~湿原~ 夜更けの諸事
〔エクセンプラール〕のエンジン修理には予想以上の時間をつぎ込んでしまった。日はとっぷりと暮れて、星がまたたく夜になってしまった。夜間航行に慣れていないのもあって、移動を控えることとなった。
乗員たちのほとんどが眠りにつき、当直をする数人が艦内設備に維持に努める。就寝している人のほとんどが格納庫内で陣地を張って雑魚寝している。老人や怪我人には船室が与えられ、また数人の責任者が部屋を使っている状態だ。
そんな静まり返った艦内を柾は縦長の円筒状の弁当箱と水筒を引っ提げて、見張り台へと向かっていた。夜通しの見張り役に夜食を持っていくためだ。
もっとも、彼女も今まで機関室の整備をしており、薄汚れたシャツにズボンの寒々しい格好をしている。お気に入りのマフラーも今は腰に巻き付けている状態である。露出した肌は煤で汚れながら、汗で艶やかであった。
「お疲れ様」
「ご苦労さん。風邪ひくぞ?」
「体はちゃんと拭けよ」
「どうも」
すれ違う赤みがかった金髪の若者とその付き添いにそう返して、前を向いた。
見張り台に続く梯子に差し掛かって、上から漏れてくる冷たい外気に一瞬身を縮める。
「さむっ」
そう言葉を漏らしながら、弁当箱と水筒を器用に持って梯子を上っていく。上がれば上がるほど空気はしんと冷たく、全身が縮み上がる。鼻頭も赤くなり、吐く息も次第に白くなる。
「夜食ですよ。あ、ドトレットさん」
「おう。すまないな」
床のハッチを開けて、顔を出す柾にドトレットは腰を浮かせて空間を開けた。
彼は設置されている投光機を使っているようで、ガシャガシャとシャッターが開閉する音がこだまする。
その音にまぎれて、遠くから地響きが聞こえた。
「船ですか!?」
柾は弁当箱と水筒を端に置くと、素早い動きで見張り台の床に立ちあがった。視線を右へ左へと振って、それからドトレットの向いている方向に目をやる。
彼の背中が邪魔なので柾ヘリから上体を出して、舳の方へ目を細めた。
ようやく三日月の下、地を這うような星の群れにまぎれてチカチカと光るものがあった。星の明滅とは違う、確かなリズムと光量がある。
「ああ。この辺を縄張りにしてる同業者みたいだ」
「そうですか? かなり遠いみたいですけど、大丈夫ですよね?」
「こっちがただの渡り船だと知らせれば、何もしては来ないよ」
ドトレットは投光機を操りながら、柾に言った。
柾も暗さに慣れて、相手方の船のシルエットらしいものが見えた。それでも、気を抜いてしまえば、宵闇にまぎれてしまうほど遠い。
「よくこっちがわかったね、相手」
「これくらいはできなきゃいけない」
ドトレットの飄々とした言い回しに柾は疑義を抱いて、その背中に不信の目を向ける。
すると、彼女の視線に気づいたのか、彼は愛想笑いを浮かべて肩越しに見た。
「引継ぎの二人も夜目が利いていたし、珍しいことかい?」
「まぁ、山育ちの人たちだからね。ここの人たちって」
言いながら、柾は浮いていた足を床につける。
ドトレットも発光信号を締めくくって、布張りの座椅子についた。毛皮のコートを引き寄せて、大きく白い息を吐き出す。
「向こうなんて?」
「旅の無事を祈る、ってところかね。常套句だよ」
そっか、と柾は納得して床に置いている弁当箱と水筒を手にした。
「どうぞ。簡単なものですけど。あと、こっちはアイスティです」
「こうも寒いと、あったかいものが恋しい」
ドトレットの言い分はわかるが、そこまで用意周到にできるものではない。保冷器具はあっても、保温器具はないのだから。
「朝になれば、飲めるよ」
柾は彼の身体にまとわりつくようにして弁当箱と水筒を渡しながら、ふと伝声管にかかっている見慣れない器具を発見する。
