~売買~ 行き先は小さな町
北の平野に満たされた朝霧の川を踏み染みて、数隻のバイン・シフ〔ガング〕が戦列をなす。響き渡るのは巨大な足音だけ。彼方に引かれた霧の地平線、ぽつぽつと一本樹が顔を出して、暗がりの空に光明が差し込みだす。
朝日が地平線に沿って光をこぼしだすと、霧のさざ波が窺える。宝石のように輝く太陽を受けながら、〔バイン・シフ〕の一団は突き進む。
その幻想的な一団を見上げる地元の農家の人たちは、彼らの行く先に幸あれと大手を振った。彼らは早朝から行動をし出していたので、〔ガング〕の巨体と機械の軋む音に胸が高鳴った。濃霧を切り裂く巨大な足は、幾度ととおってきた先人たちの道を歩いており、暮らしている人々への被害はほとんどない。また、ここを通る者たちは戦線から凱旋するのが習わしであった。
彼らは地響きに足元を救われそうになりながらも、朝の小さな仕事を始める。
一方で戦列の中央、旗艦を張る船では当直の引継ぎが始まっていた。
「ご苦労だった」
最初に艦橋に姿を現したのは、年若い女性だった。軽装の鎧で身を固め、腰にぶら下げた剣の柄に細い手を添えながら、夜間の巡航に努めたクルーたちをねぎらった。
その姿を確認した男衆は女神でも見るように顔を緩ませる。
凛とした立ち居振る舞い、まとめ上げた燃える様な深紅の髪、美しい容貌は女傑というよりも女神と呼んだ方がしっくりくる。
「朝食の支度をさせている。お茶の一杯も出してくれるだろう」
「はい。では、失礼します、バレット艦長」
指揮を執っていた副艦長の男が、女性、バレット・バレットに礼をして彼女とすれ違う。筋骨隆々な体躯、白い頬に刻まれた一文字の古傷は勇敢な戦士の証明である。歳を取ってなお、彼の持つ迫力は衰えるどころか更なる凄みを宿していた。
そんな偉丈夫に対して、バレットは物怖じ一つせず温和に口を開いた。
「ああ、そうだ、ヴィロォ。フリューを外に出してくれ」
「朝からですか?」
副艦長、ヴィロォ・ハルゲンは眉をひそめて、バレットに振り返った。
フリューと言うのはこの艦隊に所属している伝書鷲である。前艦長から預けられた忠誠心のある老鷲で、この艦につかえて久しい。
バレットは艦橋で勤務の交代をするクルーたちに軽く挨拶を交わしてから、ドアの前に待機する彼を見た。
「年寄りだからね。愚図ってるよ、きっと。ヴィロォにしか任せられない」
「頑固者ですからな。前の主に似て」
ヴィロォは前任の顔を思い浮かべて、苦笑する。
老鷲は前任の艦長とそれに付き従ってきた騎士に従順だ。しかし、それ以外の者には威厳を示し、爪を立てて色の落ち始めた翼をばたつかせる始末。
前任の部下であったバレットが艦隊を引き継ぐと、配属される騎士の大部分が変わった。だから、フリューにとって昔馴染みはバレットやヴィロォくらいのもので、フリューにとってはその他の騎士たちは格下だと思っているのかもしれない。
バレットも呆れた風にほほ笑んで、艦橋の外に広がる朝霧の大地に目を細める。
「昔馴染みが少なくて、寂しんだろう。じきに師匠にも会えるというのに……」
その声はどこか懐かしさと緊張の色があった。
師匠であり、前任の艦長である男はバレットの帰艦をどう思うだろうか。そんな不安が頭の隅にあって、時折沸き立ってしまう。
ヴィロォは一回りは歳の小さい彼女の後姿を見て、納得したように口元をゆるませる。
「立派になった姿を見せれば、済む話です。では、失礼」
「ああ……」
ヴィロォが艦橋を後にするのを一瞥する。
彼は未熟な自分を支えてくれたと思う。この帰路に至った件にもヴィロォ・ハルゲンは納得しているようであったから、安心すると同時に申し訳ない気持ちになる。
