~白昼夢~ 残夢の種が根を下ろす
重たい雲が消えた空を見上げると、眩しい太陽が輝いている。先ほどまでの重々しい湿った空気すら消滅して、爽やかな雨上がりの臭いを風が運んでくる。
『楽園』と称された遺跡の跡地で、〔エクセンプラール〕は脚部を畳み停止していた。
「甲板掃除、サボるんじゃないよ」
ミトはアイランドから甲板に出てくると、手にしている竹箒をついて一喝する。
すでに、甲板には手すきの人や子供たちが箒なり、雑巾なり、はたまたバイン・アウトーを使って大掛かりな掃除を実施している。『楽園』の崩壊によって巻き起こった粉塵の波にのまれたのだ。甲板は砂まみれ、脚部の関節部などにも入り込んでいるやもしれなかった。
「箒でさっと土を払いのけてから、水拭きするの! それくらい、わかりなさいよ」
ミトは鋭く視線を走らせて、まだたんまりと土が積もっている個所で集まって掃除をする男たちに怒鳴り散らす。
彼らは驚いて、蜘蛛の子を散らすように彼女の視線から外れた。艦長復帰を喜んでよいやら、疎んでよいやら心境は複雑ではあったが。
「まったく。ちょっと考えれば、わかるでしょうに……」
掃除もできない連中に呆れながら、ミトは〔エクセンプラール〕の左舷の前脚部に寄り添う〔アル・ガイア〕の方へ移動する。
その後ろに見える光景と黒鉄の巨人の対比は不思議なものであった。
淡く、枯れ行く秋の色を見せる山の尾根が澄んだ空気の中に浮かび上がり、砂利のような瓦礫の地表は、とても先ほどまで古代の文明跡があったとは思えないほど閑散としている。手前で跪く〔アル・ガイア〕もどこかその光景になじんで見えた。
「ミトさぁん、こっち手伝ってよ」
「艦長に戻ったんだね? おめでとう」
ミトが甲板の端に視線を移すと埃を落としている子供たちの手を振る姿が見えた。構ってほしいのだろう。そして、おべっかくらいを使う悪知恵もついていた。
「ありがとう。でも、あなたたちで、対処しなさい」
ミトは声を張り上げて、いつものやんわりとした調子で答えた。今は柾たちのほうが気になって、彼らの相手をしている暇はなかった。
「そんなぁー」
「艦長命令」
ミトはぴしゃりというと〔アル・ガイア〕のそばまで近づいた。
「あの子たち、着替えもしないで……」
甲板の下をのぞき込めば、伸ばされた右手の上に柾と結子らしい影があり、〔エクセンプラール〕の関節部のチェックをしているようだった。昼下がりの一等綺麗な陽気が、柾の白いワイシャツを輝かせて、隣に寄り添う結子の黄色肌があでやかに映える。
「どうしました、ミトさん?」
と、胸部ハッチが開いて、そこからフォノが姿を現した。
「あなたまで、その格好なの? 風邪ひくわよ」
ミトは額に手を当てて、力なく腕を振り下ろした。
ハッチが作り出す斜陽の影の下で、下着姿のフォノは思い出したように身体をひねって全身を確認する。その動きは緩慢であった。ちょうど今、目を覚ましたかのような感じさえする。
「いいわ。二人を上げて、こっちに来なさい」
ミトはフォノに言った。
「はい……?」
フォノは間の抜けた返事をして、ハッチを開けっぱなしのままシートについた。
「二人とも、ミトさんが話があるって」
「わかった。これだけ、戻すから――。結子、そこ押さえて」
「うん」
フォノはモニタに映る柾と結子の後姿を視界に入れながら、フットペダルから離した足先の指を見た。足指の間にある土くれが気になって、指先同士をこすり合わせる。
足が地面についていないというのは、不安なことだ。今になって、自分の足元に広がる景色の異様さに気づかされる。
「夢じゃなかったら、空だって飛べないって思ってたのにね」
フォノは自分の見ている景色が、急に空想めいたものに感じられた。足の下が透けて見える光景など、つい一か月前は考えたこともなかったし、ないものだと思っていた。
