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ガイア・レコード  作者: 平田公義
第四章
30/118

~売買~ 少女たちが踏み込んだ世間の一端

 ローレンツェの端にある小さな仕立て屋で、フォノ・アインリヒは働けるようになった。そこは目立たない路地で、隣向かいも民家である。人通りが多いかと言えばそうでもなく、とにかく立地条件はいい方ではない。


 お昼に差し掛かった日差しがショーウィンドーから店内へと差し込む。


 木材でできた家具の数々は落ち着きと風格があり、香気もほっとさせるものがある。よく言えば奥ゆかしく、悪く言えば華やかさに欠ける内装だ。


「磨けば、お嬢さんだって綺麗なんだよ。元がいいからね。服には着ている人のらしさを強調させるものさね」


 教会前で出会った老人こと店主がそう言って自身が仕立て上げた衣服を着こなすフォノに言った。この店主、男性用と女性用の洋裁ができる一風変わった男で、元来男性物を専門とするのが男の仕立て屋だ。だから、女物の服を着ているフォノを驚かせた。


「はぁ……」

 

 フォノは曖昧な返答をしつつ、着ている服のきめ細やかさをしげしげと観察する。仕立て屋を生業としているだけあって技量は十分、女性物を扱っているにもかかわらずその採寸に狂いはなかった。


 だが、そのデザインだけはフォノの表情を曇らせる要因でもある。


 きゅっとお腹を縛り上げるコルセット、大胆に張り出した胸と露出したなだらかな肩。そして、シフォンをあしらった丈の短いスカートは、素足に肌寒い風を股下に呼び込んだ。


 挑発的でとにかく人目を引く艶やかさがあった。


「これが、そういうのですか?」


 フォノは短いスカートの裾を両手でつまんで、少し上げた。ちょっと上げただけで、股下に不安が過る。背中の方に顔を向けながら、背中のラインを気にした。なだらかに反り返る背中だが、コルセットの窮屈さに痛みが走る。


 店主は満足そうに頷いて、力強く言う。


「流行りだよ、流行り。都会の方ではこういう格好が若い者の間で人気なんじゃと」

「流行りですか……」


 フォノはとんとんと丸っこい靴の先で床を叩いて、履き心地を確認する。


 それから店主の方へ向き直って、綺麗な髪を指先で軽く流した。


「流行り、なんですよね?」


 フォノは念押しに言うと、店主は満面の笑みを浮かべて両手を揉んだ。至高の芸術品を目の前にしている気分のようで、少々浮足立った目の輝きをしている。


「そうだとも。ああ、そうじゃった、そうじゃった……」


 すると、店主は思い出したように棚の上に置いていた藁半紙の束を手にした。そして、軽く枚数を数えてからフォノへと差し出した。


「このビラを配ってきてくれ。それがお嬢さんの仕事じゃ」

「わかりました」


 フォノはビラを受け取りながら、不安な表情になる。


 この大胆不敵な格好で表を歩くにはそれなりの覚悟が必要だった。外は寒い。秋只中の気温に肩や太ももを露出した格好で出歩くのは気が進まない。そして、良きにしろ悪きにしろ人の目に留まるだろう。注目をひかなければビラ配りもうまくいかないのは、頭ではわかっていた。


