~北海~ ロッテルダムの商会
時刻は早朝。朝日が顔を出すか出さないかの、早い時間。
〔エクセンプラール〕はなだらかな大地を踏み歩き、貿易で栄える古い都、ロッテルダムへと足を踏み入れようとしていた。枝分かれした支流を束ね、造船業と諸外国との貿易、さらには運河による交易で隆盛す大都市だ。近隣にあるアムステルダムにも引け劣らない。
柾たちからすれば、この北海に面した湿地帯の土地に訪れるよりも素直に南下したいところではあった。しかし、バレット隊との一件で積み荷の一部を押収され、逃亡の針路が北ということもあって補給や〔エクセンプラール〕の調子を確かめるためにも行って損はない。
大量に補給をするには交易の盛んな場所くらいしかないともいえる。
「見て、風車!」
〔エクセンプラール〕の甲板で〔アル・ガイア〕に幌をかぶせる手伝いをしている子供たちが目ざとく風車の群れを見つけるなり、嬉々として夢中になった。
寒い早朝にあっても、子供たちの元気なはしゃぎ声は健在である。
この地域の名物ともいえる建造物、風車。海面よりも低い土地がほとんどのこの地域では、風車は水を整備された運河へと排水している。低い空のもとで回る風車のほかに、導入されたばかりの蒸気機関による排水装置が現れて、干拓地はさらに広がりを見せている。
ヨーロッパ北西部に位置するこの地域一体はここに暮らす人たちが長い年月をかけて、牧畜と農耕ができる広い土地を作り上げた。
「こら。仕事サボらないの」
柾は幌に結ばれた縄を甲板のフックに結び付けて、子供たちに呼びかける。バタバタと幌がはためく音が耳を打つ。
それでも子供たちは珍しい光景に集中してしまって、聞く耳を持たない。
柾はため息ひとつして、立ち上がる。それから、張られている縄に手を当ててピンッと弾いていく。しっかりと固定されているのかを確かめるためだ。
「風車なら、町についてから見学すればいいでしょ。さ、仕事仕事。この子が見つかったら、危ないんだから」
柾は手が止まっている子供たちの背中なり、お尻を叩いて仕事に引き戻していく。
〔アル・ガイア〕は修道騎士団とフライハイト、どちらの組織にも知られてしまっている。検問にしろ、税関にしろ、発見されたらすぐにとられてしまう。大きな町ほど組織の力が入りやすいものはない。
同時にロッテンダムの地方自治の力もまたそれに匹敵する力を持っていることだろう。
「古い都に足を踏み入れるってことは、人の目に多く触れるっていうことなんだから、警戒しなきゃダメでしょ」
「柾、こっちは終わったわ」
「うん。こっちももうすぐ終わるよ」
幌の下からフォノが現れ、柾は不満たらたらに動く子供たちに目を向けつつもそう答えた。
「バレないわよね、これ?」
「まぁ、荷物点検は修道騎士団もフライハイトも関わらないから、隠せば大丈夫」
「そうはいっても……」
フォノは不安げに〔エクセンプラール〕の側面にあるクレーンにつるされた汎用機関銃に視線を移す。大木の束を幌で覆っているようにも見えなくもないが、一抹の不安が胸に残る。
「これで本当に大丈夫なのかしら? そもそも、これって誰の発案?」
「ミトさんだよ」
柾があっさりと答える。それから、鼻頭を赤くして、マフラーを上げてみせる。
「そう……。それなら、いいわ。いつまでもくだを巻いていられたら、大変だもの」
フォノはミトの名前が出てきたことに安心する。彼女のことは信用している。だが、逃亡の一件で艦長としての任務をボイコットしているのだ。そのせいで〔エクセンプラール〕の運営方針がガタガタの状態だ。
それでも、炊事、洗濯、掃除と主婦らしいことを欠かさないあたりは彼女なりの配慮なのだろう。
「見かねて口を出しちゃうんだよ。みんな勝手すぎるから、ミトさん、変な義務感を感じちゃってるよ」
柾はミトの複雑な気持ちに、男たちが無関心でいることが気になる。
一言、謝罪の言葉でもあれば、ミトも長いこと艦長の任務を放棄しなかっただろう。自己中心的というか、自分が正しいと思い込んでいるところが、ミトを仕事のボイコットにまで追い込んだことをわかっていないのだ。
「ロッテルダムに入るよ。準備して」
と、結子が甲板を練り歩いて、その澄んだ声でアナウンスする。
