~北海~ 学者の言い分
ロッテルダムの河口近くある海洋研究所。小さなログハウス風の建物で、低い岩礁に鉄製の骨組みがむき出しで支えている。それを利用して、岩礁には簡易的ないけすを設けて生息する海洋生物の観察をしている。
海洋研究所は支流から流れ込んでくる川の水質や海の生態系の調査を行っている学術機関で、ノード教会傘下のグループに所属し、干拓の技術指導を手掛けてもいる。彼らの発案した風車の機構や排水のシステムによって、このあたり一帯の干拓は順調に進んだのだ。
しかし、表向きにはその名前は知られておらず日陰者になっている。彼らは知恵を貸しても現場で指揮をとるようなことはしていない。そのため、目立たない立場となってしまったのだ。
柾たちはその一員であるマルボロ・コルリッヒの身柄を届けて、お礼とばかりに招待を受けた。
「いやいや、送ってもらってすまないね。ま、くつろいでよ」
「お邪魔します……」
ドアをくぐると、綺麗な玄関が出迎えてる。研究者というからには、散らかり放題のたたずまいを想像していたが、床は綺麗で奥へ続く廊下の左右には様々な絵画が飾られていた。奥の部屋から差し込む日光が屋内を明るくしている。
「これ、風車の設計図……」
「こっちは魚拓かな? スケッチも何枚もある」
興味津々に結子とフォノが絵画を眺めて、つぶやく。
先行するマルボロは応接間らしいところに三人を通すと、傷だらけのソファーを指示した。
「それらは先任たちが調査した資料だ。僕たちのほうは、こっちの書斎に詰め込まれてる。まぁ、座って座って」
柾はふんぞり返るようにしてソファーに座ると、上組をしてマルボロを見上げる。
「一応、路上で倒れていたあなたを助けた身の上だからね。筋の通し方、あるでしょ?」
「悪者っぽい……」
結子はふらりとベランダのほうへ歩みながらつぶやく。ガラス戸の向こうに広がる水平線に引き寄せられて、感嘆の声を漏らす。
「悪くないもんっ」
柾のツンとした物言いに、マルボロが眉をひそめる。
すぐさま、フォノがマルボロの前に立って愛想笑いを浮かべる。
「お気になさらずに、コルリッヒさん。それよりも、商会では興味深いお話をされていたようで……」
「ああ、そのことならお安い御用さ。ぜひ、僕たちの研究を見てほしい」
すると、マルボロは嬉々として目を輝かせて書斎のほうへ移動する。
フォノはほっと肩を下げて、不機嫌な柾の隣に腰掛ける。
「どうして、相手の肩を持つの?」
「ものの運び方があるでしょう? ただの道楽者じゃないわ、あの人」
「そういうのはわかるよ。玄関先の風車の作図、上手だったから」
柾は顎を引いて、フォノを見る。
それゆえに、マルボロの言っていた『怪物』という表現がいまいちピンとこない。学者にしては、突拍子のない話をしている感じが伝わったのもある。気持ちの面でもまだ許しているつもりはない。
「ねぇ、ベランダに機体にあった服に似たの、あるよ」
「何それ? 面白そ」
ベランダの外を見ていた結子の報告に、柾は興味を惹かれて嬉々として彼女の隣に移動する。
フォノはため息をついて、ふと鼻についた臭いにつられてストールにその整った鼻先を近づける。ふっと磯の臭いが掠める。思わず苦い表情になってしまう。
「ほんとだ。けど、違う様な気がする」
「そう? ヘルメットがあって全身すっぽり入れるやつだよ」
ベランダに張り付いて、柾と結子はベランダに天日干しされている物を見据える。
なめした皮をベースに作られたスーツと金属製のヘルメット。物見の丸い窓が一つと、天頂部にレギュレーターをつなぐ穴が二つあけられており、彼女たちが持っている物よりもずっと原始的なものである。
「それは、海底調査用の潜水服だ。まだまだ、試作段階でね」
「潜水服?」
柾たちが同時に振り返ると、マルボロが書斎から数々の資料のファイル抱えてテーブルに置いた。
「そうだ。海のことを知るには、深い場所をも知らなければならない。もっとも、あれじゃぁ、二十メートルそこそこが限界だがね。けど、それでも収穫はあったわけだ」
マルボロはそういって、今一度書斎のほうに戻っていく。
柾と結子はマルボロの背中を見送って今一度潜水服を眺める。
「ああいうの海に入るとき使えるのかな?」
