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ガイア・レコード  作者: 平田公義
第十二章
84/118

~収穫祭~ 猫の意趣返し

 踏み固められた土と左右に建ち並ぶ背の高い家屋。木造の梁を渡した家々がもたれ合うようにして隣り合う。中には小道を挟んで寄りかかる家屋もあった。


 高い家々の向こうからは賑やかな声がこだまするも、一本外れたこの路地は閑散とした雰囲気が漂っている。


 その中に少女のはつらつとした声が通り抜ける。


「待ちなさあい!」


 (マサキ)たちはその家が作り出したトンネルをくぐってデブ猫を追いかける。


「なんてすばしっこいのっ」

「太ってても猫だから」


 フォノと結子(ユイコ)は前を走るでっぷりとしたデブ猫の尻を睨みながら言った。巨体にもかかわらずパワフルな走りをして、距離を詰めるさせない。


「大通りの方へ抜ける気?」


 (マサキ)は角を曲がるデブ猫を見て、家のへりに手をかけると曲がり角に滑り込んだ。猫が好みそうな薄暗い小道は人ひとり通るので手いっぱいであった。


「待ってよ!」


 フォノと結子(ユイコ)は一列になって(マサキ)の背中を追う。


「待てないよ」


 (マサキ)は後ろを一瞬見て、日の光の中へ飛び出していったデブ猫に視線を戻す。


 そして数十メートルも走るとすぐに広い道へと躍り出る。眩い正午の日差しが目を焼いた。


「パレード、もう来てるって」


 そんな声がまず耳に飛び込んできて、(マサキ)は次に目に飛び込んできた少年たちの一団を避けようとその場でくるりと一回転した。


 それから、文句を言ってやろうとしたが背後からフォノと結子(ユイコ)が追突してきた。三人の体が鏡餅のように折り重なって倒れる。


「急に止まらないでっ」


 一番上の結子(ユイコ)は体を起こして抗議する。


「猫は?」


 (マサキ)は上にのしかかっているフォノに問うた。


「大通りの方に行ってるみたい……っ。左方向」


 フォノは(マサキ)の耳元で呻くようにして報告。拡張(AR)モニタの指示方向はずっと彼女の目の前に浮かんでいた。


「了解!」


 (マサキ)はフォノを押し上げるようにして立ち上がると、一目散にその方向へと駆け出した。


「ちょっと――っ!」


 フォノは跳ね上がるようにして、仰向けに転がった。


 そこに素早く結子(ユイコ)が息を整えながら、彼女の背中を支え起こす。


「大丈夫?」

「やってられないわよ!」


 フォノはために溜め込んだ不満をぶちまけながら、捲れ上がったスカートを直した。(マサキ)の珍事に巻き込まれるのは幼少期から慣れているつもりだ。だが、ここまでないがしろにされるのには怒りを覚える。


「でも、アクセサリは取り返さなきゃ」


 結子(ユイコ)はフォノの背中についた埃を払ってやりながら、(マサキ)の走って行った方向を見た。


「すみません! 誰かそのネコ捕まえて!」


 大通りへと走る(マサキ)の叫びはしかし、喧騒に押しつぶされて誰も耳になどしてしなかった。


 そうしている合間にも、猫はパレードの見物でできた人だかりの間を抜けていく。足の間に太い体をこすりつけるようにして、頭が入る隙間ならば、恋人同士の間だろうが、子供たちの群れの中だろうが、女性の股の下だろうがお構いなしに進んでいく。


 ところどころで小さな驚きの声が上がるが、見物人たちの興味は大通りを行くパレードにあった。


 鼓笛隊が扇動するパレードは派手な催し物である。麻袋を肩に担ぎ種をまくように大手を振る農夫、かごいっぱいの野菜や果物を持つ妙齢の女性陣、続いて荷車を引くロバとそれを操る男性たちが賑々しく町を縦断する。


