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ガイア・レコード  作者: 平田公義
第五章
35/118

~湿原~ 生活リズム

〔エクセンプラール〕はドトレット・アルマーニュを迎えて、宿場町を出立した。


 太陽がさんさんと煌めき、なだらかな地平線に爽やかな空がその曲線をなぞる。


 ムーアはなだらかな丘陵を重ねて、その狭間にボグと呼ばれる沼地が点在している。植生しているのは赤茶けた葦やワラビ、多年草が群生し風が吹くと、獣の鬣のように揺らめく。殺風景な光景であるが、ヘビやカエルといった爬虫類が生きており、沼地にも水棲昆虫が細々と命を繋いでいる。


 とはいえ、ここはヨーロッパの北東。冬になれば、凍土となり彼らは冬眠しなければならない。


 茫漠たる土地は住まうものに牙をむき、傷つけ命をも奪おうとするのだ。


〔エクセンプラール〕がその巨大な細い足をその土に降ろされれば、つま先は深々と土壌に飲み込まれて斜面ならば脚部は滑ってしまう。その微妙な足場をもってしても、艦体は水平を保って振動を軽減させる。


 地面は見た目以上に泥炭化しており、超重量の戦艦の脚すら絡め取ってしまう。


「うっ。また足を取られたのか?」

「そうみたいです」


 短い問答が艦橋に飛んだ。


 艦橋では立っているクルーたちが腰を低くしてバランスを取っていた。その中にいるトドレットが手すりにつかまって足元が沈む感覚のことを言った。


〔エクセンプラール〕の重心は固定されて、大きく傾くようなことはない。四本の脚部が踏ん張りを聞かせて、平衡を保つ。その技術力にはドトレットも感心するしかない。


「エンジン出力、上げてください」


 ミトは伝声管が束ねてある通信席に座り、ドトレットは中央にあるデスクで立ちながら針路を計っている。今、彼女が連絡をつけたのは機関室である。


 ミトの指示が出てしばらくすると、艦橋の圧力計が上昇して、泥にとられた脚部が前へと足を踏み出した。ドドドッと引き攣った音が艦橋にまで聞こえた。


「引き攣ってるの? それとも——」


 ミトとドトレットの視線がかじ取りをしている巨漢に向く。舵を豪快に扱って、艦の針路を保つも今度は丘陵に後方の脚部が乗り上げて、若干の上下振動が生まれる。


 操舵士の顔が赤くなり、青くなり、紫がかったりと忙しい。


「素人というのは、本当のようですな」


 ドトレットがミトのそばによって、近くの手すりに手を伸ばした。


「こちらも慣れてきたつもりだったんですが、これですよ」


 ミトは自虐気味に言って、批難が来るのではと伝声管を一瞥する。


 それからすぐ、ドトレットは艦橋のフロントガラスの方へふらつきながら歩み寄った。


「しかし、いい船だ。この土地でよく動けてますよ」


 ミトはそれが社交辞令だと感じて、肩をすくめる。


 他のクルーもその評価は嬉しかった。だが、彼らも〔エクセンプラール〕についてまだまだ勉強途中である。針路を決めて、なんとかその方向へ歩かせるのが精一杯なのが現状である。


