~与奪~ 願いを込めて
太陽はまだ明るく、緑の平原と川の流れがはっきりと見える。
損傷機の回収を終えて、〔ノインツェーント・ブルク〕を旗艦とする艦隊では簡易的な修理作業に入っていた。駆動系の整備や痛んでいる細かいパーツの取り換えなどだ。切り離されてしまった腕部や脚部を取り付けるのは人数制限もあり、行われることはない。かわりに、本体の切り口の整備をして武装そのものと固定してしまおうという荒療治がいくつかの機体に施されていた。
「艦長。なぜ、標的を逃がしたのですか?」
「あ? 別にいいだろ」
〔ノインツェーント・ブルク〕の甲板、展開した艦首に腰かける〔ゼルドナァ・ヘリック〕を横目にヘリックと副艦長が話し込んでいた。
甲板には機体のマントが広げられており、日光をいっぱいに浴びていた。太陽発電機構が組み込まれているもので、彼らはその細かい技術がどうなっているかなど知らずに使っている。そうすることで艦内での機関出力を〔パンツァー・グランツ〕の修理に回すことができた。整備員の数名が機体の細かいチェックをするのに、歩き回っているのも目に入る。
「現状、こちらにも被害が出た」
「甘くはありませんか? その考え」
副艦長のツンケンした物言いには、彼にも人を収めたいという欲があるように感じられる。事実、実直で能力のある男であった。
その方がヘリックにしても楽ではある。操縦者だけをしていれば、面倒な責任を持たずに済む。だが、この男の下で働けばもっと拘束されておもしろくなくなるだろう。
「艦長。データの洗い出しに時間がかかります!」
すると、〔ゼルドナァ・ヘリック〕の首筋で作業をしている整備員の一人が声を張り上げる。彼らは操縦席とゴーグル・モニタを接続して、獲得した〔アル・ガイア〕のデータの写本をしているのだ。旧態然として手間のかかる方法なのだが、こうすることでしか得た情報を共有化できないのが〔AW〕の情報システムだ。
「おい、うるさいんだよ」
「こっちは作業中なんだ。大声を出すな」
ゴーグル・モニタをした作業員とバインダーの藁半紙にペンを走らせる作業員が不満の声を上げる。モニタを見る者が流れ出てくる文字を呼び上げ、それを別の者が文章に起こす作業なのだから神経もすり減り、根気も必要だ。
報告をした作業員は面倒臭そうに愚痴を漏らしながら、機体から降りて行った。ヘリックのもとに行くためである。
ヘリックはその様子を見上げて、苦笑いを浮かべる。
「こういう面倒なこともあるんだ。〔アル・ガイア〕……、だっけか。コイツの情報は他にも知らせるべきだろ?」
「おっしゃることはもっともです」
副艦長は認めた。
ヘリックは胸ポケットからタバコを一本取り出すと、彼に勧める。結構です、と手で制され、仕方なしに口に咥える。
「しかし、すぐにも鹵獲するべきでした。そうすれば、よかったのです」
「嫌味だな。ま、操縦者やってると少しは紳士的になるんだよ」
ヘリックはライターを出して、火を灯す。タバコの先を手で覆って、ライターの弱々しい火がゆっくりと乾燥した葉を焼いていく。
「それは気の迷いと言うのです。戦場で敵を逃せば、次また襲ってくるのです」
「撃退すればいい」
ヘリックがそう断言した。
副艦長の言うことは真実である。ヘリック自身、かつては敗残兵であった。そのために逆襲するものの底力と言うものは体得しているつもりだ。同時に、立ち直るだけの精神力がなければ、怯え竦んで戦いから尻尾を巻いて逃げるのもまたセオリーである。
前者か、後者か。〔アル・ガイア〕の操縦者が三名だと知ったヘリックには、興味深いことであった。
