~収穫祭~ となりの秘跡
プロヴィランの教会堂の中は午後の陽ざしを取り込んで、荘厳な光に包まれていた。
高いトンネル・ヴォールトのアーチ状の天井。それを支える石柱が居並ぶ長い身廊には、午後の礼拝に訪れた熱心な信者たちが奥の放射状の祭壇へと集まる。
ゴシック建築に見る豪華絢爛にして巨大な建築構成は、人に目には神々しく映るだろう。ステンドグラスや窓の多さが、教会堂内を光によって飾りたて、精緻な石像や意匠を凝らした石畳の床が美意識を高めていた。
ヴァイスは翼廊の交差部、教会堂を十字にかたどった場所で一度立ち止まってそびえたつ祭壇と、その上を飾るステンドグラスを見上げる。色ガラスで組み上げられたノード教に伝わる聖書の情景が模られている。
その虹彩の神々しさに、人々は心打たれるのだろう。
豪勢な祭壇も言うに及ばず、また列席を見下ろすようにして石柱に陳列する石像の聖人たちは慈しみ、憐れみの表情で迷える子羊を出迎える。
「…………」
ヴァイスは人の流れを外れて、翼廊の片隅に据え付けられている懺悔室の前へと足を運ぶ。壁からこぶのように張り出した木彫りの小部屋で、それらが壁際に数個並んでいる。
石畳を打つ音が静かに空間に溶けていく中、彼は一つのドアをノックした。
「入りなさい」
と、ドアの向こうからくぐもった声が聞こえた。
ヴァイスはそのドアから離れるともう一方のドアを開けて、その中へと入った。内側は暗く、人一人座って入るのが限界の空間である。右手に小さな格子窓があり、もう一方の部屋と合間に小さな空間を隔てて存在している。
「どうだった?」
格子窓から無機質な声がとんで、ヴァイスは視線をそこへと注いだ。
「任務は失敗です」
簡潔にヴァイスは言った。
「彼女たちの情報は以前よりも活発になりつつあります。学習はしているようです」
格子窓からは何ら反応はなかった。
ヴァイスにはそれが気になった。
「……?」
「すまない。少々、考え込んでいた」
「考える? 意外です」
ヴァイスは正直に伝える。
「長いことこうしていると、時々考えるようにもなる」
「それは時間がないということでしょうか?」
「それについての計算は常にしている。今のところはまだ余裕がある」
格子窓の向こうからわずかにため息が聞こえた。
「お疲れなのでは?」
「いいや。それよりも〔アル・シリーズ〕の詳細について」
「はい――」
ヴァイスは相手の言葉に従った。従わざるを得なかった。
狭い懺悔質の中にいる限り、人の耳に触れることはない。盗み聞きをするような不届き者が、教会堂の中に入ってくるとは思えない。収穫祭の時期と相俟って、その確率はさらに低い。
何よりノード教会が社会的基盤になってしばらくのヨーロッパである。俗人が教会という組織に深入りすることへの抵抗感や畏怖は刷り込まれている。
「件の少女一人は人格形成が少々難解です。ほか二名については接触しておりません。〔アル・シリーズ〕については、あなたさまがご指摘の通りのタイプです」
「ガイアの名をつけられた、相転移装置を搭載したモノで間違いないな」
ヴァイスは肯定した。
「これまでの修道騎士団の報告、それにフライハイトとの交戦記録から深手を負っても直っています。また右腕の特異な力も発言しているとの情報です」
〔アル・ガイア〕についての情報は常に収集されている。
中でも右腕の溶解能力、凝固能力はヴァイスたちが追い求めている力そのものであると推察された。それは神が賜った力ではなく、運用されている〔AW〕から逸した機構である。
「現代の技術で直せるものではありません」
「当然だ。所詮、巨大人形を使うことが賢いことだと思うような連中では無理だな」
格子窓の向こうで嘲笑気味な言葉が飛んだ。
「これほどまでに愚弄な形はないというのに」
「生物としての限界です」
「機械としての意義を言っている」
ヴァイスの言葉に相手は重ねた。
「聖書の神の姿がヒトだから、人間というものはその形が崇高であると思い込む。いや、違うな……。自分たちの進歩の歴史を肯定するには自らの形に疑いを持たないようにする工夫が必要だった」
「ビジュアルの力というものは、そうでしょう。識字率の低い連中でもわかるものです。わかりやすいものですから」