〔アル・ガイア〕との出会いはこれまでの生活を一変させるだけでなく、自身の感性までも変質させてしまったのではないか、と一抹の不安を覚える。
「いいよ、あげて」
柾の声がアクセサリを通して聞こえて、フォノはびくりと肩を震わせると、フットペダルに素足を添えて、操縦桿を握る。
「わかった」
操縦桿とひねりつつ、指先のコンソールで動作の入力。柾と結子を包むようにして、〔アル・ガイア〕の指が曲がり、ゆっくりとハッチの前に右腕部を上げていく。
柾と結子は上がっていく揺れに思わず腰を落とした。
「ミトさん、何かよう?」
柾は〔アル・ガイア〕の指の間に見えるミトの姿を見つけて問いかける。右腕部が開けっ放しのハッチの前で停止する衝撃に体が揺れる。
「帰ってきたらまず、ただいまって挨拶をするものよ」
ミトは箒の先を柾に向けて注意した。
しかし、柾は〔アル・ガイア〕の掌に乗り移るフォノを受け止めるので、そんな言葉は聞いていない。
「ありがとう」
「うん。今からそっち行くから、ミトさんは下がって」
柾はフォノから視線を外すと、ミトに向かって腕を大きく振って下がるように指示した。無邪気でカラ元気な様子があった。
「まぁ……っ」
ミトは人の話を聞いていないワイシャツ娘にむすっとして、いかり肩で数歩下がった。
「よく見れば、服が汚れてるじゃない……。ほかの人たちはどうして、労わろうって……」
思わないの、と言う言葉を飲み込んでミトは罪悪感を覚える。
それから、〔アル・ガイア〕の掌に乗っている三人娘の姿に眉根を寄せる。ずっと外にいて、すぐに整備にあたったのだろうか。それならば、甲板に出ている大人たちは彼女たちをどうして止めようとしなかったのか。
その事が気がかりで、同時に他人行儀な艦のやり方に反感を覚える。
「ミトさん、なんで怒ってるの?」
柾は屈んでいる結子に小声で聞いた。
「柾が人の話を聞かないからだよ」
結子がぼそりとつぶやく。
「教えてよ……」
「そういう問題じゃないと思う」
結子はそう言って、イライラしているミトを見据える。ミトの言葉を無視したこともそうだろうが、彼女のじっと見据えてくる姿勢には怒りだけを向けている感じではない。
出迎えてくれている、と結子は思った。
「もう……。動かすよ」
柾は肩をすくめると、首筋のアクセサリに煤で汚れた指先を当てる。
拡張現実モニタが紙をめくるようにして切り替わり、〔アル・ガイア〕の手の移動する位置と対物認証の線引きが行われた。実線と点線、色分けされた枠線は彼女の目を通して、〔アル・ガイア〕の精緻な動作をする情報入力になった。
そして、ゆっくりと右腕部が甲板へと移動する。
「うまく使えるようになったかしら?」
ミトはすぐ横に伸びて、甲板をこする〔アル・ガイア〕の掌と柾たちを見比べていった。
「そんな、全然……」
柾は甲板との接触にへっぴり腰になりながらミトに愛想笑いを向ける。フォノと結子は屈みこむ。その拍子にフォノが結子の背中に覆いかぶさるようになった。
「ごめなさい」
「ううん。問題ない」
結子は冷静に対処して、小刻みに震える足元が止まるのを感じ取った。それとフォノの柔らかい肌の感触に複雑な気持ちがこみあげてくる。
「夢の中じゃ、ないから……」
結子の見解である。
フォノも納得するように嘆息して、彼女の肩を撫でる。
「そうよね。現実だもの」
柾はフォノと結子のやり取りを見守って、アクセサリでマニピュレータの展開を指示した。
曲げていたマニピュレータが開いて、柾は甲板へと降り立った。
素足がざらっとする甲板の感触を感じ取る。
「上手に動かせしているように、見えるかな?」
「そう見えるわよ。ところで――」