 ドトレットは東西南北もわからない地平線を見渡して、操舵士に向いた。


「面舵二〇ってところか。できるか?」

「は、はい」


 体つきに合わない上擦った声を上げて、操舵士が舵を切ろうとする。しかし、その手が一瞬止まって困惑した表情を見せる。


「面舵って右でしたか、左でしたか?」

「右だ。あまり回し過ぎるなよ?」


 ドトレットは紳士的に応じて、操舵士を促した。


〔エクセンプラール〕はゆっくりと小さい起伏を跨いで、船首を右へとずらした。その先にも相変わらず地平線があって、素人目には方角が変わったのかわからない。


 航海士の席についているクルーは羅針盤を見るが、相変わらず針はぐるぐると不定期に回って定まらない。


「これで大丈夫ですかね?」


 操舵士は変わり映えのない景色に不安を覚えてつい口を開いてしまう。


 ドトレットはにこやかにほほ笑んで、彼の大きな背中をとんとんと叩いて見せる。檄を飛ばすようにして少し強めの衝撃。


「素人さんにはわからんだろうがね。山の形や目印はある。ほら、あの少し先の丘に見えないか?」

「そういわれましても、見えませんぜ」


 操舵士はドトレットが指差す方向に目を凝らすも、それらしい目印は見当たらない。


 が、実際に艦の前方八〇〇メートルほど先に木製の十字架が横たわっている。天を仰ぐその十字架は植物に埋もれかかっており、しかし、その天頂は赤く塗られて北の方角を指している。それは聖地巡礼をする際の指針であり、修道騎士団の航路でもある。


 と、ミトのもとに一報が届いた。


『ブリッジ。こちら機関室。エンジンに不具合あり、停止してもらいたい。調べにゃならん」

「ブリッジから機関室。了解しました」


 ミトは一度言葉を切って、艦橋を仰いだ。


「エンジントラブルです。停船してください」


 その報告を受けて、各持ち場のクルーが〔エクセンプラール〕の停船手順を踏んだ。機関出力を落とし、機体を固定。さらに脚部を曲げて、船底を下ろす。


〔エクセンプラール〕はその突き出た船底を獣の腹のような丘陵にこすり付けるようにしてつける。ズズッと船底が泥を掘り起こして、艦内に微震が走る。


 ドトレットが外を見ると、視界は低くなり丘陵が大きく幅を利かせるように広がっていく。


「本気でムーアを超えるつもりなのか?」


 愚痴るドドレット。


 このありさまを見てしまってはそう思わざるを得ない。備蓄もあまりない。長期でこの不毛の土地を超えるつもりでいるなら、甘い考えとしか言いようがない。


 逆に言えば、未踏の土地でのんきにしていられるこの船の住民たちの精神力だけは評価できる。


「すみません、ドトレットさん。しばらく復旧作業に入りますので、休憩なさってください」


 ミトが気を利かせて、ドトレットに提案する。


 彼は出発前にいくらか航路を算出して、下準備をしていた。そういう気遣いを受けていたこともあって、休んでいないのではないかと心配した。


「ああ、そうですね。少し艦内を見学してもよろしいですかな?」

「あ、でしたら、案内を——」

「大丈夫ですよ。あなたも色々と指示を出さなければいけないでしょうし、時間もあるわけですし」

「まぁ……、そうですね。何かあったら、こちらに連絡ください」


 ミトは渋々といった感じで答える。見て困るようなものはとっくに甲板に寝そべっている。それについての説明はしたし、見るくらいの好奇心があってもいいと思っている。


「ありがとう」


 ドトレットは毛皮のコートのポケットに手を突っ込んで、艦橋を後にする。


「艦長もいない軍艦とは、難儀なものだ」


 愚痴って、この艦の不出来さを自分の中で理解する。


 そして、どうにか形を保っていられるのは、艦橋にいる一人の若い女性の気遣いや歓声があるからだろうとも。過大評価だとしても、その事実は少なからずある。男だけで艦橋を任せていては、おそらく細部の変化に気付かず、画一的な流れ作業になっていただろう。




 甲板では横たわる〔アル・ガイア〕の点検を(マサキ)結子(ユイコ)が担当していた。


「どう? 大丈夫そう?」


 (マサキ)は胸部の装甲に寝そべって、開放されているハッチの中を覗く。照りつける太陽の暖かさと冷たい風、土の匂いがふっと流れていく。


 ハッチの中、操縦席では結子(ユイコ)が立体スクリーンに囲まれて、それらに目を走らせていた。


「動く。けど、傷口を直すにはやっぱり補給をしないと……」

「金属を取り込むんでしょう? アーデル・ヴァッヘを溶かしてさ」


 結子(ユイコ)は小さく頷いて、操縦桿と一体になっているコンソールスイッチを指先で操作する。滑らかな指使いで、次々とステータスを呼び出す。


 そのたびに、(マサキ)は自分の頭の中に流れ込んでくる情報に顔を顰める。首にしているアクセサリに受信される〔アル・ガイア〕の状態は結子(ユイコ)が説明する手間を省けさせたが、脳みそに石を詰め込まれているようで気色が悪い。


