~売買~ 大人たちの態度
バレットの率いる修道騎士団はわずか二日で補給と休息を済ませて、ローレンツェの町を去った。
その二日という時間は〔エクセンプラール〕の大人たちからすれば、永遠にも思える長い時であった。ほんの数百メートル離れた場所に、襲ってきた武装集団の一派がおり、のうのうと物資の積み込みをしている。自分たちは財産のほとんどを失い、生活する場所すら焼かれてしまったというのに、彼らにはノード教会の後ろ盾があって補給や停泊に関税がかからない。
その優遇さに嫉妬してしまうのは至極当然と言えた。だから、一時は〔アル・ガイア〕で奇襲を仕掛けようと企てる愚か者が出てきても不思議ではなかったのだ。
もちろん、柾、フォノ、結子が所持するアクセサリがなければ起動すらままならない状態であったから、断念せざるを得なかったが。
修道騎士団が去った後は、柾たちを含めて〔エクセンプラール〕の人々はその出立に安堵を覚える。同時に出立の準備と今後の予定を修正することになった。
修道騎士団の進行方向、さらに柾の交渉結果のあらましを踏まえて、直線的な道筋は避けなければならない。彼らは迎撃態勢を取ることは決まっている。その伝達も〔エクセンプラール〕が一週間かけて路銀集めをしていた間に広まっているだろう。
大人たちは自分たちの身の安全を考えるので手一杯だった。
柾は大人たちの目先にとらわれた行動に嫌気がするも、出立の日取りが決まってギルドの人たちとの別れに意識が傾いていた。
「ご苦労だった。助かった」
ギルドの窓口で柾は自分を迎え入れてくれた顎髭の男から小さな巾着を受け取って、そのずっしりとした重みに思わず頬が緩んでしまう。
お金である。そっと袋の口を開いて、中にある黄金に輝く硬貨に口元がほころんだ。
顎髭の男はそっと柾の背中を押して出入り口の方へ促す。
「船まで送ろう」
「あ、ありがとうございます」
柾は我に返って男の方を見上げた。人前でがめついところを見られたと思うと、顔がポッと熱くなる。
「いいや、仕事のついでだ。門出を祝うのは、いいことだからな」
「あの、すみません。一つお願いしてもいいですか?」
柾は玄関口を出ると、男に言った。
ギルドの母屋前の広場は数々の工場に覆われて、狭苦しい様相となっている。往来する物資運びのバイン・アウトーは軽やかに移動するも、舗装れていないむき出しの地面は鉄の脚が踏みつけるたびに土煙が舞った。内と外の気温の差が感じられた。
男は柾の小さな背中ら腕を離して、一歩先に出た。その先には駐機していた四脚のバイン・アウトーがあった。
「なんだ?」
右手は顎髭を摩り、男は淡々とした様子でバイン・アウトーの関節のロックバルブを回していく。膝関節にあるバルブを開放すると、回路が接続されるのである。修理時には膝から下を絶縁状態にすることができる。
柾は硬貨の詰まった巾着を大事そうに抱えながら、バイン・アウトーの横についた。
「友達を迎えに行きたいんです。ここからそう遠くない、町はずれの仕立て屋さんです。ほら、少し前に衣服の繕いに来た——」
「ああ、あの子か」
顎髭の男は得心して、濃い笑みを浮かべた。熊が口の端を吊り上げているような印象だ。
「いい職人を紹介してくれたよ。こっちの洗濯もしてくれんだからな」
「それで大丈夫ですか?」
「問題なしだ。ついでに追加分の依頼もしておくとするさ」
柾は満面の笑みを浮かべて、感謝を述べると頭を下げた。マフラーが零れ落ちそうになるのを抑えると顔を上げた。
男は発動機のワイヤーを引っ張ってエンジンを起動させる。
ガルッ、ガルッ、キィイイイイ!