 それでも、田舎から出てきた純朴な少女には羞恥の極みである。狩猟で息をひそめることに長けてはいても、人前に出て注目されることには慣れなていないのだ。


 ちらっとフォノは店主の方を見て、彼の期待する表情に肩をすくめた。


「これもお仕事です」


 口の中でそうつぶやいた。


 このようなことでもない限り、フォノのような流れ者に仕事を任せる人はいないだろう。逆に人前に出るのもいい経験になると思考を変えてみた。


「何してるんだいまったく——」


 すると、店の奥のカウンターから一人の老婆が顔を出した。老婆というにはまだ若い方で、芯のあるピンとした背筋やどっしりとした体型には活力があった。


「あぁたね、またこういうのを作って」

「いいじゃないか、お前。店のためじゃよ」


 店主は振りかえる。融通の利かない頑なな態度を取る。


 近づいてくる老婆ことおかみは呆れ顔で首振った。亭主の意地っ張りにほとほと愛想を尽かせてしまっている様子だ。


「こんなものは売り物にならないって言ってるだろう? それよりもギルドの方に行って、服の繕いをしてきた方がよっぽどお金になるさね」

「わかっておらんやっちゃな。若い子の肌がええんだろうが」


 店主は力説して、フォノは唖然とした。


 何を言い出すのだろうこの男は、と目を細めて店主を見つめた。おかみの言うとおり、商売をする気があるのかわからなかった。


 おかみの方も諦めたように彼の前に立つと腰に手を当てた。


「これだから、商売にならないんだ」

「いやいや、男には眼福じゃよ」

「だから————」


 おかみはもう言葉も出ない様子で、盛大なため息を吐き出した。


 フォノはというともう唖然とするしかなく、二人のやり取りを聞いているしかなかった。


 と、おかみがそんな放心状態の彼女を見て目つきを鋭くする。


「あんたも、大概尻が軽いんだよ。わかってる?」

「あ、はい……」


 フォノははたとわれに返って、厳しい顔を向けてくるおかみに気付いた。彼女のまっすぐな眼光を受け止めきれず、顔を逸らして少し口元を尖らせる。


 おかみは今度は諭す声で言った。


「一応、そっちの事情もわからないではない。働くからにはとにかく成果を上げとくれよ。でないと、御給金は出せないからよ。あ、ギルドの方にもよってみておくれ」

「はい。がんばります」


 そう返すしかなった。


 この仕立て屋の経営が思った以上に芳しくないのも、おかみの口調から窺えた。それでも雇ってくれるのは、店主が酔狂であるのと、おかみが寛容で、そして、義理堅い人だからだろう。