「それが道理だと思う、けど……」


 結子(ユイコ)は歯切れの悪い言葉を紡いで、表示されている損傷個所を見た。右肩と脇腹、さらに加えるならマウントされている弾倉(カートリッジ)の中身も空っぽになっている。


 それを補給できるだけの質量がなければいけないのだが、如何せんここは人が滅多に踏み込まない不毛の土地である。どこも金属らしいものは見当たらない。だが、可能性はある。


「ここで金属を探して、補給する方法もある」

「最低でも傷をなせるだけの量でもかなりのものだから、無理だよ」


 (マサキ)は苦労と採取量の天秤が釣り合わないのを言った。


 結子(ユイコ)にもそれはわかっていたから、コンソールを操作して立体スクリーンを消した。それから腰を浮かせて、操縦席から出る。


「後回しにするの?」


 結子(ユイコ)はハッチから這い上がると、その縁に座る。


「今はムーアを超えることが最優先。変に修道騎士団と遭遇することもなさそうだし」

「けど、もう一つの組織はそういう規則は当てはまらないよ」

「フライハイト、だっけ?」


 (マサキ)は体を起こして、結子(ユイコ)と視線を合わせる。


 以前に結子(ユイコ)から聞いた話であり、それが町を襲い、出立の夜に襲撃してきた組織だという。〔AW〕を保有した武力組織であるなら、警戒するに越したことはないのだが、(マサキ)にはいまいちな実感しかない。


「それって、わざわざ追いかけてくるものなの? ここは羅針盤も利かない場所だし、わざわざ危険を冒してくるかな?」

「たぶん、ない、かな……」


 結子(ユイコ)は自信なく意見を述べる。彼女が組織の一員で目的を知っていても、ここまで追跡するのはリスクが大きいと判断する。あくまで彼女個人の意見だから、確証はないが。


「だよね。見晴らしいいもん」


 (マサキ)もそれに同意して、体を捻ってあたりを見回した。赤茶けた草原になだらかな丘陵、おまけに黴臭い沼地。艦体を下ろしている状態とはいえ、見晴らしは悪くない。見張り台から見れば、もっと遠くまで見えるはずだ。