ドトレットは煤臭い女の子はどうかと思ったが、温もりと女性らしい弾力には内側から熱くなるものを感じて少しばかり感謝した。見境のない女の子だとは思うも、時にはこういうのもいいものだ。
「これ、何ですか?」
柾が体を乗り出して、見慣れない器具を手に取った。ヘリにつかまって倒れかけの態勢を維持し、手にした物を観察する。
「六分儀。こいつで位置を計るんだ」
「それで現在位置がわかる?」
「コイツ以外にもいろいろあってね。そういうのを使って計算する」
「なるほど……」
柾はしげしげと眺めて、弧を描くメモリと望遠レンズ、振り子のように動かす基部をひとしきり弄る。
ドトレットが地を這うような低い月明かりの中で、弁当箱を開けて中からバターが塗られた黒パンの切れ端を出して口に含む。
その所作で毛皮のコートが柾の素肌をこすって、妙にくすぐったい。
「ふふっ」
「面白いか?」
ドトレットは柾の可愛らしい笑い声を好奇心からくるものだと予想した。
「毛皮がくすぐったいの」
柾は六分儀のひもを伝声管にかけると体を起こした。
それから、満天の星空を見上げて一つ白い息を吐き出す。
「綺麗……」
「星を見て綺麗って言うのは女の子だね」
ドトレットは皮肉っぽく言ったが、夜空を見上げる柾の澄んだ瞳に内心驚いた。煌めく星空を吸い込んだ瞳の色は無垢な宝石を思わせる。
「乙女チックなところがある」
思わず吐息に混じってそんなことを口走る。
機械いじりをしていようとも、ロマンや夢物語が好きな子なのだ。
柾は肌寒さを思い出しながら、胸に灯る小さな感動ともに打ち震える。見上げた先に輝く星々の数々はどうして光っているのか、天蓋のように覆い尽くしているのか、不思議で仕方なかった。
「昔はこの空の上にも陸地があったって話、聞いたことあるか?」
「お伽噺の二人の勇者が行った、天の島国って奴なら聞いたことある」
ドトレットが水筒からアイスティを蓋のカップに注ぎ、柾に勧める。
柾はヘリに腰を寄せて、彼を見ながら手を振って断る。
「有名なお伽噺だからな。でもな、そいつが本当だって信じている奴がこの世にいると思うか?」
ドトレットはカップを引っ込めて、背中を丸めながら言う。
「誰も見たことないし、人は空を飛べない。だから、物語の空想って思うな、あたしは」
「確信はないってことは裏を返せば、可能性もあったということだ」
「その考え方って夢想家だって馬鹿にされるよ?」
柾はいい年の大人がそんな空想にとらわれているとは思いたくなかった。現実に侵食する空想ほどたちの悪いものはない。だが、彼が生活破綻者かと言えばそうでもない。
線引きができていると思う。
柾はその線引きがあいまいで、空に陸があるのなら信じていたい気持ちである。
ドトレットはアイスティをぐいっと仰いで、そのハーブの苦味と風味に目を瞬かせる。鼻に抜ける香りと甘く残る後味が眠気を吹き飛ばした。
「夢想家、か。だが、この土地を見ているとあったんじゃないかと思う」
「どうして?」
「知らないか? ムーアは空の陸地から降ってきた神罰の矢に焼かれて、瘴気に満ちていたって言う話?」
「聞いたことないかな。けど、それも物語。確信じゃないじゃん」
柾フォノとミトが話していたものと合致させながら、しかし、それが現実的でないことはわかっていた。
ドトレットも自分の話に苦笑して、黒パンを一口噛んで飲み込んだ。
「そうはいっても、甲板で寝そべってるものを見ちまうとお伽噺だって本気になれるところが出てくる」
「ああ…………、それはわかるかも」
そういって、柾はヘリから離れて、甲板の方へと体を寄せる。それから、眼下を覗いて、胸の奥がつかえたような不安が湧き出る。
