武勲は男が立てるものだ」
古臭い紳士協定だとか、伝統重んじる騎士道精神からくる苛立ちではない。
闘争、戦いは男として譲れない習慣の一つであるはずなのだ。
「フライハイトは新教を肯定して、旧教の俗臭を祓い清める志を受け入れてくれた。そういうところでこそ、本当の教えを説くことができる」
「何だ。教会に恨みでもあるのかと思っていたよ」
ここまで傍聴していたタンクトップの操舵士が驚きの声を上げる。
すると、機関士長がけらけらと笑った。
「方便、方便。何事もそういうものさ。新教宗派が出来たのだって、教会を利用しようって腹積もりだからさ」
「第十四聖騎士がいち早く新教に鞍替えして、フライハイトへの間口を広くしたんだものな」
ノード教会にも宗派は存在する。それらは運営方針こそ違えど崇める神は同一である。分裂したからと言って、広いヨーロッパ大陸の地理性もあって互いが大きく干渉するようなことはほとんどない。
しかし、フライハイトやオールド・ウェストなどの王政と宗教の結びつきを嫌う民衆が蜂起すれば、これに呼応する司祭たちもいる。
もっとも根幹にあるのは教皇と司祭たちを中心に教義を進める旧教である。旧教はその厳格さと伝統によって広くヨーロッパに普及されている宗派で、修道騎士団の本部もまた旧教の傘下にある。フライハイトのような存在を弾圧する姿勢が強い宗派でもある。
一方で聖書に基づく教義を掲げて、政教分離を主張するフライハイトと迎合する新教が現れた。彼らはフライハイトに加担しつつ、ノード教会、とくに旧教と対立する強力な派閥である。
というのも、旧教は伝統を重んじるが教典の解釈を人々に口頭で伝えるばかりで、内容を見せようとはしなかった。
艦長はなつかしそうに語る。
「そうそう。大司教での選挙の際にその候補と貴族の癒着とを暴いてくれたから、俺たちも大手を振って手を切ることが出来たんだものな」
「贖宥状に金を払ってた連中やそれに不信を抱いていた下層階級の連中も賛同してくれたからな」
エングレッゾは艦長の言葉に続けていった。
「その無念と信頼の回復を俺たちがやってみせれば、新教の教えは正当なものになる」
彼らは信仰心がないわけではない。
ノード教会の内部腐敗を嫌ってフライハイトに参加したに過ぎない。ノード教会がこのヨーロッパの共通意識としてあるのならば、それをわざわざ転覆させる必然性はないのである。
フライハイトは教会と君主との結託が結果的に奴隷や下層階級を困窮に追い込んでいると思っている。それは間違いではない。が、そのままノード教そのものを敵視されては新教派の立場がなくなってしまう。
「アーデル・ヴァッヘは税金の無駄遣いだと教えてやれば俺たちに風向きが来る」
エングレッゾは全体を見回して笑った。
フライハイトが修道騎士団を目の敵にするのは、弾圧されてきたからである。しかし、フライハイトが力をつけて修道騎士団を打ち倒し、奴隷たちを解放すればそれは美談である。
エングレッゾ・ノォはそんな美談が欲しいのではなく、単純に修道騎士団の組織の膨れ上がりが過剰であると主張したいのだ。そのために弱い騎士などは排除して、必要性がないとアピールする。
その考えは艦橋にいる全員が理解している。
「第二十七聖騎士を討つ?」
「そうすれば、リップルトン領の古風な考えだって変って自由な国づくりをするだろう?」
艦長の不安げな表情にエングレッゾは自信ありと答える。
「女は?」
カメレオンのような目を動かして機関士長は聞いた。
「断頭台……というのがセオリーだが、事と次第によっては別の手も考えるさ」
力量はわからないが、初めから負けることなど考えるなど臆病者のすることだ。それに、美人であるなら一度はお目にかかりたいという欲望も働く。
エングレッゾは第二十七聖騎士団を討つことが使命と覚えて行動を起こす。