「女の子三人という可能性があるなら、見てみたいものだな」
それは予測であるが、ヘリックにはケルンで出会ったマフラー少女と一緒にいた金髪の少女とコートの少女だと考えていた。あのバイン・アウトーの逃走劇を思うとより確信めいたものを感じてしまう。
そこへ作業員が慇懃に帽子を取って歩み寄ってきた。それを視界に入れたヘリックはその方を向いて威厳のある声で言った。
「データの洗い出しは急いでくれ。が、時間が来たら切り上げていい。それまでは尽力しろ」
「ハッ。承知いたしました」
そう言って、作業員は頭を下げて帽子を被り作業へと戻った。
ヘリックはまだ納得のいかなそうな副艦長に向きなおって、一服紫煙を吐き出した。
「逃げるので手一杯。主力兵器もほとんど使い物にならない。お前ならどうする?」
「逃げますよ」
「だろうよ」
ヘリックはヘリに腕を預けながら、ライン河を越えた地平線を眺める。見渡す限りの平地の中にぽつぽつと茂みがある程度の爽快な光景である。しかし、地平線の中に茂みとは違う大きな黒い影があるのを確認する。
それは〔エクセンプラール〕の艦影で、肉眼ではゴマ粒程度の大きさにしか見えない。動いている気配はなかった。
「だが、脳みそを使って戦いに出ようという人間もいる」
「歴然たる差を知ってなお、向っていくのは馬鹿ですよ。戦略的じゃない」
副艦長の言葉には厳しさがある中に、現実を直視する冷静さがあった。戦術レベルの、それも勝算の少ない戦いを挑むのは馬鹿げている。〔アル・ガイア〕が特別な機体であるならば、それを修理するために尽力するのがセオリーだ。回復を待って、再度攻撃を仕掛けるのが有効とみるべきだ。
それがかなわない以上は、彼らはもう詰んでいる。命が惜しければ、戦いなどしないだろう。
ヘリックは副艦長の言葉に皮肉な笑みを浮かべて言う。
「ああ、そうだろうよ。だがな――」
ヘリックはタバコを手に持ち、ヘリの外に灰を棄てる。パラパラと落ちる灰が風にさらわれていった。
「追い詰められた奴はそれでも、生きるためなら戦っていくものさ」
「東洋の『窮鼠猫を噛む』というやつですか?」
「そうだ。敗残兵の中には色々と煮え切らない思いを抱いて、挑んでくる奴もいる。オールド・ウェストの戦線じゃ、そういうのはよくあったものだ」
ヘリックは懐かしそうに故郷の大地を思い出しながら、この平原の光景と重ねる。
「ヨーロッパから流されてきた武器を買った連中が、息巻いて戦争を仕掛け、勝利する。踊らされているとも知らず、金銀財宝かっさらう。負けた連中は道具扱いだ。あそこで作っている食い物がここのお貴族様のお菓子のためだと知った時は馬鹿げてると思ったね」
副艦長は息を呑んで、彼が妙に穏やかな顔をしているのが気になった。そして、彼自身植民地支配をうける土地の出身であったから、嫉妬の念もあった。
「プランテーションは最悪なものでした。そこから抜け出し、自由を手に入れるために戦うのはもっともです。あそこで生き続けるよりは死んだ方がマシでした。しかし、この場合は違います」
「ヘッ。違わないね」
ヘリックは鼻で笑ってタバコを咥えた。
「俺たちは戦争で負けて、ここに流れ着いて、それでもなお抵抗している。アイツらにだって譲れないモノの一つもあるんだろうよ」
「だからこそ、我々は真の勝利を収めて、故郷を開放しようしなければならないのでしょう」
それがヘリックの部下たちの総意でもある。生まれた国、育った土地は違えど、白人種が築いた不平等社会を打倒し、故郷にいる人々の自由を手に入れるために戦っている。ここでの平等権など眼中にない。ただ、懐かしい故郷の地に帰って人権を取り戻し、誤った考えを正したいのだ。
