~売買~ 幸せはどこにある?
鋼の駿馬にまたがって、柾はローレンツェの町を目指す。その向かい風が乱暴に髪を殴りつける。
農道を超えて、石畳を踏みしめるバイン・アウトーは止まることなく、彼女の意志のままに走り抜ける。
胸の内が焼けるように苦しい。濁流のような感情の渦に、頭が痺れるような痛みを覚える。
「————っ」
柾は街並みの変化を目で追いながら、外壁にある番地を瞬時に読み取る。
曲がらなければ、とハンドルを強く握りしめる。続いて、体を傾けて角を曲がった。
曲がった先で馬車馬と接触しそうになるも、バイン・アウトーは機敏な足運びでそれを避けてひた走る。
遠くで馬が嘶く。背中に罵声がぶつけられる。
それでも柾はこの町にいる家族を求めて走り続ける。他のことなど考えている余裕などなかった。
しばらく走ると、一軒の民家にたどり着いた。レンガ造りの一般的な家屋で裕福そうな印象があった。
柾はバイン・アウトーを路肩に止めると、飛び降りてその玄関に駆けて行った。
「ここに……」
一度ポケットに突っ込んだ藁半紙を広げて、細い指先で玄関先のプレートと記載されている住所をなぞる。息が上がって、喉に粘っこい唾が絡みつく。寒い外気に対して、体は火照って仕方なかった。
柾は唾を飲み込んで、額にたまった汗の玉を拭う。それから、玄関を見上げると呼び鈴のひもを握って鳴らす。リンリン……と涼やかな音が鳴った。
「ごめんください」
柾は声を振り絞って呼びかける。藁半紙をポケットに突っ込んで、代わりに腰に下げた巾着に触れた。ギルドで稼いだお金だ。これを使えば、連れ帰れると思った。
大人たちの勝手な都合で、大事な家族と離れ離れにされてたまるか。
ほどなくして、女中らしい恰幅のいい女性が玄関を開けた。
「何か、ご用で?」
「あの、ここにエリンという男の子が引き取られたと思うんですけど……」
女中は家の中を覗き見しようとする柾と見取って、その視線に体で割って入る。不信そうな目を向けて鼻を鳴らす。
「どちら様で?」
「えと、この町に止まっている船にいる者です」
柾は半歩下がって、改めて女中を見上げる。彼女の顔をに張り付く無愛想な顔つき。警戒されているというより、嘲るような印象が強かった。
女中はやれやれと首を振って身体を引っ込めようとする。
「そのようなお子様はおりません」
「そんな……っ。話をさせてください」
「はぁ……」
ドアにしがみつく柾に女中が盛大なため息をつく。
それから、汚いものでも払うように柾の小さな体を押しのける。
柾はその腕っ節の強さに驚いて、しりもちをついてしまう。腰に巻き付けていた巾着からお金の鳴る音がした。
女中はその音をあざとく聞き取って、柾の評価をさらに下げた。なんといやらしい子なのか、と睥睨しながら口を開く。
「規則ですから。旦那様、奥様からの」
「それって――」
柾は急いで腰を上げるも、無情にも閉ざされるドアを見つめた。ドアに張り付いて、虚しさに苛まれた。
彼女の言葉は暗にエリンがいると示すと同時に面会はできないと言いつけているのだ。どうしてそんなことをするのか。柾には考え付かない。
だが、その固く閉ざされたドアをもう一度叩こうという気力は失せていた。尋ねて、追及して何ができるだろうか。
自分が顔を出すことで、エリンがここの家族に馴染めなくなってしまうのではないかと感じてしまう。そうした理屈を否定しながら、柾はドアから気怠そうに体を放す。
ふと、横を見ると窓がある。こぎれいなアーチ型の窓。吸い寄せられるようにそこへ移動して、飛び跳ねて縁につかまると懸垂で中を覗き込む。
「…………」