 そのためにも、まずこの人たちに仕事を持ってこなければならない。フォノの心はやる気を見出して、ぎゅっとビラを握り締めた。顔つきも少し様になっていた。


 おかみは人の変化に敏感らしく、頬を和らげた。


「うるさいババァだな!」


 と、店主が業を煮やしたようにおかみに食って掛かる。


 おかみは慣れているようで、彼の癇癪に引くことはなかった。和らげていた頬を釣り上げて、青筋を浮かべる。


「なんだい? 色目を使う歳でもないだろう!」

「俺の店、俺の服のために来てくれた娘っこだぞ。お前がとやかく言う資格はないね」

「自分勝手な人だねぇ」


 売り言葉に買い言葉な二人に、フォノはそっと足を引いた。往年の二人の剣幕に若輩者の自分が立ち入るすきはないと肌で感じた。


 それが日常であるように、二人の言葉のぶつけ合いは熱気を帯びて視線で火花を散らし合う。仕立て屋夫妻の円満の秘訣というのか、その雰囲気には少女もたじたじである。


「だいたい、この店はあんたの曾爺(ひいじい)さんの代から続く店だってのに、あんたは根も葉もないうわさ話に浮かれてるときた。墓のご先祖様になんて報告するんだい」

「死んだジジババの話なんぞ、持ち出すんじゃない」

「あんただって、ジジィだろう?」


 フォノは仲裁に入る気も起きず、ビラを両腕で抱える。


 次の瞬間、店主がひときわ大声でまくし立てた。


「ババァが言うか! お前の垂れ下がった乳を見たい男がいるか!? 張りのあるモンを見たいというのがわからんのか!」

「それが本音かい!? このスケベジジィが!!」


 フォノは店主の発言に顔を真っ赤にして、全身の肌が泡立つ。髪がぞわぞわと広がり、目を泳がせる。


 二人の言い争いはさらに熱を上げて、今にも殴り掛からん勢いがあった。


 その剣幕にフォノは苦笑いを浮かべながら、両手で壁を作るようにした。


「そ、それでは、お仕事にいってきます——」


 小声でそういうと、フォノは素早く身を返してドアの方へと駆けて行った。


 喧しい口論を背に受けながら、フォノは仕立て屋を後にした。




 機織りのようにリズミカルで、軽やかな音がその空間に染みわたっていた。紙の擦れる音、裁断する音、さらにカチカチと石がぶつかり合う音。


 そこはローレンツェの印刷所。石造りの室内で黙々と印刷作業が行われており、暖炉の火は小さくなっていた。印刷機で安い紙に活版を押し当てて圧をかけている者、校正をする者、活字の組み版をする者などなどみな、何かしらの仕事をして印刷物を作り上げている。


「なるほど——」


 印刷所の隅に設けられたテーブルを挟んで、結子(ユイコ)とセーターの男は対峙していた。窓からうららかな光が差し込み、眠気を誘う。

 

 結子(ユイコ)はぽうっとして、鉛筆が弾む音を聞いた。その音色と作業中の音は子守唄のようでさらに眠気が増していく。


「おいっ!」


 作業部屋で怒鳴り声がして、ぴくりと結子(ユイコ)は背筋を伸ばして軽く頭を振った。


「どうした?」


 目の前の男が後ろの作業机で声を上げた仲間の方を向いた。


「誤植があるんだよ。ったく、誰だよ組み版したの? 今日の夕刊だぞ」

「いちいちがなり立てるな。すぐに直せばいいだろう。原盤がないなら、もう一度作り直せ」

「了解っ。ったく、こういう見つけちまったらそれで面倒だってのによ……」


 セーターの男はそう言って、相手の返事を聞くと結子(ユイコ)に向き直った。


「すまない。職業柄こうなんだ」

「はぁ……」


 やんわりという彼に結子(ユイコ)は膝元で手を丸めて頷いた。


 男は鉛筆を置いて、メモ書きに目を走らせる。


「なんだな。北方の遊撃隊がやられたのか。それも規格外のアーデル・ヴァッヘに」

「一応、はい」

「なるほど、なるほど」


 確認を取って男は口元でこぶしを当てて頷いた。それが癖なのか、顎を下げたまま目線だけを結子(ユイコ)の方に向ける。その上目遣いには気迫があった。


「それが今はキミが潜入しているバイン・シフにいて旅をしている」

「わたし以外にも、数人乗り込んでいます」

「了解した。これはいい記事になる」


 男は言って、癖を解くと鉛筆を掴んでメモする。


 その様子に結子(ユイコ)は不安と期待が入り混じっていた。


 彼はフライハイトの一員で、この印刷所もその傘下にある。そもそも、印刷技術は政教から民間委託されて政府刊行物や聖書の印刷をしていた場所だった。それが今では各方々に作業場を設けて、土着型の新聞の発行を手掛けるようにもなっていった。その経緯の中にはフライハイトの先導もあって、ほとんどの印刷所がその配下にある。


 言い換えると、印刷所はフライハイトの情報送受信の拠点ともいえる。


「すぐにも、キャラバンへの日報に入れる。この機体は注目できる」

「はぁ……」


 嬉々とする男に反して、二度目のため息にも似た声を結子(ユイコ)は吐き出した。


 あくまで未確認の巨大〔AW〕の情報に価値がある。彼らにとっての飯のタネになるということだけが浮き彫りになっていて、彼女には達成感はなかった。


 この報告をしたのは、同志との接触ができたことへの喜びと感謝であって本題ではない。とにもかくにも、ここで旅の金銭を稼ぎたいというのが彼女の意志である。


 その逸る気持ちはいまだに口の中でまごついて言葉にならず、代わりに視線を右往左往させて印刷所内を見回していた。こういう場所で働くのは、労働者階級である結子(ユイコ)にも初めての職場だったから好奇心が沸き立つ。