崇高なる目的を阻むのであれば、それはすべて敵である。
〔アル・ガイア〕が障害として立ちはだかるならば、粉砕し、ひいては修道騎士団、教会の教義を破壊していく。
「なぜ、我らを阻む理由があるというのでしょうか? いいえ、あっていいはずがないのです!」
副艦長が興奮した様子で言った。
「目的が崇高か、高潔かどうかなんてのは結果でしかない。やってることは、修道騎士団の異端狩りと変わりはしねぇよ」
ヘリックはおかしそうに言った。
それには副艦長も鬼の形相になる。敵対する組織と同じことをしているなどと認められるはずもない。
彼が口を開こうとした瞬間、ヘリックの野太く重たい声が発せられた。
「しかし、だ! そいつにかけた信念は伊達じゃねぇんだよ」
ヘリックは愛機の背中を仰ぎ見ながら、タバコの煙を吐きだす。
今口に咥えているものすら、故郷のプランテーションで栽培されたものが加工され海を渡ってきたものだ。この苦くも、甘ったるい味が、彼の故郷を辱めた相手への怒りを忘れさせない。
教会がいくら強大で絶対的な権力を誇っていても絶対防壁ではない。
ヘリックは背筋を正して、副艦長に向き直る。威厳を湛えた鋭い瞳は有無を言わせない迫力を宿している。
「負けるわけにはいかないんでな。お前も覚悟をしておけ。奴が動こうものなら、俺一人でケリをつける」
「了解しました、艦長」
副艦長は反論したいことをすべて飲み込んで、その提案を受け入れる。
それを見て満足したのか、ヘリックはズボンのポケットから鍵を一つ取り出して、副艦長の手に握らせた。
「何かあった時は頼むぞ」
「……はい」
副艦長は自分が握らされたものを一目見て、込みあがる想いを堪える。握らされたのは艦長室のカギである。ヘリック自身はあまり使うようなことはなかったが、艦長の証として一応持ち歩いている。そして、彼がその部屋を使うのは決まって、あるものを保管するときだけである。
「ああ、そうそう。アイツにいつもの定期便も送っといてくれ」
「それが最後でないことを祈りますよ。奥さんなんでしょう?」
「口約束のだ、所詮。コレだけは我がままなんでな」
ヘリックはへらへら笑って、残り少ないタバコを甲板の外へと弾き捨てる。
故郷に残した人を思い。その人の自由を願って、彼は戦うのである。
* * *
〔エクセンプラール〕の艦体に寄りかって〔アル・ガイア〕は千切れた左腕部の切り口を左肩部に押し当てていた。その傷口には金属の粘液がこぶのようにまとわりついて、凝固している。脚部を伸ばし、可能な限り日光を浴びる面積を増やして修復に努める。
一方で〔エクセンプラール〕の艦橋では沈痛な面持ちの大人たちが、デスクに広げた地図を眺めながら唸っている。役員会の老人たちもおり、彼らは厳しい口調で意見を述べる。
「まったく、何てざまだ。これでは計画がパァではないか!」
「状況は不利ですわね。船だけでも動かして、アーデル・ヴァッヘは破棄いたしましょう」
「どうせ使えぬのだしな。重荷になるなら、捨てた方がええ」
彼らの視線の先では、申し訳なさそうに項垂れる柾と顔を埋めて膝を抱える結子の姿があった。二人とも震えており、大人たちの声に脅えていた。
戦いの中にあった緊張が今になって限界を超えて、足が竦んでしまっているのだ。
「先程までげぇげぇ吐いていながら、なんて厚かましい子たちなんでしょ。臭いったらありゃしない」
「もう一人も血を吐くまでに弱っているとか。だらしのない」
「やはり、子供に任せたのがそもそもの間違え……。誰か、他に使える奴はいないのか?」