バレット・バレット率いる艦隊は東方からの侵攻軍を阻み、防衛圏の構築時間を稼いだ功績がある。彼女一人の采配ではない。部隊の全員、さらにはヴィロォのような古参の騎士たちが尽力を出してくれた。
その功績によりバレットは栄えある第二十七聖騎士に抜擢されることになった。ノード教会、修道騎士団始まって以来初の女聖騎士として神に見初められた。
「立派な姿、か」
バレットはその栄誉を嬉しく思うのと比例して、不安な気持ちが大きくなっている。
支えてくれる騎士たちもまた聖騎士艦隊への昇格となり、誇りと誉れを受けた。だが、それでいいのだろうか。もっとふさわしい決断があったのでは、と戸惑ってしまう。
出自を考えるとなお、バレット・バレットは胸が苦しくなる。
彼女はその胸中に秘めた葛藤を表出さないようにして、引き継ぎを終えたクルーたちに告げる。
「一番近くの町まで、あとどれくらいになりそうだ?」
「はい。少々、お待ちください」
航海士が引継ぎの資料と計器を眺めつつ、地図に目を落とす。
地図上だとまだまだヨーロッパの北東地域に艦隊はいる。これから南下して、平野と湿地を越えなければならない。そのための補給をするには、山脈沿いにある町に立ち寄る必要があった。
「この速度ですと、半日くらいになります。旧コロンド領のローレンツェです」
「わかった。旧コロンド領となると、フライハイトの勢力圏外だと信じたいな」
旧コロンド領はそれまでの絶対君主制が廃止されて、立憲君主制を採用しだした新興政権下にある。教会との関係は良好。かといって、自由主義を語って教会の転覆を画策するフライハイトとのつながりがないかと言われれば、はっきりとした回答は得られないだろう。
中立地帯としてまだ固まっていない領地であるがゆえに、修道騎士団もフライハイトも敵対者との接触は避けたいところである。バレットの場合、防衛戦線で騎士たちともども疲弊している。道中にもフライハイトの勢力圏と思しき地帯に踏み入り、小競り合いを制して超えてきたこともあって、艦載している〔AW〕も武装の備蓄もボロボロだ。
そして、フライハイトも大部隊を用いてこの場所に潜伏しているとは考えにくい。全力でぶつかろうものなら話は別だが、この中立地帯を勢力圏にするならば下手に攻勢に出て印象を悪くする必要もない。大衆を掌握するカリスマがまだ欠けている証拠だ。
だから、どちらも手を出したくても出せない状況にあると考えていいだろう。
バレットはそこまで思案して、はっきりと決断する。
「針路そのまま。周囲の警戒を怠るな」
艦橋に揃ったクルーたちは景気のいい返答をして各々の持ち場についた。
バレットたちは今、凱旋の途中である。栄誉ある帰還だ。教会の本拠地に戻り、祝福とこれまでの功を労うために今はひたむきに歩き続ける。他の一切には目もくれず、早急に戻らなければならない。心待ちにする人たちがいるのだ。
第二十七聖騎士になる最後の試練だ、とバレット・バレットは胸に刻み込んだ。
そして、彼女の視線の先で大空を舞う一羽の鷲の姿が映った。フリューだ。翼を広げて滑空し、朝霧の海を旋回する。まるで艦隊の動きを見守ってくれているように。
柾たちは揺れる〔エクセンプラール〕の甲板に出て、〔アル・ガイア〕の調子を見舞う。
「壊れた個所、直ってない」
「もう一週間にもなるのに……」
フォノと結子が機体の上を渡り歩きながら、損傷した個所を眺めて不安げな表情をする。
初めての戦いの際は、二、三日で外装は新品同様に直っていたというのに、一週間が経っても脇腹の裂傷や肩部のマルチ・ハープーンの射出装置の損壊、右肩部のむき出しの内部装甲が生々しく残っている。銀色の金属かさぶたらしいものも、傷全体を覆えず中途半端になっている。
