~畔~ 過去の傷跡
夕暮れの湖は黄金色に輝く。
冷たい空気が一層強く感じられたのは、湖で生成される氷塊によるものかもしれない。
〔アル・ガイア〕は湖の中で跪いて、右腕部のフェイズ・トランジション・アームを使って水を凍らせている。揺蕩う水面が氷結して、岸辺までその冷気が漂う。
「もう大丈夫だよ! 止めて!」
地上に降りて指示を出すフォノはヘアバンド状のアクセサリを押さえて、〔アル・ガイア〕を見上げる。
生乾きの服を着ていると、冷たい感触が肌を伝って気持ち悪い。だが、夕映えの寒気を思うと下着姿でいるのは厳しい。
操縦席には下着姿のままの柾と結子がおり、機体の調整をしている。氷を作るだけなら、複雑な動きもない。フォノが降りたのは、そうした事情もある。
逆に柾が降りられない状況でもあった。人殺しであると知られて、生活を共にする人たちは彼女を警戒して、嫌悪している。そのギスギスした雰囲気を敏感に察して、彼女は〔アル・ガイア〕に閉じこもってしまった。
「結子、止めるからね」
「うん。出力、下げる」
二人の操縦によって、フェイズ・トランジション・アームが停止する。
それを見計らって、岸辺で待機していた男衆が物珍しそうに凍結した湖を見ながら近づく。その手には斧やのこぎり、鉤、すのこがあり、氷を切り出す準備が整えられていた。
「こいつはすごいな……」
「これがありゃぁ、保存の心配もない」
「おまけに氷は売れるぞ」
男たちは嬉々とした様子で、氷の切り出し作業に取り掛かる。もとは柾たち発案のことだが、まるで自分たちの手柄のように誇っている。
キャラバンからたたき売りされるように四角く切り分けては、すのこに乗せて〔エクセンプラール〕へ運んでいく。氷は市場価値は高い。冬場に大量に仕入れて、春先のしばらくを過ごすためにも必要不可欠だ。
自然の中で生きる人たちの知恵である。自然が生み出す恩恵を受ける者たちの生活リズムだ。
だからこそ、〔アル・ガイア〕の力は自然を超越している。神々しさすらある。〔エクセンプラール〕にいる大人たちは戦闘兵器を扱うと同時に、驚異的な科学力を手に入れたことになる。
目先の利便性に目がくらむ大人たちを、フォノは悲しげに眺めていた。
「フォノ、ちょっといい?」
「ミトさん……」
振り返った先で、暗鬱な表情を浮かべるミトが立っていた。夕日にかかる彼女の陰りはいつもよりも重く感じられて、フォノの胸を締め付ける。
足の悪い彼女は右足を引きずりながら、フォノに近づく。
「柾のことなんだけど……」
傍らに立ったミトが言った。
フォノは思わず目を背けて、黄金に輝く湖に目を向ける。思い出の残照を感じさせる輝きを、その瞳に焼き付けながらストールを胸元に寄せる。
ミトも躊躇いがちに、しかし、問わずにはいられない気持ちをぶつける。
「人を……、殺したっていうの……?」
「本当のことです」
フォノは寂しげにつぶやいた。
可憐な顔立ちに不安の色が出る。伏せた瞳や固く結った唇は物憂げで、奇妙な魅力を持っていた。美人画を目の前にしているようなものだ。
ミトはフォノの輝く艶やかな金髪が湖と相まって、何かもの寂しさを感じる。
その姿を柾は目撃して、目を背ける。
「ミトさん、柾のこと、聞いてる」
結子は集音装置の感度を高めて、ミトの言葉を拾っていた。それは自身も聞きたかったことであったし、柾との関係をよくしたいと感じてのことだ。
「どうして、柾はそうしたの?」
柾は結子の言葉に胸が痛んだが、一人で抱えるのも限界だ。友人に嘘をつき続けること、恩人に隠し続けることも耐えられない。
「それは————」
「わたしを助けるために、柾は人を殺めました」
フォノは震える声で伝える。
ミトも思わず肩肘に力が入り、静かに傾聴する。
冷たい一陣の風が湖を凪いで、揺らめいた。
「あたしたちの町での風習、覚えてる? 教会が定めたこと……」
「————っ。うん」
結子は表情を固くして答えた。
それは忌まわしき信奉だった。結子もそれを受け入れられなかったのに、何もできなかった。だから、フォノには罪悪があって、柾ほど感情的になれなかった。
畔に佇むフォノは風に乗せて言う。
「わたしが生まれ育った町では、四年に一度、子供を山に捧げるという風習がありました。そこには神様の使いがいると信じられて、厄災から守ってもらうためにその使いとして子供を使わせました。そして、子たちは神隠しにあうと言われてきました」
「それに選ばれたのね、あなたは」
ミトの言葉に、フォノは頷いた。
「教会の決まりだか何だか知らないけど、あたしはフォノがいなくなるのは嫌だった。周りは誰も助けてくれない。だから、あたしは行動したの。そしたら……」
柾は小さな操縦席で器用に膝を抱えると、顔をうずめる。
フォノの表情も一層苦しげに歪む。
「わたしがそこで見たのは、神隠しでもなんでもありませんでした」
「ノード教会の騎士がフォノを殺そうとしてた!」
柾は思い出すだけでも腹立たしい過去に奥歯を噛み締める。
結子は目を丸くして、その事実に頭がぐらついた。
修道騎士団は信奉者に刃を向けることはない。あるとするなら、異教徒たち、フライハイトのような政治の転覆を謀る組織や人たちだけだ。
だが、結子は思った。自分のような子供が組織にいる時、彼らはそれに迷わず女子供を切り捨てられるのだろうか。
