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ガイア・レコード  作者: 平田公義
第七章
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~与奪~ 奪い取った勝利の後味

 ライン河を越えて、〔エクセンプラール〕はようやくベレリーニ領の国境に到り、森林の中に艦体を隠して休息することができた。


 夜も深くなり、空に浮かぶ月と星の輝きが美しい。森林からはフクロウの鳴き声と茂みを走る動物の足音が聞こえる。


 艦内では食事時で談笑の声が上がり、今日の出来事を互いに労っていた。久々にお酒を開けて騒ぐ大人たち、子供たちもハムやチーズといった滅多に食べない保存食を口にすることができた。


 その中に今日一番の功労者の姿はなかった。


「…………」


 (マサキ)は見張り台の上で膝を抱え、夜空をぼんやりと眺めていた。


〔エクセンプラール〕と合流してからは、とにかく張っていた気が緩んで無気力であった。何もせず、ただもやもやとする複雑な思いを抱えたまま、人から離れるようにしていた。まだ〔ゼルドナァ・ヘリック〕とのことを引きずっている。女々しいとは思うも、どうにも釈然としないのだ。


 夜風が見張り台のヘリを伝って、吹き込む。


 どれくらい空を見上げているのか、わからない。とにかく日が沈んでからというもの、ずっとそうしている。時折、耳元で虫の羽音が聞こえて、神経がピリピリする。


 と、見張り台の床のハッチが開いた。


「なんだ。ここに居たんだ」


 少年の弾んだ声だった。


 (マサキ)はしもやけで赤くなった顔を向ける。ハッチからはい出ようとするカーヴァルに気づいて、凍えた息を吐き出す。


「どうしたの?」

「どうしたの? じゃないだろ。晩飯も食べないでさ」


 カーヴァルは厚手の上着を羽織っており、寒そうに白い息を吐く。開けっ放しのハッチの明かりが暖かそうに上がっている。


「ミトさん、カンカンだったぜ? フォノ姉ちゃんも、結子(ユイコ)姉ちゃんもふさぎ込んじゃってさ。食堂にこねぇんだ。それで呼んでこいって」

「ごめん。けど、食欲ないの。迷惑かけて、ごめん」


 (マサキ)は目の前でしゃがみこんで、顔をのぞかせてくるカーヴァルにただ謝ることしかできなかった。


 フォノも結子(ユイコ)も今回の事で相当堪えているのだ。最後の最後まで、生き死にを掛けた戦いで生き残ってその実感を受け入れきれないのだろう。


 寒月の光を浴びて、寒さに身を晒しても何かが得られるわけではない。


 (マサキ)は自分の体温が下がっているのを承知していたが、その方が今の沈んだ心にちょうどいいとも思う。身体は寒さで震えていても、心は張り詰めた水面のように酷く冷徹で澄んでいた。心と体の齟齬がかみ合わなくて、言い知れない恐怖があった。


 カーヴァルは困ったように短く、美しい髪を掻き毟る。


「謝るくらいなら、動いてくれよ。ミトさんだって、姉ちゃんたちのこと心配して言ってくれてるんだぜ? それにさっ」


 カーヴァルは思い出したように明るい表情を浮かべて、膝を打った。


「あのデカい敵を倒したんだろ? スゲェじゃんか。ボロボロの機械で戦って、勝利する。こんなにカッコイイことはないよ」

「そんなの、全然凄くも、カッコよくもないよ」

「そんなことないって。あのごうつくばりのジジババも英雄様だとか言って褒めてたんだし、自信持ちなよ。本当、みんな感謝しるんだからさ」

「ううん…………」


 (マサキ)は弱々しく首を横に振った。


 カーヴァルはかすかに聞こえる衣擦れの音に彼女の弱さを聞いた気がした。いつもなら、もっと大胆で元気な音を響かせるはずだからだ。彼の表情から笑顔が消えて、むっつり顔になる。


 少し、二人の会話が途切れて、ふと(マサキ)が物憂げな瞳を彼に向けた。


「少しだけ、話を聞いてくれる?」

「寒いんだけど。まぁ……」


 カーヴァルはいつになく弱気の(マサキ)に憐憫の情を抱く。


 月の光が、憐悼(れんとう)に沈んだ潤んだ瞳と濡れたまつげを輝かせ、紅玉の肌を一層美しく飾り立てる。夜風に乱れた髪がかすかに揺れて、彼女の気遣いだろうか、冷えて青くなった唇がかすかに微笑む。


