~売買~ 赤い騎士との接触
「今日も、お肉ないの?」
「ない」
「ソーセージも?」
「ないものはないの」
日が暮れてローレンツェの町の活気はしっとりとしたものへと変わっていく。大人たちが闊歩する雰囲気を漂わせて、子供たちは家に籠って静かな時間を過ごすのだ。
柾たちもその例にもれず、〔エクセンプラール〕で留守番をしている。食堂で大人たちが作り置きした晩御飯を集まった子供たちに配膳しているところだ。
この先のことを考えてか、メニューはパンに、少々のザワークラウト、クネーデルと質素を極めたメニュー。ザワークラウトは千切りキャベツの漬物で酸味の利いた味が特徴的。クネーデルは茹でたジャガイモを丸めた団子である。どちらも肉料理の付け合せに出るのが主流であるが、今日の晩御飯はこれがメインのおかずなのである。
「これがおかず?」
「贅沢言わないの。我慢して」
柾は長テーブルに並んで腰掛ける子供たちの皿にザワークラウトをもりつけて、クネーデルを配りながらそう言い聞かせる。
実際には保存食のハムやサラミ、ソーセージ、それに冷凍保存している魚もある。しかし、無断で子供たちに分けようものなら大人たちが黙ってはいない。大人たちは貴重な肉類を独占したがって、要求しようものなら有無を言わさず鉄拳を振りかざすことだろう。
物足りなそうに食事を見る幼い子供たちは塩とコショウの小瓶を軽く振って、クネーデルに味をつけるので我慢した。旅に出てからの食事風景を思い出せば、最年長の柾に何を言っても仕方ないのだと学習しているのだ。
「そういえば、カーヴァルはどうしたの?」
柾はふと長身の男の子の姿が見えないのに気付いた。
「カーヴァル兄ちゃんはミトさんたちについてったよ。お仕事だって」
「あいつが? 仕事?」
柾は水の入った甕をテーブルに置きながら、パンを齧っている男の子を見た。
カーヴァル・イルスロットは確かに見た目は大人と見間違うほどの美少年だ。だが、中身は遊び体盛りのやんちゃ坊主。仕事に精を出すとは考えられなかった。夜の街に興味をひかれたのではないか、と邪推する。
そこへカートを押してフォノと結子が食堂に入ってくる。
「どうかしたの、柾?」
フォノがいつもの微笑みを浮かべて問いかける。
「あ、二人ともありがとう。なんでもないよ」
「そう。みんなの分配ってきたから、わたしたちも食べよう」
結子が柾が席についていないのを見て促す。
フォノと結子は食堂まで上がってこれない老人や怪我人たちに食事を配っていた。最年長の彼女たちの致し方ない仕事だ。
柾は了解して、二人とともに一度厨房へ入った。綺麗な厨房で食器や調理道具がきちんとしまわれ、食材置場や小型の氷室もある。少し土臭いのはジャガイモやニンジンの木箱があるからだろうか。
子供たちは談話しながら、晩御飯を食べている。艦内の掃除がどうの、鶏がどうのと今日の働きの成果を自慢し合っている。
その声を耳にしながら三人は身を低くして、頭を突きつけあうように囁き合う。
「どうだった?」
「怪我をしている人たちはお昼にお医者様に見てもらったらしいけど、ろくな治療の跡もなかったわ。昼間、ここの人達は何をしてたのかしら?」
「お肉とかチーズも、下の人たちこっそり持ってるし」
冷たい空気が漂う厨房で三人は〔エクセンプラール〕の大人たちが一体何を考えているのか、わからなかった。
老人は勝手気ままに食料は持ち出すうえ、怪我人には目もくれない。彼女たちが町で出稼ぎをしている間、一体どんなことが起きているのか心配になる。
唸り声を漏らす三人は、一人の信頼のおける人物を思い浮かべる。
「ミトさんも大変だよね。足も悪いから、艦内を自由に歩き回るってことできなさそうだし」
「手伝いできることはしていきましょう。みんなにも好きなもの食べさせてあげたいもの」
フォノはそう言って、厨房のカウンターから子供たちの食事風景を見て言った。パンにザワークラウトを乗せたり、グネーテルを頬張ったり、一応はお腹を満たしてくれている。しかし、いつまでも不自由な生活をさせては今度は子供たちが栄養失調で倒れてしまいかねない。
結子にもその危機感を感じるセンスがあって、柾たちの不安な眼差しを察した。
「そうだね。でも、今はあたしたちもご飯を食べよう。腹が減っては戦ができぬっていうから」
その言葉に柾とフォノも無為に責任感を背負おうとするのをやめて顔を上げる。
