~白昼夢~ 幻世の華言
「人が永遠に生きられると、想像したことがあるか?」
マスケは静かに問う。
〔アル・ガイア〕の掌の上で柾たちは困惑しながら、小さく首を縦に振った。
生きることへの限界は誰だって感じることである。反対にその無限を想像することだってある。もし死ぬことなく、永遠に生きられたら何ができるだろうか、と。
「では、肉体と魂。これは別々に実在するか?」
「魂はわからないよ」
結子はバカにされているような気がした。肉体と精神との結びつきや切り離しは論じるだけ無益だと思う。それらは死によって切り離され、生によって結びつくものであるからだ。
「では、こういうのは?」
マスケが言うと、彼の背後に巨大な顔と一本足の怪物が姿を現した。
「き、昨日の――っ」
柾は顔を真っ青にして瞠目する。不快な造形、嫌悪感を煽り立てる腐臭、耳障りな息遣いらしいもの。昨日、少女たちを恐怖させた異形と寸分たがわない姿であった。
「うぅ……」
「結子……」
フォノは後ろにいる結子の回す腕が強く締め上げるのを感じて、そっとその手を撫でた。
しかし、彼女もまた身の毛もよだつ怪物に震えが止まらなかった。今にも近づいて、素肌にかじりつきそうな巨大な顔が唇を三日月のようにゆがめる。
「ひ――っ」
フォノは凍り付いて、小さな悲鳴を上げた。
「君たちはこういうものを何ととらえる?」
マスケは静かに言って手袋で覆った細い指先をフォノに向ける。
「ゆ、幽霊とか、そういうの……」
フォノは指名されたと思って恐る恐る答えた。浮遊する怪物たちを見ながら、渇いたのどに生唾を流し込む。
理解できる範疇を超えて、目の前に具現するものを定義などできない。怪異の造形、息遣い、あるいは汚臭すら感知できてしまう。
柾は牽制するように鋭い視線をマスケと怪物たちに向けながら、ゆっくりとバイン・アウトーへと足を運んだ。
その動きに感づいたのか、マスケは手を下ろすと〔アル・ガイア〕の指先から降りて、掌へ移った。
咄嗟に柾はバイン・アウトーのスロットルに手を伸ばした。指先から伝わるフライホイール・バッテリーの振動を感じて、迎撃できることを確信する。
「来ないで! 出ないと、蹴っちゃうよ」
柾は上擦った声で叫んで、マスケを睨んだ。
「幽霊とは人が頭の中で想像したものに過ぎない。これは電子ドラックの一種だ。悪夢の種を膨らませたのは君たち自身だ」
マスケは小動物のように震える少女の忠告など無視して、一歩踏み出した。
瞬間、その姿が蜃気楼のように消え失せた。その背後にいる怪異たちも霧散する。完全に消え失せると、灰色の空と無機質な高層建築の並びが目に入るだけであった。
柾たちは周囲に目を走らせる。
「人間は五感から得られる情報を頭の中で構築しているに過ぎない。見ている物は真実か? 嗅いだ香りは本当か? 触れうるもの、口に入れたもの、それらの正体は? 君たちの聞いているこの声ですら――」
「どこにいる!」
柾は虚空より聞こえるマスケの声に怒鳴った。しかし、それだけで不安が完全に消えるわけではない。すぐにバイン・アウトーに飛び乗って、スロットルをふかした。
甲高いエンジン音がむなしく響いて、冷たい空気に殺されてしまう。
「柾、こんなの普通じゃないわ」
「わかってる」
フォノは柾にしがみつくようにしながら、その耳元にささやいた。寒さと恐怖でその声は震えて、回す腕にも力がこもる。そして、柾も震えて、首筋に冷や汗が出ているのを感じ取った。
結子は不安にかられながらも、周囲の警戒を怠らなかった。耳を澄まし、鼻を利かせ、目を鋭くしてマスケの姿を探す。
と、柾がぴたりとスロットルをふかすのをやめる。
「柾?」