月光に照らされた黒銀の鎧。大きな巨体はピクリともせず、光のない四つ目とカメラを天に向けて仰いでいる。考えても見れば、その従来の〔AW〕とは違う機構や巨体、駆動系を有したモノはまさに革新的代物だ。
だが、〔アル・ガイア〕は地の中で身を丸めていた。お伽噺の黒い勇者のような特徴はそれを意図して作られたかのように。あるいは〔アル・ガイア〕をモデルにして黒い勇者の話が出来上がったのではないかと少女は夢想することもあった。
「ただのアーデル・ヴァッヘなら騎士団が体よく使いこんでいるんだろうが、そうじゃない。掘り起こした奴らがいて、それに従属している。正義も大儀もないんだよ」
ドトレットは本心を吐露して、干し肉の切れ端を咥える。肉の味と効きすぎるスパイスの味を濁らせながら楽しむ。
柾はその通りだと内心頷いて、ヘリを掴む手に力が籠る。
「そうだろ?」
「うん。まぁ、扱ってる人が体たらくだからどうなることやら……」
柾は他人行儀に言って見せて、ヘリから手を放す。
それから、床のハッチを開けてもう一度ドトレットに顔を向ける。
「見張り、お願いしますね」
「おう。夜食の礼を作った人に言っといてくれ」
「わかった。それじゃ、おやすみ」
柾はそう言って、見張り台から艦内へと体を引っ込めた。
結子は燭台の蝋燭の火の元、日誌をつけていた。簡素な部屋には机が一つとベッドが二つ、服をしまう大きな木箱がある程度で、ここを柾とフォノと共有して使っている。
夜更けの冷たさが露出した肌に染みる。下着姿であるから、上着でも羽織るべきかと考えたがやめた。
結子は羽ペンにインクをつけて、冊子にした藁半紙の束にペンを走らせる。淡いオレンジの光に照らされる紙面と濃い影が目に残る。
さらさらと走るペン先の音が部屋に染み渡る中で、ベッドで寝ているフォノの寝言が時折沸き立つ。それはしゃっくりのような可愛らしさがあって、疲れを吐き出す嗚咽のようにも聞こえた。
結子も思わず重たいため息が出てしまう。しゃっくりのような寝息が上がるたびに、彼女の心臓まで跳ね上がる。日誌は秘密なのだ。
すると、ドアのノックする音が聞こえた。
「誰?」
結子はペンを止めて、席から立ちあがる。
「俺だ。セルネル・シャーオスだ」
ドア向こうから若い男の声が聞こえて、結子は嘆息に似た返事をしてドアの前へ。
セルネルはフライハイトの同志である。旅になってからはあまり接点がなかったのを思い出しながら、彼の動きには興味が持てた。彼らがこの〔エクセンプラール〕を奪おうという策略がどれほど進んでいるのか。
結子は同志としても、柾たちの友人としても知る必要があると思った。
が、自分の今の姿を思い起こす。チューブトップにショーツの無防備すぎる姿を男の前にさらすのはさすがに破廉恥だ。ぶるりと体が震えた。
「少し待って」
結子は小声で言うと、ベッドのわきに置かれている木箱を開けて洋服の束を漁った。
「うぅん……」
「————っつ」
結子が適当なズボンを手に取った瞬間、フォノが寝返りを打って甘えた声を出した。
びっくりして咄嗟に蓋の部分を支えていた手を離してしまい、ズボンを掴んだ手が挟まれる。音こそしないも、骨がズレたような痛みを伴って目に涙があふれ出す。顔が熱くなり、声を上げたいのを必死に押さえてズボンを引き出す。
手の痛みを必死にこらえながら、ズボンを穿く。お腹との隙間が大きい。腰回りを何回か折って調整すると、机の方へ向かった。
その際に一度フォノの様子を見て、起きないことを確認すると蝋燭の火を吹き消した。
ふっと暗闇が降り立って、結子は壁伝いにドアに来ると、そのドアノブを捻った。ちょっとした隙間から通路の明かりが張り込む。