「機体は捨てる先ほど言いましたでしょう? ボケですか?」
その一言で老人たちはけたけたと笑う。
何が面白いのか、わっぱりわからない。彼らからすれば若者が自分たちのために何もしてくれないという不満を好き勝手言っているだけだ。
「…………」
柾はマフラーを上げて、赤くなった鼻先や赤く腫れた目元を隠した。それから湧き上がってくるつらい気持ちに思わずすすり泣く。
何も知らないで、好き勝手にいう老人たちに怒りを覚える。この場で飛びかかって、殴り飛ばしたいとも熱くなる頭で思う。
そう思っても身体からは力は抜けるばかりで、柾は弱々しく床にへたり込んだ。
失望を含んだ重いため息がそこここで上がった。
「これもミトが甘やかした結果か……」
「お前のしつけがなっていればこういうことにはだな――」
役員たちが調子に乗って口々に言う。
その心無い言葉に、柾は潤んだ瞳をマフラーから出して役人たちを睨んだ。
「ずるいよ……」
震える声で、幽かに言った。
柾たちが必死の思いで帰ってくれば、今度はその責任をミトに押し付ける。そういう人たちが偉そうにしている。
と、彼らに囲まれてずっと地図を眺めていたミトがゆっくりと顔を上げる。その瞳は淀んで、恐ろしいまでの殺気を放っていた。
「言いたいことは、それで全部ね……」
「だったらなんだ? わしらを船からたたき出すか?」
「素直に聞かないでしょ、その能天気な禿げ頭じゃね」
ミトは悪態をついて、全員に目を配らせる。
小娘がいきがっている程度にしか考えない役人たちは高慢な態度を見せつけて、自分たちがいかに無力なのか考えてもいない。それが禿げ頭なり、皺だらけの肌なり、弛んだ皮なりに出ているのをまだわかっていないのだろうか。
言われた禿頭の老人は顔を真っ赤にするが、ミトの矢継ぎ早な言葉が遮る。
「現状は圧倒的不利。あなた方が言った戦法もよし。けど、そこでわたしたちの旅もお終いよ」
「やってみなければわからんだろうに」
主張の激しい役人連中が頷く。
「だったら、やってみなさいよ。あなたたちの手で何かをしてみろって言ってんのよ!」
ミトが駑馬を浴びせる。
それには柾も結子も驚いて、思わず流していた涙が引っ込んだ。
「ミト、さん……」
それはずっと前に、柾がミトたち大人に言い放った柾の言葉である。
子どもを売ってお金に換えるやり方が気に入らなくて、老人たちの無能さに怒りを覚えて口走った。今、それをミトが口にしていることに、胸が熱くなる。
「さっきから聞いてれば、偉そうにぺちゃくちゃと……。川向こうの相手に命乞いでもして、あなたたちだけ助けてもらいなさいよ。それで、怪我で苦しんでいる人の事やここでの生活の事で文句を垂れる、穀潰しどもがいなくなるなら清々するわね」
「な、何だと……」
「言い返してみなさいよ? え? はっきり言ったらどうなの!?」
ミトの強い剣幕に誰もが押し黙る。
柾と結子は呆けて、彼女の力強い立ち姿を見詰める。すぐにもフライハイトの〔AW〕が攻め込んでくるかもしれない緊張の中で、彼女は真っ直ぐに自分の気持ちを口にしていた。
「この子たちに助けられてばっかりで、情けなくないの? わたしたちがしなきゃいけないのは、本当はこの子たちを守ってあげることのはずよ。それを道具みたいに扱って……」
ミトは声を張りすぎて、一度は押し黙り、息を整える。
柾と結子はそんな彼女の姿に目頭がまた熱くなる。己の弱さ、そして、自分たちのために主張する大人の苦悩に打ち震える。
この人のために、何ができる。何をしてあげられるだろう。
柾の頭の中に、自問する声が響いた。
「では、どうするつもりだ?」