 そして、視界の端でちらちらと連続旗のように揺れる洗濯物の群れ。気の抜ける光景である。 


「洗濯物、外に干すのやめない?」

「いい天気なんだし、いいじゃん」


 結子(ユイコ)の不満顔に、(マサキ)は愛想笑いを浮かべる。


 前後の見張り台から艦の航法灯に伸ばした洗濯紐は洗濯物の重みで少し撓んでみるも、風揺れるそのさまは綺麗な逆アーチともいえる。


「滑車だって取りつけちゃったし、重宝してるんだよ」


 それにさ、と(マサキ)は洗濯物の連続旗から目を離して、湿地に視線を移す。


「外に出てても、何ともないないし」

「フォノが言ってた話?」


 (マサキ)は頷いて、結子(ユイコ)に向き直る。


 不毛の土地に沸き立つと噂される瘴気。だが、外に出ている彼女にはそういった予兆は感じられなかったし、湿った空気や天候も悪くない。


 (マサキ)は首の後ろがチクチクする感覚を覚えて、マフラーの結び目を直す。弛んでいたマフラーを引っ張って、形を整える。


「瘴気があるなら、もっとひどく荒れててもいいと思うんだ」

「毒性がないならそれでいい。だけど、この土地、やっぱり変」


 結子(ユイコ)(マサキ)の前だから本音をぶつけることができた。ここにフォノがいたなら、自重して続く言葉を飲み込んだだろう。


 (マサキ)が小首をかしげる。


「変な感じがするの。こう、息が詰まるような……、苦しい場所」


 うまく言葉にできなくて、結子(ユイコ)は手をもじもじとする。特に手首にしているアクセサリを摩って、ピリピリする感触に落ち着かない。


 (マサキ)は目を向いて、結子(ユイコ)の方に触れる。


「気分悪いの?」

「違う、違うの。この子に乗ってたから、疲れただけかもしれない」


 結子(ユイコ)は俯いて、〔アル・ガイア〕の装甲を撫でた。


 胸を穿つ虚無感。この不毛の土地に何があるのか知れない。沼地の濁った空気にまだ慣れていないだけかもしれない。


 しかし、(マサキ)は不安そうな表情を浮かべて立ち上がる。


「一応、神父様に見てもらおう。何かあったら、怖いから」

「そうだね。一応、ね」


 結子(ユイコ)が立ち上がると、ハッチが閉鎖される。


 二人は〔アル・ガイア〕から降りて、艦内へと引き返していった。残された〔アル・ガイア〕は日の光を浴びて寝そべったままだ。


 だが、誰も乗っていない機体から小さな電子音が発せられていることに誰も気づいていない。




「はい。これで大丈夫よ」

「ありがとう、フォノ姉ちゃん」


 フォノは柔らかい笑みを浮かべて、繕ったばかりの洋服を嬉々として待つ少女に渡した。


 節約されている照明の中、格納庫内はいつも通りの平穏さを持っていた。降着してからは、女性陣は辟易した様子で内職に従事している。


 フォノもその端っこで回されてきた洋服の繕いものをしている。


 きゃっきゃと騒ぐ子供たちの声を聞きながら、次の服に手を伸ばす。


「繕いものですかな?」

「ん。ドトレットさん、どうかしました?」


 フォノが顔を上げると手持無沙汰といった感じであたりを見回すドトレットが立っていた。


 それから、ドトレットが屈んで、積まれている服を一枚つまみ上げる。その所作はつまらないものでも見る様な、男の人の感じがあった。


「あぁ、暇なもので何かすることはないかと……」

「そんなに気を遣わなくても大丈夫ですよ————。コラッ! 勝手にスイッチをいじらないの!」


 フォノは子供たちの一団が遊び半分に壁際にある開閉スイッチに手を伸ばすのを見つけて怒鳴りつけた。


 ドトレットが目を向いて、手にしていた服を離して体を引いてしまう。突発的な叫びには力がこもっており、外見のおしとやかさからは想像もつかないものであった。


 子供たちは不満顔になって幼稚な罵声を上げて、立ち去っていく。


 どこでそんな言葉を覚えたのか、とフォノはため息をついて、ドトレットに向き直る。


「すみません。お見苦しいところをお見せして」

「ああ、いや。何とも、家庭的な場所ですな」


 ドトレットはひきつった笑みを浮かべて、〔エクセンプラール〕全体の雰囲気を述べた。


 仮にもこの場は軍艦の内部である。それが、鶏小屋があるは、私物が転がっているは、ボールの弾む音はするは————、どこぞの下町を思わせる空気が漂っている。


 フォノは鉱業をしている人から言わせれば、そうなのだろうと感じた。


「軍艦なんて、みんな扱ったことありませんから、家も同然で……」


 フォノは視線を下げて、手にしている洋服の肘の部分に大きな穴が開いているのを見つけると、色合いのよさそうな古着を片手で探る。古着は子供たちがかき集めてきたもので、どれもボロボロでヨレていたり、大きなしみがついているものばかり。それでも、裁断すればいい布になる。


 ドトレットは金髪の少女の手さばきを盗み見つつ、周囲の人たちを見回してふと尋ねる。


「一つ尋ねますが、この中にアーデル・ヴァッヘの操縦者はどこかな? 一度顔を合わせたいんだが……、誰が誰やら」

「ああ、操縦者の方は自室で休んでます。滅多に出てくる人ではありませんから」


 フォノは布切ばさみを手に古着を裁断しつつ、しなやかに答える。


 もちろん、そんな話は出鱈目である。操縦者については秘密にする、と内々に(マサキ)たちは決めていた。あまり表出して言うものではないからだ。そのことはほかの住民たちも承知している。