甲高い音を立てて、エンジンが回りだす。四脚のバイン・アウトーは原理的にはバイン・シフと同じ構造を取っている。二脚式は単車のようなもので、〔AW〕に近いエンジン原理である。
男は機体に跨って、後部座席を叩いた。
「乗りな。金はしっかり持ってろよ」
「はい」
柾は返答して、巾着を腰のベルトに結び付けて後部座席に飛び乗った。それから、顎髭の男の背中に密着して腕を腰に回した。指示を受けなくてもそうするのは、彼女がバイン・アウトーの特性をよく理解している証拠。上下運動の激しい乗り物なのである。
柾の鼻は敏感に男の汗と煤に塗れた体臭を嗅ぎ取ったが、それすらも慣れてしまった。酸っぱい臭いとくすぐったい臭いは彼女の父親がさせていたものに近かったから。
顎髭の男は背中に押し当てられる感触にいやらしさを感じないのは、年頃の娘が男に対して臆面なく腕を回せることに複雑な心境を抱いたからだ。歳を取ったという実感があった。
「女の子に抱き着かれるなぁうれしいが————。何とも」
「魅力がないってこと?」
柾は憤慨して、問い詰めた。
「勘の鋭いところが、かわいくないな……」
男は愚痴って、操縦レバーを引き、機体を立たせる。ふわりと腰が浮いて、視界が高くなる。
柾もその揺れを堪えて、高くなった視界を一瞥した。普段の目線の倍の高さは爽快で、地面が遠くに感じられた。
「それなら、女を磨くんだな。機械いじりばかりしてちゃぁ、相手にされないぞ」
「そういうものなんだ……」
柾は男の言葉に感心した。というより、男の持つ女性像がどういうものか身に染みる。
顎髭男の方は肩透かしな気分で、当分背中に張り付く小さな女の子は異性に興味を持たないだろうと感じた。
「こいつぁ、飛んだ食わせ物だ」
そうつぶやいて、男は機体を発進させる。
柾は無邪気なものでバイン・アウトーが動き出すと、ワクワクして目を輝かせる。機械の力がいかに素晴らしいかを実感するとともに、普段とは違う景色に心躍る。
少女の瞳は希望に満ちていた。
顎髭の男はギュッと絞まる彼女の腕の感触に顔がほころぶ。
「本当に無邪気な子供だよ」
技術士として別れるのは惜しい。それと同じくらい無垢な子供の温かみを放したくないと思う。父性とでもいうべきものか。男が抱いているのは、根源的な優しさだった。
「なぁ、考え直さんかね? あんたならまだまだ稼げるぞ?」
「わたしにも都合がありますから、本当にすみません」
フォノは仕立て屋の店主に申し訳なさそうな顔をする。
それなりに依頼が舞い込むようになった仕立て屋にとってフォノは救世主だった。一週間の短い雇用期間で普段の倍以上の売り上げができたのだから、彼女の魅力は本物だと確信する。
「そうか。まぁ、そういう約束じゃしな……」
店主の男は目元を腕で覆って、彼女に背中を向けた。背中を小刻みに揺らして、わざとらしく鼻をすする音を立てた。
フォノはよくしてもらった手前、彼の反応に困惑した。
「ご主人やおかみさんにはとても感謝しています。でも、わたしは行くところがあるのです」
「そういうのはわかっておる。しかし、苦難の多い旅になるんじゃろう?」
店主は手首で鼻を押し上げて豪快に鼻水を啜り、店のカウンターへと歩いていく。
フォノは一拍遅れてそのあとについていった。
「仕方がありませんから。それに修道騎士団のことで、ご迷惑もおかけしましたし」
修道騎士団が町に滞在し、ローレンツェの町では緊張が走っていた。〔エクセンプラール〕を停泊させていることに何か咎めがあるのではないか、と疑心暗鬼になるのもしかたのないことだ。そして、フォノや柾のように出稼ぎをしている者を雇っている人たちは特に肝が冷えたことだろう。
一歩間違えば、罪人を匿っているも同様だからだ。
しかし、店主はカウンターの内側に回って、蛙のように飛び出した瞳をぎょろりと向けた。そこには愛嬌のある笑みがあった。
「なぁに騎士団なんざ、どうってことないさ。俺んとこの服を買わんような奴らだからな」
その高慢さにはフォノは苦笑するしかなかった。彼が仕事に対して絶対の自信を持ち、他のことに目もくれないところはある種、特別な感触がある。職人らしいと言えばいいのだろうか。とにかく常人とは違う感性の持ち主なのだとこの一週間でわかった気がした。