 しかし、男には落ち着きのない少女に見えたらしく顔を顰めた。


「ところでっ」


 男が語気を強めて、結子(ユウコ)の注意を引き付ける。


 結子(ユイコ)はその厳しい顔つきにドギマギする。


「この巨人の処遇はどうするんだ?」

「どうするんだ?」


 オウム返しに言って、結子(ユイコ)は肩をすくめた。別に彼の訛り言葉が気になったわけではない。


 男は苛立ったようにテーブルに手を置いて、指先で叩いた。その一定間隔のリズムには彼の呼吸が窺えた。


 結子(ユイコ)はそのしぐさを洞察して、首をひっこめる。勘の鋭い子なのだ。


「これを奪う手筈とか、壊すとか————、とにかく有益に使う方法だ」


 男は苛立った声を出して、メモを掴むと結子(ユイコ)の前で揺らした。


 その様子を周囲で作業をしている人たちが注目した。彼らもフライハイトの一員である。何か不穏な動きがあれば、対処する用意があった。女の子一人、取り逃がさないと自負している。


 結子(ユイコ)は八方ふさがりな状況を視線で素早く見取ると、上目づかいに目の前の男を見た。


「それはまだ、考えていません」


 おずおずと声に出す結子(ユイコ)はとにかく胃が痛んだ。緊張感と彼らが仲間として歓迎している雰囲気ではないことが辛い。


「ノープランは困るんだよ。この機体の危険性は君自身がよくわかっているはずだ。そうだろう?」

「…………」


 口元をもごつかせるばかりで、反論の声はでなかった。


 頭上に降りかかってくる男の声は威圧的で言いたいことも引っ込んでしまう。


「ここから情報を送るが、それにだって他の連中との兼ね合いってものがある。君らの事情は理解した。ならば、他の連中との連携を図るためにもそちらの計画を知る必要がある。このまま君たちに任せて、大丈夫なのか?」

「…………」

「どうなんだ?」


 鋭い声とともにメモをテーブルに置いた。


 結子(ユイコ)はぐっと喉を鳴らして、意を決して顔を上げた。


 その瞬間、男の険しい形相とともにドスの利いた声が正面から投げつけられた。


「やる気があるのか? 何か言えないのか?」


 結子(ユイコ)は半開きになった口から擦れた息を吐き出して、それ以上の音を出せなかった。また固く唇を結って俯いてしまう。


 大人に怒鳴られるのは正直苦手だ。そうならないために、これまでのフライハイトでの活動は慎重に目立たずに着々と成果を上げるよう努めてきた。キャリアでこの組織は成り立っているのではない。常に向上心と成果を出した者に褒賞が与えられる。


 一端の兵站としてうまく立ち回れたほうなのだ。


 それが途端に、大人の男にどやされて本来の少女の気質が出てしまう。複雑で不安定な子供の気持ちなど組織は考えはしない。


 男は叱りつけるようにしてつづける。


「いいか? この印刷所はほかの仲間に連絡する義務もあるし、情報を流して世間を奮い立たせることも教会内部を乱すこともできるんだ。マスメディアというものは、大衆を扇動して真実を世に知らしめる。だが、俺たちは教会近くに居を構える一団でこういう情報を操作するのにも慎重になっているんだ。君もフライハイトの一員ならそれくらいのことは知っていてほしいんだ」