「見失っちゃった?」


 (マサキ)は人垣に割って入りながら、ぴょんぴょんと跳ねた。着飾った馬に乗ったうら若き女性が手の振っているのが目に入った。しかし、賑わう人ごみの中を行く猫の姿を捉えることはできない。


「そうだ!」


 と、(マサキ)はさっと人のひしめく中に屈んで、森林のように重なる人々の足の合間をのぞき込んだ。


「いたっ」


 暗がりの中で、人間のひしめき合いに気圧されているデブ猫の丸い体が見えた。


(マサキ)、どこ行っちゃったの?」


 フォノと結子(ユイコ)は屈んでしまった(マサキ)を見失って、見物客の合間を無理に割って入りながら突き進んだ。


 周りを見ても、大人たちの広い背中ばかりで前に進んでいるのかどうかも怪しくなってきた。だが、ひしめく人垣で大きく揺らぐ一帯があった。


「ちょっと、何してるの?」

「立ってないと、危ないだろ!」

「ごめんなさい! けど、通して」


 そんな罵声が飛び交う方にフォノと結子(ユイコ)は即座に反応した。


「あの子、なんて無茶苦茶を……」

「なんか、パレードの方に行ってない……?」


 結子(ユイコ)の発言はまさに(マサキ)の針路そのものであった。


 (マサキ)は四つん這いでデブ猫のお尻を追うことに夢中で、周りの様子など気にしていない。猪突猛進。鼻息を荒くして、暗い林のような人の足の合間をかき分けて進む。


 そして、デブ猫が一足早く光の中へと飛び出した。


「逃がすもんか!」


 (マサキ)も蛙のように飛び跳ねる。伸ばした手がデブ猫のしっぽをかすめる。


 頭が眩しい太陽の下に突き出すと、一気に人垣が割れる。そして、石畳の大通りの真ん中でにデブ猫が顔を左向けたまま固まっているのを見つける。


 これ幸いと、(マサキ)はもう一度蛙飛びでパレードの柵を潜り抜けていった。


「捕まえた!」


 (マサキ)がお返しとばかりにデブ猫を押しつぶすようにして捕まえる。ぶにゃ、と不細工な猫の悲鳴が耳を打つ。そして、すぐにデブ猫の風船のように膨らんだ胸を抱きかかえる。自然と口元が緩んだ。


(マサキ)!?」


 その瞬間、フォノと結子(ユイコ)が全身の毛を逆立てて金切声をあげた。


 (マサキ)の耳にそれが届いたときには、パレードの中腹は大騒ぎである。


 パレードの中盤、少年少女たちが追い立てる羊と今年生まれた仔馬の列が飛び込んできたウェイトレスに驚き、興奮してしまう。動物を扱っているともあって、パレードの前列と間隔があいていたのだ。羊の鳴き声と仔馬の嘶く声、蹄が石畳を打つ音が荒々しくなる。


「羊、馬!?」


 (マサキ)は気が動転して、荒れ狂う羊と仔馬の群れに目を白黒させる。


 そうしている合間にも、アクセサリを咥えているデブ猫は(マサキ)の拘束からするりと抜け出した。そして、混乱する羊の群れの中を突っ切って、反対側の人垣へと逃げ込んでいく。


「なんだなんだ?」

「今年は変わった出し物だな」


 見物客たちはしかし、パレードの演出とばかりにドッと笑いを上げる。


 (マサキ)はまさに道化であった。


 暴れまわる仔馬の突進を避け、もこもこの羊の群れを飛び越える。スカートの裾など気にせず足を上げ、大立ち回りの大根役者となっていた。


「面白い出し物だな、おい?」


 見物客の一人が何気なく、隣の人に話しかける。


「そのよう、だな」


 厚ぼったいコートに身を包んだターバンの男が静かにそう答える。


 その横間をフォノと結子(ユイコ)が過ぎていった。


 彼女たちは騒ぎに乗じて、柵を軽やかに飛び越える。少年少女が仔馬をなだめるのを横切る。


「ご、ごめんね。悪気はなかったの。仲良くしましょ?」


 (マサキ)はとうとう怒り心頭の羊たちの群れに囲まれて、引きつった笑みを浮かべる。


 羊たちは蹄を石畳にたたきつけて威嚇し、今か今かと突撃のタイミングをはかっていた。彼らにとって(マサキ)の乱入は群れの中に狼が飛び込んできたのに匹敵するストレスを与えてしまっていた。