店主はごそごそとカウンターの内側から風呂敷を取り出すとそれを広げた。大きさは畳、一畳分はあろうかというほどでカウンターからはみ出している。
フォノが首をかしげていると、店主はまた店内の方へ足を運んで陳列棚に目を走らせる。
「だから、お前さんにはこの店の服を持って行ってほしい。いいものを選んでやるからちぃと待っとれ。お給料じゃからな」
「は、はぁ……」
フォノは複雑な表情を浮かる。給料は現金でもらいたかったのだが、服を選定する店主の背中にそんなことを言うのは憚られた。彼の厚意を踏みにじるような気がしてならなかった。だが、お金がなければこの先の路銀が厳しくなるのは目に見えている。
そんな葛藤を抱いていると、ふと視界の端におかみの姿が入った。店の奥から半身を出して、急かすように手招きをしている。
「…………」
フォノは一度店主の方に目を向けて、それから小走りにおかみの方へ進んだ。おかみはへの字に曲げた口をしており、不機嫌そうだった。思わずフォノも不安顔になる。怒られるのではないか、と心配な気持ちが膨らんだ。
おかみはフォノの背中に手を回すようにして、店の奥側へと誘導する。それから、店内の様子を見て彼女に向き直った。
「まったく、あのボンクラはダメだね。稼ぎができるようになってもあれだもの」
「あ、あの……、何か?」
「ん? これを、ね」
おかみがエプロンのポケットから封筒を取り出すと、フォノに渡した。
フォノはじっと封筒を見据えて、はたと顔を上げる。
「これって――」
「硬貨でなくてごめんなさいね。ここの紙幣だけど、役所で換金してくれるはずよ」
おかみはフォノに耳打ちした。
旧コロンド領の紙幣は他の領地で流通がきかない。国政がまだ不安定だからだ。隣国での換金は難しい。そもそも、紙幣は領土限定の手形であってその効力も領土内に限定されている。
しかし、硬貨は共通で鋳造されている。そうでなければ、ヨーロッパの広い土地で流通が盛んにおこなわれたりはしないし、様々な産業が発展するはずもない。
ノード教によって同じ価値観を要した国の集合地域だからこそ、その普及率が早かったのもあるが。
フォノはおかみの優しい笑みに胸が詰まった。
「おかみさん……」
「あんたはよぉく働いてくれたよ。旅の無事を祈ってるよ」
おかみはそう言って、フォノをそっと抱きしめた。
「娘が帰ってきたみたいで、楽しかったよぉ。何かあったら、来なさいな」
フォノは耳に優しくかかる声とふくよかな彼女の感触、石鹸の匂いに淡い気持ちが沸き立つ。彼女がこの一週間、世話を焼いてくれたのを思い出すと余計に別れがつらかった。
おかみにとってもそれは同じことだ。
「おおい。繕ったぞ」
「ほら、あのバカが呼んでる」
おかみはフォノを体から離して、店内の方へ促した。
フォノは封筒を大事そうに抱きながら、おかみの方へ振り向いた。
「あの、これをもらったのですから、お洋服をいただくわけには——」
「いらないなら、いらないってはっきり言ってやんな。吠えずらかかせてやりゃぁいいんだよ」
おかみは快活な笑顔を浮かべて、とんっとフォノの背中を押した。
フォノは店内に戻って、カウンターで風呂敷を縛る店主を見た。大きく膨らんだ風呂敷の包みは一着や二着の量ではない。
店主がフォノに気付くと、ぎゅっと縛りを強めた。
「おお、そこにおったか。ほれ、これだけあれば十分じゃろ」
「あ、ありがとうございます。けど、こんなにたくさんは……」
フォノはさすがに受け取れないと尻込みしつつ、ゆっくりとカウンターの方へ歩み寄った。封筒はエプロンドレスのポケットに仕舞う。
店主は包みを叩きながら、満面の笑みを浮かべる。
「これくらいねぇと旅の時大変じゃろう? 同じもんを着てちゃぁ、ばばっちいからな」
店主がそういう気遣いをしてくれたのは、フォノにとってうれしいことだった。旅の服のことなど考えてもみなかったし、風呂もろくに入れない状況が続くことを考慮したこともなった。
別の角度からの意見にフォノは店主の優しさを痛感した。
「ありがとうございます」
心の底から感謝を述べた。
それにな、と店主は言葉を続けてフォノの正面を向いた。口の端を引っ張って、大きな目を細めて本当に幸せそうな笑みがそこにあった。