ヴァイスは人間について語る格子窓の向こうの調子に合わせる。
これは単なる愚痴であったし、覆らない主義でもある。こうして反復的に聞かされるのは、ヴァイスがそのことをうまく規定できていないことを悟られているからかもしれない。あるいは、ただの記録の確認作業なのかもしれない。
「面倒なものです……」
いちいち口頭で確認作業をする面倒臭さをヴァイスは認識する。
「苦労をかける」
言葉ばかりの労い。
「アーデル・ヴァッヘが人にとって神性化されたのは修道騎士団の理想的な会則と働き、そして人には作りえない技術を持っているからこそ存在意義を確立した。が、〔アル・シリーズ〕は違う」
ヴァイスは相手の声を聴きながら僅かに左腕を捻った。
痛みがあるわけではない。ただ、遠くから投擲されたスプーンの傷跡を確かめるためだ。
「機体が人を育てた……」
「何?」
「例の機体には操縦者を強くする働きがあるのでは?」
精神作用とか、脳開発、はたまた感覚強化、肉体強化をアクセサリを通して〔アル・ガイア〕が理想の操縦者を作り上げているという考え方もあった。
それが効率的な機体運用だろう、とヴァイスは思う。
「そういう働きがあるなら、〔アル・シリーズ〕には魔王の眷属だの、アーデル・ヴァッヘの女王の異名を人からあだ名される理由もわかります。操縦者が魔女だと呼ばれるゆえんも」
「……それもそうだな。だからこそ、〔アル・シリーズ〕の機能は必要なのだ」
格子窓の向こうで一瞬、戸惑う様な声が出た。
遅れて、ヴァイスは頭の中が重たくなるのを感じた。言い知れない不快感に彼の鋭い瞳が曇った。
「そして、機能を覚醒させるために操縦者は必要だ」
相手は渋々といった感じでつぶやく。
「だから、敵をぶつけて〔アル・ガイア〕には潜在能力を引き出させる、というわけですか」
「遠回りだが、スタンドアローンの機械にはそういう物理接触するほかないのだ」
相手にとってそれは時間のかかるものであったが、手駒は掃いて捨てるほどある。痛くもかゆくもない。ただ時間だけが問題なのだ。
「すべては神に至る布石である」
ヴァイスはその言葉にさして疑問は抱かなかった。
その手助けをすることで自身の存在意義を定義し、達成することで自己の意識を完成させるのだから。
「お前には引き続き、〔アル・ガイア〕の監視をしてもらう。接触はしなくてよい」
「了解」
ヴァイスは淡々と言って、固い木製椅子から立ち上がった。
「フライハイトと修道騎士団がうまく動きますか?」
「すでに〔アル・ガイア〕に関する情報は広がっている。嫌でも動かざるを得ない」
それが隣人との別れ際の台詞であった。
ヴァイスは微かに厚ぼったいコートの襟を立てて、翼廊を歩いていく。そして、教会堂に差し込む西日に溶け込むようにして彼の姿は消えていった。
彼の背後ではもう一方の扉が開かれるが、そこには誰もいなかった。
* * *
収穫祭の無礼講の雰囲気が、今の柾たちにとって幸か不幸かはわからない。
しかし、ターバンの男、ヴァイスとの接触はその場限りの手ごたえがあったのも事実である。収穫祭の盛り上がりに乗じての誘拐であったにしても、午後の緩やかな時間で派手な行動を起こせば自然と目立ってしまう。夜は夜で人の動きは活発になりすぎて、逆に身動きが取れないような状況だってありうるのだ。
ビアガーデンに戻っても待ち伏せをされた様子はなく、調理場近くの材木置き場に腰掛けて三人はほっと息をついた。
「もうっ。猫を追っていたかと思えば、悪漢に絡まれてたなんてね」
フォノはこみあげてくる感情に任せて、すべての発端である柾に怒鳴り散らした。同時に右肩をぶつけて、不機嫌な顔をいっぱいに彼女に押し付ける。
「どうかしてる」
さらに別方向から結子の不満顔が迫って、間にいる柾はたじたじであった。愛想笑いをして、肩をすぼめると手にしているパスティに視線を注ぐ。
パスティはパイ生地で薄切りの牛肉、玉ねぎ、カブ、ジャガイモを包んだ料理である。お昼ご飯として用意されたもので、顔の半分はあろう大きさである。
「いや、でも、成り行きだから……」
柾は両端からの圧力に冷や汗を流し、半円を描いたパスティのパイ生地を眺める。