 温厚な羊たちでもパレードの逃げ場のない状況では外敵を排除するほかない。人に囲まれての行列でストレスをためていたこともあって、ため込んでいたものまでもが爆発寸前になっているのだ。


 フォノと結子(ユイコ)は羊毛の囲い込み陣形に一瞬尻込みする。


 が、フォノ咄嗟にあることをひらめいた。


「バウワウッ! ワフッ!!」


 フォノが犬の鳴きまねをすると、(マサキ)を追い詰めていた羊たちがまたパニックを起こし陣形を崩していった。


 そこへ結子(ユイコ)が颯爽と割って入ると、(マサキ)の手を取って羊たちの合間を駆けていった。


「世話、かけさせないで!」

「ごめぇん」


 (マサキ)は半べそをかきながら、結子(ユイコ)に手を引かれるままに反対側の人垣の中へと向かう。フォノも真っ赤になった顔を隠すようにしながら二人の後を追った。


 催し物だと勘違いしている人たちは道を開けて、三人の少女たちを送り出してくれた。


「もうっ、信じられない。大勢さんの前でわたしったら……」


 フォノは街の道を走りながら、顔を真っ赤にして呟く。犬の鳴きまねを思い出すと、はしたなくて心臓が張り裂けそうなほど恥ずかしかった。


「フォノ、今は猫を追おう?」

「大丈夫。あれくらいで、あれくらいで……」


 フォノは自己暗示をかけるようにしてストールを掴んでつぶやく。


「猫、広場に向かってる」


 結子(ユイコ)は方向を確認しつつ、(マサキ)に非難の目を向ける。


「アクセサリを取り返したら、責任取って」

「その言い方、怖い」


 (マサキ)は愛想笑いを二人に向けてから、進行方向に顔を戻した。


 正面の方にはプロヴィランの象徴的な塔がちらほらと見えている。ノード教会の鐘楼、あるいは軍事的な高台としてそこここに塔が立ち並んでいる。


 (マサキ)たちが息せきって走る道では、職人たちの店先が並んでいる。四階建ての家屋の一階を商店にして、鎧戸を上げ、祭りの景気にあやかろうと熱心に呼び込みをする者もいれば、黙々と店先で仕事をして見せて興味をひかせる者もいる。