「これを売りさばきゃぁ、いい小銭集めにもなるじゃろう? お前さんの腕がありゃぁ飛ぶように売れるさね」
フォノは目からうろこが落ちた気分だった。
おかみもまた驚いて店の裏から出てきた。
「あんた、意外と考えてるんだね」
「なんじゃ、お前。そこにおったのか」
店主はおかみの方を見て素っ頓狂な顔をするも、風呂敷包みを両腕で抱き上げて、フォノの方へ持っていく。
「ほれ、せんべつじゃ。持っていけるかの?」
「あ、あの、そんな」
「いいって、いいって。持っていきな。ジジイができるのは、こんなもんじゃからな」
フォノは強引に包みを押し付けられて、受け取るしかなかった。
ずっしりとくる重さに思わず腰が曲がるも、どうにか踏みとどまる。それから一度下ろして、老夫妻を見比べた。
「あの、本当にお世話になりました」
深々と頭を下げて、綺麗な金髪が滝のように垂れ下がる。
優しい人に出会えて、その温情に心から感謝する。温かく受け入れてくれる人がこの先にもいるかもしれないという希望も持てた。
老夫婦は小さな女の子のその姿に微笑んで、懐かしい気持ちを抱いていた。嫁いで行った娘の姿を思い出す。
「縁があったらまたくりゃぁいい」
「そん時は歓迎するよ」
フォノは顔を上げて、しゃんとした声で返事をした。
と、店の前の方から元気な声が聞こえた。
「ここだよ! ちょっと待ってて」
その声を聞いて、フォノは一度背後に目を向けたが、最後にもう一度老夫婦にお辞儀をした。
「お迎えがきたようじゃな?」
「はい。それでは、失礼します」
フォノは言って、包みの結び目を両手でつかむと店の出入り口へと歩いて行った。そして、そこでドアを開ける少女、柾と鉢合わせになった。
「あ、フォノ。迎えに来たよ」
「ありがとう。ちょうど手がふさがってたの」
フォノはそう言って、店の外へと足を踏み出した。またいつか、このドアを開く時を信じて。
結子は歯がゆさを押さえて、役所で紙幣の換金を済ませた。
「こちらになります」
柵で隔てた受け取り口から硬貨の乗った受け皿が出てきた。金貨一枚、銀貨が三枚。決して高い金額ではない。だが、ここ一週間の結子の稼ぎはこの三枚だけ。それも初日に出会ったフライハイトの男から渡されたはした金である。
結子はやきもきしながら、硬貨を手にすると無造作にコートのポケットに突っ込んだ。
そして、振り返って受け取り口から離れる。
役所のエントランスは天井が高く、三方をカウンターで囲まれた質素な空間である。頭上で回るファンが湿っぽい空気をかき回して、高い天窓から日光を取り入れている。そのため、閉塞感は感じられなかった。
順番待ちをする町民とすれ違って、結子は彼らの視線を気にした。みなが奇異の目を向けるのは身にまとっている黒いコートの故だと自覚はあった。
「…………」
いつにもましてそうした視線が気になるのは、結子の神経が尖っているせいだろう。
一週間いろんな所へ出向いて雇い主を探したが、結局雇ってくれる場所はなかった。服装のせいか、と考えたこともあったがそうではない。
異邦人だから仕事は任せられない、とほとんどの人が言った。彼らは労働者階級であろう東洋人が独り歩きして、仕事を求めていることを怪しんだのだろう。
その理屈は理解できたが、結子はそれゆえ何もできなかった。異邦人の風当たりが厳しいのを改めて実感する。
と、彼女が出入り口を出ると一台のバイン・アウトーが停車した。
「あ、結子!」
「柾、フォノも」
結子はバイン・アウトーに乗る友人の顔を見て、目を丸くした。運転をしている顎髭の男が機体を降着させた。後部には巨大な風呂敷包みが括りつけられている。
柾とフォノが地面に足をつける。
「よかった。結子もこれで一緒に帰ろう」
「う、うん……。ありがとう」
柾の誘いに結子はぎこちなく答えた。
すっとフォノが役所の方へ足を運び、結子とすれ違った。
「結子もお金を換金しに来たの?」
「うん。そう」
「じゃぁ、わたしもさっさとしてくるわね」
フォノが弾んだ声で答えて、小走りになる。
「あ、人いるから。時間かかるかも」
「わかったわ」
結子は一度立ち止まって、その背中に忠告を投げかけた。
フォノは小さく手を振って返して、役所へと入っていった。
「もうっ。結子だけ仕事先教えてくれなかったから、お迎えどうしようかって迷ってたんだよ?」