「さぁ?」
二人が顔を合わせて話している光景を見て、フォノは眉根を寄せる。
「二人して、何を話しているのかしら……」
「コレコレ。コレが一番見せたかったんだ」
フォノが腰を上げたところで書斎からマルボロの声がこだました。
ほどなくして、少年のように無邪気な顔をしたマルボロは布で目隠しした箱らしきもの持ってきて、テーブルに置いた。布の下からはちゃぷちゃぷと水のはじける音がかすかに聞こえる。
柾と結子は軽快な足取りでフォノのほうに戻って、ソファーにつく。それに合わせてフォノも嘆息交じりに腰を戻して、スカートの膝元をさっと払った。
「ねぇ、素潜りとかじゃ、ダメなの?」
柾は布で隠されたものに目もくれず、潜水服の話題を振った。
マルボロは一瞬ムッとした顔をする。一番話したいことを遮られて不満に思っている風である。
「水の中を甘く見ない方がいい。水圧、水が持つ圧力というのは人間にとって気難しい。素潜りで十メートル潜っただけでも、心肺機能は圧迫されて苦しくなるというデータは出ている。アレだよ。水の中に布で風船を作って沈めると――」
「泡が出てくる?」
「そう。深くなるほどに萎んでいくだろ。そういう力が働いてる」
学者らしい説明をするマルボロは柾の反応をみて嬉々とした様子で続ける。本題をそらされても反応してくれたり、理解力がある人物との会話は楽しい気分にさせるものだ。
「で、空気圧縮機からチューブで潜水服に空気を送り込む。風船を膨らませ続けて、抜けていく分の空気を補充している感じだな」
柾はふぅんと感心する。
「そういう面倒な力が働いてるんだ。気づかなかった」
それは〔アル・ガイア〕で川底に潜ったときのことを思い出してのことだ。
マルボロはただ彼女が新しい知識を含んだとみて、満足げにほほ笑んだ。
「あの、ほかの研究員の方々は?」
フォノが流れを切るようにして聞いた。
研究施設の割に人気がなく、静かな雰囲気が漂っている。それが女としての身の危険を強く感じさせるのだ。
その間に、結子はマルボロの目を盗んでファイルの一つを手に取ってパラパラと読み始める。
「ああ、船の修理をね。色々と備品の整備もしないと、すぐ潮風にやられるから」
「それで? あんたが言ってた怪物って本当にいるの?」
柾は自由奔放に発言する。
マルボロの研究話を延々聞く気はなかった。彼が誠意を見せるか、物価高騰の手がかりをつかめればそれでいいのだ。物価高騰の原因が海難事故によるものだとするなら、ここには怪物というものを証明するものがなくとも、海のデータはそろっているはず。
結子がここ一か月の気象や海の様子を記した報告書に目を通しているのはそのためだ。
マルボロは膝に手を載せて、前のめりになる。
「ああ、この目で見たからね」
「嘘だー」
柾は目を細めて、背もたれに体を沈める。
「そうかな? 黒服のお嬢さん、そのデータをどう見る?」
マルボロは試すようにして、ファイルを読んでいる結子に話を振った。
「海のこと、よくわからないけど……。先月と大差ないように見える」
「ほう。読解ができるのか?」
マルボロは心底感心した。結子からは奴隷らしいみすぼらしさは感じられなかったが、際立って高貴さがあるようにも見えなかった。まして、異邦人の子供がヨーロッパの言葉を流暢に扱って、スペルを読んで、データの比較ができるのは珍しいことこの上ない。
「異国の令嬢――、そうっ。たとえば、東の国の武人の子、かな?」
結子は気弱な目で、マルボロを見る。
「勉強できる機会があったから……。あたしは生まれてすぐ奴隷としてここにきて、雇い主に自由にしてもらった。だから――」
「なるほど。すまない、嫌な話をした」
マルボロはそれ以上深く詮索はしなかった。
というのも、隣に座る柾とフォノの不機嫌な視線に気づいたからだ。
柾とフォノも彼女のデリケートな話に対して、マルボロが引いたのを見て人格者であることを認める。
「彼女のいう通り、海そのものは穏やかな方だ。海難事故が起きるような悪条件が何日もあるわけでもない」
「それで怪物説?」
フォノは慎重に問うた。マルボロのいう通り、データの分析からくるものから海難事故説が薄いのは信じられる。とはいえ、怪物という荒唐無稽な言葉が出るのは安直ではないだろうか。