 賑やかで和やかな通りを走る(マサキ)たちは浮いていた。


「いたっ!」


 目ざといフォノがずっと先を走るデブ猫の背中を見つける。


 その先はプロヴィランの中央広場、ちょうど大市が開催されている広い区画である。四角く切り取られた空間に出店が立ち並び、行商人たちが冬場の商売品を品定めしている。


 デブ猫は一瞬振り返るそぶりを見せ、そのまま大市場の人だかりへと紛れていった。


「あのデブ猫、絶対逃がさないんだからっ」


 (マサキ)は粘ついた唾を無理矢理飲み込みながら、フォノと結子(ユイコ)を交互に見る。


「連携プレー! 挟み撃ちにするよ!」


 (マサキ)の号令でフォノと結子(ユイコ)は大市の端に入ると左右に分かれて、アクセサリを頼りにデブ猫の追跡を開始。


 大市場は幾らかのブロック分けがされており、直角な道づくりがなされていた。ちょうどチェスのマス目のような構造だ。


 (マサキ)は正攻法でデブ猫を追跡する。


「猫ぉおおお!」


 (マサキ)が叫ぶ。


「何事だ!?」


 と、行商人たちは奇異の目をむける。しかし、スカートが捲れることも気にせず走る少女の姿を見た時には、彼女は目の間を風のように通り過ぎていった。


 巻き上げる風が彼らの頬を打った。


 デブ猫も(マサキ)の剣幕を察したように耳をくるりと回し、人の中をジグザグに走り抜けていく。


「猫の位置。フォノの位置と、(マサキ)は――」


 左翼に回った結子(ユイコ)は視界に映り込むアクセサリの拡張(AR)モニタでデブ猫とフォノの位置を確認する。それから、少し後ろを向いて吹き抜けの出店から(マサキ)を確認する。


 右翼を走るフォノとの同時襲撃はできない。真ん中を走る(マサキ)より前、自分より後ろの位置にいたからだ。


 結子(ユイコ)はそれぞれの位置を計算して、時間差で襲い掛かるほうがよいと踏んだ。


「仕掛ける」


 結子(ユイコ)は鉛のように重い足を必死に動かして、目の前の曲り角を右へかける。足元がもつれてよろけるも、ビーコンの反応が右から来るのを捉えた。


 そして、次の交差路でデブ猫と合いまみえる。タッチの差で結子(ユイコ)の細く、小さな体がデブ猫の前に躍り出る。


「あっちいけ!」


 結子(ユイコ)はそう叫んで、フォノのほうに追いやろうとした。捕まえる気力は残っていない。息をするたびに頭痛までしてくる。


 だが、疲労困憊の異邦の少女に後れを取るデブ猫ではなかった。


 肩で息をしているような小娘一人くらい障害にもならない、とばかりにゴム毬のように跳躍。


「何ぃ!?」


 追跡していた(マサキ)は驚愕した。


 デブ猫はその真ん丸と太った巨体で跳ぶと、結子(ユイコ)の体にボディプレスをかます。それだけではない。彼女のか細い肩に前足を引っ掛けると、後ろ足を洋服に引っ掛けてよじ登ったのだ。


「ひゃぁああ??」


 結子(ユイコ)は情けない声を挙げながら、膝から崩れていく。そして、青空を仰ぎ見ながら倒れていく。


 そして、デブ猫は軽やかに彼女の奥ゆかしい胸の上で弾んで前へと跳躍する。


結子(ユイコ)がやられたの!?」


 フォノは喉の奥が苦しくなるのも我慢して速度を上げる。計算高い結子(ユイコ)が猫に後れを取るとは思えなかった。


 だが、現実は押し負けたのだ。そのことは受け入れなければならない。


結子(ユイコ)、仇はとるからね!」


 (マサキ)は仰向けになって息を整える結子(ユイコ)の横を走り抜けていく。


 猫だと思って侮っていた。肥えた体を見くびっていた。前方を軽やかに走る猫はとてつもなく頭がいい。


「人間が猫に負けてたまるものですか」


 フォノは大市場を走り抜けながら、一件の店先にかかっている竹箒を目にする。迷うことなく、走りながらその柄に手を伸ばす。


「借ります!」

「何だって!?」


 フォノが竹箒をひったくって走り抜けると、店先の店主がお客さんと一緒にフォノの後姿に目を白黒させる。


「後で返しますから……」


 フォノはそうつぶやきながら、角を曲がって拡張(AR)モニタから送られてくる反応を一瞥。


 タイミングはいい。一呼吸する間に横間からデブ猫が飛び出してきた。


「痛いだろうけど――」


 フォノは竹箒を振りかぶってデブ猫を見据える。踏み込み。相手との間合いは申し分ない。


「ごめん!」


 振り下ろされる竹箒。


 デブ猫はしかし、横間から飛び出してくるフォノの息遣いをずっと前に察知していた。アンテナのようにめぐらせた耳はフォノの荒々しい息遣いを拾い上げて、あとは正確な位置を図るだけであった。


 デブ猫は竹箒の奏でる鈍い風鳴りを聞くなり、身をひねった。後ろ足を軸に振り返り、紙一重で回避。尻尾の先を竹箒が掠め、巻き起こった土煙が猫の背中を打った。


「よしっ」

「このまま――っ!