フォノは柾から震悸がぴたりと止んだ。それから振り返った彼女の顔は無表情に息をのんだ。瞳孔がまるでカメラのピントを合わせるようにせわしなく動いているのがわかったからだ。
その動きは機械的である。
「何も恐れることはない――」
柾の口は彼女の意志に反して動いた。
咄嗟に口元を抑える柾は全身から汗が吹き出し、正面に向きなおって肩で息をした。
「柾、どうしたの?」
結子が柾の異変に気づいて、声をかける。
「口が勝手に……。気持ち悪い」
柾は青ざめた顔でつぶやいた。
「そう。身体とは簡単に魂を納めるものでしかない――」
今度はフォノの口が淡々と動いた。ハッとして口元を抑えるが、もう唇は勝手に動こうとはしなかった。
「どうして?」
「フォノまで?」
同じ不快感を味わった柾は震えあがる。
フォノは自分の体を強く抱きしめるようにしながら、両腕で二の腕をさすった。鳥肌の立った肌が気持ち悪い。
「入力と出力、記録を果たすだけのハードウェアにしかならない。故に道さえ開ければ誰にでも使うことが出来る――。嫌だ!」
結子はマスケが言わせていると自覚して、体が恐怖に震えた。
異様な体験。それは昨夜体験した恐怖以上に体の内側をなめまわされているような不快感で現実と夢が混ざり合うのを感じた。
「機械と同じだ」
マスケの角張った声が聞こえたかと思った瞬間、柾たちを掌に載せる〔アル・ガイア〕が背筋を正すように上体を上げる。
柾はバイン・アウトーにしがみつき、フォノも結子も頭から降りかかる負荷に上体を低くした。
「君たちの世界と我々の世界に相違があるとすれば、肉体の有無である」
「じゃぁ、あんたは何者?」
柾は振り落とされまいとしがみつきながら、いつでも逃げられる準備をする。正面には〔アル・ガイア〕の胸部があり、巨大な頭部がじっと見据えてくる。
「人間だ。永劫の時を獲得した人間である」
「そんなの――」
「詭弁というなら、振り返るがいい」
柾の声を遮って、マスケの声が頭に響いた。脳みそに突き刺さる鋭いものだ。
柾はそれに触発されて、バイン・アウトーを立たせると機体を反転させた。
瞬間、閃光がはじけた。目を焼き尽くす白亜の光が視界を遮って、彼女たちはとっさに目元を覆う。
「人類が歩んできた歴史を。これは真実である」
柾たちが目を見開くと、その先の光景は灰色のものではなくなっていた。
光彩陸離の世界。農村や都市などとは比べ物にならない煌々と輝く光は空を彩る星以上に輝きを放って、地上を飾りたてる。人もまたはるかに進展した機械によって繁栄を謳歌する。
かつて、繁栄していた文明の一部だ。
柾たちは言葉を失って、その光景がいつの時代なのかなど想像もつかなかった。幻影を突きつけられて、その衝撃に半ば放心状態であった。
「何も考えず混迷していた時代だ。人は地球に対して何ら考えていなかった」
マスケの声が響く。
その声に呼ばれたようにして、ネオン輝く巨大なビルを破壊して現れる巨大な人の影。阿鼻叫喚が渦巻き、瓦礫が人を押しつぶしていく。あちこちで爆音がとどろき、花火のような閃光が夜空に咲いた。
「アーデル・ヴァッヘ……」
そのシルエットに柾はつぶやいた。
フォノと結子が周囲の光景に目を向けて、足元を通過していく人たちの動きに違和感を覚える。
「わたしたちが見えてないの?」
〔アル・ガイア〕など視界に入れていないように怒涛のごとく背後へと人が流れていく。
だが、フォノの耳には悲鳴や破砕音、風圧までもその肌で感じることが出来る。
恐怖と驚きのあまり感覚が鈍く感じられた。目の前で起きていることがどういう意味を持っているのか、理解する努力だけで頭がいっぱいであった。