「何か用?」
「相談がある。大丈夫か?」
「ええ……」
結子はドアを開けて、部屋から出る。
その先で人懐っこい笑顔を浮かべた若者、セルネルと付き人らしい男が厳つい顔をして待っていた。
結子は警戒しながら、後ろ手にドアを閉めて彼と向かい合う。
「話って?」
「そう焦るな。ここだと寒いだろう? ちょうど今、食堂の方が空いて——」
「話しだけなら、ここでいい。違う?」
セルネルの誘いに、結子は固い口調で問いただした。
セルネルたちはその言葉には納得した反応を示してくれた。というより、自分たちの誘い方を不審に思われても仕方ないと思い至った。下心がない、と言ったら嘘なのだ。
横についている男が通路の壁に背を預けながら、腕組みをする。
「そりゃそうだ。でだ、その話って言うのが本隊との合流ができそうだということだ」
結子は瞠目して、口が半開きになる。
これまでフライハイトの動向には注意を払ってきたつもりでいたが、彼らの言う合流の算段の気配はなかった。いや、ローレンツェの印刷所の一件で目の前の煤けた金髪の若者に接触があった可能性はある。
「どういうこと?」
結子は平静を装って、彼らを見比べた。自分の思慮のなさが招いた結果ならば、今抱いている迷いに決着をつけなければならない。
セルネルは見上げてくる黒髪の異邦人に対して柔和な笑顔を見せた。
「次の目的地で、同志と接触できるかもしれない。ライン川の近くにある街だからな」
「でも、ケルンの近くなのでしょう? 修道騎士団がいる可能性はある」
結子は目的地の町とは別に、ライン川のそばにある古都ケルンはノード教会が古くから伝承される土地である。政教区の一つであり、大聖堂を有する。宗教色の強い風習が残っている。
その風土はフライハイトにとっては旧体制の塊であるが、特に暴動や貧富の差が出ている地域ではない。比較的穏やかな雰囲気がある、と結子たちは聞いている。
だから、彼らにとってそこが修道騎士団の休息地であるとも考えるのである。
「それがどうとは限らないから、こうして進んでいる」
「どういう意味?」
壁に寄りかかっている男は怪訝そうに視線を向ける結子に向けて鼻を鳴らした。
男の言葉を汲んで、セルネルが続ける。
「ここの案内人、ドトレット・アルマーニュがそれを否定した。彼はライン川近くの街並みに詳しいようだった。修道騎士団の動きもよく知っていた」
「彼がフライハイトの後援者って言いたいの?」
「確証はないが、働きぶりを見ればそうとも取れる」
セルネルは実直に言って結子の戸惑った顔に違和感を覚える。
「キミがそう図ったものと思ったが、違うか?」
「そんなつもりは、なかった。考えてもいなかった……」
結子は視線を逸らして、ドトレットの第一印象を疑った。鉱業をしている土地勘のある人だと思う。それは今も変わらない。そこにフライハイトを結びつけるのは早計な気がするのだ。
だが、彼が本当に組織とのつながりがあるのなら、この先には嫌なことが待ち構えている。その想像こそ危ういものであったが、歯止めがきかなかった。
セルネルは結子のすっきりしたお腹に一瞬目を取られたが、背後に控えている仲間を意識してすぐに視線を上げた。
「結果的には案内人は色々と教えてくれたから、フライハイトの動きもわかったものさ」
「そう、なの……」
「いずれにしても、この船を物にできるかどうかが問題ではあるがな」
セルネルと結子を交互に見ながら、男が引き笑いをする。
結子は彼らが計算高い方ではなく、思い付きと勢いに乗じているとわかった。計画性がないことに安堵した。そうでなければ、今頃もっと効率的に〔エクセンプラール〕の動きを制御していたはずだ。
