~古都~ 帰艦の情動
柾たちがケルンを出たのは、空が紅に染まるころであった。バイン・アウトーを適当なところで乗り捨てて、渡り船でライン河を渡河するまでは順調であった。
しかし、それを上回る速さで修道騎士団の展開していた。渡った先でも騎士たちが街道を敷いて、出ていく商人たちも渋々といった様子で街にとどまっていた。
修道騎士団の主張は、修道図書館に侵入した三人組を見つけるためだとか、備品のバイン・アウトーを盗んだ三人組をつかまえるためだとか、とにかく三人組の盗人の情報を集めていた。その中には必ずと言っていいほど、背の小さい女の子という単語が出てきた。
柾たちは冷や汗もので、ほとぼりが収まるまで茂みに身を隠し、家々の隙間に潜み、樽の中に潜伏……と修道騎士団の監視の目を逃れてきた。
厳戒態勢が緩んだ隙をついて、柾たちは街道から外れた茂みから抜け出すことに成功した。
そして、埃に塗れ、汗に濡れ、体力の限界を超えて、〔アル・ガイア〕までたどり着くとようやく帰路につくことができた。
宿場町に停泊している〔エクセンプラール〕に到着したのは、太陽も沈んだ夜のことである。夜空を彩る星と欠けていく月が輝く。
「こんな時間まで一体、何をしてたの?」
〔アル・ガイア〕を横たえさせて、アイランドに入るドアの前でミトが腕組みをして柾たちを迎える。その顔には青筋が浮かび、口の片端が引くついていた。
「色々あって……」
柾が愛想笑いを浮かべて、弁解する。
フォノと結子は疲れて反論する元気もなかった。それ以上にミトから漂う怒気に敵うとはつゆほども思えない。
ミトは目元を引くつかせて、首をドアの方に向ける。ドアの陰で野次馬している存在を察知していたからだ。
「あなたたち。先にご飯を食べなさい。少し話をするから」
苛立った声にドアの陰からそろそろと数人の子供たちが姿を現して、怯えながら下がっていく。本当は柾たちを迎えて、外出したことを囃したてて、お土産をせびろうと考えていた。
しかし、それもミトの剣呑な雰囲気から封殺されてしまう。浮かれた気持ちも沈んで、渋々彼女の怒りが収まるのを待つほかなかった。
「ミトさん——」
「あたし、約束したわよね? 日が暮れる前には帰ってくるようにって」
〔エクセンプラール〕を出る前にミトと交わした約束。そうでなくても、普段の生活からも日暮れまでには家に帰ってくるようにと言いつけられていた。
門限を破ってしまったことを柾とフォノは重々承知していたが、それなりの理由はある。
「そうだけど、あたしたち、ケルンで不思議なことがあったの。そしたら、男の人に襲われたり、街から出られないような状況になったりして……。とにかく、早く帰れない理由があったのっ」
柾は縮み上がる思いを押し殺して、整理のつかない事柄を口にする。振り返ってみても、彼女たちにもよくわからないことだらけだ。
ミトは鋭い視線を柾に向けながら、舌打ちをするかのような短い息を吐いた。
「そんな危ない街にわざわざ行って……。みんな心配するでしょう?」
「でも、帰ってきたから……」
「それとこれとは話は別」
柾は温情が汲まれると思ったが、ミトの冷徹な一言で打ち砕かれる。
「でも、わたしたちも必死だったんです」
「本当に色々、大変だった」
フォノと結子がささやかに反抗する。
すると、ミトは盛大にため息をついた。呆れた風で、聞く耳持たない。
「大変だったのは、その汚い服を見ればわかるわよ」
言って、ミトは柾の頭に乗っかっている枯葉をつまんで捨てる。
ドア向こうの光に浮かび上がる三人の汚れた頬や衣服を見れば、ミトとて彼女らの言葉が嘘でないことくらいわかる。が、怒りを覚えるのはそういう事情云々を加味するものではない。
感情的な問題であったし、ミトが親代わりをするから怒ることに他ならない。
柾は首をマフラーにうずめるようにすぼめて、上目づかいに彼女を見上げる。
「疑ってるわけじゃないの。けど、あなたたちはまだ子どもで、いつまでもフラフラしてちゃいけないの、わかるでしょう?」
「……子どもじゃないもん」
柾がマフラーの下で唇を尖らせて、つぶやいた。
「そういう拗ね方がまだ、子どもなのよ」
「なんで?」
柾は一度言葉を区切り、何かを思いついたように口滑らかに言う。
「あたしたちがいなきゃ、アーデル・ヴァッヘが使えないから、意地悪するんでしょう?」
「…………」
ミトが目に見えて、怒りの形相になる。
「それに今日は何の日か、知ってるわよね?」
その一言に、柾とフォノが顔を合わせて小首をかしげる。
結子だけが申し訳なさそうに手を前に組んでうなだれる。
「出港の日、です」