おずおずと誰かが言った。
そうなると数ある方法の中で決定をしなければならないのがミトの役割である。
ミトも厳しい表情を浮かべて、最善策を考えるが思いつかない。〔アル・ガイア〕を失えばこの旅で生き抜く術をなくしてしまう。帰る土地も身を寄せられる土地もない。自分たちで切り開くしかないのだが、それにはどうしても戦うしかない。
「それは……」
ミト自身が戦えるのなら、そうしていただろう。しかし、不自由な右足を恨めしく睨んでそんなことができる身体ではないことを痛感させられる。
「あ、あたし――」
と、柾が震える声で言葉を絞り出す。
「柾……」
座り込んでいる結子が隣でゆっくりと立ち上がる彼女を見上げる。
「あたし、ここで終わりたくない……」
柾は足に力を込めて、大人たちを見る。ミトが厳しくも、悲しげな眼差しを向けてくる。その視線が辛くて、だが、とても嬉しかった。心配してくれる人がいて、その人を守りたいという心はまだ死んではいない。
彼女の言葉一つ一つが柾の弱くて繊細な心を立ち上がらせる。
大人たちがぎょっとして、小さな少女を見詰める。ぶかぶかの袖に埋もれた手は、チョッキの裾を掴んで震えている。
「あの子を、他の人の手に渡したくないの」
「そりゃぁ……、そうだろう。なぁ?」
若い男が同意を求めるように視線を配った。それには役員もクルーも頷いた。
ミトだけが厳しい目をしたまま、彼女の震える声を傾聴する。
「ただ強くて、人殺しのために使ってほしくないの。フライハイトとか、修道騎士団に渡ったらそうなっちゃうんじゃないかって怖いから……」
住み慣れた町が焼ける光景を思い出して、ぞっとする。
もう遠いことの出来事のように、しかし、鮮やかな光彩を持って脳裏に焼き付いている。炎の壁、溶けていく鋼、そして、死んでいった人たちの亡骸。
〔アル・ガイア〕にもその力が備わっていて、普通の〔AW〕以上に恐ろしい力をまだ持っている。そして、あの機体内のメモリに残されていた映像。
柾は荒々しく鼻をすすって、大粒の涙を一筋流した。赤くなった方を伝う滴には、彼女の辛苦と優しい思いが詰まっていた。
「もっとあの子のことを知らなくちゃいけないの」
「あなたに、そこまでする義務はないのよ?」
その時、ミトが厳しい口調で言った。
「――――っ」
結子は唇を噛んで、視線が下に向く。彼女の言う通りだ。たまたまの出来事をきっかけに命までかける理由が結子にはなかった。
あと一歩、立ち上がる勇気が出ない。
「責任感が強いのもいいけど。そこまで無理をしなくてもいいのよ」
ミトは彼女たちに力がない、と言っているのではない。
これ以上責任だけで戦うのはおかしなことだ、と言っているのだ。〔アル・ガイア〕は確かに凄まじい力を持っている。最初から少女の小さな手に収まる代物ではない。
「そんなのわかってる……っ」
柾は肩を震わせて、敵と同じことを言うミトを見据える。
「あたしっ、あの子をただ戦うだけの機械にしたくない。みんなの役に立つ、いい子したいの! きっとその道があるはずで、それを見つける!」
柾はミトの姿や、傷ついた〔アル・ガイア〕のことが頭の中でぐるぐると巡ってそう叫んだ。
敵が、命を取ろうとまでした敵が、どういう思いでその言葉を投げかけたのかわからない。
難しい論証ができるほど、語彙力があるわけでもない。いろんな、言葉にならない思いがないまぜになって、一番単純なことを口走っただけかもしれない。
「それが、あなたの本心なのね?」
ミトの問いかけは慎重で、柾の意志を試すようであった。
「……うん」
柾は頷く。