「確かにお腹すいたぁ。明日も働かなくちゃ」
「わたし、また、あの格好するのかしら……」
お腹を押さえる柾に対して、フォノは妙に引き攣った表情で明後日の方向を見つめる。
それに対して、柾はニタニタと笑みを浮かべる。
「面白い格好してたもんね」
「どうしたの?」
結子が興味津々に問うた。
「あれは仕方なかったのよ。結子は知らなくていいわ」
「そういうなら、明日は結子の働いてるところに顔を出してみたら? きっとお仕事もらえるよ。今日みたいに」
「もうっ。それ言わないで!」
「だから、どういうこと?」
結子だけ話についていけず、やきもきした表情を浮かべる。
対して、悪戯な笑みを浮かべる柾と口元を尖らせるフォノはじゃれ合うように体を寄せる。知られたくないことがあるフォノは引っ搔くように手を動かしている。
それに押されるようにして、柾たちは食堂へと戻っていく。
「あのね。フォノってば、すごく短いスカート穿いて胸を大胆に見せつける服着て客引きしてるんだって。それが、あたしの働き先に来たからびっくりしちゃって」
「あぁ! 言ったわね!」
「そういうことだったんだ」
「結子も納得しないでちょうだい。あの服、恥ずかしいんだから」
三人娘の嬉々とした声に、子供たちも興味津々に顔を向ける。
食べかすを頬につけた男の子が代表するようにして言う。
「お姉ちゃんたち、元気出てよかったね」
「お仕事してるんだよ? 頑張ってるんだから、当たりまえじゃない?」
「柾お姉ちゃん、大丈夫そうからいいじゃん」
「そうそう。お姉ちゃんたちはこうでなくっちゃね」
口々に子供たちはそんな言葉を交わし合う。
柾ははにかみながら、頬に指を当てた。それは開口一番の男の子に対してのジェスチャーだ。
「口元、汚れてるよ」
男の子ははっとして手の甲で口元を拭った。
柾は内心、ここに座る子供たちに迷惑をかけていたと改めて認識する。人殺しをした罪の意識はまだ解決されていない。だが、この場にいる子たちは少なくとも、柾を忌避したりしない。むしろ、暖かく迎え入れてくれる。心配してくれていることが、何よりもうれしかった。
「…………」
柾は同じように、いや、それ以上に心配をかけただろう友人二人に目を配る。
フォノも結子もきっと複雑な思いだったはずだ。そう思うと、柾は胸がいっぱいになって辛かった。
「ほら、あなたも口を汚して」
フォノが年少の子供の口元をナプキンでふき取ってやりながら、席に回る結子を見る。
「結子、そこの小皿を取ってくれるかしら?」
「う、うん」
結子は柾たちの分の晩御飯を用意しつつ、フォノに小皿を渡した。
「手伝うよ、結子」
「ありがとう」
柾は結子にならって、ザワークラウトやクネーデルをお皿に盛りつける。
結子がテーブルの中心にあるパンをスライスして、それを分ける。
「そういえば、結子はお仕事、大丈夫そう?」
「う、ん……。大丈夫だよ」
結子は一瞬戸惑った表情を見せたが、パンを切り分ける手に狂いはなかった。
柾も言及はせずに、フォノが子供たちの身の回りを気にしているのを一瞥する。
「大丈夫だからね」
「わかってるよ。結子は頑張り屋だもん」
上擦った声で念押しをする結子に柾はやんわりと答えた。
対して、結子は心もとない様子でブレッドナイフを置く。寂しげなまなざしをちらつかせて、口元を歪める。本当は仕事先を見つけられず困り果てていた。異国の人を雇ってくれるところがどれだけあるのかもわからない。目に見えない不安感ばかりが重くのしかかる。
彼女の所作に気付いたのはフォノだった。
「どうしたの?」
「なんでも、ない」
フォノの問いかけに、結子は固い口調で返した。
フォノには彼女がセーターの男についていったことを思い出して、怪訝そうに眉をひそめる。
「あの人との仕事、嫌なことでもあったの?」
「ううん。そうじゃない。ちゃんと、お仕事してるから……」
尻すぼみの声になる結子にフォノは吐息のような声で肯定した。
一足先に席に着く柾が二人を見比べて、にっこりとほほ笑んだ。
「二人ともご飯の時だから、そう暗い顔するのやめよう。あたしもやめるから」
そういわれてしまうと、フォノも結子も言葉が出ない。一時の疑念で雰囲気を悪くしたくない。
柾もそれを熟知してるから、子供たちの前でフォノと結子の前でなるべく明るく振る舞おうとするのだ。