レースのカーテンの先に映っていたのは、ほの暗い部屋だった。談話室だろうか。だが、それよりも柾の心を揺さぶったのは、リボンをあしらった箱や包みの数々があること。大小様々あり、それが何を意味するのか、感じ取ってしまう。
プレゼントだろう。迎え入れる息子のために家族が買い揃えたもの。
柾は途端に胸が苦しくなって、喉を鳴らした。指の握力も辛く、腕全体が震えだす。
瞬間、固く閉ざされたドアが開くと鋭い男性の声が響いた。
「何をしているっ!!」
柾はびっくりして、力を緩めてしまい石畳にお尻を打ち付けた。ツンとした痛みに涙目になるも、四つん這いから急いで足を前に出して、路肩のバイン・アウトーへと走り出す。
「何事です、旦那様!?」
柾の耳にあの女中のしわがれた声が聞こえた。
それに気を取られたからか、足がもつれて、もう一度石畳に体を打ち付けた。それでもすぐに態勢を立て直す。
痛い。強かに撃ちつけた顎も、膝も、心もズキズキと痛んだ。
「どうかしたの? あなた」
バイン・アウトーに跨って、スターターを蹴る柾の耳に今度は優しい女性の声が届いた。若い感じがした。綺麗なのだろうか、優しいのだろうか、と考えてしまった。
エリンの新しい良心なのかもしれないという予感がありながら、その顔を見ることができない。見てしまったら、自分を支えている家族への愛情が折れてしまいそうだったから。
「————っ」
柾はハンドルをフルスロットルにすると、降着姿勢のバイン・アウトーを一気に前へと走らせた。転びそうなほどの前傾姿勢で、勢いよく飛び出していた。
風を切る感覚と目の前が真っ暗になりそうな息苦しさを抱えて、今は前に進むしかなかった。少しでも振り返ったら、後悔してしまうだろう。大粒の涙を流して、泣き喚いてしまうだろう。
家族だったものが、別の家族と横に並んでいる姿を見るのは耐えられない。
柾の駆るバイン・アウトーは疾風のごとく街路を走っていく。その走行は混乱したように蛇行して、危なっかしいものだった。
ローレンツェが優しい街だと気付くのに、そう時間はかからなかった。町そのものというより、暮らしている人の心の豊かさが猜疑心と憤怒で突き動かされ、さまよっていた柾を苦しめる。
柾が見たものは、幸せそうな光景ばかりだった。
ヴェンと呼ばれた男の子は、引き取られた両親とともにレストランで食事をしていた。温かい食事を頬張って、壮年の夫婦が我が子のように彼に微笑んでいた。
マルカという女の子は若い女性に抱かれて、安穏とした寝顔を見せていた。町の広場で大道芸人の音楽を聴きながら、買い物を済ませた男性を迎えていた。若い夫婦だった。
他に養子に出された子供たちの姿も見つけることができた。地元の子供たちと駆けて行った男の子。店先で掃除をしていた女の子は出てきた里親に頭を撫でられると嬉しそうに笑っていた。
誰もが笑顔で、幸せいっぱいの顔をして生活を送っている。
柾は藁半紙の住所録を一通り回って、そうしたものを見てただ立ち去るしかないと悟る。ここにいてはいけない。自分がいてはいけない。
子供たちの人生を壊してはいけない、と。
バイン・アウトーは町から逃げ出すように疾駆して、柾はお腹の底から這い上がってくるものを押さえて〔エクセンプラール〕を目指した。
「なんで、なんでよ……」
柾は町はずれに差し掛かって、溢れてくる悲嘆を口に出す。彼らが幸せなこと。それはいいことなのに、この行き場のない感情がなんなのか理解できなかった。いや、理解したくなかった。
「あたしのやろうとしたことが、何であの大人と同じになるの! 最悪だ、最低だ!」
叫んだ。溜まっていた泥のような感情をぶちまけて、自分のしようとしたことを悔いた。
「お金で、人の人生買おうだなんて、酷過ぎるんだ! あの子たちは一度、親を失ってるのに……。それをまた奪うようなやり方をしようとして、あたしは! 嫉妬しちゃったんだ!」