セルネルが結子に顔を寄せて、小声で言う。
「キミがアーデル・ヴァッヘの操縦者の一人なのは聞いている。あとは、キミが残りの二人を言いくるめるか、俺たちに操縦方法を教えてくれさえすれば、問題は解決するんだがね」
「武力制圧をする気!?」
結子はセルネルの耳元で叫んで、待機している男が慌てふためいて左右を見渡した。
セルネルは耳を押さえつつ、苦悶の表情を浮かべる。
「声を落としてくれ。聞こえたら事だぞ?」
「だって、その、つい……」
待機している男は険しい顔つきで結子に詰め寄る。
「いつまでもこんな生活をするわけにはいかねぇんだよ。操縦方法の教本くらいあんだろ? よこせよ」
「ないよ、そんなの」
結子は咄嗟に応えて、セルネルたちから離れるようにしてドアに寄りかかった。これ以上下がれないと知りながらも、つま先立ちして少しでも離れようと体が反応する。
一触触発の気配に体が震える。彼らに操縦方法を教えたら、恐ろしいことになる。その考えは間違っていないと確信できる。
男が青筋を立てて、結子の細い首を片手でつかんだ。それから、力任せにドアから彼女の小さな体をはがして中央で宙づりにして見せた。
力強い握力が首を締め付け、結子は悲鳴どころか呼吸すらままならない。
結子は咄嗟に男の腕に爪を立てて掴んだが効果はない。
「なんだと? じゃぁ、どうやってお前はあれを動かしている? 答えろ」
「よせ。大人げない」
セルネルが男の肩に手をかける。
結子は苦悶の表情を浮かべながら、不安で泣いてしまいそうだった。フライハイトへの復帰に決心がつかないから、組織の人たちに疑われる。脅しだって、制裁だってある。
「同志なら、彼女にだって考えがあると思うだろう?」
「どうだか? お前はこいつが気に入ってるからそういうんだろうに」
男はセルネルを横目に見た。
結子の足がふらふらと揺れて、手の力も抜けていく。
「コイツが死んでも操縦者は後二人いる。そいつらに吐かせれば————」
バンッと勢いよくドアが開いた。
「結子を離して!」
その声に男たちはたじろぐ。
セルネルの視線の先には、部屋から出てきた寝間着のフォノがいた。その手には猟銃があり、上下二つの銃口はしっかりと男の眉間を捉えていた。
男は振り返ってすぐ銃口が自分に向けられているのがわかると、結子を手放して、一歩、二歩と後退る。セルネルもそれに同調した。
結子は咳き込んで、その場にへたり込んでしまう。
フォノは彼女の横に立ちながら、銃を構えてセルネルたちを牽制する。
「こんな夜中に冗談がきついぜ? ちょいとからかっただけさ……」
男が冷や汗をかきながら、言った。
対して、フォノは銃口を下げると躊躇いなく発砲した。銃声が通路に響き渡り、弾丸が男たちの股下を潜って幾度か壁と床で跳ねた。
結子がびくりと肩を震わせて、隣に立つフォノを見上げた。その顔つきは真剣なもので、硝煙を上げる銃口を素早く上げた。
「冗談でやってるつもりはありません。あと一発。試しますか? 今度は無数に穴が開きますよ」
「なにか、誤解をしているんじゃないのかな、お嬢さん? 僕らは別に彼女を暴力しようという気はないんだよ」
セルネルが男を庇うように前に出て、銃口とフォノの真剣な表情を見比べた。言葉通りだと言わんばかりの気迫があり、冗談ではなさそうだ。
「誤解? そちらがフライハイトとかいう野蛮な人たちでこの船を危険にさらすのであれば、わたしは構わず撃ちます。友達を苦しめる人も、今、ここで撃ちます」
フォノは冷徹な口調で言いつつ、ゆっくりと息を吐き出す。銃床を肩に当て、フロントサイトを覗き込むように頬を銃に押し当てる。
