~湿原~ 宿場町にて
〔エクセンプラール〕は修道騎士団との接触をさけるため、東ヨーロッパを一度北上して、中央を迂回する航路を取っていた。
中央ヨーロッパは政教区が多く、支配権もまた強い。修道騎士団の主な警護地区でもある。
そこを横切る様にして進めば、遭遇する可能性は高い。さらに言えば、南下しないのも彼らのテリトリーから離れるためである。
九月の半ばともなれば、月末にある収穫祭で各地が準備にいそしむ時期である。その期間は、ノード教に帰依する人たち、修道騎士団もみな北の方角を避ける習慣があった。その方向は神様がいるとされる土地の方角で、聖地巡礼のとき以外はあまり利用されない。
ノード教にとってアイルランド諸島やブリテンの地は神の島として今世崇められており、そのため北大西洋にはそれを守護する怪物や怪現象があると言われている。そうした内容も、布教のための聖典や英雄譚に記されていることだ。
信心深いものからすれば、恐れ多いところに足を踏み入れたと思うだろう。
ローレンツェを発って五日、〔エクセンプラール〕はとある宿場町の近くで停泊した。閑散とした地域で北からの風が一層冷たく感じる。今であった背の低い森林はなくなり、荒涼とした土地が続いている。
その中にポツンとある宿場町は、この時期、教会の恩恵も少なく粛々とした雰囲気に包まれている。外に出ている人たちの姿はほとんどなく、ぽつぽつと宿屋や酒場、馬屋が寂れた看板を掲げている。聖地巡礼の期間はそれなりに繁盛しているのか、店の数も多い。
「寂れた町ね」
ミトはずっと先に見える町はずれの様子をそう評した。
カラッと晴れた空の下で、二台のバイン・アウトーが並走している。
「空気は乾燥してるし、嫌なものね」
ミトは柾の操縦するバイン・アウトーに同乗させてもらい、もう一台のバイン・アウトーに結子が運転をしてフォノが乗っていた。
バイン・アウトーは柔らかい土を蹴っては、土塊をはねて、少し屈伸運動を強めていた。脚部には粘土質な泥がまとわりつき、機動力を奪っていく。
フォノは酷く上下する機体にムッとしながら、運転する結子に強く抱きつく。
「ねぇ、柾。この先大丈夫だと思う?」
「わからないよ。この辺のこと、全然知らないんだもん」
柾は並走する機体に自機を寄せながら、フォノに帰した。
「羅針盤はダメになるし……」
結子がギアを変えて、機体の脚部に粘りを持たせる。バイン・アウトーはそれで速度が少し落ちたが、力強い歩調を見せる。
「ムーアも越えなきゃいけないから大変」
ミトが締めくくるようにしていった。
ムーアは〔エクセンプラール〕の予定針路先に広がる湿原地帯で、背の低い草木やボグと呼ばれる沼地が点在している。もともと西ヨーロッパ地方にちらほらと見受けられた地帯だ。
なぜ、東ヨーロッパの北側にも出現したのか諸説あるも、科学的な根拠をこの時代の人々は考察したりはしない。そういう地質なのだと納得するのである。
フォノがミトに顔を向けつつ、ストールを胸元に寄せる。
「ムーアは昔から瘴気の多い土地だと言いますから、超えるのにも準備が必要ですよ?」
「瘴気って何? ただの沼地でしょう?」
柾があっけらかんとした声で言った。
瘴気、と言われてもピンとこないのが柾の感性である。ミトと結子はフォノの言うことは一般常識として知っていたから、早くに飲み込めた。
「瘴気は疫病をもたらす危険なものよ。目に見えないんだから、気を付けないといけないでしょう?」
「それくらいの意味は知ってる。馬鹿にしないでよ」
後ろにいるミトに柾は言う。
二機のバイン・アウトーは宿場町に入って、速度をさらに緩める。固い慣らされた地面を叩くバイン・アウトーの脚部から泥が落ちていく。
遠目から見た通りの寂れた街並みで、とりあえずは役場に向かおうとその脚部は迷わず進む。
柾は遅れて歩く結子たちを見る。上体を捻って、声を張る。
「瘴気って言うのがあるならさ、こんな道誰も通らないでしょうってこと」