 ドトレットはそうですか、と腑に落ちない声音で返答する。操縦者について何度かはぐらかされている証拠である。


 フォノは切った布を破れた洋服に宛がいながら、やんわりと笑い声を漏らす。


「もし、わたしが操縦者だったら、どうします?」


 ふと冗談交じり風にフォノ。


 ドトレットは紳士然として、ぼさぼさ頭を熊のような手で掻いた。


「アハハ、おっかない世の中ですな。信じようか?」

「冗談に決まっていますでしょう」


 フォノは即座に切り返して、一度古着を膝の上に置く。手首に巻いてある針刺しから一本針を取ってそこに糸を通す。


 ドトレットはそれはそうだと肩をすくめて見せると、ふと古着の山の中からはみ出ている一着を引きづり出した。


 彼は立ち上がって手にした服を広げて、興味津々に表裏を観察する。


 新品同様のつなぎのような服だ。しかし、生地はスポンジのような柔らかさで少し厚みもある。背中や胸元は特にそうで、圧迫感がある。


「これはどこの服だ?」

「この船にあったものです。そこに手袋もありますでしょう?」


 フォノが説明しているのは嘘である。


 彼が手にしている服は〔アル・ガイア〕のモニタパネルの下に隠れていたパイロットスーツである。この時代にはそんな機械専用の服など存在せず、耐圧服という概念もない。だから、風変わりな服としか言いようがない。


 しかし、〔アル・ガイア〕から出てきましたとは言えない。変に勘ぐられるのを恐れたのだ。


 フォノは裁縫をしつつ、古着の山を顎で示す。そこにはたしかにつなぎの色彩に合わせた手袋があった。


「ああ、ほんとに」


 ドトレットはその手袋も手に取ってしげしげと観察する。今までに見たことのないデザインで、どんな状況で使うのか皆目見当がつかない。


「それにブーツもあるんですよ? おかしいですよね」

「それも三着三セット」


 ドトレットが改めて古着の山をかき分けて、他に二着紛れているの見つける。


 フォノは目ざといドトレットを横目に、やんわりと笑う。毛皮のコートを着た彼が古着を漁っていると、盗人のようでおかしいのだ。


「そうなんです。けど、どれも裁断できなくて困ってるんです」

「服なのに? それはおかしいでしょう?」

「そう思うでしょう?」


 フォノは繕っている服を一度膝下に置いて、ドトレットから件の洋服を受け取り布切ばさみを手にした。


 布切ばさみは照明の光を吸って鈍い光を放つ。薄い布きれならば湯葉を切る様にするりと切れてしまう一品だ。


 が、フォノが両手で柄を持って洋服の袖口を切り落とそうとしても切れない。ギチギチとハサミの刃が音を立てる。フォノの顔も真っ赤になって、厳つくなっていた。


 しばらくして、フォノはふっと力を抜いて様子を窺っていたドトレットを見る。


「ほら、ね。やってみます?」

「いや、遠慮しておこう。お嬢さんの顔を見たら、嘘とは思えん」


 ドトレットは誠実な態度で返して立ち上がる。


 フォノはパイロットスーツを端にやって、元の作業に戻る。少し息が上がっており、時折大きく息を吐いては手先の痛みをこらえる。


「それでは、わたしはこれにて……」


 ドトレットは軽く会釈するとフォノの前から立ち去る。


 フォノも笑みを返して送り出すと、裁縫に専念する。


 まだ〔エクセンプラール〕の動く気配はない。そのことがフォノたち、家事をする女たちには好都合であった。揺れがなく、手元が狂わなくていいのだ。


 女たちにとって〔エクセンプラール〕の運用云々はどうでもいいのだ。男たちが仕事らしいことをしていれば、とりあえず安心してしまう。というより、役割分担が以前よりはっきりしたのが大きい。集団生活が長くなれば、そうした意識が生まれて隣人、知人が以前より協力的になる。


〔エクセンプラール〕の生活の縮図にドトレットは仕事人として乗り込んでいるから、フォノの態度が家庭的で引き付けられるところがあったのかもしれない。

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