「成り行きだからって、〔アル・ガイア〕のことを知っている人だったのよ。それにさらわれていたかもしれなかった」
フォノはそこでようやく肩を離して、大きく上下させた。
思い返すだけでも、恐ろしいことだ。修道騎士団、フライハイトに目をつけられて本格的な衝突をしなければならない。それはヘリック・D・アムソンやバレット・バレットのようなナイト級を操る強敵と戦わなければならないことを示している。
「ことさらにいうと、〔アル・ガイア〕の神秘性というか……、付け狙われる理由もよくわからないし」
「珍しいからじゃない?」
結子の疑問に柾は緊張感もなく答えた。
結子は思わずため息をついて、彼女から離れる。それから、一口パスティにかじりついた。外円のサクサクと焼けた少ししょっぱいパイ生地の部分だけ。
「蒐集家のお貴族様とは違うでしょう? 何かの目的のために、あらゆる手段を使うような気がするでしょう。それにその背後も気になる」
こればかりは推測の範疇を超えられない。
だが、フライハイトに身を置いていた彼女の経験からはヴァイスを操っている存在が考えなしとは思えなかった。教会が一枚岩ではないにしても、組織を動かすからには何らかの腹案があるのが定石というものだ。
「収穫祭を終えたら、修道騎士団は躍起になるわよ、きっと。クリスマスまでには厄介なことを終えたいでしょうから」
フォノがパスティを齧りながら言った。
野菜の水分と肉汁を吸った強かなパイ生地と牛肉の柔らかい歯ごたえと、ゴロゴロとしたジャガイモ、シャキシャキのカブ、玉ねぎの歯ごたえが絡み合い、こま切れ牛肉の癖のある味と野菜の風味、塩コショウの刺激が口いっぱいに広がる。
一口食べただけでもお腹にずっしりとくるボリューム感があった。
柾もその重たさに満足しつつ、唇を舌先で舐めた。バターの風味を舌先がとらえた。
「クリスマスか……」
「そうよ」
フォノは口元を掌で上品に隠しながら返答する。
そこに結子が割って入る。
「降誕祭、だっけ? 冬至でしょう?」
いまいちピンとこない顔をして、結子は二人を見る。
「結子の故郷ってそういうお祭りないの?」
柾が問いかけると、結子は少し得意げに胸を張った。
「ヨーロッパだけが世界じゃないんだから。ノード教会の神様のことは何もないけど、風習はある。ゆず湯とか」
「ヤーパンの人はお風呂好きなのね」
フォノの実直な感想だ。それから、柾に視線を戻した。
「あの、ヴァイスっていう人、また来るかな?」
「夜には舞台のことがあるし……」
柾は黙考するが、ヴァイスの行動原理などは理解しようがない。
午後のうららかな陽気を浴びていると、そんな緊迫感すら虚しく感じられてしまう。
「なるようになるよ」
直感的な言い方にフォノと結子はがっくりと肩を落とす。
その自信がどこから来るのか知りたいところであったが、これはもう論理、理論で説明づけることのできない。楽観的になるのも処世術だと落とし込むほかないだろう。
「また、柾の勘かしら?」
フォノは呆れ半分に零した。
「女の勘って言ってよ。まるであたし、何も考えてないみたいじゃない」
「実際、何も考えないでその場の気分で決めてる。違う?」
結子の的確な意見に柾は返す言葉がなかった。マフラーに顔を沈めるようにして、瞳を左右に動かしてフォノと結子の顔色をうかがう。
「今は夜の舞台に向けて準備をしようよ……」
柾にしてみれば、ヴァイスとのことはもっと長期戦になると予測していた。
神様を担ぎ上げて略奪をするような手合いだ。しかし、命令に厳格で柔軟性に欠けている風に見えたヴァイスが一度失敗してしまったことを即座に対応してくるとも思えないのだ。
結子のいう背後関係の影響力がわからない今、受け身の姿勢を取ることしかできないのは歯がゆい。それでも、〔アル・ガイア〕のことで好戦的になるのもいけない気がした。
「せっかくのお祭りなんだから。アルだって、お祭りを楽しみたいと思うからさ」
柾の子供じみた考えにフォノと結子はくすりと笑った。
彼女たちにとって〔アル・ガイア〕は幼いころに遊んだ人形やぬいぐるみの延長で、そこに意志とか魂のようなもの注ぎ込んでしまうのである。