「人を模倣した機械がすることなどたかが知れている」
マスケが淡々と言った。
その時、破壊活動をする〔AW〕が横間から撃ち抜かれた。その勢いで建物にたたきつけられて、騒音をまき散らしながら埋もれていく。
柾たちはマズルフラッシュの後を追って、浮かびあがる力強いフォルムとブレードアンテナ、四つの瞳と側頭部のレンズの反射を見た。
「アル――ッ」
柾が呼びかけた瞬間、撃墜された〔AW〕が爆裂する。
その閃光に柾たちは身体を丸めた。そして、炎の波と岩塊の嵐が〔アル・ガイア〕を包み込む。音も視界も、あるいは臭いまでもすべてが消え去る。
少女たちは悲鳴を上げた。肌が焼ける。それも一瞬のうちに五体がバラバラになるのを感じた。
しかし、臨死的な体感は一分と持たずに飽和して静寂が降り立つ。
「争いの中でしか生きることを知らない。そのことを身をもって感じたところで、所詮はそこまでのこと」
柾たちは静寂の中から沸き立つマスケの声に、言いようのない肌寒さを味わった。
外気の冷たさとは違う。体の芯まで凍らせる情け容赦ない寒さと静寂。死んだ後の世界ではないか、と錯覚さえする。
しかし、柾が目を開けて顔を上げた時、未知の世界が広がっていた。
「ここはどこ?」
あまりにも壮大すぎる世界に柾は思わずつぶやいた。その背後で恐る恐る顔を上げるフォノと結子も絶句する。
眼前には美しい曲線を描いた青い球体。地平線とも水平線とも異質で、真っ暗なカーテンの中で輝くそれは美しかった。
「宇宙に出て、地上を見下ろすようになった時代でもそれは変わらなかった」
「宇宙……?」
柾たちはその単語に実感がわかなかった。
空の延長にある空間としか理解できない。空の上に輝く星や月の存在意義、自分たちがたつ地球が自転と公転をしてこの途方もない茫漠たる空間で運動をしているなどわかるはずもなかった。
彼女たち、いや、この時代のほとんどの人がその仕組みを知らないからだ。
と、背後から巨大な機体が曲線へと飛んでいった。六つの閃光が瞬くと、その残光が花弁のように咲く。そして、いくつもの光芒が曲線の上で破裂していった。
そして、その影が青い星を背景に〔アル・ガイア〕のほうに振り返った。
「あれも、〔アル・ガイア〕にそっくり――」
フォノが柾の肩越しから、その顔の造形を見ていった。今度は三本のブレードアンテナと四つのセンサーアイ、側頭部の二つの回折式カメラである。
その輝く四つの瞳はまるで〔アル・ガイア〕にアイコンタクトをしているかのようであったが、すぐに身を包む六つの翼を動かして光芒のほうへと飛んでいった。
「肥大化した人の欲望を地球は受け止めきれず窒息寸前だった。そのために様々な計画が始動した」
マスケの悲観的な言葉。
それを聞く余裕のない柾たちはもう目の前で繰り広げられる圧縮された歴史に頭がパンク寸前であった。だが、情報は容赦なく頭に流れ込んでくる。
そして、まっすぐに伸びあがる力強い光の航跡の先、地球の曲線に月が現れると、彼女たちの視点はそこへと吸い込まれていった。
宇宙の暗闇が背後へと引き伸ばされて、激しい戦闘宙域を跳躍し、巨大な鋼鉄の構造物の数々を横切り、月の清らかな地表に接近する。
引き伸ばされているのは空間と時間を跳躍しているのだ、と柾たちは推測するのがやっとであった。
「外宇宙進出、無限資源の開発、地球再生システム……。すべては人類を存続させるため、英知を結集させた」
月面の灰色の地面が迫り、柾たちの視点は一気に煌びやかな建物へと突き進んだ。
月面で栄えた機械都市である。そのほとんどが地下に埋まっているが、誘導灯が過剰なまでに輝き、巨大な曲線を描いたレールが四方八方に伸びている。