ミトは一瞬、柾に話をはぐらかされたのではと厳しい表情を浮かべた。だが、その顔はすぐに消え失せる。
続くフォノと結子が揃うと代わりに不機嫌な視線を三人に向ける。
「ただいまは?」
「た、ただいまっ」
ミトの高圧的な言い方に、柾たちは口をそろえていった。
すると、ミトは深いため息をついて三人の格好を改めて眺める。寒々しい格好で、煤やら埃まみれの姿は間が抜けているとしか思えなかった。
「着替えないの?」
「あ、忘れてた」
白地のワイシャツを煤まみれにしている柾が思い出したように裾を引っ張って確認する。
「寝ぼけてるの?」
ミトはそう言いながら膝を曲げるとエプロンで、柾の黒ずんだ鼻頭を拭いた。
「もうっ。やめてよ」
柾はぐずって、すぐに彼女の手を取り払って鼻をさすった。赤い鼻頭が余計に赤くなっていた。
「あなたたちは、報告もなしにすぐに艦の修理をしてくれてるけど、そんなにあたしに会いたくなかったの?」
ミトの強い口調に柾たちは思わずしゅんとする。
「そういうわけじゃないけど……」
結子がおずおずと言いつつ、横にいるフォノに視線を移した。
「気持ちの整理がつかなかっただけ。色々と、思う処があるの」
フォノの少しつっけんどんな言い方にミトは目を丸くする。
彼女が反抗的な態度取るのは珍しく、彼女の迷う瞳の動きに口元をゆがめる。
「どういうことがあったのかは、あとで聞くわ。けど、まず、あなたたちがしなきゃいけないのは、よく寝て、体を休めることよ」
ミトは諭すように言って様子を探るのをやめる。
巨大な塔の崩壊や曇天が消え去った現象など、それは〔アル・ガイア〕にまつわることだとなんとなしにわかっていた。これまでの旅路で、〔アル・ガイア〕が動くときにはそれが中心になっているのだから。
そこに巻き込まれ、あるいは飛び込んで行ってしまうのが柾たち、操縦者たちの宿命だろう。
「疲れたでしょう?」
ミトにはそういうことしかできなかった。そのことが歯がゆい。
気が付けば、自分の手を離れて大きなことに足を踏み込んでいく彼女たちを止める術がわからない。あるいは、本当の親でないから強く言えないのかもしれない。
と、柾たちは互いの顔を見合わせて、代表するようにして柾が首を横に振った。
「ううん。もう少しだけ頑張れるから、大丈夫。それに、なんだか眠れそうになくて」
ミトには、彼女の重たい口調から嘘だと見抜く。思わず、手を伸ばしてしまう。
「それでも――」
「お願いっ」
柾が手を合わせて、頭を下げる。
ミトは伸ばした手をひっこめて、開いた口を閉じる。無理矢理にでも休ませようと思ったが、一番のわがまま娘が素直に従うわけがないことは容易に予想できた。伸ばした手が簡単に振りほどかれてしまうのも。
それはミトにとって少し寂しいことであった。
「夢も見れないくらいに寝たいから。それくらい疲れないとダメなの。安心して、眠れない」
「どういう、こと?」
柾の言葉に小首を傾げるミトに、フォノと結子も頭を下げだした。
「訳は後で話します。だから……」
「お願い」
三人に頭を下げられては、ミトも認めざるを得なかった。
いや、彼女たちはもう自分で考えて動ける。彼女たちの気持ちの整理というのが、体を動かすことで解消されるなら好きにさせてあげるのも親心だろう。
過保護なだけが親心ではない。
ミトは少し吹っ切れたられた。心配しているだけの傍観より、信じて見守ることを肝に銘じた。もし、間違った道に進んでしまったら、今度こそひっこめた手で無理やりにでも引き戻せばいい。
「よろしい。けど、着替えてきなさい。風邪ひくわよ」
「ありがとう!」
ミトはパッと顔を上げて笑みを向ける三人娘に軽く手を振って、アイランドのほうに移動する。
後ろから三人が追い越すものと考えていたが、彼女たちの裸足で駆けてくる音は聞こえなかった。