しかし、胸部の縦傷だけはすっかり完治している。余程重要な機関なのだろう。
二人は顔を見合わせて、ステップを踏むように頭部の方へ移動する。
頭部の操縦席では柾はシートに座って、機体の状態を分析している。機体のステータスを呼び出して、いくつものウィンドーが彼女を囲っている。
「日向ぼっこしてるから、元気になってるのは間違いないんだけどなぁ」
柾は眉根を寄せて、ウィンドーを睨んだ。
〔アル・ガイア〕が日光からエネルギーを生成、蓄積しているのはわかっている。太陽電池という言葉を学んでも、その原理までは彼女にはわからない。アクセサリから送信された情報と読み取る限り、既存の〔AW〕とは違うことは確かだ。
だからこそ、自己修復機能に上限があるとも考えられない。まだ完全に機能を失ったわけではないし、起動することも可能なのだから。
「どうして、直らないの~」
柾はマニュアルを呼び起こしながら、操縦桿に備わっているコンソールボタンを操作する。表示される数々の情報は目まぐるしく彼女の瞳に飛び込んできて、頭がすぐにもパンクしてしまう。
自己修復に必要なプロセス項目にたどり着く前に、顔を真っ赤にして目を回す柾。
そこへフォノと結子がハッチのヘリにつかまって、中を覗き見る。
「何かわかった?」
「素材不足? とか何とか。そんな感じのことがあった気がする」
「ちょっとごめん」
柾は結子に席を明け渡すと、ハッチのヘリにつかまる。すぐ隣にフォノがいつもの笑みを浮かべる。
しかし、柾は心のわだかまりが残って、固い表情になってしまう。視線も結子の方へ向けてしまう。
修道騎士団との激突から一週間が経過しても、柾の中にある心の傷は化膿したように未だにしこりを残す。嫌な感触だけが体中を駆け巡って、フォノと向かい合う勇気が出ない。
「どう? 結子」
フォノが尋ねた。彼女は柾の顔を見て、少し距離を置くべきだと判断したのだ。
柾はその配慮がわかってしまうから、余計疎外感を自ら生んでしまう。一人で考えたい時であった。同時に船で一緒に暮らす人々は彼女の存在を毛嫌いしている風でもある。
殺人を犯した子供。そのレッテルが、険悪な雰囲気を作り出して柾は孤立するしかなかった。
結子は素早い瞳の動きでウィンドーの画面を流して、必要な項目をピックアップ。自動修復機能に関する情報とその進行状況を解析する。
「うん。直すのに必要な金属がないみたい。腰についてるタンクの中身が空になってるって」
「タンクって、大砲の弾倉じゃないの?」
「それと貯蔵タンクの役割を持ってる。そこから、機体を直すのに必要な液体金属っていうのを抽出してるみたい」
結子の解説に柾とフォノは顔を顰める。
これで汎用機関銃の予備弾倉はなくなった。遠距離射撃がより慎重になってしまう。また襲われるようなことがあっては、厳しい戦いになるだろう。
そもそも戦いになるような状況だけは避けたい。三人の気持ちは一緒だ。
結子は、打開策がないものかとファイルを検索する。
と、そこにアイランドの見張り台から大声がこだました。
「町が見えてきたぞ!!」
柾たちは作業の手を止めて、〔アル・ガイア〕の額へと移動する。それからさらに、柾は天を指し示すアンテナをよじ登って、フォノと結子よりも少し高い視界から町の位置を探した。
「あれが……」
柾は目を凝らして、赤い屋根が目立つ街並みを視認する。それを囲むように高いやぐらがあり、こちらに向かって発光信号を発している。
おそらくはバイン・シフの埠頭だ。陸を渡るバイン・シフの受け入れ口で、その形態は飛行場のそれに近いものがある。もっとも、そこもで整備された設備ではないが。
柾は町の風景を見て、寂しげな顔をする。自分たちが受け入れられるかどうか、不安で仕方なかった。