 男は陶酔しているように飄々と語る。


 結子(ユイコ)にはメディア戦略のなんたるかを理解できなかったし、彼らが大変であるように自分たちも大変であることを言ってやりたかった。


 それでも、口元はうまく開かない。言葉にはならない。


 男も幼気な少女に理詰めをしても無駄だと思ったのだろう。呆れたようにため息をついて頭を掻いた。


「まぁ、有力な情報であることには変わりない。それについてはよくやってくれたよ」

「…………あ、あの」

「なんだ?」


 男は苛立ちを押さえつつ問うた。


 結子(ユイコ)は膝元で丸めた拳に力を込める。言わなきゃ、と内心でつぶやきながら、足元を揺する。


「あの、お仕事は……」


 最大限の勇気を振り絞って結子(ユイコ)は言葉をひねり出す。


 と、男はきょとんとした顔を浮かべるとまた険しい表情になる。


「ないな。ここはもう足りてる」

「けど、じゃぁ、どうして、わたしたちに……?」

「そういう格好をしている人間は大概フライハイトとの関わりがあるし、見ない顔だったからな。流れ者ならそれはそれで、他の町の話を聞こうと思っただけだ」

「…………」


 結子(ユイコ)は取り付く島もなく、呆然と男を見上げた。


 彼の言うとおり、自分や彼が身に着けている服はほかの人たちに比べて異質なデザインをしている。目立つ格好だが、逆に隠れ蓑にもなる。フライハイトの情報操作で、近代的な服装が流行だのなんだのと流布して浸透させたのだ。もちろん、これが一般大衆に受けはしなかった。だからこそ、組織員の識別に困らないという利点を獲得した。


 変わった服装をしていると皆が知っていて、別段怪しむことではないと刷り込んだのだ。


 それを目印にして、話を聞くのが目的だと男は言ったのだ。


 仕事を探していると方々に言っていた彼女には屈辱的であった。


「金に困っているなら、このネタを買ったことにすれば文句ないだろ?」


 男はズボンのポケットに手を突っ込んでまさぐった。


 結子(ユイコ)はもう何も言うことができなくて、歯がゆい思いを噛み締めるばかりだ。


 これでは(マサキ)たちを裏切っているようではないか。いや、所属している組織に貢献しているだけだ。しかし、暖かく迎え入れてくれた友達に危害が及ぶかもしれない。


 葛藤が渦巻いて、息苦しくて、今にも泣いてしまいたい気分だった。


 最低だ。節操なしの下品な女だ。


 自責の念が重くのしかかる中で、ふと下げた視界にミトに持たされたランチボックスが目に入った。そのことが余計に胸に刺さって、(マサキ)たちに親切にされているのだと痛感させられる。


 すると、印刷所にある時計が低い音を立てて、十二時を知らせる。


「お昼だな。ああ、これくらいでいいだろう?」


 男は時計の方を見やってから、ポケットからしわくちゃなの紙幣を取り出した。そのはした金と言わんばかりの金銭をテーブルに放って、席を立つ。


 周りで働いていた人たちも仕事に区切りをつけて、弛緩した雰囲気を出していた。


「またいい情報があったら、持ってきな。できれば、今度はその機体の絵か、写真がほしいな」


 男はすたすたと歩いていき、同僚たちと飯に行く予定を立て始めていた。


 結子(ユイコ)はしばらく悔しさに打ち震えて、それでも、テーブルに置かれた紙幣に手を伸ばすしかなかった。お金がなければ、この先の旅が厳しいと知っていたから、どんなにがめついと思っても手にしないわけにはいかなった。




「どうだ、順調か?」


 ギルドの一室に顎ひげを蓄えた男が入室すると、(マサキ)はお昼のサンドウィッチを加えたまま振り返った。マフラーを外しており、赤い鼻頭が目立っていた。


 工房とは離れたギルドの母屋で、静かな面持ちと広い空間を有している。ここでは製図や事務の手続きをするのが主で機械に直接触れる機会は少ない。


 そして、彼女はイーゼル型の製図台を目の前にして製図の修正を行っていた。美術室のような明るい色彩の間取りと、そこここにある用具をしまった棚や生け花のように刺さった製図の数々。乱雑に資料がうずたかく積まれて、窓から吹きこぼれる風に紙片がさざめいく。