「こんなの……」
結子には下から付きあがってくる光のベールに嫌悪感を覚える。
少女たちには理解できる話ではなかった。広大な人の歴史とその発展。科学技術が進んでいく速度は飛躍的で独立独歩している気概すら感じる。外宇宙も無限資源も地球再生システムも知り及ぶことではない。
これは脳髄に負荷をかける拷問に近かった。
「人造の神が生まれなければ、成し得なかったことだ」
「神様?」
ようやくわかる単語が出て、柾たちの視界に施設の一角が見えた。
鋼鉄の塊と巨大なミミズのように這うパイプが転がっている。その中で白衣を着た人たちが何事か言葉を交わしているが、その声は聞こえなかった。冷たい無機質な空間で鋼鉄の塊は厳かに鎮座していた。
「人類の生活圏を統括するコンピュータだ。人間の処理速度、演算能力、統括力は機械すべてを支配し、人々に安寧の生活を提供した」
「どういう意味?」
結子は反射的に質問した。
「第一次産業、第二次産業、第三次産業に及ぶすべての労働を引き受け、その生産を行う」
マスケの声が自慢げに少女たちの中に入り込んでくる。
その感触に柾たちはイラついた。
「第一次産業とかどうとか、よくわからないけど。じゃぁ、暮らしている人たちは何をしているの?」
「本当の自由を手に入れた。すべてが機械によって賄われて、労働から解放された人たちは自分たちの欲するままに生きた」
「そんな人生を送ってると罰が当たるわ」
フォンが語気を強めていった。
「その通りだ」
以外にもマスケは同調した。
その瞬間、映像が遠ざかり、月の周りに浮かぶ巨大な建造物に視点が映っていく。シリンダー状のもの、球体状のもの、リング状のもの、あるいは巨大な岩塊。スペースコロニーの集合である。それらがひしめき合って、間を鋼鉄の船が右往左往している。
柾と結子がその光景に圧倒される中、フォノの脳裏に一片の記憶がはじけた。
「ケルンの図書館にあった『空の金魚鉢と空飛ぶ魚』のお話って、まさか――」
「宇宙移民の問題。新たなエネルギー転換技術によって機械は人を受け止める最高の器となった……はずだった」
マスケの声がフォノの予感を遮って放たれる。
刹那、建造物は火山が噴火するように巨大な火柱を上げて崩壊していく。暗闇の中で連続的に爆裂する光芒。隣接するスペースコロニーにその破片が降り注ぐと、次々と外壁に食い込んで内側へと潰れていく。
その光芒の中で無数の巨大な人影が飛び交って、再び戦火が広がった。
柾たちはその光景がどういう意味を持つのか、理解しえなかった。だが、爆発に次ぐ爆発と飛び散る破片、そして、壊れた鉄巨人の残骸が横間をかすめるのを見て戦々恐々とする。
人の命が砕けていく。
意味を悟る前に感じ取っていた。
「神は肉体から離れられない人類が、安寧を脅かす存在と定義し、躊躇なくそれを破壊した。我々はすでに地上にて彼の恩恵を受けていたから、そのようなことはなかった。愚かしいことだ」
「愚かですって?」
フォノはマスケの言葉に困惑する。
愚を犯したのは果たしてどちらか。人間か、それとも神か。それも人の手によって誕生したはずの神が創造主を否定した。
いかなる喜劇か、いかなる悲劇かを語るのは無意味である。壮大な道化芝居を見せられているようなものなのだから。
「人知を超えた世界、だから」
結子は遠ざかっていく爆発の光に震える。
と、崩れていくスペースコロニーの群れとは別に暗い宇宙へと進む光の線が無数に走る。別のスペースコロニーの群れだとわかったのその戦場でまた小さな光の玉と線の先を行く光が一つ、また一つと膨らんで途絶えたからだ。
「外宇宙へと行く移民船団だ。果てのない冷たい宇宙に新天地があると信じるなど無謀としか言いようがない」