ミトもフォノの告白を聞いて複雑な表情を浮かべる。
「騎士の腕試しとでも言うの?」
「わかりません」
フォノは弱々しく頭を振った。
「あの時、その人は確かに、わたしを殺そうとしました。それに思い返せば、それ以外のことをしようとしていたことも、わかります……」
「町の人たちは誰も助けに行こうとしなかった。だから、あたしはバイン・アウトーを使って助けに行ったの」
柾は怒気を含んだ声で訴える。
町の人たちは厄災を恐れて、誰もその風習を止めようとしなかった。教会の指示で動いて、子供を送り出していくばかり。フォノの両親ですらそうだった。
きっと悲しい思いをしただろう。手放したくなかったはずだ。なのに、最後は周囲の人たちに言いくるめられて、威圧をかけられて、娘の小さな命を手放した。
柾にはそれが理解できなかった。
「そして、あたしはフォノを追い回す騎士を脅かして、それから……、それから……」
フォノも当時のことを思い出しながら、辛く胸が苦しい思いでいっぱいになった。
「彼女は騎士に乗り物から叩き落とされて、そして、斬りかかって……」
一息、重々しい息を吐き出して、フォノは続けた。
「柾が咄嗟に握った鋭い枝に喉元を刺されて、絶命しました」
「あの時、ああしなかったらあたしも死んでいた。けど、それでも——」
柾はその時のことを思い出して、体の震えが止まらなかった。生々しい感触と伝ってきた血潮の温かさ。頭から降りかかった吐血の臭いは今でも覚えている。伸し掛かってくる人間の重さも、何もかも。
生きていたものが肉塊に成り果てていく、冷たさを覚えている。
そして、何よりも柾を苦しめたのは。
「フォノの目の前で人を殺しちゃった! あたしはもう、友達でいられないって————、なのにさぁ……」
「柾、落ち着いて」
感情的になる柾をなだめながら、結子も胸が苦しくなる。
七年前の別れの日。彼女は身も心もボロボロで、一緒に来てほしいと懇願したのは、苦しみに耐えきれなかったのだ。それを断ってしまって、支えてあげることができたなかった自分が憎らしい。
「それは誰も悪くないじゃない。気に病むことなんて、ないのよ」
ミトはフォノから聞いた全容に頭が痛くなる。
七歳の女の子が友人の目の前で人殺しをした。友達を守ろうとして、傷つき、苦しんでいる。誰がその咎を責めるというのだ。
フォノはミトから視線を外すと、静かに跪く〔アル・ガイア〕の顔を見上げて、一筋の涙を流した。
「でも、わたしは彼女の支えになりきれなかった。命の恩人で、唯一、助けに来てくれた人と同じでいられなかった。わかりますか?」
フォノは目を細めて、操縦席にいる柾を見つめようとした。
だが、彼女の視界が捉えるものは巨大で武骨な機械の顔だけ。笑っているようで、夕日の陰で悲しんでいるようにも見える。
ミトも〔アル・ガイア〕を見上げて、目を凝らす。
「柾はわたしを頼らない。ずっと負い目、引け目を感じて、わたしを悲しませないように頑張っている。わたしの努力何て、それに比べれば小さいものなんです」
フォノは悲しかった。友人にいつまでも守られている自分が。
そして、心のどこかで人を殺した咎を持つ柾を信頼しきれていないのかもしれない。
「いつも、ついていくばかりで、肩を並べるのが怖いのかもしれません」
ミトは彼女たちの絆の脆さ、危うさを感じて行き場のない憤りが拳を作る。
「努力の大きさなんて比べるものじゃないわ。少なくともわたしに言わせれば、二人ともいい子よ。優しい子たちよ」
彼女たちはどんなに苦しんでも、どんなに辛くても、たとえ過去に苛まれても、〔アル・ガイア〕でミトたちを守ってくれた。
「それに、ほらっ。こうして、機械を戦うことだけじゃなくて、生活の支えに使えるんだもの。そういう使い方ができるんだから、だから、優しいよ」
彼女たちの絆を〔アル・ガイア〕が繋ぎ止めてくれている。それがたとえ、便宜的な作用であっても、柾たちの心を繋げてくれるものだ。
「…………」
フォノはミトの方を向いて、悲しげに微笑んだ。理解者がいることの、この上ない安らぎ。フォノの擦り減った心を癒してくれて、思わず涙が零れる。
「柾、わたしもこれから一緒だから」
結子も二人から切り離されたような寂しさを隠して、柾に言う。
「だから、三人で頑張ろう。昔みたいに、毎日、一緒に……」
熱くなる目頭を指で押さえながら、結子はすんすんと鼻を啜った。
再会できたのだから、また昔のように無邪気に過ごせるはずだ。まだ見えない世界へ飛び込んでいけるはずなのだ。
「ありがとう、結子。ありがとう……」
柾は嗚咽交じりの声で告げながらも不安は拭い去れなかった。
しばらくの間は、フォノにも結子にも迷惑をかけるだろう。さらに自身の劣等感と罪悪に苛まれることだろう。
そして、一緒に生活するミトたち、避難民の人たちから遠ざけられると覚悟する。
いずれまた、修道騎士団は攻めてくるだろう。
その時にいちいち精神を乱しては、身が持たない。〔アル・ガイア〕を他の人たちに譲渡しても殺戮が起きるかもしれない。
だから、柾たちは過去と今に立ち向かわなければならないのだ。
ストック切れです。四章以降が影も形もありません。
ですので、しばらく更新ができそうにありません。また話がたまってから更新していきたいと思いますのでお待ちください。