 少年は初めて、胸が痛み、その内が熱くなる不思議な思いを覚える。


「少しくらいは」


 と、カーヴァルはドキドキする心臓を抑えて、そっぽを向きながら冷たい床に尻を置いた。ズボン越しに伝わる鋼鉄の冷たさに、全身の肌が泡立った。


「ありがとう……」


 今にも消えてしまいそうな(マサキ)の言葉。


 (マサキ)自身はカーヴァルが真摯に受け止めてくれなくてもいいと思っていた。少しだけ胸の内を吐き出して、楽になりたいだけだ。慰めとか、優しい言葉には期待しない。


 自慰なのだ。本当に弱い心が行き場をなくして、難題から目を背けたくなってしまう。


「カーヴァルの言う通り、どうにか、あの機体には勝ったよ。だけど、ね。何ていうんだろぉ……。凄く、空っぽなの」

「空っぽ?」


 カーヴァルは理解しようと一生懸命に話を聞いて、聞き返した。


 (マサキ)は小さく頷く。


「操縦者の姿は知ってたから……。だから、その人が死んでしまったということはとても悲しい。でも、わたしが見たのは壊れて動かなくなったアーデル・ヴァッヘで、穴だらけで助かり様もない状態を見たのに――」


 (マサキ)の一瞬激しい感情が浮き出たが、すぐに静まり返る。


 カーヴァルにはその情緒不安定な状態が怖くて、目を見張った。(マサキ)にどう声をかけるべきかと思案しても、いい案など浮かびそうにない。


「あの時とは全然違うの。あぁ……」


 かつて人を殺めてしまったことを思い出して、今日起きたことを重ねてもそれは全然別物であった。


 感触として残るものが何一つないのだ。人の重みや、血の熱さ、弛緩した肉の転がる様子。そして、手に染みついて離れなかった血の臭い、肉を穿つ感触さえも、硬い操縦桿を握っていた時のまま変わらない。


 生気が消えていく肉体の様子を〔AW〕からは全く感じ取れなかったのだ。


 鋼の機体は血の滾りも、肉の柔らかもない。〔AW〕に触れる機会の多かった(マサキ)はそのことを一番熟知していた。勿論その逆に〔AW〕が持つ有機的なモノも理解しているつもりだ。


 しかし、殺生の場面ではその冷たさは人の感性を鈍らせる。


「だから、アーデル・ヴァッヘを兵器にするんだ」


 (マサキ)は声に出して、納得する。納得してしまう。


 感覚が鈍ってしまうから、さらには戦闘の興奮の中で人など感知しなくて済むから、好戦的に働いてしまう。そういった心理があるのならば、装甲越しに人がいるなどと考えようもうない。


 目に見えるのは人の形をした機械で、それらが砲撃をして、斬撃を繰り出すのだから、意識は〔AW〕に注がれる。操縦者のことなど考えないで、機械が襲い掛かってきたと交錯した感覚が愚挙を誘発させてしまうのではないか。


 カーヴァルは上着を胸元に引き寄せて寒さを堪えながら、実直な意見を投げかける。


「けど、そうしなかったら俺たち、こうして生きてないんだろ? それでいいじゃん」

「それでいい? そんなこと、ダメ。できないよ」


 (マサキ)は早口に言った。


「それは……、狂ってる」

「何がさ。お姉ちゃん、おかしいじゃねぇの」


 カーヴァルには、狂気しているのは(マサキ)の方だと思う。


 (マサキ)は、オカシイ、と唇を震わせてカーヴァルの辟易した顔を見る。


「姉ちゃんたちはいつも、ご飯のために鹿でも魚でもとって来くるし、豚とか牛とか解体して、ベーコンとかソーセージとかにして、食べたりしているのにさ。それと何が違うのさ? 勝ったことがそんなに嫌なのかよ」

「人間同士で、殺し合うだなんて……」

「他の動物はそうしてる。姉ちゃんは色々と考えすぎなんだよ」


 カーヴァルは正しいと自信を持って、断言した。教会で学んだことを一つ一つ思い出しながら、胸を張って言う。


「神父さまは教えてくれたよ。ヒトは動物の一種で多くの生き物の命を食べて生かされている。もちろん、それはヒトが生存競争に勝ってきたから、生き残ってきたのだって。勝ったら生き残って当然で、負けちゃったら死んじゃうのが自然なんだって」


 カーヴァルは教会の神父から教わった通りの、少し高慢な口調を真似て語って見せた。


「そうかもしれない、けど……。そうじゃない」


 (マサキ)はカーヴァルが間違いを言っているとは思わない。


 彼は生物として、自然の一部のヒトとしての営みを言っているのだ。もちろんそれは自然の摂理であり、離れがたい法則である。


 しかし、(マサキ)は人間のありようを口にしたつもりである。溜めこんだ知識と教養は歳を重ねて、社会性というものを身に着け始めた年頃である。自分と世界を切り離して、人間世界のことを考えているのだ。