マスケの声が響く。
徐々に、柾たちの視界が後ろに引っ張られていく。地球の引力に体が引っ張られているのが、なんとなしにわかった気がした。
すると、そんな彼女たち、あるいは〔アル・ガイア〕の姿を追うようにして一筋の光が迫ってくる。
追いつこうと必死に迫るその機体は細いシルエットで右腕部を必死に伸ばしていた。
「また、アルにそっくり――」
柾は追ってくるその機体の四つのブレードアンテナを認め、涙を流すように強く発光する四つのセンサーアイに胸が痛んだ。
「この〔アル・シリーズ〕は常に戦場での英雄であった」
マスケは淡々と語る。
彼が語るのは〔アル・ガイア〕に秘められた表面上のデータであるが、同時に彼らの存在を保護する施設『楽園』に更新される情報でもあった。
「立ち向かう力を備え、正しき道を示すために突き進む」
追ってくるその〔アル・シリーズ〕はついに諦めたのか、制動をかけて月を背景に浮遊する。
柾たちにはその光景が見送るようにも見えたし、悔しさに歯噛みしているようにも見えた。心の奥で熱い感情が湧き上がる。寂しさと切なさに、彼女たちは打ち震える。
その影がやがて身をひるがえして、月へと向かう。光は明星のように輝き、やがて消失した。
「そして、この〔アル・ガイア〕は人類を救済する計画の担い手だ」
マスケは柾たちの状態になどかまわなかった。
「この機体には膨大な情報とそれを許容する記憶容量がある。それも無限に増加することが出来る。すばらしい」
その声は酔いしれているようであった。
だが、角張った声に変わりはない。その酔いしれている雰囲気は『楽園』の記憶容量では追いつかなくなっている情報を手に入れようとしているからだ。
「これで『楽園』はまた新たな世界を作れる」
「あなたは死んだ人間のはずだ」
柾は力強く言った。その声に迷いはなかった。
「何?」
かさついたマスケの声が聞こえた。
マスケの姿は見えない。
柾は代わりに機体を反転させて、〔アル・ガイア〕の頭部を睨んだ。そこにマスケがいるとなんとなしに思った。体中がびりびりと震えるのは微細な振動を覚えるからだ。
〔アル・ガイア〕はいつの間にか、明るい地球を背にして落下する。もちろんその背景は幻影でしかない。しかし、四つの赤い瞳がじっと見据えてくる。何者かの意志が介在しているかのように。
「死んだ? その定義は間違っている」
マスケの声が響くと、〔アル・ガイア〕の背後から真っ赤な帯が噴出した。そのイメージは大気との摩擦によるものだ。
柾たちはその光が何らの力を持っていないことを実感する。
「我々の器は新たに機械へと移行し、永遠の意志の存続を約束された」
「それこそ間違っているってなんで気づかないの?」
フォノが強く言った。
周囲の光景が真っ暗な空になる。星の明かりもない暗闇の光景。冷たい風が頬を撫でた気がした。だが、身につけている薄着ははためくこともなく、自身の鼓動が強く高鳴っているのを覚えるだけだ。
「身体を失ってしまったら、あなたはあなたではなくなる。生まれ変わったとでもいうの?」
「否。私は私だ」
「だったら、姿を見せてよ。本当の姿。幻じゃない、あんたをさ」
柾が声を大にして叫んだ。
「そんなものはない。私はどのような姿でも、どのようなものにでもなれる」
マスケの淡々とした声に柾は頭がカッとなった。
「それは幻じゃん。あたしが言ってるのは仮面のない、素顔と名前。男か女かとか、大人か子供かとかだよ?」
「そんなものはない」
むなしい回答が続く。
柾たちはその反応に怒りと悲しみを覚えた。
はるか地平線の曲線に光明がこぼれる。暗い空がかすかに赤みがかって、明るくなっていく。美しい地球の曲線に陸と海を映し出す。