 ここまではフォノも(マサキ)も予測していた。


 身をひるがえした猫は迫る(マサキ)から逃れられない。


「取った!」


 (マサキ)は勝利を確信して、声を張り上げる。


 だが、小娘のお調子。勝負のさなかに気を緩めたのが運のつきだ。


 デブ猫は向かってくる(マサキ)と対峙しながら、波打つように体をしならせて飛び上がる。


 至近距離からの跳躍。


 壁を蹴り上げるようにして、デブ猫は(マサキ)の体を二度、三度と蹴りつける。その反動を利用してフォノの方へ再度正面にとらえる。同時に攻撃の姿勢を彼女の方へと向けた。


「ぷぎゃっ!?」

「――んっ」


 フォノは情けなく崩れる(マサキ)を気に留めている余裕などなかった。デブ猫が懐に飛び込んで、竹箒の間合いを避けるように着地体勢に入っていたからだ。


 千載一遇のチャンス。


「今度こそ――」


 フォノは半歩身を引きながら、竹箒を袈裟斬りに振り下ろす。


 着地の瞬間こそ、相手の大きな隙になると彼女は直感していた。


 デブ猫はその攻撃をも予測していたかのように着地と同時に沈んだ体をばねに跳んだ。一拍遅れて竹箒の先が石畳を擦った。


「うそ――っ」


 フォノがひきつった声を上げると同時にカウンターの猫パンチが伸び上る。


 デブ猫の腰のひねりをくわえた強烈な猫パンチがフォノの右頬を打つ。肉球の柔らかさを感じるよりも、馬上鞭で思い切りひっぱたかれた重みが視界を揺らした。


 フォノは呻いて、踏ん張ろうとしたが疲れていた体では持たなかった。足元がふらついて、もつれると倒れてしまう。


「ま、負けた?」


 フォノは横倒れの状態で大きく息をして、全身から吹き出す汗と疲労に動けなくなる。


 デブ猫は軽やかに着地すると、耳を軽く回して、長いひげを引くつかせる。勝負はついた、と勝ち誇った気でいるのだろう。


「まだ、まだぁ」


 しかし、デブ猫の予想に反して一人の少女が立ち上がる。


 デブ猫は顔だけを振り向かせる。その視線の先で、グロッキー状態の(マサキ)が震える足で己を支えている。


 事情を知らない者には理解に苦しむ行為だ。そこまでして少女はアクセサリを取り戻す意義があるのだろうか。


 そう語り掛けるように、デブ猫は気だるそうに瞼を半分閉じる。同時に、立ち上がってきた少女の執念に焦りも感じていた。


 だからだろう。猫は走った。残りの体力など考えず、完全に振り切らないと少女はいつまでも追ってくると恐怖した。


 (マサキ)は息を整えながら、足を前に踏み出す。身体が熱い。しかし、ここでその熱を冷ましたら、外気に触れた溶岩のごとく石となって動けなくなってしまう。


「絶対、アクセサリは返してもらうから!」


 大切なものなのだ。


 しかし、〔アル・ガイア〕による悪用だとか、操縦者の責任だとか考えていない。そんなことは発端であり、当然の義務だ。


 そんな理屈云々ではなく、彼女の負けず嫌いに火がついた。


 大市場を抜け、今度はプロヴィランの教会前広場に少女と猫は向かう。そこは特設の舞台が設けられており、半円のテントの幌が張られている。午前の公演を終えた劇団員たちが舞台裏で夜の第二幕の準備に追われている。