フォノと結子は一度顔を見合わせてから、それぞれ席に着く。結子は柾の隣に、フォノは年少の子供の隣につく。食事の世話をするためだ。
フォノは手を組んで、小さく祈りをささげる。その習慣に合わせて、柾たちも食事の手を動かそうとはしなかった。
その時、柾は腹の底を突かれる妙な感覚を覚える。キツツキが木目を叩くように、小さく連続的な感触だった。
「何……」
柾はきょろきょろとあたりを見回して原因を探った。
フォノと結子、子供たちが不審そうに注目する。落ち着きのない彼女に違和感を覚える。
しかし、柾に襲い掛かる感覚は次第に強くなり、足の裏からも揺れを感じ取れるようになっていた。
カップに注がれた水が波紋を広げて、大きくなっていく。厨房の食器がこすれる音、鋼鉄の壁に染みわたる低い金属音。
フォノ、結子も表情を強張らせる。
柾が真っ先に席を立って、怯える子供たちに言った。
「みんなはここにいて! 外を見てくる!」
「柾っ!」
「フォノと結子はみんなをお願い」
フォノの呼び止める声を振り払って、柾は食堂を飛び出していった。
居住区から格納庫へ駆け下りるさなか、強弱のある揺れがひっきりなしに襲い掛かる。息せき切って走り抜ける柾はその緩急のある揺れにバランスを崩しそうになりながらも、船底の格納庫へと躍り出た。
開け放たれている後部ハッチに強い光の筋が右往左往しているのが見える。鎌首もたげた獣のような動きに心臓が跳ね上がる。
喉にねばりつく唾を飲み込んで、格納庫で困惑している老人たちの合間を駆け抜ける。
「みなさん、落ち着いて! 何もしないで!」
「そんなことより、早く機械人形を出さないかいっ!」
開け放たれているハッチに向かう柾の背中にそんな声が浴びせられる。
「何のためのお前たち何だい!? こういう時のために残っとるんじゃろうが」
「あれを使えば、騎士だろうがなんだろうが追っ払えるだろうに」
老人たちは短絡的で光の動きが敵意のあるものと感じているようだった。激情に任せて、声を張り上げる彼らはしかし、自ら戦おうとはしない。
彼らにとって柾たちの価値は保身を約束する護衛のようなもの。その役に立たないのならいない方がましなのだ。
女子供は男たちの所有物に過ぎず、責任を取る立場にいなかった。いいように動く手足のようでないと納得しないのが時代の潮流である。
柾は言い返すことはせず、ぶつかる様にして後部ハッチのヘリにつかまった。他人の言葉に耳を傾けていられる余裕はない。肩で息をして、少し身を出すようにして外の様子を窺う。
「…………っ」
揺らめく光の筋に目を細めて、その全容を確かめようとする。
しかし、眩しい光の向こうに見えるシルエットははっきりしない。
耳に入ってくるのは唸る機械音。排熱する蒸気の音。地面の抉れる豪快な音。足に、腹に、胸に、そして頭に駆け上る音色は柾が想像するのに難しくなかった。
バイン・シフの艦隊。そうとしか思えなかった。
すると、光の中から人影が浮き上がってきた。数は三人ほどだろうか。光を背にして威風堂々と歩み寄ってくる影は巨木のように地面に落ちている。
柾は息を飲んで、思案する。
ここで出て行くべきか。相手が何者で、どこの組織なのかわからない。修道騎士団か、それともそれに敵対する組織の一団か。どちらにしても柾たちには歓迎しがたい来訪者だ。
戦いになれば、まず勝ち目はないだろう。相手の戦艦は降着しているとはいえ、機能している。砲撃を即座に行えるだろう。〔エクセンプラール〕は動かせない。相手にとって侵入は安いものだ。
「…………」
柾は逡巡して、結局向かってくる人たちの影に活路を見い出すしかなかった。
使者を向かわせるということは話し合いの余地はある、ということだ。
徐々に大きくなる人影に、柾は意を決してハッチのヘリから身体を出した。集中する光に目を細め、手で影を作りながら震える足で人影のもとへ歩み寄る。
「————明かりを消せっ!!」
瞬間、中央の人影が振り返って大声を張り上げた。雷鳴のような声だったが、女性の高い音程が聞き取れた。
柾はびくりとして立ちすくんでしまう。
女性の声に従って明かりが一気に消灯する。暗幕が垂れ下がったように視界が暗くなり、町の光や夜空の光が弱々しく感じられた。
「どういうことだ、こいつは……?」
今度は野太い男の声が柾の耳に入った。
柾は目を瞬かせながら、すぐ目の前に迫ってきた人影を認識する。ローレンツェの淡い光と煌々と降り注ぐ月光を浴びる人たち。