「何?」
マスケはここにきて柾たちの変化にようやく気付く。
だが、彼らが測定できるのは彼女たちの肉体的反応に過ぎない。体温の上昇や脈拍の高鳴りを計測し、発汗や呼吸から喜怒哀楽を予測する。今まではそれができた。
しかし、今は――。
「アクセサリは機能しているはずだ。なぜ、システムを受け入れない?」
柾たちの体を容易に支配できたはずが、その操作をすべて打ち切られている。
アクセサリを通して、マスケの母体である『楽園』のシステムは侵入し乗っ取ることができた。それがどんなに処理速度を上げようと少女たちの体を支配することはできなかった。
〔アル・ガイア〕の不審な振動が止まり、赤い帯が消えていく。
「そうやって人を思い通りにしようとする。そんなことで偉そうなこと言わないでよ」
フォノは柾の背中にしがみついているも、顔を上げて〔アル・ガイア〕を見据える。
「お前たちには、この世界の素晴らしさをまだ理解していないだけだ」
マスケの声が頭に響いた。
周囲の映像は少しずつ明るい色を映し出し、青い世界が迫りくる。
「肉体的な欲求から解放されれば資源の枯渇など考える必要はない。そのような消費文化のために地球の資源は底を尽きたのだ」
膨れ上がった人口はその数に比例して、エネルギーと資源を食いつぶしていった。
宇宙開拓が行われて、宇宙での自給自足が可能となってもそれを恒久的に維持することはできなかった。生きるためには食べなければならない。睡眠だって必要だ。子孫を残すためには交配だって不可欠である。
「君たちは見たはずだ。物理的なものに支配された人々の末路を。それを回避していなければ、人類は滅びていた」
マスケは言った。
真に理想的なのはそういった本能を理性によって克服する人間なのである。
だからこそ、彼らは肉体から解脱し魂に近しい存在になった。食欲、睡眠欲、性欲を捨て去ることによって啓蒙された理性だと強く信じ込んでいる。あるいは刷り込まれているのかもしれない。
「人類が未来永劫を生きるためには――」
「それはズルい」
結子が声を張り上げた。
「ズルい?」
マスケの声が止まる。『ズルい』とは何のことを指すのか。人類永劫のための理想郷のことを指しているはずはない。
しかし、マスケは『楽園』というシステムから独立することはできず、彼女たちを理解する能力はなかった。
柾が言葉をつなげる。
「どんな形であれ、みんな死んでしまう。そのことから逃げるやり方しかしなかったあんたは――、いいえ、あんたたちは自分の願い事を押し付けてるだけじゃん」
「死の恐怖を克服できるものなどいない」
生きとし生けるものその性から逃れることはできない。絶対的な心理のはずだ。
永遠の命という命題を希求して何が悪なのか。
フォノは髪をかき上げて、〔アル・ガイア〕の増減するセンサーアイの光を見据える。
「わたしたちだって死ぬのは怖い。まだやりたいことも、やらなきゃならないこともたくさんあるわ。だから精一杯生きてるの」
「それが争いを生んだ」
生存を求める先に待っているのは互いを食いつぶす争いでしかない。
「醜く血を流し、飢餓に苦しみ、病気に怯え、老いに恐怖する。限りある世界で人口が増えれば、その危険性を増やしていく」
マスケはその歴史を踏まえて、この『楽園』の正当さを語るのだ。
増えすぎた人々は生活圏の許容量に合わせて、自らの個体を死滅させる方法をとる。社会が体の代謝のように都合よく動くはずがない。もしあるとすれば、それは僭主国家である。
だが、その道が誤りであると認識した人類であっても、人口が減る速度よりも増える速度が優ってしまう状況を打破するには無力である。