 カーヴァルはムッと口を尖らせる。


(マサキ)姉ちゃんが、いちいちそういうことで悩むんなら、俺がアーデル・ヴァッヘに乗る」

「そういう気持ちで乗ったら、気がおかしくなる。平静でいられなくなる。お願いだから、そんなこと言わないで……」


 (マサキ)は顔を上げて、切実に願った。


 真っ直ぐな瞳にカーヴァルは一瞬心臓が口から飛び出しそうなほど、跳ね上がった。しかし、彼の気持ちは変わらない。


「それじゃぁ、戦うたびにメソメソ敵の事で思い悩んで、みんなに迷惑をかけるのは良いのかよ? 敵の事だぞ? 気に病む必要がどこにあるっていうんだ」


 (マサキ)はカーヴァルの原理的な思考は危険だと思った。


 人が築き上げてきた精神を崩しかねない。弱肉強食の考えを持つ者が〔アル・ガイア〕のような強大な力を手に入れてしまった時、きっと力の強弱などつけられないだろう。さらに〔AW〕同士の戦いでは、人の無知さが殺しを遂行する動作を簡単にしてしまう。


「敵も味方も関係ない。殺し合いで勝って、それで明日を迎えるだなんて、悲しすぎる」

「明日が来ないよりずっとマシじゃん。そうしなきゃいけないんだよ、今の俺達ってさ」

「カーヴァル。あなた……」


 (マサキ)は震えあがって、身体を見張り台の壁に押し付けてカーヴァルから距離を取る。


「今日戦った人と同じことを言った。どうしてそれが正しいって言えるの?」


 カーヴァルは、口籠って一度息を突いた。白い息が夜風に流れる。


 そして、怒りを抑えた顔を向ける。


「正しいとどうとか、そういうことにいちいち突っかかるから姉ちゃんはズルいんだ」


 (マサキ)は悲しくて、やるせなくなる。


 自分の言っていることは綺麗ごとで、どうしても理解してもらえない。彼は揺るぎない信念のもとで発言しているのではない。それしか知らないから言えるのだろう。


「人が傷ついて、悲しみしか呼ばない戦いをそうしなきゃいけないってだけでする」

「――っ! だから、俺に戦い方を教えてくれよ! そうしたら、姉ちゃんが悲しまないで済む。俺だってカッコイイとこ、見せてやる。そしたら――」


 カーヴァルは(マサキ)に詰め寄って、捲し立てる。


 しかし、悲しげに彼女は俯き加減に顔を逸らして、一層怯えたように身体を震わせる。ツンと鼻を突く酸っぱい汗の臭い。その臭いがどうにも神経を逆なでる。


 女の子らしくない。子猫のように震えて、妖しい色気を内包しているというのに。


 カーヴァルは、この場で(マサキ)のその汗臭い服を滅茶苦茶にしたい、という思いが膨らむ。そうすれば、嫌な臭いを嗅ぐことはない。彼の手が無意識のその思いを実行に移そうとした。


 と、(マサキ)の唇がかすかに動いた。


「もっと、優しい男の子だと思ってたのに……」


 カーヴァルはそれを聞いた瞬間、さっと血の気が引いて(マサキ)の頬を伝う滴に絶句する。思わず身体を引いて、伸ばしかけていた右手を左手で抑え込んだ。


 ただ好きな人のために頑張ろうとしているというのに。重たい話にも付き合って、励まそうとしているのに、汲み取ってもらえない。


「人を傷つけることがカッコイイだなんて、何も知らないからそう言えるの」


 (マサキ)は目を逸らしたまま、震えた声で言う。


「でも、みんなからはそう、見えてしまうのね……」

「もう姉ちゃんには頼んないよ! 自分で動かせるようにしてやる。そしたら、みんな、俺の事を褒めてくれるもんねっ」


 カーヴァルは幼稚な言葉を吐き捨てて、開けっ放しのハッチに戻って行った。いかり肩で、恨めしそうに梯子に足をかけて、最後に(マサキ)の方を睨んだ。


「姉ちゃんは一生、そうしてればいいんだ!」


 (マサキ)はまともにカーヴァルの方を見ることができず、パタンとハッチが閉じる音に肩を震わせる。


「ごめんね、カーヴァル。けど、あたし、この気持ちをしっかりと受け止めて、忘れたくないの」


 (マサキ)は膝を抱きしめて、そこに顔を埋める。


 辛くて胃の中がキリキリと痛み、時折背中を波打たせて吐きそうになる。それでもこの苦しみから逃れて、戦いの痛みを忘れたくはない。


「そうするって、決めたから……。だから、ごめんなさい」


 今一度、自分の気持ちを確かに持って(マサキ)は自分と言うものを保った。


 夜の風がさっと吹いて、森林がざわめく。悲しげに、心苦しそうに、木の葉は歌う。


 自分のわがままで慰めようとしてくれた少年を傷つけてしまった罪悪感が、胸の内に染み込んでいく。心の内で彼女は、何度も何度も「ごめんなさい」を繰り返す。

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