「聖地巡礼のためにはこういう場所を通って、苦難を知らなきゃいけないのが教会の教えなの。試練よ」
フォノが説明する。
「汚いものは嫌う癖に、そういう時だけ都合のいいこと、教会はよく言うよ」
「教会のやることだもの。でも、それだと羅針盤が狂ったのもそのせいかも……」
結子が機体の歩調を上げて、柾たちの横につける。
「信じられないなぁ。そういうの」
柾は祟りがあるなら、もっと陰険なものだと感じる。オカルトを信じないのは、単純に裏では結局人間が引き起こす都合なのだと知ってしまったからだ。
「なんであれ、ムーアは人が立ち入るには覚悟がいるのよ。そのために案内人を探す」
ミトは改めて、今回の目的を口にして全員に目配せする。
「こういうところにいるのかな?」
「宿場町だからもっと西の方の町との連絡役くらいはいると思うけど……」
フォノが教会のやり方を思い起こしながら、そう予測を立てる。
四人は町の中央にある小高い石垣の上にある大きめの建物を見つける。木組みの木造建築で、重々しい雰囲気があった。蒼穹の空に伸びあがる旗はノード教の紋章や提携国家の紋章と様々。北風に揺れている。
バイン・アウトーは緩やかな坂を上りながら、ギアを下げて足腰に力を込める。
植木は秋を思わせるように黄色く色づき、落ち葉がちらほらとうかがえた。森林の少ないこのあたりの収入はいかほどのものか、柾たちには想像もつかない。
バイン・アウトーが坂を上り切る。その先にはL字型の母屋と手広な空き地があった。
柾と結子は広場の端にバイン・アウトーを駐機させて、エンジンを切った。四人が降機すると手近なドアへと足を運ぶ。
「結構年季が入ってるけど……」
「このあたりは古い土地らしいから、そう見えるのよ」
フォノが柾の横について言った。
「寂れた土地だっていうのに、昔から人が住んでたなんてね」
「不思議……」
ミトと結子が少し前を歩きながら、黒ずんだ外壁を観察する。漆喰だろうか。組まれている丸太の隙間を覆って、固まっている
「このあたりもやるのね、こういうこと」
「寒さ対策?」
「そ。隙間に泥とか詰めて、風が吹き込まないようにするの」
ミトは隣にあるく結子に説明する。その技法がどんな名前であるのか、彼女は知らない。生活をしていて、隣人から教わった方法である。他の土地、特に北の方でもこういう生活習慣があるとどことなく落ち着く。
木でできた観音開きの扉をくぐると、中は暖かくパチパチと暖炉の火が燃えている。ベッドが並び、簡素な家具と台帳が置かれて、シンプルなつくりである。窓から差し込む日差しが眩しい。
「いらっしゃいませ。旅人ですかな?」
入ってまず声をかけてきたのは、壮年の男だった。ここの経営者のだろうか、こぎれいなチョッキを着て、木の床をカツカツと機敏に歩いてくる。
そこで、ミトたちが一歩進もうとすると、男が待ったをかける。
「お待ちを。すみませんが、靴の泥は落としてくれませんかね? 床を磨いたばかりで」
「え、ええはい」
ミトは曖昧ない返事をして、三人に靴の泥を落とすように手で指示を出す。気がつけば、自分たちの場所が一段低く、石造りであるのを確認した。
とはいえ、ほとんどバイン・アウトーでの移動だったために目立った泥はなく、乾いた土煙が少し待っただけだった。
壮年の男は一段上からその様子を見て、はたと申し訳なさそうに愛想笑いを浮かべる。
「いやはや、すみません。宿も経営してますと、ついこれで。こちらへ、どうぞ」
「あ、あの、ここは役場ではないのですか?」
ミトは壮年の男の態度を見て、疑問を抱く。
「役場ですとも。宿屋も経営しておりまして、こちらは宿泊施設なのですよ。役場は向こうの玄関になりまして」
その言葉を聞いて、ミトたちは互いに顔を合わせる。
「玄関を間違えたの、あたしたちじゃん」
柾はばつが悪そうに言う。
「では、今日は役場への申請に?」
壮年の男がミトたちの会話を聞いていった。
ミトは不自由な右足を放り出すように木の床へと上がると、壮年の男に言う。
「ええ。申請ってほどのことではないのですけど、ムーアを越えようと思いまして」
