~古都~ 路地裏の怪しい遭遇
表通りの喧騒が遠くなっていた。
柾たちは周囲の暗がりに気付いて、走る足をゆるめて立ち止まる。膝に手をついて、荒くなった息を整える。
「ここ、どこかしら?」
フォノが周囲を見渡して、二人に投げかける。
入り組んだ迷路のような路地。高い家々の陰で埋もれた道は不安を誘い、屋根の間に切り取られた青空と雲の流れが閉塞感を醸し出す。風が巻いて、足元を過ぎればスカートやコートがはためく。
柾は胸元を押さえながら、空を見上げてかすかに黒ずんだ煙が流れているのを目にする。
赤い鼻頭を出して、小動物のように震わせて風の臭いを嗅いだ。ほのかに煤の臭いが混じっている。
「工業区の方に来たのかな?」
柾はマフラーを上げて、暗がりの路地を見据える。来た道を見ても同じで、とにかく匂いが漂ってくる方角か、日光のさす道を探らなければ路地を出ることはできないだろう。
「それにしても、『あの声』どこから聞こえたのかな?」
結子が辟易した様子で逃走の原因を言及する。
図書館での『声』を思い出すと、柾はぞっとして身を震わせる。
「考えたくないけど、あたしたちのこと、だよね? あの言い方はさ……」
「異邦の乙女とか、金の髪の乙女。それに、東と西の血を引く乙女ってどう考えても、柾のことよ。混血の子だなんて珍しいもの」
「だからって、東がヤーパンで西がヨーロッパだなんて決まり……、ないでしょ?」
フォノの発言に柾は拒否反応を示して、喉に絡まる硬いつばを飲み込んだ。その瞳には不安の色があり、右往左往している。
三人の呼吸は先ほどに比べてよくはなっていたが、疲労感がたまり、足が張っていた。
結子も息を整えて、周囲を分析しながら青ざめた顔をする柾を見る。
「東の異邦の乙女があたしなら、そういうことになると思う……」
「嫌っ! 聞きたくない。そしたら、どこからかあたしたちをじぃっと見てるってことだよ? 気持ち悪いっ」
柾はいつになく興奮した様子を見せていた。緊張状態から解放されて、気分がまだ落ち着かないのだろう。
ともに暮らしてきたフォノはその様子を見て冷静な視点を得ていた。
「柾。まだ可能性はほかにもあるわ。お化けとか、幽霊とか、まだ信じてるの?」
「あーダメダメっ! そんなのいないもん——」
言いつつ、俯いて逡巡する柾。
その様子にはフォノも結子もわかりやすい、と心中でつぶやいた。過去のことで神様は信じられなくても、幽霊やお化けを信じるのだから変わっている。
二人の視線に気づいた柾は慌てて顔を上げて声を張った。
「——信じてるわけないでしょう? バカにしないでよ」
その瞬間、彼女たちの足元を何かがさっと抜けて行った。
「ひぃっ」
柾が引き攣った悲鳴を上げて、硬直する。
フォノは足元を駆けて行った影が背後の路地にかけていくのを見て、その正体にほっと胸を撫で下ろす。
「野良猫よ。ほら、柾、猫だから」
フォノはしおらしくなる柾の背中をさすりながら言う。
結子は呆れ半分、懐かしさ半分に口元をほころばせる。
「小さいころから、お化け苦手だったね。けど、さすがに今回のがそれとは限らないと思うけど?」
「だったら、図書館での声をどう説明するの?」
柾は涙目になりながら質問する。
お化けや幽霊の類を頭では信じようとはしないが、その信条と反して本能的にというのか条件反射的に拒否反応を持ってしまうのだ。路地の陰りがその反応を増長させてもいる。
「神様、みたいなことは司祭様が言っていたようだけど……。どうなのかしらね」
フォノは当初のことを冷静に思い出しながら、あやふやな言葉で締める。彼女自身、霊的なものならば神様の方が信じられる性分であった。
しかし、確認のしようもない。図書館に引き返そうにも道がわからない。戻れたところで、入るすきはもうないだろう。