「ごめん……」
結子は柾の前に立って俯く。
お金を稼ぐことができなかったのを打ち明けるのが恥ずかしくて、この一週間は働いていると嘘をつき続けていたから余計言い出しづらい。
柾は彼女の様子に怒るのをやめる。
「いいよ。結果的に会えたんだし」
「うん。けど、あのね……」
屈託のない笑みを浮かべる柾が小首をかしげる。
暖かい日差しの下にある彼女の表情は輝かしく、暗鬱とする結子の心を強く焼いた。嘘をつき続けることが耐えられない。
「どうしたの?」
柾は問うた。
「あのね、あたし、仕事なくて、これしかお金ない……」
結子は今しがた換金してきた硬貨を出して、申し訳なさそうに差し出した。
柾はその小さい手のひらに乗った硬貨と暗鬱とする結子の顔を見比べる。その表情は一瞬困った色を見せたが、次の瞬間には安堵の表情を浮かべていた。
「そっか。お金のことは大丈夫だよ。心配いらなよ」
「…………」
結子は自分の複雑な感情を言葉にできず、唇を固く結んだ。お金の問題なのか、仕事をしていない罪悪か、誠実さの問題か、それとも情報の一部をフライハイトに流してしまったことへの後悔か。煩雑とする思考は整理がつかず、手にしている硬貨が鉛のように重く感じられた。
柾は自分の手で彼女の差し出されている手を包んで、硬貨をしっかりと握らせた。
「頑張った成果なんだから、堂々とすればいいじゃん。働いてない大人だっているんだから、問題ないって」
「そう、かな……」
「それにさ、一緒に旅をしてくれるからすごく助かってるんだよ。ほら、みんな航海術なんて知らないから、結子の土地勘? っていうのかな。すごく頼りになるよ」
柾は力強く頷いて見せた。
結子にはそれが、彼女の励ましだとわかっていた。しかし、お世辞や繕った言葉ではなく、彼女の本心からものだと直感する。
包まれた手の温かみがそう感じさせるのだ。それを錯覚とするなら、あまりにも虚しい心の持ち主だと結子は思う。フライハイトが心の狭い組織だと思うようになってしまったせいもある。
「だから、落ち込まないでよ。今日にはここを出発して、新しい土地に行くんだから」
柾の快活な声に、結子も顔を上げて少し晴れやかな表情を見せる。
暖かな太陽の光が降り注ぐ。そこに薄い雲がゆっくりと流れて、肌寒い風を運んできた。
柾たちが〔エクセンプラール〕に到着するころにはお昼を過ぎており、出発の準備は大方済んでいるようだった。予定では日があるうちということだが、それにしては閑散としていた。
柾たちは送り届けてくれたギルドの男に礼を言うと、格納庫の方へ移動する。
薄い雲が太陽を遮って、暗澹とした空気が立ち込める。
「みんな、わたしたちを待ってるのかしら?」
フォノが何の気なしに言った。風呂敷包みを持ち直しては、その重さに肩をすくめる。
「ミトさんには伝えてあるから、そうだと思うよ」
「けど、静かすぎる……」
楽観的に言う柾に対して、結子が〔エクセンプラール〕の内部を見渡していった。
格納庫内はほの暗く、湿った雰囲気が立ち込めていた。太陽の日差しが弱まっているせいだろう。
そうであっても、寝泊まりしている人たちの視線が突き刺さるのは三人にもよくわかった。そして、視線を射ていた人たちはすぐに目を逸らして素知らぬ顔をする。奥の鶏たちの声が聞こえるほど、静かで冷たい空気に包まれていた。
それにはフォノが背筋を震わせて、深刻な顔をする結子に言う。
「みんな、緊張しているだけよ。それだけのはずよ」
「だったら、いいんだけど……」
結子の尻すぼみな言葉に、柾は不安を覚える。それでも努めて、明るい笑顔を見せて声をかけようとする。
その瞬間、格納庫の奥から数人の子供たちがどたどたと駆け寄ってきた。
「お姉ちゃんっ!」
「どうしたの?」
柾は顔を強張らせて、駆け寄ってくる子供たちを迎えた。
フォノと結子も囲むようにして集まった子供たちの切羽詰まった表情に緊張が走る。荒い息を整えて、固いつばを飲み込み、代表の子供が瞳を潤ませて顔を上げた。
その瞳に、三人は心臓が鷲掴みにされたような息苦しさを覚えた。
「し、知らない大人たちがみんなを連れて行っちゃった!!」
「みんなって―———っ」
「エリンにヴェン、それにおしゃぶりマルカもっ。みんな、みんなだよ!」
その知らせに、柾とフォノは顔面蒼白になる。