「だからこそ、我々は体の本能を捨てることでその問題を解決した。そして、永遠に『私』は存在し続ける。それを〔アル・ガイア〕は救うことが出来る」
マスケの言い分に、柾たちはなぜだか悲しくなった。
彼らのやり方を正しいとは思わない。足掻いて、もがいて、必死に生きることに抗ってきただろうからだ。だが、最後は虚構と幻想に身を置いて大事なことを忘れてしまった。
「機械は永遠をくれるわけじゃないっ」
柾が言うと、眩しい幻の太陽が差し込んだ。
〔アル・ガイア〕の横顔に光が当たる。それは幻でありながら、装甲の照り返しが現実的に輝く。
「身体に縛られることが幸福であるものか?」
マスケの声は吐き捨てるようであった。
「そんな不自由なものに縛られて、身体的なもので差別すら生まれる。格差も生まれる」
「確かにそういう風に扱われてしまうのかもしれない」
結子は一瞬顔を伏せたが、すぐにまっすぐな瞳で〔アル・ガイア〕を見上げる。
遠い異国の地で決して裕福といえる生活を送ってきたわけではない。ひとえに異邦人で、奴隷契約の下で育ってきたからだ。
「だけど、今日まで生きてこれた。貧しいからって自分の人生を呪ったって何にもならない」
「すべての人間がそうではあるまい」
マスケの表情を代弁するように〔アル・ガイア〕の陰の落ちた顔に攻撃的な赤色のセンサーアイが輝く。
「そうして言い訳を別の人に置き換えているから、あなたは自分で何を言っているのかわからなくなっているわ」
フォノは腰に回っている結子の腕にそっと手を添えながら言う。その手は暖かく、心強い。
「違う。これは大儀である」
「大義だけで人は幸せになれないわ。わたしを慕ってくれる人がいる。わたしが大切に思う人がいる。その繋がりをこの夢の国は忘れてしまったのよ」
フォノは狂喜の世界を言った。
「楽しいことだけが世界じゃない。楽園ってそんな簡単なもののはずがないでしょ?」
柾はフォノの言葉をつないで、背中から伝わる鼓動に勇気をもらった。
だが、マスケは認めない。認められない。認めようとはしない。
「この世界が生まれるのにどれだけの時間と苦労が払われたと思う? コンプレックスだの、野心だの、すべてを包括するには人間の体が持つ欲望はあまりに業が深すぎた。すべてを取り払って、ようやく健全な精神を成り立たせた」
「楽をしてただ存在し続けることが健全なことなわけ、ないでしょ!」
心の底から柾は怒鳴った。
たくさんのことが頭の中で過った。人殺しの罪の意識やミトたちとの生活、幼い日の記憶。そして、無慈悲に亡くなった両親のこと。
そのすべてに柾は支えられた。
「楽しいだけで、苦しいことや悲しいこと、怒ったこと、嬉しいことに気づける?」
マスケは押し黙った。
「魂で感じるって、そういうものを言うだもん。理路整然と並べ立てて、納得できるものじゃない」
「私は間違ってなどいない」
マスケの声がひび割れた。
魂が電子的情報として認知されていながら、感情がどこから来るかなど考えもしなかったからだ。理論だけが先行し、実際に人は肉体に縛られない永遠の存在になったのかもしれない。その理論は間違っているはずはないのに、マスケは自らを構成する量子コンピュータの重ね合わせの処理、並列の演算では図ることはできなかった。
柾は後ろを振り返って、フォノと結子の真剣なまなざしを一瞥した。
「あんたが捨ててきたものは今もここにある」
柾は自分の胸に手を当てて、その鼓動を感じた。
「お腹もすくし、眠くもなる。女としての体もできてる。だけど、そのことから逃げようだなんて思わない」
「女としての体?」
マスケにはその表現がしっくりこなかった。