そして、真ん中を行く赤色の髪が一番に浮き上がった。
「そこの子供、わけを聞かせてもらおう」
柾は冷や汗を流しながら、怪訝そうに顔を顰める赤毛の女性を見つめた。
そして、その腰に添えられた剣に恐怖が這い上がってしまう。
「修道騎士……っ」
柾が今もっとも会いたくない組織員と対面したことを悟って、相手の指示に従った。彼らに生身で立ち向かえる勇気がなかった。そのことを悔いる余裕が今の彼女になかったのは、幸運である。
もし後悔していたならば、自らの虚弱さに絶望して、まともに立っていられなかっただろう。
フォノと結子は子供たちとともに格納庫の方へ移動して、艦内に入ってくる剣を携えた人たちを観察していた。修道騎士団だ、とわかるのに時間はかからなかった。帯刀していたのはもちろんだったが、彼らの強気な態度がそれとなく武人の風格を持っていたからだと言えよう。
彼らは〔エクセンプラール〕内を巡って乗員を格納庫の方に集めはしたものの、手荒な行いはなかった。怪我人に対しても誠実な応対をして、食事も許してくれた。
その厚意を受けながらもゴザの上で取る夕食は息が詰まりそうだ。
「おい。さっさと追い出さんか」
一人の老人がフォノと結子に身を寄せて耳打ちする。
フォノと結子は事態の把握がしきれず、彼の軽率な発言に嫌気がさしていた。他の人たちも闊歩する騎士たちに対して嫌悪の視線を射て敵意を向きだしている。
「ここは柾に任せます。それとも、あなたが責任者とお話ししますか?」
フォノは冷たい声で言って、パンをかじった。
老人は舌打ちをして不満そうにぶつぶつと独り言を零して下がっていった。この〔エクセンプラール〕を自分たちのものだと主張したいのだろう。だとして、その交渉を行っているのは修道騎士団を引き入れた柾だ。責任をすべて少女に背負わせたのだ。
「嫌な人たち」
結子はこそこそと肩を寄せ合って、食事をとる老人たちを睨みつける。
「そういわないの。みんな、不安なんだから」
「覚悟の問題を言ってるの」
パンを口にくわえながら、子供たちの世話をするフォノに結子は言った。
騎士の視線を気にしつつ、声を殺して続ける。
「柾に騎士と話をさせるなんて……」
「けど、相手の人、女の人なのだけど、話はわかってくれそうな人よ」
「根拠は?」
「騎士の方々の対応を見れば、わかるわよ」
フォノは落ち着き払った声を出す。余裕があるわけではないが、騎士たちの現状を見れば彼らの意志を尊重すべきだと思う。
騎士団を率いている赤毛の女性は子供の柾を一人前に扱ってくれている。女だてらに騎士たちを束ねているわけではないのだ。
「…………」
結子は口元を尖らせるも、寄り添ってくる子供たちの感触を感じてしまうと何もできない。
年上である結子やフォノを頼らなければ、どうしていいかわからなくなってしまう子供たち。今は気丈に振る舞って、しっかりした姿勢を見せなければいけない。弱気な態度はすぐに子供たちにも伝播してしまう。
その意味で、フォノが落ち着いているから、誰も泣き喚きもしないし、粛々と食事をとっていられるのだ。
結子もわがままを抑え込んでザワークラウトを頬張った。しんなりしたキャベツの歯ごたえと鼻を突く酸っぱい味と香り。その後味を忘れないうちにパンを齧っておいしさを噛み締める。
騎士たちはさきほどから格納庫に集められた人たちにちらちらと目を向けて、時には喉元を引くつかせていた。しかし、厳格な顔つきは崩さず警戒任務に従事している。
すると、一人の老騎士がフォノたちの前に歩み寄ってきた。
フォノと結子は自然、子供たちを背後に隠すようにして前に出る。
「そう警戒しないでくれ。うまそうなもの、食べてるな」
老騎士、ヴィロォ・ハルゲンは頬の傷を指先で掻きながら言った。
「ただのキャベツの漬物です。騎士のお口には合わないかと……」
「いいや、そんなことはないさ。少しもらうぞ」
フォノの警戒の中で、ヴィロオはボール一杯に盛られたザワークラウトを指先でつまんだ。
それから豪快に口の中に運ぶと咀嚼する。
結子は警戒心を強めながらも、他の騎士たちが注目していることに気付く。目の前のヴィロォという老騎士が彼らにとって重役であることを推測する。でなければ、彼を咎める者がいてもおかしくない。
「うん、うまいな。他の連中にもわけてやってもいいか?」
「……どうぞ。良かったら、パンも」