着港の時が迫ると、船があわただしくなる。運河の群れを踏み越えて、〔エクセンプラール〕はヨーロッパ有数の貿易都市にして、造船地区でもあるロッテルダムへとその足を運んだ。
柾も入港の準備に入ろうとする。
「ねぇ、最後に一つ」
「何?」
フォノが柾の袖をつかんで、引き留める。
「もし、動かすようなことになったら、どうするの?」
「その時はその時。考えておくよ」
柾はそういってのけて、幌の下をくぐって〔エクセンプラール〕のアイランドへ向かう。
「もう……、何も考えてないじゃないの。いつものことだけども、さ」
フォノはため息をついて、その後ろを負った。朝の寒さに手もみをしながら。
* * *
北海に面したロッテルダムの気候は、秋の風を受けて冷たく乾いていた。見上げる空は低く、流れる雲もどこか寂しげである。
その空気にあてられてだろうか、町の雰囲気もさびれている。早朝とはいえ、朝の七時を回れば人は皆働き出す時刻である。
柾たちが二脚式のバイン・アウトーで町を練り歩いて感じたことだ。物資を補給するためには、ロッテルダムの市場を取り仕切る商会ギルドを目指す道のりで、こう感じるのは妙なことである。
「なんだか、やけに静かじゃない?」
「造船や交易で賑わってるって情報だったけど……」
柾の運転する後ろでフォノと結子は周囲を見渡しながら言う。
テラスハウス様式の家々が立ち並ぶ中、行き交う人たちは覇気がなく、曇り空のような顔つきで仕事へと向かっている。仕事がつらいのではなく、暇を持て余している風な雰囲気だ。
ふと横切った荷馬車をちらっと視界に入れても、その荷台は空っぽである。
「どうしたんだろ?」
柾は機体を広場のほうに向けて、言い知れない不安感を覚える。
ロッテルダムの広場は大河に面した位置にある。その鼻先には、数々の船が停泊するロッテルダム港が横たわっている。巨大な帆船から蒸気船、豪華客船の優美な船体までもがずらりと並んでいる。外交の窓口ともいえる場所で、数々の商船がこの場所で補給や商売品を買付、売付をしている。
そのはずなのだが、物資を運搬する人の姿は見受けられなかった。静かな水のはじける音が寂しく聞こえてくる。
柾たちは広場をぐるりと回って、教会や役所に挟まれた大きめの建物を目にする。
「あれが、ギルドの商会場じゃないかしら?」
フォノが柾の肩に顎を載せるようにして、視線でその位置を知らせる。
「看板が出てるし、あってると思うよ。駐車場は?」
「斜め前の倉庫みたいなところ、バイン・アウトーが入っていった」
柾の質問に最後尾にいる結子が体を傾けて、木造の大きく扉を開いた建物を指さす。
冷たい空気の中でバイン・アウトーの排熱が白い煙を産み落として、朝霧をさらに色濃くしている。
柾はその示された個所を了解して、機体を進める。とんっとバイン・アウトーが跳ねるようにして速度を上げて、結子もその反動を使って体勢を整える。
「はいはい。一機ね。銀貨一枚ね。まいど、奥に進んでくれ」
戸口の前にいる男はそう言って、柾たちを中に誘導してくれた。
木材の柱がむき出しのドーム建築で横並びの窓から光が差し込む。光に当てられて排熱の水蒸気がキラキラと輝いてみることができる。
「すごい数……」
フォノは左右を見渡して、四脚式や二脚式、荷車を引いたもの、最奥部には馬の嘶き声が聞こえた。
「どおりで草の臭いがするはずだ」
柾は赤い鼻にマフラーを持ち上げてつぶやいた。
「みんな商会に用事でね。大変なんだよ」
「どう、大変?」
旗をもって先導してくれる男に結子は問うた。ロッテルダムのさびれた雰囲気と関係があるのではないか、といぶかしんだ。
男は左へ進むように旗を振って、横道で待機する別の職員に誘導を引き継がせた。
「商会にいけば、嫌でもわかるさ」
「そう。ありがと」
柾はその男を横切るさいにそういって返した。そのまま、誘導された位置にバイン・アウトーを移動させ、駐機させる。シューッと熱風が機体のお尻にある排熱ダクトから吹き出した。
白い靄が背後の通路に漂う。
柾たちは順番に降機するも、フォノだけは誘導員から手をさしだれて女性の扱いを受けた。その時の若い誘導員のデレデレした様子には、同じ女性である柾と結子は厳しい視線をいてしまった。