「この時期に? 何かお急ぎなので?」
「そうなんです。町はずれに船がありましすから、それで、案内してくれる人を探してまして」
ふむ、と壮年の男は頬を掻いてミトの後ろについている柾たちを見た。
「そうですか。このあたりは羅針盤が狂うと言いますからな」
男は自分に言い聞かせるように言って、彼女たちを役場の方へ案内する。
ミトたちは彼の後に続き、両脇に並ぶベッドの間を行く。綺麗なシーツや木の香りが心地よい。いい宿だと感心する。
ちょうどこの建物の角に来て、曲がれば、その先はダイニングを兼ねた役所の受付になっていた。テーブルには数人の男女がついており、旅人か住民かの判別がつかなかった。
ただ着ている服は皆、山仕事をしているような厚手のものだった。
「適当なお席へどうぞ。案内を頼むのでしたら、ちょうどいい人が来てましてね。ちょっと待ってください」
「そうですか。それはどうも」
ミトは離れていく壮年の男に礼を言って、空いている席へと足を運んだ。
柾は一足先に席を確保して、ミトのために椅子を引いた。
「ありがと」
「案外早く話がついたわね」
「まぁ、どういう人か会ってみないことにはわからないけど」
ミトは椅子を寄せてつつ、席に着くフォノと結子を見た。
遅れて、ミトの横に柾が腰を下ろす。
「案内してくれる人ってどんな人かな?」
「キャラバンの人とか、ロマの人とか?」
結子が予想を口にして、柾とフォノがあれこれと意見を投げかける。
ミトは彼女たちの様子を眺めながら安心した。
ローレンツェの一件から数日が経てば柾たちの気持ちも落ち着きが出ており、寂しそうなそぶりを見せることはなかった。一緒に暮らしていた子供たちの幸せを願って深く追求しない、と彼女たちなりに考えたのだろう。
そうした処世術を身に着けていく。少しばかり大人として自覚を持ち始めて、困難に向き合うようになってきているのだ。〔アル・ガイア〕のこともあって、一層の精進を彼女たちは小さい身体で考えている風であった。
「でも、もし、修道騎士団と関係がある人だったら?」
結子が遠慮がちに口を開く。最悪のケース。それを討論しないわけにはいかない。
結子は柾の顔色を窺うも、マフラーをしている少女に逡巡はなかった。
「その時は断ればいいよ」
「それが妥当よね」
フォノが安堵した様子で言った。もちろん、事の次第ではなく柾の落ち着いた口調を聞いたからだ。
と、壮年の男がミトたちのもとへ一人の男を連れて戻ってきた。
連れてこられた男は毛皮のコートに身を包み、山師のような出で立ちをしていた。しゅっとした顔立ちで中肉中背、少し泥臭いイメージがあった。
「紹介しましょう。彼はドトレット・アルマーニュ。ここで鉱業を営んでいる」
「ドトレットです。よろしく、ご婦人……」
毛皮の男、ドトレットはミトに手を差し伸べて、ミトは立ち上がってその手を握った。ご婦人は上品な言い回しで、ミトは久々の呼ばれ方に少し頬がほころんだ。
「ミトです。ミト・ハルルスタン。お会いできて光栄です、紳士アルマーニュ」
紳士もまた敬意の現れである。
「わたしゃぁ、そんな気品のある男じゃぁないんで、ドトレットで結構ですよ」
ドトレットは握手を解いて、決まりの悪そうな笑みを浮かべて短髪を掻いた。
柾たちはそのやり取りを見て、大人の社交辞令だと認識する。ドトレットが粗野な外見とは裏腹に紳士然としているのには好感が持てた。
「ねぇ? 鉱業をしてるって、この辺で何が採れるの? 山もないし」
「ああ、銀が採れるんだ。ムーアの沼地でさ、泥掬いをしているとこんな小粒のがちょっと」
ドトレットは質問を投げかけた柾に人差し指と親指を使って大きさを示した。両の指は今にも接触しそうなほど小さい合間を作っている。
結子が続けて問う。
「この時期に?」
「修道騎士団の聖地巡礼がある間じゃ、商売はできないよ。ここで宿屋や馬の世話をしている方が儲かる」
ドトレットの回答に、柾たちは納得した顔をする。
「機械も?」