「そう。本当なら、夕方にここを出る予定だったんだけど……」
ミトは語気を強めて、柾とフォノを睨んだ。
二人はぎょっとして肩を震わせ、思い出す。ケルンでの出来事に整理がつかず、そうした〔エクセンプラール〕の事情が頭から抜け落ちていた。
「あなたたちの帰りが遅いから、一日余分に停泊することになりました」
「お金の話?」
フォノがおずおずと尋ねる。
ミトは腕組みしていた腕を腰に当てる。それから、腰を折って彼女たちの目線に合わせる。その目はいつになく不機嫌になっていた。
「そしたら、お金がこの場に出てくるの?」
「…………」
「どうなの?」
「……いいえ」
口籠る三人は視線を合わせて、静かにそう答えた。
それでも、怒られる理由がわからず、どこか納得のいかない気持ちがくすぶる。ミトがお説教をする理由がわからないまま、彼女たちの中でも不満が渦巻き始めていた。
ミトも盛大なため息をついて体を起こすと吐き捨てるように言う。
「今日は晩御飯抜き。外で寝なさい」
「どうして!? お腹空いてるのに」
柾は声を大にして抗議する。
「外も寒いわ。お願い、ミトさん。せめて、船に入れて」
フォノはミトにすがるようにして言った。その目は潤んで、今にも泣きだしてしまいそうであった。
外は夜寒が身に染みるほど冷え切っており、洗濯紐を揺らす風も氷のよう。一晩外で過ごせば、身も凍りついてしまう。死んでしまう。
がミトはフォノを力ずくで引きはがして、声を荒げる。
「あなたたちは、アーデル・ヴァッヘが使えるんでしょう。それでなんとかすればいいのよ。家に帰ってくるのが遅くっても、それで困らないって思ったんでしょう!?」
「違う……」
結子が消え入りそうな声で否定する。
ミトはきっと視線を彼女に射る。
「家がなくても、機械があればやってけるものね。そういうことなんでしょう?」
結子は違う、と声に出したつもりでいたが、実際は唇がかすかに震えただけだった。耳の奥ではしっかりと自分の声は聞こえていても、はっきりとした形にはならない。
高圧的なミトの瞳が食い入るように覗かれると、結子は押し黙って思わず、すすり泣いてしまう。
「泣いたからって、許さないからね」
「ミトさん、急に厳しくなってズルいわ」
フォノも震える声を抑えようとしながらも、裏返ってしまう。
「ほらっ。泣くってことは自分に悪いところがあるって思ってる証拠よ」
「そんなことない……。ないもの……」
ぽろぽろと涙の粒を流すフォノは震える声で言いながら、その雫を拭う。心がズキズキと痛む。悔しくて、理解してもらえない。そして、怒りをあらわにするミトに論破できない歯がゆさが涙となって頬を伝う。
ミトは厳しい表情を浮かべたままだ。
「荷物は預かるわ。渡しなさい」
「…………」
柾は恨みを宿した瞳を向けながらも、スンスンと鼻を鳴らしている。
ケルンで遭遇したことのすべてを汲み取ってくれない頑固者に対する反骨精神を持ちながら、鼻の奥がツンとする痛みに苦々しい思いを抱く。
「渡しなさいっ」
ミトが再度言うと、結子とフォノがおずおずとショルダーバックを差し出す。
柾もバックパックを下ろして、乱暴に突き出す。
「……ん」
それに対して、ミトは顔を顰めたが咎めるような口はなく、ずっしりと重い彼女たちのバックをかかえる。
「あとで、毛布持ってくるから。よく、反省しなさい」
ミトは戒告して、一度下がる。三人の潤んだ瞳がじっと向けられているのを感じながら、ドアを閉め鍵をかける。ここ以外の出入り口はない。洗濯紐を伝って登ろうものなら話は別だが、簡単には船内に入ることはできない。
冷たい風もない、電気式の明かりに照らされてミトはバックをかかえ、右足を引きづりながら通路の方へ進んでいく。その足取りは重く、酷く疲れている様子である。
先ほどまでの怒っていた表情も崩れて、重たいため息をついていた。
一方で柾たちは月明かりを頼りに、とぼとぼと〔アル・ガイア〕の方へ歩んでいく。悔し涙を流して、すすり泣きながら、静かに唸りを上げる機体に視線を向ける。
「ごめんね。今日は一緒にいさせてね」
柾は腫れぼったい目で〔アル・ガイア〕に言いながら、その装甲にこびりついている土塊に注目する。
柾たちが帰ってくるまで、ほとんどを土の中に沈めて隠れていたのだ。乾いた泥のついたまま、綺麗にしてもらえずに横たわっている姿には申し訳ない気持ちが湧いてくる。
何も言わず、文句も言わず、感謝の言葉も、許しの言葉も言わない〔アル・ガイア〕。
「二人も、こっち来る?」
柾の後を意気消沈してついてくる二人が頷く。すでに頭部の方に回っていたから、柾にはフォノと結子が一人で操縦席にいるのが嫌なのだとわかっていた。