「どうしたの、二人とも?」
駐車場を出ていく道のりで、フォノは不機嫌な顔をする柾と結子に聞いた。
「別に。どうせあたしは女の子っぽくないもん」
「わたしも、魅力ないから……」
二人のつんけんした言葉にフォノは納得しながらも、どう声をかけていいのか迷ってしまう。
そうこうしていると三人は商会場の前まで足を運んでいた。ウッドデッキに続く階段を上って、ドアの前にくると突然、観音開きのドアが乱暴に開け放たれた。
柾たちは横間に飛び上がって、怒り心頭の顔を見せる男たちを見送る。
「まったく話にならね」
「いつまでもこれじゃぁ、商売あがったりだっての」
口々に不平不満を漏らして、男たちは去っていく。
柾たちはその背中からゆっくりと閉じられたドアのほうへ視線を移す。殺気立った彼らの口振りを見る限り、買付するには相当の覚悟が必要だと感じた。
「行ってみよ」
三人はおっかなびっくりにドアをそっとあける。その瞬間、わずかな隙間からわっとなだれ込んできた熱気と声に思わず鳥肌が立った。ドアの内と外では季節が違うかのようだ。
「どうなってるんだよ!」
「仕入れ値が割に合わないぞ」
「会費と教会税だってバカにならないんだぞ。仕事しろよ」
受付に殺到する男たちがまくし立てて、対応に追われている商会の人たちが慌てふためいている。
柾たちはそろそろと子猫のように中に入ると、受付いっぱいの人の群れにくらくらしてきた。
太陽の光が高い天井から降り注ぐ広い劇場のような受付が、人の波に飲まれている光景は圧巻である。朝市の買付といえば、活気あふれる雰囲気を想像させるが、目の前にしているのはもはや騒々しい暴動に近い。
「一体全体どうなってるの?」
「あれ、見て」
柾が頭を抱えていると、結子が受付の奥に掲げられている物価の巨大な表が掲げられている。ここで取り扱っているものの入港品や出荷品の早見表といった感じか。
が、その早見表に掲げられている物価は素人目からしても異常な数値である。
「香辛料一キログラムで普通の五倍の値段よ、あれ。冗談よね?」
「冗談じゃないから、ここにたくさん人が来てるんだよ」
フォノの言葉に柾は言って、意を決して人垣の中へ割って入っていく。
「ちょっと!」
「すぐ戻るから、待ってて」
引き留めるフォノに対して柾は声を張って返した。
体が小さいことを武器に無理矢理に体をわずかな隙間に押し込めては、受付まで進んでいく。足を踏まれても、頭を押さえつけられても、不屈の精神で受付の前に出る。
「すみません! 買付の値段、どうなってるんですか?」
柾は受付のカウンターに顎を載せて、必死に訴える。奥では書類や整理に追われている職員たちが右往左往している。向こうも応対どころではないようだ。
「小僧、横入りするな!」
と、すぐ後ろにいた商人が柾の頭を押さえつけて怒鳴る。
「小僧じゃないもん。それで、どうなんですか?」
頭をもみくちゃにされている柾をカウンターの向こうからやってきた男が見つけると、困った表情を一瞬浮かべただけで別の客へと視線を移す。
「押さないでください。事情は以前から話している通りで――」
「だから、どうにかしろって言ってんだろ!」
感情的になっている人たちの中からそんな言葉が飛び出した。
出入り口付近でおろおろしているフォノと結子はどうしようかと視線を巡らせていると、奥の中二階から数人の立派なチョッキを着こんだ男たちが降りてきた。
「皆様、静粛に! 静粛にお願いいたします!」
その一声に憤慨していた人たちが声量を下げて、降りてくる人たちに視線を向ける。
「商会のお偉いさんじゃないのか?」
「偉い人?」
柾は頭上から聞こえた言葉を繰り返して、早見表の表札が変えられる作業と前に出てくる恰幅のいい男とを見比べる。
「おい! また値上がりかよ!」
「なんで鉄の相場が一気に三割も上がるんだ!」
早見表の値段がさらに増加したのを見て誰かが叫んだ。不満はさらに膨れ上がっていく。
商会の元締めである彼は、やむなしといった様子で声を張り上げる。
「現在、我が商会はこれまでの被害総額と物流困難の状況を鑑みて、ロッテルダム自治法令に基づき支払いの一時的猶予を設ける方針が決定しました。協定を結ぶ方々にはまことに申し訳なく――」