エリンとヴェンは食事の際に元気づけてくれた男の子たちだ。その無邪気な笑みが柾の中でよみあがえっては、崩れていく。
マルカは最年少の女の子で、フォノが積極的に面倒を見ていた子だ。
三人ともミトの家で暮らしていた家族であり、その子たちが連れ去られたとあっては二人は黙っていられなかった。
「これをお願いっ」
「ミトさんたちはどこにいるの!?」
フォノは風呂敷包みを近くの子供に押し付けると、目標も定めずに走り出す。
柾は怒鳴りつけるようにして、代表の子供に詰め寄った。
「ちょっと、柾……」
結子も事態の深刻さを察したが、怯える子供たちを見えては彼女の気迫は害悪でしかない。
「会議室……」
「会議室ねっ。フォノ、会議室に!」
柾は子供たちを押しのけるようにして走り出し、フォノの後を追った。
残った結子はその後ろ姿を追おうとしたが、ぎゅっと一人の女の子にコートの裾を握られて走り出すのを止めた。ここでこの子たちを放り出していいものだろうか。この子たちもまた家族がいなくなってしまったことに動揺し、不安があるはずだ。
しばし思案して結子はその女の子の手を握って全員の顔を見回した。
「みんな、大丈夫。二人ともちょっと驚いただけ」
優しく言いながらも、誰もがすがるような眼をして不安の色を濃くしていた。ここにきて日の浅い結子を信用しきれていない。
「少し、休みもう?」
結子は心苦しくなって当てもなく歩き出す。そのあとを子供たちがとぼとぼとついていく。とにかく、この息苦しい空間にいたくなかった。
柾とフォノは五度目にして、目当ての会議室に突入した。そこでは町長を含めた役員たちやミト、さらにはカーヴァルの姿があった。
彼らは長机を囲んで、何か話し合っていたようだった。
「ミトさん。マルカたちが——」
「エリンもヴェンも連れてかれたって————、なのに何してるの!?」
感情に任せた大声を発して、柾とフォノは会議室内を睨みまわしながら彼らに詰め寄った。
大人たちが机の上のものをかき集めるようなしぐさをして、ミトが痛切な面持ちで二人の前に出た。
「二人とも、落ち着いて。よく聞いてちょうだい」
「どうして落ち着いていられるの? 家族がいなくなっちゃったんだよ?」
柾が手を広げて、早口に言った。
「とにかく、探しに行きましょう」
フォノが続けた。
それから二人は、ミトに縋り付いて、激しく揺すった。そうしないと頭の中がおかしくなって、暴れまわってしまいそうだった。縋る相手がミトしかいないという現状もあって、その行き場のない感情をぶつけてしまう。
「お願いだからっ! 話を聞きなさい!」
ミトは二人に揺さぶりに心身ともに痛みを感じながらも、力強く二人の肩を掴んで怒号を上げた。声がかすれて、彼女もまた二人の激情を理解していた。
柾とフォノは唖然として、痛みに耐える様な苦痛に満ちたミトの顔を見上げる。
「いい、二人とも? みんな、連れていかれたんじゃないの」
柾とフォノは小さく唇を震わせるばかりで、それを追及する言葉が出なかった。
一度息を整えて、ミトはゆっくりと口を開く。
「新しい家族に引き取られたの。ここでお別れすることになったの……」
柾とフォノはその言葉に冷水を浴びせられたように頭の熱が下がっていく。その言葉の意味を理解するのに、数秒の間が空いた。
「そう、なんだ……」
フォノは寂しそうな、しかし、安心した表情を見せた。というのも、子供たちが少なくとも危険なことに巻き込まれていないことを知ることができて、一応の整理がつけたからだ。
柾はしかし、納得いかない様子でミトから一歩離れる。
「そういうことなら、どうして、黙って————」
ジャラジャラと何かがこぼれる音が聞こえた。
ふと柾が音のする方、ミトの背後の方に目を向けた。それを見た瞬間、言葉を失った。
それは机一杯に広がっていた金貨の山だった。照明の光を浴びて輝くその金色の塊を大人たちは急いで袋に詰めていく。零れ落ちるそれらの甲高い音はまるで、自分の足元が崩壊していく音にも似ていた。
「どうして、そんなにお金を持ってるの……?」
ようやく柾は目に見えたものの疑問を口にした。
彼らがこの一週間で仕事をして、山のような金貨を集められるだろうか。正攻法で集めるには無理のある量に感じられた。この〔エクセンプラール〕で働きに出ていた人たち全員分の稼ぎを根こそぎ徴取したというのなら、彼女も納得しただろう。