フォノは彼らの注意を他に向けようと考えて、ザワークラウトが入ったボールを差し出しながら、パンの入ったバスケットとブレットナイフを差し出した。
結子もそれに異を唱えることはなく、ヴィロォに顎で立ち去れと示した。
「お姉ちゃん……」
「ごめんね。けど、みんなの分はあるでしょう? さ、食べられるうちに食べておきなさい」
子供たちは取り上げられていくパンとザワークラウトを口惜しそうに眺めながらも、フォノの言うことに逆らおうとまでしなかった。自分たちの取り分はあるし、騎士たちが目の前にいる緊張もあった。
フォノたちが息詰まるような雰囲気を出すものだから、ヴィロォも申し訳なさそうに小さく首を垂れる。それから踵を返すと高らかな声を張り上げる。
「おおいっ! お嬢さん方からの差し入れだ。食っておけ!」
瞬間、巡回していた騎士たちが目の色を輝かせてヴィロォのもとへ集まる。彼らは押し合い引き合いで一列になると、ザワークラウトの乗った薄くスライスされたパンを受け取って任務に戻っていく。
フォノたちは目をぱちくりさせて、その影響っぷりを疑った。特別なものでも、跳びぬけて美味しいものではもいはずなのに、騎士たちは無邪気にパンとザワークラフトに感謝の祈りを捧げている。
それから、騎士たちはパンでキャベツをくるんで、大事そうに食べていく。
「うまいなぁ」
「久々に食ったよ。くぅっ、この塩梅がまた」
「味がしっかりしてる奴を食ったのも久しぶりだ……。節約続きの飯よりずっと染みる」
口々に言って彼らが舌鼓を打ち、小さな幸福を噛み締めていた。
フォノには彼らがどんな状況下にあったのかわからなかったが、きっと貧乏飯と自負する自分たちの食事よりも貧しかったのかもしれない。
それには同情を覚えるが、騎士団が町を焼いたの事実を許そうとは思わない。それ以上のことは考えないように努めた。
すると、壁際の伝声管に張り付いていた騎士がヴィロォに向かって叫んだ。
「ハルゲン様、艦長から伝言です!」
「なんだ!?」
ヴィロオ同様、フォノたちもその言伝が気になった。艦長ということは柾と話し合っている女性のことで、その一報はぜひとも耳に入れておきたい。
騎士が今一度伝声管に質問し、耳でその回答を聞いた。
「衛生兵を派遣する、です。見張り台からすでに発光信号は出したそうです」
それからまた耳を伝声管に寄せて、顔を上げる。
「こちらの出港まで怪我人の応急手当てをさせるから、我々は物資の運搬を手伝えとのことです」
「出ばなをくじかれたかね……」
ヴィロォは艦長のことを言った。
フォノと結子はその報告を聞いて、顔を見合わせる。
「女騎士隊長さんが?」
「お医者さんを?」
互いに疑問をぶつけても、明確な答えが出るはずもない。
騎士団からすれば、〔エクセンプラール〕は窃盗されたも同然。それをしでかした人たちに義理だてる必要がどこにあるというのか。単純にお人よしだと思いたいが、二人にはもっと別の思考が働いていた。
「柾が頼んだのかな?」
「そういうのが妥当なのでしょうけど。柾って口がうまかったかしら?」
友人が活躍したのではと憶測が飛ぶ。しかし、彼女は論証で相手を打ち負かす理知的な少女ではない。バイタリティと行動で示す明朗快活な子だ。
「よぉし! そこのお前ら、荷運びを手伝え。飯の恩義もあるっ。わかってるな!?」
ヴィロォはそばにいる部下数人に怒鳴りつけて、本隊の方へ向かわせた。
フォノたちはどたばたと動き出す騎士たちの動きを目で追いながら、身体を壁際に寄せて子供たちと寄り添いあった。
この騎士たちの働きようは統制のとれた俊敏なものだった。軽やかで素早い。肩で風を切る様子は騎士の風体に似合っていた。
だからこそ、フォノと結子は以前に戦った人たちがどういうものか考えてしまう。だから、努めて思考する自分を押さえることに努める。
戦った相手のことは深く考えない方が精神衛生的にいい、と今は自分に言い訳をした。
〔エクセンプラール〕の艦橋は静かで、窓から見える夜景が一層暗く見える。ローレンツェの町明かりを捉えることはできるが、その弱い発光は田舎らしい慎ましい火であった。
「こちらの誠意はわかってもらえたと思う」
「お医者さんを紹介してくれるのは、とてもありがたいことですけど……」
その艦橋で、柾は質素な椅子に腰かけながら緊張していた。
