~古都~ 求めるものは?
夜もまだ始まったばかりのころ。夕食を終えて、ふっと気持ちが休まる時間が〔エクセンプラール〕内に漂う。
「ねぇ、ケルンに行こうよ?」
「ダメよ。ここからどれだけ離れてると思う? 無理よ」
「船ももうすぐ、出発するし」
柾たちは割り当てられている船室でそんな話をしていた。風呂がないために、濡れ布巾で体の汗を拭きとっているところだ。
ムーアを超えて、西の連絡宿場町に到着して早三日。ドトレット・アルマーニュと別れて、しばらくは物資の補給とせせこましいたたき売りをしていた。連絡宿場町、つまりは旅の中継地点であったが、シーズンでないために運輸船も通らなければ、物好きな旅人が頻繁に行き来する場所ではなかった。今は寝床を提供する小さな町である。
補給物資もろくなものではない。逆に冷凍していた魚や編み物などは売れて、路銀集めには困らなかった。
「でも、必要なの不足してるって話だよ? だから……」
「ケルンに行こうって? それだけじゃないでしょう?」
フォノは目を細めて、隣に座る柾を見る。
南に下れば古都と呼ばれるケルンがある。そこはライン河を中心にして交易の盛んな都市である。北上するとブドウ畑で有名な山岳地帯があり、そこからワインや果実が運河に乗って運ばれてくる。生活用品に事欠かないのだ。
ワイシャツ一枚の柾は丹念に体を拭きながら、むくれる。下心を見抜かれたことに、焦りもした。大きく開いた胸元に手を入れて、汗を拭きとっていく。シャツのさらさらした感触が心地よい。
「一日にだけっ。日帰りでさ、パッと行って、パッと帰ってくれば問題ないじゃん」
「まさか、あの子を使う気? やめなさいよ。ただでさえ政教区だっていうのに」
下着姿のフォノが二の腕を拭きながら、すっきりとした感覚にほっと一息つく。それでも、お風呂に入った時の心地よさなどなく、少し不満げである。
「大丈夫だって。むしろ、〔アル・ガイア〕を残していく方が不安」
柾はそう言って胸を張って言う。
とはいうものの、ケルンまで数十キロありバイン・アウトーだけでは行くだけで半日はかかるだろう。〔アル・ガイア〕の巨体は難儀するところだが、右腕部のフェイズ・トランジション・アームで地中に大半を隠して茂みでもあればカムフラージュできる。
「ケルンって工業が盛んだって言うけど、何かあるの?」
結子がチューブトップを着ながら問う。そう聞くのは柾の計略を推移してのことだ。ケルンは工業の都市としても有名でそこに興味があるのでは、と思うのだ。
柾は自分の思惑を隠しきる自信がなくなって、諦観したように頷きながら、
「図書館があるんじゃないかって思うの」
「図書館?」
結子が小首をかしげると、柾はそうだよと腰かけているベッドから立ち上がって、机の上にある桶に布巾を入れる。張っている水が揺らいだ。
「確かにケルンほど大きな都市ならあるかもしれないけど……」
フォノが顎に指を当てて思案する。
図書館はノード教会が保有するものもあれば、貴族が蔵書自慢のために開放しているものもある。前者は信者に対して開放して、後者は有料で開放している。ライン川の流通を持つケルンならば、多くの資料があっても不思議ではない。
「図書館に行けば、このあたりのことを記録した本があるかもでしょ。それを調べたいの」
「あの子、〔アル・ガイア〕が見せた光景について?」
フォノは柾の方を見ながら、綺麗な髪を前に流して櫛で梳かしていく。
結子もそれには疑問で、布巾を丁寧にたたみながら言う。
「図書館にあるかな?」
「行ってみなきゃわかんないでしょ? だから、ね?」
「だとしても、わたしは気が進まないわ」
フォノは不安げに髪を撫でる。物憂げに俯き、長いまつげが際立った。
「どうして?」
柾は肩を上げて、口元を尖らせる。フォノの慎重さはわかるつもりだ。それを含めても、〔アル・ガイア〕の究明は必要不可欠だと決断する。
「気にならないの?」
「ここを空けるのは嫌だし、ミトさんに何て言うつもりなの? それに、あの光景について知るのは怖いわ」
紅蓮に染まる空の色や息もできない焼けた空気、降り注ぐ死の灰。その光景は今も頭に焼き付いている。
フォノが臆病風に吹かれているとは柾も結子も思わない。彼女たちもその光景を思い出すたびに胸が苦しくなる。
今の自分たちが踏み込んでいける領域なのか、と自制して知らない方が身のためにも思える。
それでも柾は説得する。
「大丈夫だよ。一日出かけるくらいで何か仕掛けられるはずもないでしょ?」
「そうだよ。フライハイトの人たち、その…………、女の人と遊んでるから大丈夫」
結子は柾に賛成する。しかし、言葉を選んで発言するも、その内容を思うとほほが赤くなる。