 (マサキ)は居心地の良さを実感しながら、サンドウィッチを口から離して顎髭の男と視線を合わせる。


「それが少し手間取ってまして……。製図は久しぶりなんですよ」

「それができるって言うんだから、立派なもんだろ。見せてみな」


 (マサキ)は言われて、サンドウィッチを一度脇の台にあるランチボックスに戻す。それからパンくずを払い落として、製図台にかかっている製図を彼に渡した。


 顎髭の男は受け取りながら、またサンドウィッチに手を伸ばす彼女に目を向けた。


「あとで掃除してもらうからな。昼休みとはいえ、ここは仕事場だ。パンをそのままにしておくと虫がたかる」

「は、はい。すみません」

「で、何のパンだ?」

「ああ。白身魚のソテーとケッパーのサンドウィッチです」


 (マサキ)入って、また一口齧り付いた。


 バターソテーされた白身魚はとにかく余分な水分を抜いて、塩コショウで味付けされている。カリッと歯ごたえのある皮と少しパサついた魚肉だったが、ケッパーのしゃきしゃきした食感と鼻に抜ける独特の風味が刺激のあるものに変えてくれる。


 彼女が幸せそうに頬張っているのを横目にしながら、男は製図に目を通した。


「ほぉ……」


 男は顎髭を撫でながら、精緻な製図に感嘆の声を漏らす。線の引き方、分け方を熟知している。寸法も悪くない。長らく機械に触れて、製図の修練を積み重ねた者の貫録が見受けられた。


 だが、男はその早熟な才気を認めつつも、やはり年功の差はまだまだ埋まっていないと見て取る。


「悪くないな」


 それが男の評価だ。


 (マサキ)は得意顔になって、それから照れ臭そうにはにかんだ。彼がここのギルド内でも有数の技術士であることがわかっていたから、先達の言葉は発展途上の彼女には誉れである。


「だが、計算の詰めがまだまだだな」


 男は言って、製図を製図台に張りなおそうとする。

 

 (マサキ)は椅子を下げつつ、身体を引いて場所を開ける。男から鉄の焼けたような臭いが漂ってくる。 男は製図を張りなおすと、台に散らばっている鉛筆やテンプレート、定規を手に取って修正を入れていく。


 彼の太い指先に握られた鉛筆は荒々しく動いて、(マサキ)の引いたほそっこい線を潰して修正を入れる。が、その差は微々たるもので本題は空いているスペースに書き足された計算にある。


「ここの角度、気持ち一、二度上げて計算してみろ」

「はい」


 (マサキ)はサンドウィッチを口の中に押し込むと、真剣なまなざしで再計算をする。ナイフで鉛筆の先を尖らせて、数式を書き連ねていく。淀みなく、数字が埋まっていき(マサキ)自身驚いていた。


 結果が出ると、それは修正された線と同じ軌道になった。


「わかるか?」

「あ、ああ、はい! これで後ろの脚部の基部の負担が減って、重心がお腹の底に来るわけで————」


 (マサキ)はぱっと閃いて、次々と別箇所の修正をした。面白いように、理想的な機体運用のシミュレートができ、机上ではほぼ完璧ともいえるバランスを割り出すことができた。


「そっか。こうすれば、負荷の分散ができるんですね」

「その通りだ」


 男は身を引きながら、笑顔を向けてくる少女に感動すら覚えた。驚きの顔を出さないようにするので手一杯だった。


 少し手を加えただけで、他の箇所にまで思考が手を加える。熟達した技術士でも、こうも全体像を把握できるものは少ないだろう。


「さすがは、技術士の娘を名乗るだけのことはあるか……」


 悔しさと歓喜に、男は小さくつぶやいた。


 (マサキ)が技術士、本家本元の血を引く息女であることを認めざるを得なかった。ただの機械愛好家の女の子かと思えば、まったく違う。技術や思考、職人ともいえる彼女のセンス。男がギルド、技術士の弟子たちによって創設された組合で学んだ数年を彼女は会得している。


 どこかで歪んでいるだろう組合の技術ではない、相伝の技巧が(マサキ)・カイリに宿っている。技術士とは元来、そういう職人技より一枚上手を行く匠の業を持った集団なのだと気付かされる。