同室する赤毛の女性、バレット・バレットは伝声管の蓋を閉じると、柾の向かいにある椅子に腰を下ろした。腰についている鞘がチャッチャと鳴った。
その音に柾は体を震わせる。金属の、人を斬るための道具を包むものの音が芯に響く。
「ああ。これはあたしの独断だ。が、あくまで応急処置だということは忘れるな」
バレットは肩をすぼめる柾を見つめながら言う。
「怪我人の傷口、見たことは?」
「あ、あります」
柾はバレットから視線を外して、喉元に上がってくる酸っぱいものを堪える。怪我人のことを思い出したからではない。ずっと目の前に騎士がいるという圧迫感からくる不安ゆえだ。
今は自分がこの〔エクセンプラール〕の責任者をやらなければならない。そんな責任を背負って、騎士と対峙するのは胃がキリキリと痛んだ。
「何日も放置していたから、傷口から化膿して腐ってきている。早めに切断するなりの対策を考えておけ。でないと、命を落とすぞ」
柾はその真に迫る言葉に背筋が凍りつく。
「そ、そう言われても……」
「……」
弱気な柾にバレットは短く息を吐いて、気を引き締める。それは柾・カイリをこの船の代表として認識するためである。
「そちらの事情は我々としても、不出来なところであった。だから、怪我人に対して微力ながら力になろう」
バレットは心の底から言って、一度言葉を切った。
柾はバレットが自分たちを騙している風には感じられなかった。優しい人だ。その肌の感触だけが唯一の頼みだった。でなければ、対面して話すことなどできはしない。すぐにでもこの場から逃げ出したい気持ちが勝って、足が動き出していることだろう。
「それとは別に、キミたちはこれからどうするつもりだ?」
強い口調が頭から降りかかり、柾はおずおずと顔を上げる。その先で強面の女性がじっと睨んでいる。その威圧感は未熟な少女には鋭利な刃のようだった。
「南へ……。南にいけば、ここの大人の人たちの知り合いがいて、土地を開墾できるとかどうとか……」
「開墾? もうすぐ冬になるというのにか?」
「だから、ひとまずこの艦を家にして南の方で冬を越すつもりです。少しは温かいんでしょう?」
柾は歯切れの悪い言葉で問うた。
実際、柾も厳密な位置はわからなかった。大西洋側に出るのか、地中海に出るのかすらも。冬場に流れ込んでくる北の寒気団は強烈で、ここに留まっても十分な生活ができないことはわかっている。しかし、押っ取り刀での出立ともあって明確な目的地を設定する暇もなかったように柾には感じられた。
バレットはマフラーの少女の言葉を吟味して、目を細めた。
「地中海沿岸のアイツェンルドル領に行ったことは? あのあたりなら気候は暖かいが」
「アイツェンルドル……。確か、小さいころに一度だけ行ったことがあると思います」
アイツェンルドルは海路の交易領地。地中海を隔てて、アフリカ大陸との交易を結ぶ都市である。技術士の家柄ともあって、海外からの材料を輸入することもあった。その関係で小さいころに言った記憶が隅っこに残っている。
「北方の出身でか?」
バレットは焼き払われた柾たちの位置を聞いていたので疑問に思った。北の土地で小さく収まってるはずの町民がわざわざ海に出向く用事が思いつかない。
柾は首を横に振った。
「いいえ。あたしはもともと中央の出身で————」
自分の詳細を口に仕掛けて、はっと息を飲み込んだ。
「どうした?」
「いいえ、何でもありません……」
バレットの質問に、柾は上擦った声で返した。それから落ち着けと、胸に手を当てて深呼吸をすると、ゆっくりと口を開く。
「その————、いろいろありまして、今はここの人達に厄介になってます」
「そうか。まぁ、君のことはとやかく言及はしない。だがこの先、南なり西なりに進むとしたら、我々騎士団の網に引っ掛かる可能性は格段に増すぞ」
「それは承知していることかと……。だけど、今のあたしたちはこの艦がなければどこにも住めないんです。だから、ロマをやっているんですよ」
「理屈の上での話だ。わたしが言いたいのは、進行を続ければ窃盗以上に重い罪を受けることになるということだ。悪いことは言わない。わたしたちに同行しろ」
「そのお話をあたしが決められるはず、ないじゃないですか……」
バレットは降伏しろというのだ。
柾自身は彼女と矛を交えるつもりは毛頭ないし、彼女らの戦力を認識しているつもりだ。だが、それは〔エクセンプラール〕で過ごす人たち、今だ町に出ている大人たちの意向に背くことに他ならない。