三人は頭部の操縦席に移動する。
「暖かい……」
中に入ると、暖房が作動していた。シートのアームもハッチ側に上がっており、三人は湾曲するモニタの上で寝そべる。モニタは起動しており、満天の星空が映し出されていた。
すべては彼女たちが身に着けているアクセサリから送られてきた情報をもとに、システムが勝手に樹びしたことだ。
だが、心に疲労をかかえる三人は〔アル・ガイア〕が親切心を聞かせてくれたと思った。
「ちょっと狭いね」
「うん……」
手足を曲げて、丸くなって寄り添う柾たち。子猫が身を寄せ合い、身を守る様に三人は互いの体温を確かめ合う。
狭さに嫌気がさす前に、柾たちの瞼はゆっくりと閉じていく。モニタに映る星空の中で彼女たちはすぐに眠りに落ちる。
* * *
「本部からの指令?」
一息ついていたへリック・D・アムソンはデスクに放っていた足を下ろすと、伝令書を持ってきた部下を睨んだ。
へリックたちもどうにかケルンより脱することはできたが、修道騎士団との艦隊に自軍を発見されて尻尾を巻いて逃げ切ったところである。修道騎士団も今回のへリック艦隊の動きは牽制か、挑発程度と認識して〔ガング〕の群れは引き返していった。
だが、船員がようやく安心できるようになったのはつい先ほどである。艦隊はライン河の下流域、平坦な地面にV字の隊形を取って停泊している。見渡しがいい反面、修道騎士団からの発見もされやすい。隆起の少ない場所であるから隠れようとも、ダミーを張ろうと無駄なのだ。
が、追跡もなく、騎馬隊による偵察隊の派遣もないと判断を下したばかりだ。
「伝書鷲による緊急の指令だそうで」
「今頃になって渡すのか?」
「忙しかったんですから、仕方ないでしょう」
部下は伝令書を渡して、軽く首を回した。
「活動していた奴がいたなら、俺たちの手助けの一つもしてほしかったな」
「愚痴はやめてくださいよ。では、自分は見張りがあるので——」
「おい。待て」
部下がそう言ってさろうとするのを、へリックは引き留める。伝令書を面倒そうに手にしながら、膝に腕を置いて体を丸めつつ、部下の面倒くさそうな顔を見上げる。
「いつ来た?」
「それですか? ちょうど、へリックさんが出てすぐですかね?」
「鷲が届けてきたのか?」
へリックは伝令書の角を部下に向けながら問うた。
部下が肩をすくめる。
「そう言ってるます。中身を見てから、考えてみてもいいんじゃないですか?」
「ウチの組織で鷲を使う酔狂な奴、いたか?」
へリックは伝令書を裏表確かめると、びりびりと包みの端を破いて中身を取り出す。
〔ノインツェーント・ブルク〕は伝書鷲を飼っていない。フライハイトの連絡手段として不要だからだ。無論、興信所で飼うケースも聞かない。印刷技術があり、その日の文面にある文字を使った暗号を読み解くのが常である。もしくは飛脚が内々に接触して、届けに来る。
へリックにはそこが解せない。
部下もここにきて、冷静な思考を働かせる。
「確かに……。では、誰から」
「そいつは————、ヘッ。間抜けな鳥もいるもんだ」
へリックは文書を広げて、目を通すと思わず笑いがこぼれた。
上等な白い紙に上品な刺繍、綺麗な活版の印刷文字が並び、その末尾にはご丁寧な印が押されている。雄々しき鷲と十字をかたどった剣の紋章をかたどった印である。
部下が訝しんでいると、へリックが悪相を浮かべて文書を見せる。
「修道騎士団への伝令だよ。それにコイツ、かなり運が向いてる」
部下は彼の凶悪な雰囲気に息をのみつつ、文書に目を通した。
そこには、確かに幸運としか言いようのない記述がされていた。怪我の功名というべきか。修道騎士団よりも頭一つぬきんでていることになるだろう。
「凄い。凄いですよ、これは。艦隊の損傷も大したことはありません。イケます! 必ず!」
部下が息巻いて興奮する。
へリックも高まっていく高揚感に打ち震える。
「さて、悪魔狩りと洒落こむか?」
久々の大きな獲物との戦いを予感する。
ケルンでの少女たちとの追いかけっこより、スリリングで血がたぎる。彼御自慢の〔AW〕、それもポーン級とは一味も二味も違う上位機、ナイト級を全力で奮える相手だろう。
その文書には黒い、三〇メートルはあろう〔AW〕、仮称を『悪魔のクイーン級』の予測進路が書かれていた。ライン河の下流域を渡河するだろう予測されている。
ちょうど、フライハイトが北上するコース上である。
接触の時はそう遠くない。男たちは血のたぎりを覚える。
笑ったように欠けた月はその不穏な未来を暗示しているかのようであった。