その叫びは北からくる冷たい風に攫われて、誰の耳にも届かない。柾自身、顔を真っ赤にしていたが、これが声になっていることを意識したことはない。喉はひきつって、声は裏返って、とても自分のものだとは思えなかった。
嫉妬、後悔、疑念、良心。未熟な彼女の理性の呵責があって、それでも感情はそれを踏み倒して氾濫する。体中が燃えるように熱い。背筋の震えは止まらない。吐き気と頭痛と動悸が収まらない。
柾は妬けている身体が今にも弾けてしまいそうで怖かった。この場で命を絶ってしまいたいほどの気持ち悪さが渦巻いて、激しく揺れる感覚がそれを加速させる。
七年前、人を殺めたときと似た言い知れない恐怖。取り返しのつかない感情の波。
「う、うぅ……」
柾は嗚咽を堪えて、正面を見据えた。〔エクセンプラール〕の艦体を見つけて、そこに機体を全力疾走させる。
バイン・アウトーは農道をひた走る。バネのようなしなやかで強靭な一歩は着実に前に前に進んでいた。彼女の体の延長というより、一部として機能している風に、強く強く走り続ける。
一方、陸の埠頭では〔エクセンプラール〕が出発のために、エンジン出力を上げていた。横にある見張りやぐらからは停泊許可の旗は下げられており、艦の出発を待った。
「早くしないかね。別料金とるよ」
「がめつい男は嫌われるし、少しくらい待ってもいいでしょう」
ミトは後部ハッチの近くによってきた税関にそう言って、町へと続く農道を眺める。
飛び出していった柾が帰ってくるのを信じて、一番に迎え入れようと待っていた。足元が揺れる。メイン・エンジンがアイドリング状態を維持している証拠だ。
税関の男は艦の駆動音を聞いてか、地面に唾を吐き捨てると、忌々しげにつぶやく。
「恩知らずが……」
その一言を聞き逃すミトではなかったが、不問に付した。一瞥するだけに留めて、彼の勝手な言い分を頭から忘れる。
「あと一人、来たらちゃんと出てってくださいよ」
税関の男は呆れた風に言って、その場を立ち去った。
ミトはその声を聞いて、どうもと返えす。しかし、その視線はじっと農道の先を見据えたままだった。その甲斐あって、向かってくるものの影を早く見つけることができた。
「…………来たっ」
農道を飛び跳ねるように疾駆するバイン・アウトーとそれに乗る人物の赤いマフラー。
ミトは一目で柾・カイリだと確信する。
ゴウンッと一拍弾んだ駆動音が艦内に木霊した。徐々に巨大な四つの脚部に力がこもり、アクチュエーターが唸りを上げる。震動が激しくなり、上下の揺れが強くなった。
ミトはヘリにつかまって、腰を落とした。ふと視線を下にすれば、艦底が地面を離れている。土塊を落として、ゆっくりと上昇する。
「せっかちなんだからっ」
愚痴って、反対側の側面へと移動する。そこには艦橋につながる伝声管があり、そこにすがるようにしてミトは身体を密着させると蓋を開いた。
「格納庫からブリッジへ。まだ柾を収容していないわ。もう少し待って」
『こちらブリッジ。問題ないだろう。あの子は機械人形の操縦者で、特別なんだろ?』
「気が短いこと」
ミトは苛立った声をぶつけると、蓋を閉じた。
外に目を向ければ、バイン・アウトーはまっすぐに〔エクセンプラール〕に向かってきてる。もう眼と鼻の先にいたが、ハッチも地面から三メートルは離れている。
だが、柾は顔を上げて、思いきりスロットを絞り、ギアを最大にした。爆裂音を立てて、バイン・アウトーのホイールが運動エネルギーを電気エネルギーへと変える。
「柾!」
ミトが叫ぶ。
同時に柾の乗ったバイン・アウトーは両脚部を大きくかがめる。機体のサスペンションを縮小させ、スプリングがたわみ、コンデンサに最大限の電力が供給された。