「ここに来るとされているが……」


 舞台裏でターバンの男はそんなことを呟きながら、表の観客席の方へ回る。


 舞台の上では午後に行われる大道芸のリハーサルが行われており、大道芸人たちが所狭しと練習をしている。最後の仕上げとばかりに他人のことなど気遣ってられない様子である。


 時を同じくして、(マサキ)が教会の裏手から飛び出す。


「どこ……?」


 (マサキ)は息を整えながら、デブ猫の居場所をその目だけで探した。走る速度を緩めつつも、舞台の方に吸い寄せられていく。


 と、舞台の前席、ござを敷いただけの安っぽい自由席を駆け抜けるデブ猫を見つける。


「いたっ」


 (マサキ)は迷わず、直線でステージへとかけていく。途中、道具の運搬をしていた劇団員たちを押しのけるようにして、前へ前へと抜けていく。


 途中、ターバンの男とすれ違ったが彼女は気にも留めなかった。


 男もまた少女をとがめることもなく、その姿をじっと鋭い瞳に焼き付けるようにしている。


「何だ。猫だ?」


 ステージ上でどよめきがわく中、デブ猫は軽やかにステージをジグザグに走り回る。


 そんな些細などよめきにめげずに楽句隊の音楽が鋭く、強かな音色を奏でる。


 一方で駆け回るデブ猫に驚いた芸人たちの混乱は広がっていく。玉乗りをする芸人がバランスを崩して、しりもちをつく。パントマイムのピエロが声を上げる。マジシャンの仕掛けからハトが一斉に飛び出す。二人組のジャグラーはクラブを取り損ねてステージに落としてしまう。


 ステージがごった返す。音楽が拍車をかけるようにして、人々の混乱が熱狂的に彩られる。


 そこへ(マサキ)が転がるようにして上がると、転がってきた玉乗り用のボールを抱きかかえる。後先のことなど考えなかった。


「これでどう!」


 (マサキ)は気合を込めて、機敏に動き回るデブ猫へと全力で投球。


 デブ猫は直覚的な動きでそれを避ける。ボールが弾む。逃げ惑うピエロの顔面に激突。跳ね上がったボールがステージの外に飛び出すと、大道具を運ぶ劇団員たちを襲撃。被害が拡大してしまう。


「おい! 誰か止めろ!」

「音楽も止めさせろ!」


 観客席に退避した大道芸人たち、劇団員たちがステージで暴れまわる少女と猫の追いかけっこを指さして怒鳴った。


 破天荒に暴れる猫と少女の舞台は激しく、粗野な力強さがみなぎっていた。もし出し物であったなら、観客たちも喝采を上げて、これ以上にない道化芝居だと笑い転げたことだろう。