ふと立ち止まって振り返ると、並んで立つ三人の背中があった。瓦礫の細やかな影が斑点のように散らばった土地をじっと見据える姿には、哀愁と風格が漂っていた。
「これでよかったのかしら?」
フォノが不安げにつぶやく。
「よかったんだよ。でなきゃ、夢だけの人たちと一緒にされちゃうかもしれなかったんだから」
柾はワイシャツのすそをぎゅっと握って平野を眺める。
「夢を見続けることって悪いこと?」
素朴な疑問を結子はつぶやいた。
彼女たちの視線の先ではまだ、『楽園』の残影が映り込んでいた。蜃気楼のように輝く太陽の光を浴びて、最盛期の建物たちと人の波が拡張現実モニタを通して視界に投影されるのだ。
瓦礫に残った記憶情報が形作っているのか。それとも、天へと上った光子量コンピュータの残留量子、はたまた人の思念が見せる『楽園』の姿か。
地上の楽園。夢のように華やいだ過去の記憶の塊であったならば、柾たちの生きる今を『楽園』はどんな風に思っただろうか。
ただひとつわかることは、止まった時間の中で未来は生まれない、ということだ。
「自分の居場所がなくなるような夢は見たくないわ」
フォノはそう答えた。楽しいことだけに使う記憶の中では、いつか自分を見失う気がした。
「都合のいいことだけで生きられたら、誰も悲しまなくて済むもの」
人を殺める苦しさも、両親との別れも、すべてはどうしようもない世界の仕組みの中で起きてしまったことだ。人はその苦心をも乗り越えて、生きてきたはずだ。
それが大人になるということだ、と少女は思う。
「ただ……、もし、あたしの夢が叶う世界だったら――」
柾は高くそびえる中央塔の残影を追うようにして顔を上げる。
その塔の頂は雲間を突っ切って深い青に溶けている。幻影が途切れてしまったのか、それともその先へと続いているのか、判別しきれない。
フォノと結子も柾の視線を追った。
「天国に行ってお父さんとお母さんに会ってみたかったな」
そのつぶやきは虚しい。
柾は片時も自分を生んでくれた母親のこと、育ててくれた父親のことを忘れたことはなかった。なのに、二人の顔はおぼろげで思い出も消えかけている気がした。
フォノと結子にも、その気持ちは痛いほどわかる。ただ、柾と違うのは、二人の両親はまだ存命しているだろう希望が抱けるところだろうか。
今生の別れを経験している柾にはそれこそ、夢の中でしか会えない存在だろう。
「何してるのっ! 早くしなさい! みんな見てるわよ」
背後からミトの声が聞こえて、柾たちは振り返る。
そこには箒を持った気の強そうな女性が立っている。太陽の光を浴びて、甲板に影を落とす彼女は幻でも幻想でもない。
周りで掃除をしている人や一緒に暮らしてきた子供たちの影も嘘ではない。
少女たちの目にはっきりと映る光景は紛れもない現実だ。鼓動が鳴る限り、頭が働く限り、体が個々にある限り、温かく自分たちを迎えてくれる人がいる。
「わかってる!」
柾は声を張って答えた。
「柾、やっぱり無理してない?」
フォノが心配そうに言った。
しかし、柾は赤い鼻頭を撫でて言う。
「ちょっぴり。けど、あたし、フォノと結子、それにみんなのこと、すっごく大事だから頑張る」
そういって柾は走り出した。
フォノと結子は一度顔を見合わせる。互いに心配そうな顔していたが、ふっと笑みをこぼす。
「わたしたちも」
「うじうじしてられない、ね?」
そう言い合って、柾の後を追いかけていった。
夢はいつかその姿を失ってしまうかもしれない。
だが、心の片隅で未来を作る力となり、過去の大事な思い出となって今を生きる糧となる。
形がなくなろうと、夢はいつもそばにある。それが生きる強さとなる夢であるなら、昨日も今日も、そして明日も無駄ではないだろう。