「海が穏やかだったなら、海賊だって動けるでしょう」
柾の的確な指摘。
マルボロはどこか嬉しそうに口元をゆがめて、ファイルの山を探って一つのファイルを抜き取った。
「少年のいう通りだ。そのことに関しては否定できない」
「だから、あたしは女だって」
「ズボンを穿いた?」
「悪い?」
「いや。レディとしての教養がないから、そうなんだろって納得する」
柾が眉間にしわを寄せていうのに対して、マルボロは興味を失ったらしく愚直な感想を述べる。
「何、この人? なんなの? すっごくむかつくんだけど」
「一理あると思う……」
静かに怒りを燃やす柾に対して、結子がぼそりとつぶやく。
「結子だってズボンじゃん」
「彼女、足が綺麗だから。奥ゆかしいところも、女性らしい」
マルボロは茶化すようにして言うも、それは本心からくるものだ。
「そ、そう……?」
結子はお世辞だと思っていても、耳まで赤く染まって恥じらう。ファイルで顔を隠して、露わになっている足をコートのすそで覆った。
「納得いかないっ」
柾は不満たらたらに声を張る。
「落ち着いて、柾。話が進まないから」
唯一フォノがなだめる。しかし、心中マルボロのいうことを肯定もできなければ、否定もできなかった。服装もそうなら性格も男の子っぽいところが出ているからだ。
「あった。これを見てくれ」
マルボロは柾の乙女心などつゆ知らず、ファイルを開いてテーブルに広げた。
そこには一枚のスケッチが書かれている。右下には日付があり、九月のあたまに書かれたことがマルボロのサインとともにされている。
柾、フォノ、結子は頭を突き合わせるようにして、スケッチをじっと見つめる。
それは間違いなくヒト型であった。俯瞰から見た構図だが、二本の腕、二本の足、頭はしっかりと確認できる。ただ、ヒレらしい器官が背中や肩から伸びている。〔AW〕とは一線を期したデザインで、どこか有機的でなまめかしい曲線を描いた装甲を持っている。
「これは?」
「以前、海底探査の時に見た怪物のスケッチ画だ。時刻は午前十時三十九分。水深二十七メートル。さらに下はずっと海だ。潜水服の窓越し見たものだから、細部は自信がない」
マルボロの言葉に三人は顔を上げて、彼の真剣な表情とスケッチを見比べる。
「アーデル・ヴァッヘって水中で動けるの?」
「聞いたことないよ。けど、あの子は……」
フォノの質問に、柾はスケッチを手に取って鋭い瞳でそれを見据える。
水中を動き回れる〔AW〕があるとすれば、現役で稼働しているポーン級やナイト級とは違う。かといって、それ以外のシリーズは拠点防衛用に特化した機体のはず。
知る限りではそれを可能としているのは〔アル・ガイア〕のみだ。
「これ、何?」
結子は疑念を抱きながら、未だ明かされていない布をかぶせた水槽を示した。
マルボロは静かに布を取り払ってその中身を真剣な表情で見つめる。
「怪物の破片だ。これを見ても、まだ信じられないか?」
柾たちが水槽の中に収められている物を視界に入れた瞬間、背筋に悪寒が走った。
水の中で空気の膜をまとった不思議な物質。
始めこそ、腐食した瓦という印象を受けた。表面についているフジツボや白化したサンゴを見ても驚きは少なかっただろう。だが、破片から気泡が噴き出し全体を覆っているのは珍しい光景である。水槽の液体もに立っている様子はない。
「なにこれ……」
しかし、それ以上の衝撃が彼女たちの目にだけ映っていた。
彼女たちはあるがままの物よりも、アクセサリから送られる拡張現実モニタに表示された検索結果に驚かされたのだ。
マルボロは少女たちが純粋に持論を受け入れてくれたものと感じて流暢に語る。
「怪物をみた海域の水深二〇メートルの底で拾ったものだ。従来の鋼鉄とは違って、軽いうえに水に浸せばそれを吸収して、このように気泡を張る作用がある。変わっているだろ?」
「え、ええ、そうだね。すごいね。アハハ……」
柾は愛想笑いを浮かべて、マルボロに言った。
アクセサリから流れ込んでくる情報だと、破片だけではなくそれによって構成されている怪物は恐ろしい力を秘めている。
柾は今一度スケッチを見て、海中に住まう怪物を想像して生唾を飲んだ。