 舞台そでにいた楽句隊が劇団人たちに羽交い絞めにあって音が途切れる。


「もう――」


 ステージに静寂が降り立つと、(マサキ)はリズムを崩されたようにしてこけながらも手じかにあったジャグリングのクラブを握りしめる。


 そして、デブ猫と対峙する。


 デブ猫も疲れが見えてきたのか、鼻の穴を大きくして息を荒げている。縦長の瞳が今では大きく見開かれて、肩で息をする(マサキ)の姿を捉えていた。


 (マサキ)は生唾を飲み込みこんで、ついで大きく息を吸い込んだ。


「いい加減にしなさい!」


 乾坤一擲。


 (マサキ)は大きく振りかぶってジャグリングのクラブを投擲した。


 デブ猫は飛んできたクラブに背を向けると、反対側の舞台そでへと逃げていく。


「ま、まだ逃げるのぉ? このぉ!!」


 (マサキ)は大きく振ってがむしゃらに走った。


「ちょっとお嬢ちゃん!」

「どいてっ!」


 (マサキ)は拘束しようとする劇団員の腕をすり抜けて、舞台そでへと走っていく。


 拘束しようとした劇団員も、舞台の始終を眺めていた劇団員たちは滅茶苦茶にされたステージにがっくりと肩を落とす。


「何なんだ。妖精の仕業なのか?」


 (マサキ)を間近で見た劇団員は泣きたい気持ちを抑えてそう愚痴った。


「今度はどこ? 早く決着をつけないと――、いたっ!」


 (マサキ)舞台そでを飛び出すと、広場に面した家屋にかけられている木製の足場にデブ猫が器用に昇っている姿が見えた。


 足場は舞台での照明設置などのために組まれたものだろう。


 デブ猫は小さな足場をスタスタと歩いては、手ごろな縦組みの木材に爪を立てて屋根へとよじ登っていく。


 (マサキ)は家屋を見上げて、一瞬躊躇した。スカート姿だとか、女の子が木登りをしてよいものか、というモラルや羞恥心からではなく、体力が持つかどうかの算段である。


 だが、迷うだけ無駄と(マサキ)は一本の屋根まで通ずる木材にしがみつくと、尺取虫のごとく登っていく。


「ふにゃぁ……?」


 上を見上げて登っていると眩暈がしてくる。ふらっと、身体が逆エビぞりになる。それをかろうじて制すると、屋根までまっしぐらに上った。


 屋根に体を転がすようにして登りきると、デブ猫が隣の家に飛び移り、急勾配の屋根をちょこちょこと昇っていた。


「負けるもんか!」


 (マサキ)はすぐに隣の家の屋根に体を貼り付けるようにして飛び移る。安い瓦屋根の冷たさと固さが全身を打つ。


 その痛みに耐えて、壁のように構える斜面を這い上り反対側へ消えたデブ猫を追う。


 頂点に来ると周りの景色が違って見えた。


 プロヴィランの幾何学的な道とその合間を埋めるようにしてひしめき合う屋根のデコボコが少女の目に入ってくる。


 ふと下へ視線を移すと、隣家の屋根との渓谷に動くものがいる。日陰になった深い位置に毛玉のようなものが転がる。


 デブ猫が三件目に飛び移っていた。


「ここで決着をつけて――」


 (マサキ)は煙突に手をかけながら、飛び移る準備に入る。


 と、三件目の屋根先でデブ猫が動きを止める。何かを警戒するように上を見上げて、身を小さくしていた。


 (マサキ)は一瞬、フォノと結子(ユイコ)が助太刀に来てくれたと胸が弾んだ。


 しかし、顔を上げてみると、そこにはターバンをした男が直角の頂で仁王立ちしていた。大工や劇団員とは違う無機質な感じが彼から漂ってきた。


「あの人、確か……」


 舞台の観客席のところですれ違ったような気がして、(マサキ)は首を伸ばすようにしてターバンの男を見据えた。


「茶番劇に付き合うのも、ここまでだ」


 ターバンの男は(マサキ)にも聞こえる声でそういうと、太い腕を上げた。分厚い皮手袋、分厚いコートの袖が揺れる。


「観察しろとは言われたが、これほど愚かとは……」


 ターバンの男は口癖のようにぶつくさとつぶやく。


 (マサキ)にはなんのことだかさっぱりわからなかった。


 瞬間、油断しているところで男の袖口が火を噴いた。爆音が響いて、次の瞬間には自分の手前で屋根瓦が数枚はじけ飛んでいた。


「ふわっ」


 (マサキ)は煙突にしがみつき、斜面に体を横たえながら浅く短い呼吸を繰り返す。心臓が破裂しそうなほど高鳴って、冷たい汗がどっと沸き立つ。


「一緒に来てもらう」


 ターバンの男が物静かに言う。


「どこに?」


 (マサキ)は煙突に背中を預けて、かすかに顔をだしターバンの男を見た。疲労で体が言うことを聞かない。全身の筋肉がゆるんで、重たくなるばかりである。


 ターバンの男は屋根の上で微動だにせず、デブ猫にも目配せしながら答える。


「神の御許だ」


 男は臆面もなく言い放った。

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