結子は超常的なものを根底から否定する性質ではない。幽霊にしろ神様にしろ何か仕掛けがあるのではないかと疑う用心深さが深い思考の海にさざ波を立てる。
「航路のこととか、機体のこと、あたしたちのことを知ってるのって、船に乗り合わせている人たちくらい。だから、もしかすると……」
「宿場町から何十キロと離れてる場所にいるのよ? わたしたちより早く来るのは無理だと思うわ」
それに、とフォノは少し悲しげに眉をひそめる。
「身内を疑うのはやめましょう。フライハイトの人とかいるけど、旅をする以上はそういうの嫌なの……」
結子はどういうつもりで、乗り合わせているフライハイトの工作員たちを擁護するのか。セルネルのような画策する行動派もいるというのに。
独善的な考えに基づいて言っているのなら、寝首をかかれかねない。結子自身が一番それを理解しているつもりだ。かつての同志であるからこそ、そして、彼女に助けられたことを思い出すとなおのことである。
路地の合間を過ぎる風が鳴る。急かしつけるような、甲高い音色に胸が締め付けられる。
柾は重苦しい空気を感じ取って、笑顔を作って二人の背中を叩いた。まだ幽霊のことが頭に残っていたが、努めてそのことを忘れる。
「暗いのはよくないよ、二人とも。さ、そろそろ出発しましょう」
快活な声にフォノと結子も落ち込み気味だった気持ちを整えて、歩き出す柾の後に続く。
「出口、わかるの?」
「煤臭い方に行けば、きっと……」
柾の言い分に結子は肩を落とした。
フォノもショルダーバックを担ぎなおしながら言う。
「犬じゃないのよ、あなたは」
「けど、頼りになるのこれくらいだもん————」
と、角の所で柾が何かとぶつかった。柾の体が跳ね返って、石畳にしりもちをつく。
「おっと、すまない」
野太い声が返ってきて、柾は顔を上げる。
作業服の偉丈夫がその厳つい顔で見下ろしていた。切り取られた午後の空色で陰りがさし、威圧感が増している。
「い、いえ。こちらこそ……」
柾は乾いた唇を震わせて、絞り出すように声を出す。
背負っているバックパックを軽く触って、中身が割れていないことを確認すると警戒するように立ち上がる。その両隣にフォノと結子がついた。
それと同時に偉丈夫の横にも異邦人の二人がついた。釣り眼の青年と髭面の男。柾たちからは浅黒い肌に見えた。
「へリックさん。こいつらじゃないですか?」
「あぁ? そういうツラか?」
いいながら偉丈夫、ヘリック・D・アムソンは胸ポケットからしわくちゃなタバコを出すと、口にくわえた。イラついた口調が柾たちを威嚇するようで、彼女たちは固唾をのんでとどまってしまう。
と、釣り眼の青年が前に出て、柾たちを覗き込むように見下ろす。
「キミたち、どうしてこんなところにいるのかね?」
「み、道に迷ったんです。初めて来た、街ですから」
その質問に、柾は声を張って答える。変に疑われないようにするためだ。
彼らがどういう類の人たちか詮索するよりも、早く離れた方がいいと胸中に抱いていた。特にへリックと呼ばれた男から発せられる雰囲気は息苦しいものがあった。虎視眈々と息をひそめて獲物を狙う熊のような感じだ。
へリックが咥えているタバコに火をつける。ぼぅっとその先が赤く灯る。
「観光でも、しているのか?」
「買い物を頼まれたんです。ワインとか、雑貨とか……」
なるほど、とへリックは興味なさそうに言って、紫煙を吐き出す。
痺れるような独特の臭いに柾たちは顔を曇らせる。
「実は俺たちもここは初めてでな。状況が……、よくわかってねぇんだ」
「はぁ……?」
思わず、柾たちは顎を引いて上目づかいに男たちを見上げる。
どうしてここまで絡んでくるのか、理解できない。ぶつかったことに対して腹を立てているわけでもなく、まるで探りを入れる様な言い回しであった。
だが、タバコを嗜むへリックは鋭角な口調で詰問する。