バレットは静かに剣の柄に手を添える。
「今現在の代表はキミだ。返答は任せる」
余裕綽々の彼女に対して、柾は戸惑うばかり。
バレットはぶら下げている剣の柄に手を添えて、静かに返答を待つ。その所作はいつでもうちいる準備があるようで、異様な威圧感があった。
「…………あの、慈悲はあるんですか?」
「キミたちに謝罪の念があれば、許すというのが教会の教え。それを踏まえて、この愚行を扇動した連中には相応の罰を受けてもらう。無論、キミらも同罪よ」
「…………」
「それに、この艦載されている巨大なアーデル・ヴァッヘについては厳罰が下されるだろう」
柾は顔面蒼白になってバレットを見た。
〔アル・ガイア〕の操縦者のことはまだ話していない。どういう経緯で手に入れたかは知らせても、操縦者に関することは口を噤んで口外しなかった。厳罰が下されるのは予想できたからだ。
幸い、バレット隊が〔アル・ガイア〕についての情報を知らない。どこかの砦で補給をしていたのなら、〔アル・ガイア〕について知り及んでいたかもしれない。操縦者が年若い女である可能性も看破されていたことだろう。
だから、バレットも厳格になって初見の〔AW〕に緊張している。
「危険な機体を放置しておくわけにはいかない。管理下に置かなければ、略奪のために使われるのがオチだ」
「そんなこと、絶対しません!」
柾は声を張り上げる。略奪行為は絶対にしない。それは柾たち操縦者が固く誓ったことだ。
バレットは驚きこともなく、淡々と続ける。
「私から言わせれば、この艦での生活状況は酷いものだ。食料も、金銭も、補給の当てもこれではな。ロマを語って交易をするのは結構だが、そう長くは持たないぞ。いずれ、侵略に走る。それだけの力を持っているのだ、キミたちは」
「どうして、あたしたちがそうなると考えるんですか? 憶測でしょう?」
核心を突かれて柾は尻込みする。
バレットはこの町に対しても、艦を利用する者たちに対しても公平な立場を取っていた。ローレンツェは交易のため、柾たちは町を焼かれて。どちらに非があるとはいいきれない。
近づいてくる冬に備えて、両者は生き延びようとする選択をしているのだから。自然の通りである。
「生きるためになら何だってやる。町を焼くことも、人殺しも……。我々が社会を持ったその瞬間から抑圧された愚挙の数々を行う」
柾はバレットの整理された言葉には心打つものはなかった。
哲学的な言い回しは、十四歳の女の子が感化される響きは混じっていないのだ。しかし、感覚的に柾は自身が犯した罪の感触に近しいものだと思考する。
だからこそ、彼女は誰よりも優しくありつづけようとする。
「だったら、証明します。そんなことは絶対にしません」
「…………そうか」
バレットは静かに立ち上がって、軽蔑の瞳を彼女に向ける。その威圧感、迫力は座っている柾には凶器だった。
慌てて立ち上がる柾。
「返答は了解した。では、我々は補給が済み次第、出発することにしよう」
その言葉に何か裏があるのでは、と柾はじっとバレットの瞳を睨み返す。弱々しい瞳の色だが、絶対に折れない信念のきらめきを内包している。
バレットは柾を正面に入れると、凛とした声で言う。
「今回のは修道騎士団の無礼を詫びてのことだ。むろん、無理にこの艦を制圧する気はない」
だが、とどすの利いた声でバレットは付け加える。
「我々が次に出会ったときは逃さない」
柾は息を飲んだ。
彼女が本気であるのは明白である。その証拠に今度は敵意を持って剣の柄を握っていた。チャッと金属の音が聞こえて、重みを感じさせる。
柾の胸中は荒れ狂う波濤のように後悔と信念、目の前の女性に対する警告が入り混じっていた。
〔エクセンプラール〕を背にして、バレット・バレットは自分の艦に戻っていく。その横にはヴィロォ・ハルゲンが安心した表情をしてついている。
「気前のいいことだな、バレット嬢」
ヴィロォがそう呼ぶときはプライベートな時だ。今は騎士としての立場でなく、バレット本人の心境を老騎士は知りたいのだ。
バレットは草原を踏みしめながら、夜風の冷たさに顔を強張らせる。
「怪我人と老人、子供しかいない艦を制圧するなど賊のすることよ」
「プライドか?」
ヴィロォはやぐらの方に目を向けて、はためく旗を確認する。それから視線を下方に向けて、往来するバイン・アウトーのヘッドライトの流れを観察する。手早く部下が動いている。