そして、地面をえぐって跳躍。蛙のように高々と飛び跳ねた機体が格納庫へと飛び込んだ。
「あ————っ」
ミトは呆気にとられた声を上げて、鋼鉄がこすれ合う音に顔を顰める。
バイン・アウトーはうまく床に脚部をつけた。だが、勢いで滑走し、やがてバランスを崩して横倒。柾は放り出されて、冷たい床を転がる。コロコロとゴムまりのように転がって、勢いがなくなるとしぼむ様にして横たわる。
「柾っ!」
ミトは悲鳴にも似た声を上げて、ピクリとも動かない柾のもとへ。
その間にも、格納庫にいた人たちが悲鳴を上げて、横滑りで壁へ突っ込むバイン・アウトーから逃げる。そして、機体は盛大な音を立てて壁に激突した。焦げた臭いと黒い煙を立てて停止する。
刹那の騒動はすぐに鎮静化されて、焦げ臭い残り香だけが格納庫内に漂う。
「しっかりして。どこか怪我したの? え?」
ミトは周りの唖然とした空気など気にせず、横たわる柾の背中に伸し掛かる様にした。肩を揺すって、耳を顔に近づけて呼吸や意識を確認する。
「ごめんなさい……」
「え? 何? どこか痛いの?」
ミトには柾の懺悔は聞こえなかった。その顔もマフラーと髪の毛でよくわからない。
ただ、凍えたように全身を震わせて四肢を縮こまらせる彼女が痛々しくならない。だが、彼女の身勝手さを許したわけではない。
元気が取り柄の柾に似つかわしくないと思う反面、怒鳴りつけることができないのは自分のやましさを思うからである。
ミトは怒る気力も失せて、軽く頬を撫でた。指先に湿った感触があって、思わず顔が強張る。
「大丈夫なら、部屋で休んでなさい。機体はこっちで片づけるから……」
固く手厳しい言い方になっているのを自覚しながら、ミトは柾を抱きかかえて抱擁する。
柾はそれに対して、まるで赤子のように彼女の胸に顔をうずめた。甘く香ばしいものを赤い鼻が捉えて、目いっぱいに吸い込んだ。
「疲れたのなら休んでなきゃダメでしょう。ただいまって言わなきゃ、ダメじゃない」
そういうと、ミトの胸の中で顔をうずめる柾が小さく頷いた。
ミトはそれが今の彼女の精一杯だとわかって、唇を柾の耳元に近づける。彼女の錆びたような髪の毛の感触や煙っぽい匂いを感じる。
「おかえりなさい……」
柾は耳にかかる吐息に体が震えた。くすぐったいのもある。だが、それ以上に自分の帰る場所はここであって、待ってくれている人がいる。
だから、今まで氾濫していた感情の渦は悔し涙となって頬を流れていく。しゃくりあげながら、震える声で言う。
「みんな、みんなね……」
「うん」
「幸せそうだったよ。みんな、新しい家族と一緒に幸せになれるよ、きっと」
「うん……、うん……」
ミトは涙を呑んで頷いた。
ぎゅっとしがみついてくる柾がただ一緒に暮らしていた家族の幸福を願い続けていた。もちろん、自分たちと一緒の方がいいという考えがあったのかもしれない。だが、彼女は里親がいい人たちだと理解できる、賢さもあった。
「ごめんなさい……。ミトさんを信じられなくて、ごめんなさい……」
「そんなこといいの。あなたは優しい子だから、その感じ方は正しいことよ」
ミトなりの感性を言った。
柾はミトの言葉に頷きながら、ゆっくりと彼女から離れて視線を少し交えた。優しい笑顔を向けてくる女性は何も心配いらないと少し顎を引いた。
「……」
柾は痛む体を開きっぱなしのハッチへ向けて、離れていく街並みを眺めた。
「バイバイ……、さようなら」
言わなければいけない、と柾は思った。自分のためにも、町で暮らすことになった家族のためにも。
ミトは彼女を抱えながら、その言葉の重さを感じていた。
静かに遠ざかる赤い屋根の連なる街の景観を後に、〔エクセンプラール〕は旅路を歩む。この先に希望があると信じて。




