~白昼夢~ 怪しい石柱群
ベレリーニ領の中腹にある台地は青々とした木々がまだ残っており、誰も通らない林道にも根強い草が伸びきっている。資源を保存するために木々の伐採を制限しているのだ。辺りに村落がないのも、この一帯が自然保護を受けている証なのかもしれない。
その木々を踏み越えるようにして〔エクセンプラール〕が通過する。その足元では野兎が落ちてくる枝葉から逃れ、眠っていたフクロウたちが飛び出していく。
「まったく、国境はこれだ」
操舵士が悪態をつく。
しかし、バイン・シフを動かすものにすれば機体を傷つける面倒な海である。キィキィと鋭い枝の先が装甲をこすっていく。
時刻は正午ぐらいだろうか。曇天の空は太陽の日差しを遮って、ぐっと冷たい気温となっている。
少しして、〔エクセンプラール〕は葦原へとその巨大で鋭い脚部を踏み込ませる。ふっと艦体が沈んで、乗組員たちがつんのめった。
「チッ。まただよ……。どうなってる?」
艦橋にいる操舵士が前かがみになりながら、幾度と目にした光景に舌打ち。
「これで、何度目だ? あの岩山を見るのは?」
「知るかよ。羅針盤が壊れちまってるんだろうからな」
「それはわかってる。まったく……」
操舵士は航海士の諦観した様子に渋々返答する。それから、再度目の前にそびえたつものを見据える。
円錐状にたむろする石柱の群れ。背後の山稜とを比較すると都市一個分の規模はあろうか。枯れた葦原とぽつぽつと生える枯れ木の衰弱した光景とは打って変わって、腐敗するようなどす黒い緑に覆われているのが曇り空のしたからもわかる。
「不気味だな……」
「艦を止めろ。今日はここで一晩過ごすことになりそうだ」
艦長の男が無精ひげをさすりながら、不承不承に指示を出す。ミトから艦長の職を引き継いだ男は弱腰であった。引き継いだはいいが、原因不明の問題に柔軟に対応できないのが欠点の一つであった。
もちろん、マニュアルを読破した程度の知識で解決できる問題でもなかったが。
今にも雨が降り出しそうな空に視線を向けつつ、操舵士は〔エクセンプラール〕を停止させる。
「あっちの報告、聞きますか?」
通信士が甲板の方を顎でしゃくって、艦長をせかした。
「今は遠慮しておく。アーデル・ヴァッヘの支援があってもこのざまなんだ。どうしようもない」
艦長は自信を無くして、厚い手で顔を覆った。すぐに落ち込んでしまうのも欠点である。
艦橋のクルーは思わず肩を落として、前任の艦長のキビキビした言い方を懐かしんだ。
* * *
艦橋には上着を着込んだ大人何人かが、〔アル・ガイア〕に張り付いてハッチから出てくる柾たちを睨んでいた。
「どういうことだ? また同じ場所に戻ってきちまったぞ?」
「こっちもできる限りのことはしたもん。けど、調子が悪いの」
苛立った声が上がって、頭部ハッチから出てきた柾はその大人たちの顔を見渡しながらいう。
「寒い……」
柾は操縦席と外気との差に腕をさすって、次に赤い鼻先を隠すようにマフラーを上げる。それから、一度曇天の空を見上げた。日差しがあればいくらかましなのだが、そうした爽やかな光は見えない。
「だったら直せばいいだろ」
柾を囲う大人の一人が険のある言い方をする。彼らも〔エクセンプラール〕が進まないことに苛立っている。
「簡単に言って……。八つ当たりまでするんだから」
柾はマフラーの下で愚痴ると、大人たちの合間を裂いて前に出る。
それから艦首のほうに体を開いて、腕を伸ばして石柱の群れを示した。小さい体をいっぱいに使わないと身体は寒さで凍えそうであった。
「羅針盤もあっちを示しているんでしょう? だったら、先に調査をするべきなのはあの場所じゃないの?」
それから、体の向きを大人たち戻すと腰に手を当てる。
「だいたい何でもかんでもこの子に押し付けないでよ。万能じゃないんだから」
視線を〔アル・ガイア〕のほうに投げかけると、フォノと結子が頭部のブレードアンテナにつかまって立っているのが見えた。持参していた双眼鏡をのぞき込んで、石柱の群れを観察しているようであった。寄り添い合って、何事か話している。
「機械は使い物にならなきゃ、意味がないだろ?」
「役立てるようにするって言ったのはお嬢ちゃんで、その努力をするべきだろうに」
大人の口八丁に柾はムッとする。
「努力してる。けど――」
「けど、じゃない。言い訳を言うんじゃない」
頭ごなしに誰かが語気を強めていった。
柾はその身勝手さに辟易して、盛大な溜息をつく。
「どうにかしろって言う前に自分にできることを考えて、やってみせて」
「まったく口の減らない子供だ」
大人たちのほうも柾に愛想をつかせて、解散していく。口々に不満を吐き捨てて、怠惰にこの後どうなるかを予測するばかりである。
何かを実行に移すわけでもなく、怠慢なルーチンワークをこなすことで一応の体裁を整えているのが、柾はいつまでも変わろうとしない大人たちを幻滅するばかりだ。