バレットも部下たちの働きっぷりを見ては安堵の息を漏す。白い息がほぉっと浮き上がった。
「ええ。でも、少なくとも代表者に艦を返す意思はなかった」
「子供だろうに。それを本気にしたのか?」
「あの子はおそらくアーデル・ヴァッヘの操縦者でしょうね。勘、ではあるけど」
バレットは自身の直感を述べて、柾のことを思った。口ぶりもそうだが、少なくとも彼女が〔AW〕を使役する立場なら被害は少ないように感じられた。バレットの願望でもある。
ヴィロォは浮ついた返事をして、固い表情をで言う。
「倒せるのか?」
「現状では無理だ。正直、あの子が好戦的でなくてよかったと思う。こちらもかなりの負傷者をかかえているからな」
バレットがすぐにも〔エクセンプラール〕を制圧しなかったのには理由がある。
一つ目は自尊心の問題。修道騎士としてのモラルを重んじて、判断が鈍ったのは間違いない。
二つ目に町の被害。町はずれとはいえ、そこで血なまぐさいことをするのは平穏に暮らす街の人たちにとって穏やかなことではない。さらに町にいるだろう乗艦者を狩りに武装した騎士たちが駆け回るのは不安を煽ることになる。
最後に名誉ある聖騎士として早く凱旋しなければならない。
これはバレット・バレットの最優先事項だ。単なる我がままではない。そうしなければならない理由はボロボロになっている艦隊にこそある。
ヴィロォは静かに諭す。
「あの艦の怪我人に応急処置をしたところで意味はない。まして、こちらの怪我人のこともある」
「こちらの方はもう手を尽くした。衛生兵がやれることは少ない。ならば、少しでも多くの命をつなぎとめてもらった方が彼らの本分になる」
バレットは口の中が苦くなるのを感じながら、歩調を速めた。
ヴィロォもそれに合わせた。
「お前の責任じゃない。これもまた天命だ」
「わかっている」
バレットはそれが悔しくてならない。
凱旋を早める理由。それは深手を負い、痛みに耐え続け、死を待つ騎士たちにせめてもの栄誉と安らぎを与えるためである。
戦場で傷ついた騎士たちを故郷に送り届けよう。教皇様直々の祝詞を賜って、誇りを称えよう。誇りある聖騎士隊の隊員として最期を迎えさせてやりたいのだ。
それが帰艦を急ぐ要因だ。
ヴィロォは彼女のそうした気遣いを認める反面、足元をすくわれかねない危険性を感じ取っていた。それは彼自身も同じことである。
「子供を相手にするかもしれないのか……」
「交戦の意志があればの話だ」
それに、とバレットはヴィロォの横顔を見て口を尖らせる。
「食べ物の恩義は大切にしないとな」
ヴィロォはその皮肉気な彼女の眼差しに臆することはなかった。むしろ誇らしげに口の端を上げて見せる。
「補給が済めばいい飯にありつけるだろうが、この味はなかなかできないな」
「子供から巻き上げておいてよく言う」
「そこまで知ってるのならとやかく言うなや」
バレットは恨めしそうにして、ヴィロォから視線を外した。彼女もできることなら、その味を確かめたかった。だが、〔エクセンプラール〕の食糧難を考慮すれば気が引けてしまうのも真理だ。
ヴィロォは静かに付け足した。
「母親の味というものを思い出したくなったか?」
「いいや。わたしはそんなことも忘れたわ。師匠やヴィロォたちと同じご飯を食べられただけ幸せだもの」
バレットは家庭で育まれ、伝えられる味を知らない。覚えていない。すでに聖騎士となる彼女には家庭を持つことは許されない。独り身を貫くことに後悔はない。その身は神の剣であり、信仰者の盾である。
聖騎士とは高潔であらねばならないから、そうした動物的な営みを制約するのである。
ヴィロォはそれが女性にとってどれだけ過酷なことか想像しても、的を射た回答は得られないだろう。男性優位社会の中で権力を手にした強い女性だからこそ、なおさら複雑な思いがある。
「そうか……」
静かに老騎士は言った。
バレット・バレットの決意と気高き精神は輝かしく危なっかしい。騎士として強くなる代わりに、人としての尊厳を忘れてしまうのではないか、と。
夜が更けていく中で、バレット隊の補給は急ピッチで行われる。乗員の騎士たちは少ない人手で機材を運び込み、艦体の点検をしていく。彼らもまた戦友のために働く。
当たり前の人間としての情念に従って、彼らは働き続ける。