しかし、町長を含めた役人たちは冷や汗を流して、口を半開きにしていた。焦燥と背徳感。その両者をないまぜにした醜い顔だ。
「柾、これはね……」
ミトがフォノから目を離して柾に言葉をかけようとする。
「新しい家族の人たちがお礼にってくれたんだ。これだけあれば、大丈夫だろうって」
そこに快活なカーヴァルの声が響いた。
ミトたち大人は絶句して、長身の美少年の軽口に怒りを覚えた。短絡的な思考で言うべきことではない。
柾とフォノは目が点になり、瞳が揺らいだ。息が止まる。脳みそが焼き切れそうな痛みを覚える。
「お礼————」
「ああ。みんなを紹介してくれたお礼と、今後絶対幸せにするって約束で。教会の神父様も認めてくれたんだ。大丈夫だって」
「いつ、そんな話を……?」
フォノは声を絞り出して、尋ねた。血の気が失せて、絶望に満ちた表情。
「結構前から。夜中に新しい家族のところにいって話をしたんだ。面会も、何回かしてたんだよ?」
流暢に語るカーヴァルは笑顔を絶やさず、それが正しい判断だと信じきっていた。
だが柾とフォノにとって彼の言葉は、そんな些細な変化にも気が付かなかったのか、と嘲るようにしか聞こえなかった。のうのうと外に出て、お金を稼いでいる間にも養子縁組の話は進んでいたのだと。
ミトが慌てて、柾の手を取ろうとした瞬間、
「何をしたのか、わかってるの?」
柾がふらりとミトの手をかいくぐって机にしがみつくようにした。
フォノもその話を聞いて、力なくその場にへたり込んでしまう。自分たちが〔エクセンプラール〕を離れている間に起きていた愚挙に気付くことができなかった。
柾はわなわなと震える手で、散らばった金貨を力強く握りしめて、高々と振り上げた。そして、力いっぱいに机の上にその拳を叩きつける。
「お金で、子供を、家族を————、あんたたちは売ったんだ! お金のためにさっ!!」
冗談じゃない、と柾は涙ぐんで手にしていた金貨を大人たちに投げつけた。
その気迫に押されるどころか、ぶつけられた初老の役人が怒りをあらわにして喚く。
「でなければ、われわれの生活はどうなる! いつまでも足手まといを引き摺って——」
「足手まといなのは、ここの老人たちでしょ! ろくに働かない。みんなから食べ物巻き上げて、雑用させて、偉そうにして、どこが正しいのよ!? 言ってみなよ、さぁ」
「貴様ぁ、誰のおかげでここまで生きながらえたと思っている!」
「うるさい! 能なしは黙って!」
柾は突っかかってきた別の役人にまくし立てて、肩で息をした。激昂して、自分がどれだけひどいことを言っているのかも気にならなかった。ただ目の前にいる大人たちが自分の身の安全のために、他人を犠牲にするような下衆だという思考しか働かなかった。
涙をためて、顔を真っ赤に染める柾。
それには、彼女に恋慕抱くカーヴァルでも怖気て棒のように立ち尽くすしかない。
ミトも彼女の怒りが空回り気味なのを理解しながらも、その感情を抑える術が思いつかなかった。自分がそうできない代わりに、彼女がすべてを吐き出しているような気がしてならなかった。そして、ミト自身、金銭での養子縁組に携わったのだから反論の余地もなかった。
柾は血走った眼で町長を睨みつけると、もう一度金貨を掴んだ。
「あんたみないなのが、一番————、一番大っ嫌いなの!」
「柾、やめて」
投げつけようとした瞬間、柾の腕にフォノが絡みついた。
投擲を阻止されて、その体温を感じて、柾の中で燃え上がる憎しみがフォノに矛先を変える。
「なんで止めるの! こんなこと、しちゃいけないでしょ」
「でも、マルカもヴェンも、エリンも……、新しい家族のもとに行けてよかったのよ。こんな生活、続けさせられないもの」
「それはあたしたちが、どうにかすればよかったのよ」
「無理なのよ。わたしたちじゃ、暖かい家も、ご飯も、愛情も、何もかも満たしてあげられないの」
フォノの痛烈な言葉に、柾は言葉を詰まらせた。
この〔エクセンプラール〕での生活を振り返っては、つくづく恵まれていないと思う。雑用をさせられて、まともなご飯も食べさせてあげられず、無益な戦闘に巻き込んで、心身ともに参っていたはずなのだ。