 (マサキ)は彼の胸に秘められた感動を気付くことなく、出来上がった製図に向き直る。


「すごいです。どうして、わかったんですか?」


 向けられた無邪気な(マサキ)の顔に、男は顎髭を擦りながら得意顔を作った。


「長年の経験かね」

「やっぱり、そうですよね……」


 (マサキ)は経験値のなさを痛感しながら、製図を手にしてまじまじと見つめた。その優しくて、慈しむ様な顔つきは少女らしさがにじみ出ていた。同時に芸術品に触れたときの感動を思い起こさせる。


「すごいなぁ……」


 心の底から技術者というものの練度に感動する。


 今の(マサキ)には、おそらくこの先修練を積む機会はほとんどないだろう。この高みに行きたいと望む声が内にあっても、目の前の生活をかなぐり捨てることはできないのだ。


 だから、向上心の矛先は〔アル・ガイア〕を指示して夢を見るのだ。父のように凄腕の技術士になりたいと、母のように異国の技術を深く知りたいと。


「なんなら、ここに弟子入りするってのもありだぞ?」


 男が腕組みをして、しげしげと(マサキ)を見た。


 彼女はおそらくこれからもっと伸びる。そう確信できる才気も気構えもある。ギルドに蔓延する弛んだ技術をここの連中に教え込むよりも、彼女の持つ感性に触れさせることが重要だと思った。


 (マサキ)はふっと肩を落として、やんわりした口調で言う。


「嬉しいお誘いなんですけど、ちょっと……」

「旅烏も大変だろう?」

「それもそうなんですけどね…………。でも、ダメなんです」


 (マサキ)は複雑な表情を浮かべて、製図台に図面を戻した。それから、愛おしそうに紙面を撫でる。紙の感触や手の側面についた鉛筆の黒い跡が目について、こんなにも打ち込んだのはいつ以来かと物思いにふける。


 男は(マサキ)の困惑を見取って、もったいないと肩をすくめた。


「あの船にあるデカイ機体が気になるのか?」

「それもあります。でも、あたしはそれ以上に友達と離れたくないんです」


 大人とは違った価値観をぶつけられて男も閉口した。


 小さい視野の小さい価値観に、男は彼女の未熟さの要因がわかった気がした。彼女はいまだ少女であり、自分の役割やその才能を開花させるに至る動機がないのだ。目の前のことがすべてで、新しい環境に順応することを躊躇っている。


 わからない話ではない。そういう経験を乗り越えて、人は変わっていく。


 (マサキ)の経験不足とは、きっと立ち向かう力のなさから生じるものだ。


「才女ゆえに、か」

「そんなつもりはありません」


 (マサキ)は男の独白を聞いて、喰ってかかった。


 顎髭の男は残念そうに髪の毛を掻き毟りながら、彼女に背を向けた。


「友達が大切なのはいいことだ。だがな、それ以上にお前さんの才能は替えがきかないと知ってほしいね」


 言うだけ言って、男はドアを開けて部屋から立ち去って行った。


 (マサキ)は上体を捻って、その後ろ姿を見送る。鋭い目つきと尖った唇は駄々をこねているようにしか見えない。


「何だよ……」


 勝手な期待だけを押し付けて、言うことを聞かなければ愛想を尽かす。彼女が見慣れていた大人の造形だ。(マサキ)に対する期待感、というよりも嫉妬や面倒くささが溢れた態度が表だって、自分の願いを聞き届けようとはしなかった。


 そういう環境の息苦しさを思い出すと、無性に腹が立って喉がつまりそうになる。


 (マサキ)は向き直って、製図を視認しつつ、ランチボックスのサンドウィッチに手を伸ばした。


「まったくっ」


 不満ばかり出そうな口にサンドウィッチを押し込んで、食い気で紛らわせる。


 あと数か月で新年を迎える。そうなったら、自分も大人になるということだ。亡くなった両親やミトのようになりたいと願う反面で、まだフォノと結子(ユイコ)と一緒にいたいと願う気持ちがあった。


 大人になるということ。


 その命題に少女たちは直面して、自分たちの立ち位置の不安定さや無力さ、苛立ちを覚える。仕事はまさに修練の場で遊びの場ではないと思い知らされる。 

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