「お前ら、フライハイトって組織に聞き覚えはあるか?」
結子が喉を引くつかせて、視線を逸らす。
異邦人という風貌から予測の一つに入れていたが、彼らが組織の一員である可能性が見えてきた。それはおそらく、へリックたちも結子の服装や顔つきから予測していたことだろう。
すると、フォノが勇気を振り絞る様にストールを掴んでいう。
「噂程度には聞いています。解放運動をするとか、どうとかって」
「噂、ねぇ」
髭面の男が黄ばんだ歯をむき出しにして笑う。品のない笑みで、フォノを舐めるように観察する。
「そうです。小さい町でも風の噂に聞きますもの」
フォノが男たちを振り仰ぐ。強い口調で関係ないと主張する。
しかし、胸の奥では一つの引っ掛かりを覚えていた。それは柾も結子も感じいるところで、それを口にするタイミングを計っていた。
髭面の男が上機嫌そうに髭を摩る。
「随分と有名になったものだ。こんな背のちいせぇ小娘にも聞き及ぶとはよ」
「歳はどれくらいだ?」
釣り眼の青年が軟派な気分で聞いた。
「失礼じゃないですか。いきなり歳を聞くなんて」
「オイ。その辺にしておけ」
柾の後に続いて、へリックが苛立った鋭い眼光を振りまいて場を制した。
静かな口調であったが、神経質そうな声音は張り詰めた弓のようであった。いつ感情が爆発してもおかしくない、という気迫があった。吐き出す紫煙にも怒気らしい息遣いが混じっている。
柾たちは怯えながらも、まだ足が動くことを把握する。思わず半歩後退る。
「歳なんざ、関係ねぇ。俺が聞きてぇのは——」
へリックはタバコを手に持つと、深く煙を吐き出す。
「——誰の差し金でこのケルンに来た? 手筈は向こうでやっただろうがよ」
「誰? 手筈? 何のこと?」
柾は気が抜けたように問い返した。彼の言っていることがわからなかった。差し金だとか、手筈だとか言われても意味が分からない。
と、髭面の男が眉をひそめる。
「とぼけてるのか?」
「ボケているつもりは、ないですよ」
結子の返しにも誰一人として納得のいかない様子だった。
へリックは釣り眼の青年を見て囁く。
「どういうことだ?」
「知りませんよ。人違いなんじゃないですか?」
柾はひそひそ話に耳を傍立てながら、逃げるチャンスを窺っていた。確かめたいこともあって、アクションを起こすのはまだ早いと判断する。
しかし、逃走するにしても相手は大人三人だ。意表をついて逃げない限り、体力の差ですぐに追いつかれてしまうだろう。
微妙な駆け引きの中で柾たちは各々息を整える。逆に心臓は高鳴って、焦燥感を込み上げさせる。
へリックもまた用心深く少女三人を一瞥しながら、同僚と打ち合わせをする。
「人違いにしては出来過ぎてはいないか?」
「この組み合わせは確かにおかしいですぜ。異邦人と金髪と————」
髭面の男が横から声を挟んだ。
その聞き覚えのある言葉の羅列に彼女たちは戦慄した。
柾たちは有無を言わさず、体を翻して走り出す。完全に彼らの気が緩んだすきをついて、暗がりの路地へ。
「オイッ! どこへ行く!?」
甲高い男の声が背後から聞こえたが、柾たちは奔逸する。
「図書館の声ってあの人たちだったんだっ」
柾が早口に言葉を吐き出す。
そうでなければ背後から猛追してくる足音に体がすくんでしまいかねない。素早く、ドタドタと騒がしい足音だから、すぐに追われていると理解することができた。
だが、それ以上に背中に容赦なく刺さる視線が頭の中を痺れさせる。
「何か、知ってるな……」
三人の小さな背中が路地の角を曲がるのを見ながら、へリックはタバコを捨ててつぶやいた。作戦について知っているか、ではない。密偵の特徴を口にした途端、逃げ出した。この理由を問い詰めなければいけないと思うのだ。
「追ってくる。諦めてよ」
柾たちは何が何だかわからないまま、とにかく足を動かすことに専念する。