その瞬間、一部から怒号が噴火した。集まっている人たちからすれば、それは死活問題なのだから。
頭を押さえつける手が一層乱暴になって、柾はその手を払いのける。彼らがなぜ、こうも激高しているのか何のことかわからい。すぐに、カウンターの向こうにいる人の袖を引っ張って気を引いた。
「どういうこと?」
「うちにお金を預けている人に、お金を返還しないってこと」
「それじゃぁ、みんな何も買えないじゃん」
「そうしなければ、みんなお金を下ろしちまってうちが潰れる。そしたら、ここの市場を立て直すのも大変なんだぞ」
カウンターの向こうにいる男は辟易した様子で言った。
商会ギルドは物品の運搬費だけで稼いでいるのではなく、登録している商人たち、地域住民からも投資を受けて運営を行っている。そうすることで経営が成り立ち、ちょっとやそっとのことでは崩れないし、投資者たちにも大きな権益がもたらされる。
だが、今回の物価高騰という苦しい状況にあって、商会の運営維持のために厳しい処置もしなければ双方に多大な損失を招く可能性もあるのだ。
経済的処置なのだろうことは、柾にはわかった。だが、このままでは高値で物資を購入することになってしまう。〔エクセンプラール〕の台所以上はそこまで潤ってはいない。
「いつになったらなくなるの?」
「それがわかれば苦労はしないって」
柾の質問内容にカウンターの男は心底うんざりした様子で言った。もう耳に胼胝ができるほど聞いた文句である。
と、元締めの男はハンカチで汗まみれの顔を拭きながら続ける。
「この問題は明らかな天災であり、我々としても心苦しいのですが――」
「海賊の仕業じゃないのか? 島国とかのさ」
「海難事故の可能性が高く、海賊行為の痕跡はありません。現在、修道騎士団による防衛網を構築しておりますので直に安定した運搬が再開されるかと思います」
「事故の可能性があるなら、なぜ騎士団を使う! おかしいだろ!」
沸き立つ非難の声に元締めの男は一層脂汗を流して、げっそりとした表情を浮かべる。
「話が見えないわ」
「うん。海に何かしら問題があるみたいだけど……」
遠巻きに見ているフォノと結子は彼の言葉が不思議でならなかった。
海が荒れているのなら修道騎士団を展開できるはずもない。かといって、明らかな天災と発言しているところの原因や根拠は不明。その部分をここに集まっている人たちは説明してもらいたがっているのだろう。
「それには、俺からも聞きたいことがある」
すると、人垣の中から大きく腕を振って一人の男が発言する。
「おい、何だよ!?」
「すまない。道を開けてくれ」
その男は人垣を割って進み、カウンターに上がった。よれよれのシャツにぼさぼさの頭、気だるそうな無頼漢のような風体であった。
「なんだね、君は?」
皆を代表するように元締めの男が言った。
カウンターに上がった男は、不敵に笑みをこぼす。
「マルボロ・コルリッヒ。ここで海洋学研究をしている」
男、マルボロ・コルリッヒがそういうと、周囲は怪訝そうに眉をしかめる。
「知ってるか?」
「学者のいうことだ。知るかよ」
周囲の声にマルボロは咳払いをして、カウンターの上を歩き出す。
「ここ最近の調査で、河口で生物の不審な死骸が打ち揚げられていることがわかっている。それは自治体にも、あなた方ギルドにも通達したはずだ。その中には、人間の体の一部もあったことも」
柾の鼻先でその男の足が止まった。
誰もが固唾をのんで、マルボロの話を聞いた。信憑性があったわけではない。しかし、商会の責任者たる恰幅のいい男が動揺の色を見せて困惑していることに聞いてみる価値を見出していた。
「鋭利なもので切り裂かれたかのような断面だった。とてもではないが、人間業ではない」
「与太話だ」
どこからともなくヤジが飛ぶ。
すると、マルボロはまるでサッカーボールでも踏みつけるように、ちょうどいいところにあった柾の頭に足を載せる。
「いたっ! ちょっと! ヒロインなんだけど……」
柾はカウンターに頬ずりするように押さえつけられ、口元をとがらせてつぶやく。体重をかけていないとはいえ、頭に土足を載せられる屈辱に怒りがこみあげてくる。
そんな彼女を見向きもせず、マルボロはキザっぽく持論を発表する。