「畑がないからってああいうの。ずるいよ」
柾はそうつぶやいて、〔アル・ガイア〕のほうに小走りに移動する。彼らが船乗りでないのはわかる。しかし、それに順応していくことができないのは問題である。
「こんなこと、やってらんないよ」
「ん? 何か言った?」
結子が〔アル・ガイア〕の頭部側面にある排気ダクトを梯子代わりに上ってくる柾を見つけて声をかける。
「何でもないよ。いつものこと」
柾は階段状にあるシャッターをつかみ、足を引っ掛けて登っていく。シャッターは冷え切っており、細い手がつかむたびに冷たさがしみる。
結子は装甲のでっぱりを足場にして、〔アル・ガイア〕の口先に移動すると飛び映ろうとする柾に手を伸ばした。
「結子と話したんだけど、調査に出た方がいいと思うわ。どうかしら?」
フォノが双眼鏡を外して、振り返る。
その先で柾は結子に体を引っ張られて、受け止められていた。
「ありがと。どうみえる?」
柾は結子に礼を言うとフォノのほうへ移動を開始する。その後ろに結子が続いた。
「ぼんやりと。この子に乗っているときよりかは鮮明だけど」
フォノは足場にしているブレードアンテナから少し移動して柾を迎え入れる。彼女の細い腰に腕を回して、体を密着させる。そうしなければ、バランスが取れずに落ちてしまうし、何より暖を取りたかった。
「話したの?」
「何を?」
柾はフォノから双眼鏡を受け取りながら、ふっくらした彼女の頬に目だけを向ける。
「機体のモニタにノイズが出てるってこと」
「調子は悪いって言っといた」
柾のざっくばらんな言い方にフォノは呆れたように肩を落とす。
そこへ、フォノとは逆の側に結子が柾に抱き付いて、装甲のでっぱりに足をかける。全員の体が一瞬前のめりになった。
「ちょっと!」
「寒いから」
フォノの尖った声に、結子は内股で柾に絡みついて少しでも暖を取ろうとする。露出している太ももは白々としてみえて、寒空には不釣合いであった。
「そういう格好してるからでしょう」
「お気に入りなの」
結子が不満げに言った。
間に挟まれる柾は空いている腕で結子を支えるようにしながら、二人の体温のぬくもりに安心していた。しかし、思考はそびえたつ石柱の群れに引き込まれていく。
「ねぇ。あの場所、なんか霧がかかってない?」
「わたしもそう見えてるんだけど。空気は澄んでるし、霧が出る感じじゃないわ」
フォノは柾の言葉にそう返した。
彼女たちの目には石柱の群れは暗い緑を隠すように白い靄がかかって見えていた。外の空気は澄んでいて、霧が出るような気候ではない。頬を撫でる風は乾いていたし、湿気は感じられない。
柾は双眼鏡を目元から離して、肉眼で石柱をにらむ。それでも白い霧は消えない。
「だよね。疲れてるのかな……」
と、結子が微かに耳に入る音に顔を上げる。
「風鳴り、聞こえない?」
「アンテナが風を切ってるんでしょ」
柾は背後にあるブレードアンテナの切っ先を見上げる。
しかし、言われてみると奇妙な音が聞こえる。
細く、繊細な音。細い弦が今にも弾け飛んでしまいそうな危うげな音が柾たちの耳の奥で徐々に大きくなっていた。
「何? これのせい?」
フォノは苦悶の表情を浮かべながら、ヘッドバンドにしているアクセサリに手を当てる。
柾と結子も同じように苦悶の表情を浮かべる。
「中に入ろう」
柾は首にしているアクセサリを取りながら、二人に言った。
ビリビリと筋肉がひきつる痛みが一瞬走ったが、耳の奥に刺さる鋭い痛みはなくなった。フォノと結子も柾に倣ってアクセサリを外す。
「これも、調子悪いみたい」
結子は手にしているアクセサリを軽く振る。それで直るわけではないが。
「旅の疲れが出てきたのかも。今日は早く、休みましょう」
フォノの一言を聞いて、三人は〔アル・ガイア〕の装甲をたどって、排気ダクトに回る。それからシャッターを梯子に降りていく。
「でも、夜には晴れてくれないと方位もわからなくなりそう」
不安げに結子がつぶやく。
方位磁石が使えない以上、天測航法を取る必要がある。そのためには最低、太陽か月が見えてもらいたいのだ。
「そうだね……」
柾は先に降りる二人を確認してから、一度曇天の空を見上げる。重たい雲は退く気配がなく、夜に晴れるのは難しいところだ。
「この子も調子悪いし……。気を付けないと」
懸念すべきものは天候や針路だけではない。
修道騎士団やフライハイトとの接敵は常に考えておかなければならない。羅針盤が山のような石柱の群れを示しているということは、ほかのバイン・シフでも同じ現象が起きている可能性もある。
緊張をあおるように、冷たい風が吹き抜けた。
「柾!」
甲板に降り立ったフォノが呼んだ。
「うん! 今行く」
柾は返事をすると排気ダクトに飛び移ってシャッターを降りていった。
少女たちが去る間も、〔アル・ガイア〕のブレードアンテナはかすかに震えた音を立てている。寒さに震えるかのように。怯えているかのように。