この生活を続けさせていたら、いずれ取り返しのつかないことになる。
フォノは別離の悲しみをこらえて、養子に出て行った子供たちの将来を受け入れた。少なくとも、ここでの生活よりずっといい暮らしができると、町の中で宣伝活動していたからわかっていた。
ミトは彼女が自分の中にある理屈を代弁してくれてうれしく思う。同時に、フォノがそういう処世術を身に着けているのが悲しかった。
「…………だからって、こんなの認められるはずないでしょ」
柾は嗚咽を堪えてふり上げていた腕でフォノを支える。
何のためにお金を稼いできたのか。ここでの生活を維持するため、ひいては子供たち、自分たちの生活の助けになるならとしてきたはずだ。
なのに、手から零れ落ちる金貨と机に広がった金貨の山を目前にしてしまうと、自分たちの稼ぎなど雀の涙ほどでしかない。経済力が圧倒的に足りない。
周りの人たちは少女二人の様子を窺っていた。
「二人とも、部屋に戻りなさい。あとで、じっくり話を聞いてあげるから」
ミトはようやく口を開いて、二人のもとに歩み寄った。
不甲斐ないと心底思いながら、フォノを引き寄せた。柾は腕を解いて、彼女を預けるようにした。その脱力した動きは見るに堪えないほど弱々しく映った。
「カーヴァル、柾を連れて行きなさい」
ミトは立ち尽くしているカーヴァルにそういって、寄りかかってくるフォノをそっと抱き寄せる。甘えん坊のようにしてくる金髪の少女。思春期の女の子にしては幼稚な仕草かもしれない。それでも、人を思いやれる彼女だから、時には抱えきれないことだってある。
カーヴァルはミトの指示に従って、恐る恐る机に視線を落とす柾に近づく。一点に集中された瞳に光はなく、じっと何かを考えているようでもあった。
「柾ねぇちゃん。ほら、部屋で休もう」
カーヴァルは手を差し伸べるのが精いっぱいで、柾の小さい体を抱き寄せることも、手を握ることもできなかった。
「親を失った子供の気持ちを、わかってくれないだからっ」
柾はつぶやいて、金貨の山にはみ出ている藁半紙を引っ掴むと会議室を駆けだした。盛大にお金が机から床へと落ちていく。甲高い音がこだまする。
彼女がつかんだのは、養子に出された子供の名簿と住所だ。
「柾っ!」
「ねぇちゃん!」
ミトとカーヴァルが呼び止めるも、柾の姿はすでにそこにはなかった。
町長たちは安堵のため息をついて、粛々と金貨の計算に戻る。算出途中でまた計算しなおさなければならないのに、頭痛を覚える。
「まったく、これだから子供というのは……」
「また位置から計算のし直しじゃ」
「こうでもしなければ、こっちのみが持たん」
「偉そうに、何様のつもりかしらね」
厭味ったらしく、役員たちは内輪で愚痴をこぼし合う。
「行くよ、カーヴァル」
彼らの愚痴とお金のこすれ合う音にミトは嫌気がさして、役人連中を一瞥するとすんすんと涙を流すフォノを連れだって出て行く。
カーヴァルは役人とミトを見比べて、足の不自由な母親代わりの方へついていく。
「柾ねぇちゃん。探しに行こうか?」
「大丈夫よ。あの子もわかってることだと思うから……。ただ、やり方がひどかったのよ。わたしたちのやり方が悪かったんだわ」
ミトは懺悔するように言った。
その間にも柾はバイン・アウトーを駆って、ローレンツェの町へ向かっていた。
彼女の頭の中では、赤い髪の女騎士バレットの言葉が過っていた。
『生きるためになら何だってやる』
その言葉が現実のものとなってしまった。略奪や侵略ではなく、もっと掛け替えのないものをよりにもよって身内から壊していくやり方だ。
「そんなことさせないって、言ったのに……」
柾の心は揺さぶられて、喉元まで這い上がってくる吐き気が体を震わせる。
人間が生きるためにする行い。しかし、それが社会性に反するというのならば、それは人間特有の倫理的問題である。だから、反社会的なものほど本来の動物的本能を思い起こさせるものである。
そして、それを否定してしまうのは人間が知恵をつけて、思想を有している証拠。それに縛り付けられていることに他ならない。
しかし、それを理解するには柾はまだ子供である。
だから、頭で考えるよりも早く体が行動を起こしている。近づいてくる町は日陰になって、陰気な雰囲気が漂っている。