しんと静まり返って、少女の気持ちに役員たちは呆れていた。そんな戯言を聞いているほどの余裕はないのだ。わけのわからないことで時間を使ってほしくないと首を振る。
すると、ドアの方でひょっこりと髪を乱したフォノが顔を出す。顔面蒼白で、口を堅く結っている。そんな彼女の目に、大人たちの隙間から幽かに見える泣きべその柾の姿が見えた。
「柾……」
か細い声でフォノが呼ぶも、誰もその声を聞き取ることはできなかった。
「じゃぁ、あなたはそれを実現するために、次に来る敵に対してどうするのか聞かせてちょうだい」
重々しいミトの声が響いた。現実と向き合わなければならない、冷徹な促しであった。
それには柾も先の戦いを思い出して、足が震えだす。
「あ、あたしは……」
口の中がさらに酸っぱくなって、喉が引き攣ったようにうまく声が出ない。逃げたい気持ちでいっぱいで、動機も激しくなる。
気持ちを落ち着けようと大きく息を吸っては吐いて、ミトの顔を見る。
「あたしはっ!」
柾は自分の心に言い聞かせるように声を張り上げる。
俯いていた結子が泣きはらした目を向ける。フォノが緊張して身体を強張らせる。大人たちはただ驚くばかりである。
「もう逃げたくない。ううん、逃げない! 逃げたりなんかしないもん!」
かつて自分が犯した罪がチラついて、柾の中で膨れ上がる。それは決して許されないことだ。悔やんで、悔やんで、辛くなって、それでも悩むことを止めない。
「ここにいる人たちと一緒にまた平和に暮らしたい」
すべきことをしようと柾は決める。彼女が口にした目的を果たすためにも。
「だから、戦う。そうしなきゃ、生きていけないもん」
生きるために、戦わなければならない時がある。
柾はまだそれの善悪が定まらず、不安定なままであった。それでも前に踏み出すには、背を向けるより転んでしまうくらい駆けだすしかないのだ。
ミトは悲しげな眼差しを向けて、口を開こうとした。
「わたしも、柾が戦うなら戦うわ!」
「フォノ!? あなた……」
ミトはドアの方を向いて、ストールを握りしめて立つフォノを見た。
柾も驚いた表情を浮かべて、力んでいた肩がゆっくりと下がっていく。
「一人で戦うなんて無謀だもの。わたしにも手伝わせて」
ミトは大人たちの群れを周って、柾の横に立つ。ぼさぼさの金髪や、やつれた顔は無理をしていると誰の目から見てもわかる。
それでも彼女もまた逃げなかった。
と、結子がぽつりとつぶやく。
「あたしも、頑張る」
結子が震える膝を支えに立ち上がる。
「結子まで……」
ミトがか細い声を漏らす。
「ずっと、二人の後ろをついてきた。けど、見送ってしまったから、今度は一緒に行く」
力強く結子は言った。
未だ過去に縛られて、それをうまく受け入れられない少女たちの友情。その傷跡はしかし、確かな絆であった。後ろだけではなく、前を向いていける力となる。
手探りで危なっかしいが、柾たちはそれが今の最善だと考えるのだ。
ミトは三人並んで立つ姿に咎める口を忘れて、重々しいため息を吐き出す。
「負けない?」
その質問に、柾たちはぐっと涙を堪えて声を揃えて言う。
「もちろん!!」
迷わぬように自分の心に楔を打つように三人はしゃんと胸を張る。
すると、ミトは悲しい顔つきから真剣なものとなる。
「わかったわ。こっちに来て、一つ提案があるの」
そう言われて柾たちはデスクに歩み寄り、ミトの細い指が指し示す箇所を見た。
「ここで決着をつけるのはどう?」
柾たちが目にしたのは、現在地よりさらに北上したところ。ライン河をさらに下った場所である。
「…………?」
そこは小さな湖がいくつも密集した、変わった土地であった。