再び結子が問う。相手を値踏みするような言い方であったが、彼を信用していいものかまだわからない。
ドトレットも異邦人の女の子の質問攻めには苦笑してしまう。
「ああ、そうさ。もっとも小さいバイン・アウトーでのせせこましい作業だがね。異邦人はこういうのをしないのか?」
「故郷では、砂金が採れるって山の方では川で似たようなことをしているって聞いたことが——」
結子は記憶の糸を手繰り寄せて、故郷の地を思い起こす。風のうわさで聞いた程度のことであったが、金が採れるというのはロマンがあって彼女には印象的だった。
ドトレットが目を輝かせる。
「じゃぁ、キミは、ジパングの出身? それはすごい!」
「ジパング?」
「古い言葉で、ヤーパンって意味。英雄譚では黒騎士の出身地って言われてる」
フォノが博識なフォローをして、結子は納得した。
話が逸れだしたので、ミトが手を一拍子してドトレットの気を引く。
「ドトレットさん。わたしたち、ムーアを越えて南西の町に出たいんです。案内をお願いできますか?」
「ええ。その話は聞いてます。今朝方についたバイン・シフがあなたがたの船ですか?」
ミトが肯定すると、ドトレットは愛嬌のある笑みを浮かべる。
「もちろん。しかし、仲間にも知らせないといけないので、出発は明日以降になってしまいますが、よろしいですか?」
「わかりました。その件はこちらで船のみんなに知らせておきます」
ミトは彼の要求を受け入れて、隣に立つ壮年の男に頭を下げる。
「ご紹介していただき、ありがとうございました。これ、心ばかりですが」
そういって、ミトはエプロンドレスのポケットから硬貨を取り出し、彼にチップを渡した。
「いいえ。どうです、一杯飲んでいきますかね? サービスしますよ。お嬢さん方にも」
「お気持ちだけ頂戴します。すぐに戻って、準備もしなくちゃいけないので。さ、行くわよ」
ミトに促されて、柾たちは席を立つ。それから、ドトレットの横間を過ぎてその埃っぽい臭いに眉根を顰める。出で立ちが出で立ちなだけに仕方ないと割り切る。
「それでは明日またお伺いします」
「了解しました」
ドトレットは慇懃に答えて、ミトたちを出入り口までエスコートする。
出入り口を出て、ミトたちは一礼してから駐機しているバイン・アウトーに跨った。
「いい人そうでよかったわ」
「まぁ、そうだね。けど、〔アル・ガイア〕のこと黙っててくれるかな?」
柾はミトの納得しているのを肩越しに見てため息が出る。すべての不安要素がなくなったわけではない。ミトの意見もわかるが、柾にしてみればまだ用心が必要だと感じるところであった。
「大丈夫でしょう」
「楽観的じゃない?」
ミトのご機嫌を見ては、柾も訝しんだ目を向けてしまう。
フォノも結子もミトがドトレットを気に入ってるのを感じて、そのことを気にした。
ミトが籠絡されたとは思わないも、少なからずあの山師の男を気に入っている節がある。考えても見れば、彼女が異性に対して好感触を抱くときは決まって褒められた時だ。が、そこから恋愛だとかに発展した記憶もない。
ミトは三人の女の子に囲まれて歩きながら言う。
「報酬だって払うし、それにあの人たちだって生活がかかっていれば変にいざこざを起こさないでしょう?」
「あそこに人がいた理由がそれってこと? 仕事がないって?」
柾は役場の風景を思い出す。
彼らが暇をしている風にも見えて、少し納得できる部分があった。冬を越すにもしても、食料の備蓄も必要になってくる。が、ここは狩猟ができるような場所ではない。
フォノがああ、と声を発して続ける。
「買い出しのためにあの人を他の町に行かせるってことかしら?」
「そういう考え方もできるってこと」
ミトはフォノにウィンクして、正解だと返した。
「それじゃぁ、こっちもいろいろ準備をしないとね」
結子はそう言って、カサカサする頬を擦った。乾燥しやすくて、長居したくない気分だ。
ミトたちもそれは同じで、かさつく肌を気にするように少し歩調を早めてバイン・アウトーへと動いた。