宿場町だけあって、売春宿といったものもある。船旅で鬱屈していた男たちの不満もそうやって発散させなければ、この先の集団生活など安心できるものではない。特に、柾たちのような生娘に手を出すようなことになれば、風紀は乱れてあとは堕落の一途となるだろう。そして、仕事を怠けられても困るのだ。
艦長であるミトが未婚男性の夜遊びを咎めないのもこのためである。そうした男女の交渉にも対処しなければならない。
「結子も行きたいの?」
「うん……」
結子はもじもじと肩を寄せて頷く。
「わたしたちでどうにかできることなの? とてもじゃないけど、知ったところで何かできるとは思えないわ」
フォノは頑なにケルンに行くことに反対する。
過去に起きた出来事であるなら、詮索する意味を感じないし、掘り返してはいけない気もした。それほどの知識もなければ、優秀だとは思わないからだ。
「でも、それでいいのかな?」
柾がはっきりと言う。いつも、諦めてしまう前にそう自問するのである。
その言葉にフォノも思いとどまって、顔を上げる。
結子が立ち上がって、水の張った洗面器のところへ移動する。
「あたしはあの子を掘り出しちゃった責任があるから、やらなくちゃって思うところもあるの……。だから、知らないままでいいのって……。けど、一人じゃ無理かもって」
柾は背後に回って、洗面器に布巾を浸す結子の方を向く。
結子は硬い表情をしていたが、すぐに和らげて柾に顔を見せる。
「機体について何かの手掛かりになるだろうし、調べておいて損はないかも」
「でしょっ!」
柾が瞳を輝かせて笑った。
「だからってケルンは————、いいえ、なんでもないわ」
フォノは反論しようとして、懸念を口にするのをやめる。
政教区であるケルンには駐在する修道騎士団がいる。そのことでまたやなことを思い出すのではないかと心配していたのだ。だが、そう思っているのはフォノの神経質さから来るものであって、柾の思うところではないだろう。
柾とてケルンがどういう場所かくらいはわかっているだろう。それを踏まえていこうというのだから、吹っ切れたとみていいだろう。
「わかったわ。うやむやなまま、あの子を使うのも確かに不気味だものね」
「そうだよそうだよ。ありがとう、二人とも」
柾は満面の笑みを浮かべる。それから、胸の前で手を叩いた。
「よぉしっ! そうと決まれば善は急げ。明朝出発するよ」
「朝、早いの?」
結子が苦い顔をしてベッドの方へ歩いていく。
「もちろん。ミトさんにも話を通しておくわ」
「ミトさんはそう単純じゃないわよ」
フォノは柾を試すように悪戯な笑みを作る。
柾はそっかと胸を上げるように腕組みをして、悩み始める。
すると、結子が洋服箱の上に腰かけて朗らかに提案する。
「オーデコロン、お土産にするのどう?」
「あ。それいいわね。わたしも欲しかったの」
フォノが結子の提案に嬉々として賛同する。
オーデコロンはケルンの老舗が作っており、ヨーロッパに広く普及している。一般家庭でも女性の芳香品として嗜まれている。ただ、田舎暮らしが長いフォノには憧れの品である。
柾は納得いかないらしく、眉間にしわに寄せる。
「それこそ単純な気がする」
「わたしたち毎日働いて汗臭いのに、それくらいあってもいいじゃない。ミトさん、昔はよく使ってたって話してたからきっと喜ぶわ」
「そうかな?」
柾は言いながらも、ふと自分の体臭のことを思った。はしたないとは思うも、手の付け根を鼻に近づけて嗅いだ。
「油臭い……」
女の子が放つ匂いではない。
フォノも自分の毛先を鼻に当ててみて、どんよりとした表情になる。
「髪の毛もなんだか、雑巾臭い……」
「汗臭いの嫌だしね……」
結子も体を拭いたとはいえ、毎日汗臭くなるのにはそろそろ限界である。
せめてお風呂に入って、石鹸が手に入れば、と三人は深いため息をつく。とくに柾とフォノは旅をする前は家畜やパン作りの手伝いをしていても、ここまで体臭を気にすることはなかった。小麦の匂いは心地よかったし、牛舎や鶏舎の臭いが移ってもまだお風呂に入ればよかった。
当たり前としていたことがなくなって初めて実感するありがたみである。
「と・に・か・く!」
柾は気を取り直して、ぐっとこぶしを作ると前に突き出した。やる気満々で作戦の決行を心に誓う。
「ケルンで情報収集、そして、必要雑貨の買い出し、やるよっ」
フォノと結子が続いて、威勢よく返答する。
本来の目的よりも、自分の身の回りに気付かされて焦りがこみ上げていた。
年頃の女の子。それも元服を控えた処女三人がこうも薄汚いではダメな気がする。ダメな部分がなんであるか明確にできなかったが、とにかく女としての自意識があって、それを守るためにも身だしなみはきちっとしておくべきなのだ。