そして、後ろのトリガーから前のトリガーへと人差し指を移動する。
「フォノ……」
「静かに。気が散る」
結子が話しかけても、フォノは目を背けることなく集中して目の前の相手を見据えていた。獲物を見据える狩人らしいスタイルは普段の温厚な彼女らしくなかった。
昔のフォノ・アインリヒを知る結子からすればなおさら衝撃的だ。
セルネルたちは気圧されながら、もろ手を上げて交渉に出るしかなかった。
「わかった、降参しよう。だが、命だけは助けてもらいたい」
「…………」
「わかった、わかったよ。キミたちにも船の人たちにも迷惑はかけない。それでどうだろうか?」
セルネルが上擦った声で提案する。
結子はその緊迫した空気の中で硝煙の煙っぽさを嗅ぎ取って胸がざわついた。
静寂がしばらく続き、セルネルの後ろにいる男が固唾を飲んだ。
「神様に誓って?」
「僕らは神なんて信じちゃいない。キミのその……、誠実さになら応えるよう努力する」
セルネルが絞り出した語句に、フォノは柳眉を顰める。
「誓いなさい」
「ああ、そうだ。誓いましょう、お嬢さんに」
セルネルの焦った声に、男も後ろで大げさに首を縦に振った。
結子の目にはフォノが女王様のように見えた。気品のある佇まいと高圧的な威勢は高位のそれに値するだろう。
フォノは銃を構えたまま、大きく息を吸い込んで静かに告げる。
「行きなさい。見回り、ご苦労様」
「そうさせてもらいますよ」
言って、セルネルたちは彼女に背を向けて歩き出す。しかし、怖いのだろう。何度も何度も振り返って、フォノが構えを解くまで気が気でない。
結子はその後ろ姿を見送りながら、立ちあがった。
「フォノ、もういいよ。ありがとう」
その時、フォノの呼吸が止まり、彼女の指先に力が入った。
ドンッと二回目の銃声。
それに驚いて、セルネルたちが無様に床にこける。
しかし、飛び出した弾丸は一発で見当違いの砲口に飛んで行った。夜更けの通路に銃声がこだまして、誰もいないことがよくわかった。
「いい? 変なことを企んだら、今度は本気で撃ち殺す! 皮を剥いで、腸を抜き出す。肉を捌けるってこと、よく覚えておきなさい!」
フォノは銃を下ろすなり、怒鳴りつける。
セルネルたちはその恐ろしい女の声に恐怖して、這いつくばる様にして駆けだした。
結子も銃声に全身の毛が逆立って、憤怒の形相をするフォノを見つめることしかできない。
八年前は温和で本が大好きで、博愛精神の持ち主だった。それが今では男相手に銃を振りかざして、脅しをかけるまでになっている。
「あの、フォノ……」
「結子、わたしたちに隠し事してたのね?」
その一言に反論の余地はなかった。
結子がもごもごと唇を動かすのを、フォノはすぐに目で確認した。彼女が複雑な事情を抱えている。そのことはよくわかっていた。それでも、気持ちは彼女に対する恨みがあった。
フォノは結子を正面に捉えて、真剣な眼差しを向ける。
「今さら、そのことを責めないわ。だけど、せめて、わたしと柾には説明してほしかったわ」
本心と本音を使い分けてフォノが言う。
「…………ごめんなさい」
結子から謝罪の言葉が紡がれて、ようやくフォノも顔の筋肉を緩めることができた。
「もう夜も遅いし、寝ましょう? この話は改めて」
フォノは口元を押さえてあくびをすると、銃を引っ提げて部屋に戻る。
結子は申し訳なさそうにその後ろについていく。本当は自分の力だけでこの問題は解決しなければいけない。だから、フォノにも柾にも黙っていた。
だが、現実問題として突き付けられれば、足がすくんで何もできない。
なし崩しにバレてしまったことに歯がゆさを覚えながら、信頼のおける友人のありがたみを痛感する。