もしこれが男性的な反応であるなら鈍感で済まされただろう。しかし、マスケはその男としての機能すらわかっていなかった。雌雄の在り方を理論でしか認識していないのだ。
柾は胸に当てていた手をおなかのほうに下げて、視線を下げる。
「いつかお母さんになれるようにって、自分とは違うひとを好きになれるようにって――」
色恋沙汰について柾たちはまだ初心である。
それでも体はもう女であることを否応なく整えていった。だから、そのことは受け入れていかなければならない。乗り越えるとか、克服しようとかではなく、自分の体と一生付き合っていく覚悟をつけるのだ。
「この世界にはわたしたちみたいな子供はいないでしょ?」
マスケは絶句した。
それはこの世界から完全に消え去った概念である。子孫という概念は存在しない。どれだけ姿をいじれても、あるいは性別を変化させることが出来ても、親となる器官すべてを失ってしまったからだ。仮に遺伝子データを数学的予測から二人の個体から一個のモノを作り出せても、それは人間ではない。
ただの複雑数式とむなしい虚構の情報である。成長もしない、データなのだ。
流れていく濃紺の空にノイズが走る。眩しい朝日も光を失いだす。
「こんな世界はあっちゃいけない!」
瞬間、〔アル・ガイア〕の四つのセンサーアイが黄金に輝く。四つのブレードアンテナが共振し、幾重もの波動となって拡散する。
「バカなっ!」
マスケは〔アル・ガイア〕のシステムからはじき出され、柾たちの精神接続をも遮断された。
それだけではなく、拡散された強い波動は彼ら『楽園』のシステムに打撃を与える。物理的なものではなく、電子的な彼らが最も自信があり、厚い防御壁を気づき上げていた目に見えない城塞が一瞬にして崩れ去る。
クラッキング。〔アル・ガイア〕の錆びついた機能の一部だ。
「うわっ!」
柾たちは目の前がスパークして、咄嗟に縮こまった。耳鳴りがする。頭の中がかきまぜられたような気持ち悪さがあった。
だが、植物の臭いと鼻の奥を刺す冷たい空気の感覚にハッとする。
「元に戻った……?」
結子が目をしばたたかせながら、周囲を見渡した。
そこには豪奢な高層建築や舗装された綺麗な道はなかった。高い植物の緑の壁、ひび割れた欠如した道。重たい雲が頭上を覆い、残骸があちこちにころがって、栄華の時代はとっくに終わりを告げている。
柾とフォノも軽く頭を振って、周囲の状況を確かめる。拡張現実モニタが復活し、〔アル・ガイア〕の制御が自分たちに戻っていることを確認する。
「なぜ、だ」
柾たちはまだ頭に入り込んでくるマスケの声に身構える。しかし、角張った声はなくなり、ノイズの激しさが増していた。
その声がどこから来るのか、発信される電波を疑似的に感じ取ってその方角を特定する。
〔アル・ガイア〕が軽く機体をひねって、柾たちの視界を開かせた。彼女たちの視線の先には雲に突き刺さる巨大な尖頭の影があった。
「これが現実。機械だってこの世界にあるんだから、いつかは朽ち果てる」
「認識、不能」
マスケは、いや『楽園』は〔アル・ガイア〕のクラッキングを受けながらまだ認めようとしなかった。
「これは神が創った世界ではない」
その瞬間、遠くで雪崩のような音が響いた。
柾たちは現実に起きている音だと判断する。この町の外の方角だ。
「楽園は守らなければならない。それが『世界』の意志だ」
続いて尖頭の方から響く音があった。
「何が起こってるの?」
フォノはつぶやいた。
柾はバイン・アウトーのエンジンを切って言う。
「まだ夢は終わってないみたい」
現実を脅かす夢があってはならない。そんなものは夢などではない。