「だが、考えても見てくれ。ここ一か月で難破船は名十件と膨れ上がっている。時化も観測されていない。ではなぜ、この穏やかな北の海に船の被害が、それも輸送船ばかりが事故に巻き込まれてしまうのか」
「マルボロ学士。つまり何が言いたいのかね?」
元締めの男が呆れ半分に問いただした。
柾も思わずため息が出てしまう。遠回しな言い方が癪に障るし、確証らしいこともまだ話していない。未だ足はどけてくれない。
聴衆も憐れむような視線をマルボロに向ける。
そんな中で、マルボロは自信満々に言う。
「ええ、それはもう怪物の仕業です」
瞬間、ため息が潮騒のように溢れて、肩透かしな空気に満たされる。
「あの人、本当に学者さんなの?」
「わからない」
フォノと結子はだんだんマルボロがかわいそうな人に見えてきて、気が重くなる。
「その証拠に我々はその断片を入手いたしました」
「断片? 生き物じゃないのかよ?」
「この世のものとは思えませんよ。何しろ、金属でできたうろこなのですから」
その言葉に呆れて、未だ足を載せていることに我慢ならなくなった柾が彼の足をつかむ。
「もうっ! いい加減にしなさい!」
柾は叫んで、マルボロの足から頭を引っこ抜くと、そのままの勢いでカウンターから引きずりおろそうとする。
「ちょっ、待ちたまえ、少年」
「少年じゃないもん!」
それに合わせて、もう付き合いきれないと聴衆たちもマルボロの足をひっつかんでカウンターから降ろそうとする。
「ちょっと気を付けてよ」
柾は頭をひっこめて、後ろに下がっていく人垣にまみれていく。体が出入り口のほうへ押しのけられて、息苦しい。
若者の世迷いごとを聞いていられるような状況ではないのだ。
「信じてくれ。でなければ、修道騎士団がわざわざ出張ってくる理由が――」
「お前みたいなほら吹き学者より、ずっと堅実な対応と調査をするためだろうがよ」
引きずりおろされて、マルボロは出入り口へと運ばれていく。
ひと足先に弾かれていた柾はフォノと結子に支えられる。
「どうしたの? 叫んだりして」
「頭、踏まれてたんだよ? 怒って当然」
柾は憤慨して、ぼさぼさの髪を撫でながらフォノと結子に言った。
それから、じたばたと暴れるマルボロに注目する。不意に視線が合って、憐憫の目を向ける。
そうしている間にも、マルボロは屈強な男たちによって外へと放り出されてしまった。階段をすっ飛ばして硬い石畳に背中から落下。一瞬にして、ドアから姿が見えなくなった。
「うげぇ!」
いかにも痛そうな、いびつな悲鳴が閉じ行くドアの向こうから聞こえた。
「うわぁ……」
柾はその痛みを想像して、思わず声が出る。
しかし、商会の中に目を向けても誰も彼に対して同情の念を抱いていなかった。目の前の物価高騰を解決しないことには生活が危ういのだ。一人の男の身の上を気にしていられる余裕はない。
「どうする? ここにいても、何も買えないよ」
「値段が下がるのを待つ?」
結子とフォノは不安げに柾に詰める。
柾は黙考する。しかし、ギルドでも手におえない状況で時がたっても値上がりしている状況を見るに、ここにいても何も解決できないだろう。
「とりあえず、ここを出よう」
苦々しい表情で柾は提案して、とりあえず商会場から出ていく。
「さむっ」
フォノはぶるりと身を震わせて、外気の寒さを痛感する。
だからと言って、長居していても解決策が浮かびそうになかったし、外に放り出されたマルボロがどうなっているのかを確かめるのにもちょうどよかった。
頭を踏みつけられたのだ。マルボロの醜態を見て、嘲笑ってやろうという卑しい気持ちもあった。
だが、三人が出入り口を出てすぐに目に飛び込んできたのは、いまだ倒れこんでいるマルボロの姿であった。うつぶせに倒れて、ピクリとも動かない。
それはもう駄々っ子の無言の抗議を連想させる、呆れた姿であった。
「――もうっ、子供じゃないんだから」
柾はじれったくなって、大股で階段を降りる。
このまま放っておいてもよかったが、正面から文句を言ってついでに賠償してもらおうと腹案を変更する。
学者なら、高給取りのはずだ。それくらいはしてくれるだろう、と浅はかな考えを持ってしまったのは柾たちの落ち度であろう。




