~畔~ そそぐべきもの
湖より数百メートル距離を取って、〔エクセンプラール〕は四本の脚部を折り畳んで停泊していた。数日ここを拠点にして、旅に使えそうなものを作って食料を確保する算段だ。
人々は各々表に出ると、役割分担をして仕事に取り掛かる。〔エクセンプラール〕の供給管を湖まで伸ばす作業や飲み水を入れるための樽を運ぶ作業、艦内で飼育している鶏の世話、なぎ倒された木々を角材に加工する作業、そして汚れ物を洗濯する仕事などがあった。
柾、フォノ、結子は運ばれてくる洗濯物を湖から流れる沢で洗っていた。苔の生えた岩場や背の高い木に囲まれて、せせらぎの音を耳にする。
三人は沢を横断するように並ぶ石を足場にして、洗濯をしていた。
そこに一人の女性が荷車を押して、訪ねてきた。
「これで、一通りね。大丈夫?」
「はい。食器は上流で洗ってますよね?」
柾は洗濯物を運んできてくれた女性に問う。
フォノと結子も手が凍りつきそうな水の冷たさに耐えながら、おしめ代わりに使った布を洗い続ける。汚物の処理をさせられることに結子は抵抗感があったが、柾とフォノの手前断るわけにもいかなかった。
女性は荷車を停車させると、周りを見ながら言う。
「ええ。これに石鹸が入ってるからお願いね。あと、フォノちゃん」
「はい」
「猟友会がダメそうだったら、そっちに回ってちょうだいな。鹿の一頭でも仕留めれば、お肉が食べられるからねぇ」
「わかりました」
フォノの返答を聞いて、女性は納得すると立ち去って行った。
それに対して、結子は不満そう口を尖らせる。
「こんなことまでさせられてるのに、いいの?」
「若い人が雑用をするって、決まりみたいなのがあるのよ」
「あたしたちよそ者だったし、そういうところあるの」
柾は言いながら洗濯物を石で固定して足場を軽快に渡っていく。
「通るよ」
並んでいる二人の背中を跨いで、跳ねるように石から石を踏んで荷車へとつく。
「でも……」
結子は赤くなって痛みすら感じる手で洗濯物を手近な石に叩き付ける。跳ねる水に気を付けながら、足元に置いてある小さくなった石鹸を一瞥する。そろそろ替えがほしいところである。
「さっさと仕事、しちゃいましょう。久しぶりにお魚も食べたいし」
隣のフォノがにこやかに励ます。
「湖にいるんでしょう? ミトさんたちが釣りしてるけどうまくいくかな?」
柾は荷車にある石鹸を手にすると、フォノと結子に投げ渡した。
ありがとう、と二人は受け取ると酷い汚れの箇所をこすって丁寧に洗う。
「ところでさ、二人とも。〔アル・ガイア〕、どうする?」
柾は元の場所に戻りつつ問いを投げかける。一人で解決できる問題ではない。〔アル・ガイア〕は三人乗りだ。欠員が出ればそれだけ弱くなってしまうのは、アクセサリから引き出せる情報から知っていた。
その話題にはフォノも結子も気難しい表情になって悩んでしまう。
「大人に渡した方がいいのかな?」
柾は石の上に屈んで、腕まくりを直すと置いておいた洗濯物に取り掛かった。手先はもう水温がわからなくなるほど冷え切っていた。赤い鼻頭をスンスンと鳴らして、痛みを誤魔化す。
「どうしましょうか……?」
「どうしよう……?」
フォノと結子は困惑を吐露して、小首をかしげる。
不安だけが募る問題だった。
町の大人たちは柾たちから〔アル・ガイア〕の操縦方法を聞き出そうと何度も問い詰めていた。そのたびに適当にあしらって誤魔化しているのだが、この補給期間中に解決しておきたい。
彼らは操縦者になりたがっている。三人の少女よりはずっと腕が立つと過信しているようだ。
フォノが洗濯物を力いっぱいに擦りながら言う。
「その方がいいかもしれないけど……、正直、あの人たちに任せたら今度は人殺しに発展しそうで怖いわ」
「あれだけ巨大なアーデル・ヴァッヘ、ないから。略奪とかに使ったりして」
結子が洗濯物を絞り終えて、固定しているバケツに放り込むと静かに言う。それから立ち上がって、洗濯物を取りに行く。
「ちょっと、それは……」
「考えられない話、でもない」
狼狽する柾に、結子は硬い口調で返した。
「最悪のことを考えておくのも必要」
結子はそういう現実を見てきた。力なくして理想は語れない。力なければ生き残ることもできない。フライハイトという組織が発展したのはそうした実力主義組織だったからだ。
「そうだね……」
フォノは悲しそうにつぶやいた。
今置かれている状況を考えれば、そうした攻撃的な手段に打って出る可能性だってある。食料はまだ自給自足が利くだろうが、衣類などの織物、医療品、何より安心できる寝床はどうしても替えがきかない。
〔エクセンプラール〕で旅に出たのが突発的であったのが、さらに追い打ちをかけている。今はまだその勢いと情熱があるからいいものの、そのうちに情熱は絶えて、不満に耐えきれなくなるかもしれない。
その時、もし大人が〔アル・ガイア〕を扱えるようになっていたら、自衛手段から侵略手段へと変えていくこともあるだろう。
「そうやって悪く言うの、よくないと思うな」
柾はそれでも、人を疑う考え方には賛同できない。
結子は彼女の純粋さに心が痛む。妙な距離感を感じずにはいられない。
「ごめん……」
「だけど、結子の言うことは考えられるわ。柾、断りましょう」
フォノがフォローするようにして発言する。
偶然でも〔アル・ガイア〕を動かして、敵を追い払ったのは自分たちだ。その自責もあるし、譲渡する意思もない。
「あたしが見つけたんだもんね。責任があるよね……」
柾はフォノの強い言い方に気圧されて、自責の念に襲われる。それはかつて感じた重圧で、一度は逃げ出してしまった苦しい想いだ。
責任を負うということ。
柾はそれが果たせるか否か、不安で結子の後ろ姿を見た。
「結子はどうする?」
「あたしも、協力する」
結子は気恥ずかしそうに返答する。荷台の中にある洗濯ものから、汚れの目立たないものを手に取って戻ろうと振り向いた。
彼女自身〔アル・ガイア〕に興味があったし、二人が使うほうが安心できた。その根底には二人からいつでも機体を離せるという考えもあった。
強力すぎる兵器。いつか手に余る時が来るかもしれない。まだ十代半ばの少女たちが完全に使いこなせる保障などない。だからこそ、結子の心にわだかまる組織への譲渡も端に考えておくことが最善だ。二人が悩んでしまって、ふさぎ込んでしまったら助けてあげたいと強く願う。
七年前の別れの辛酸。
そこから学んだのは、苦しみを繰り返さないためには自らが動かなければ、人を変えることなどできないということ。
柾は間の抜けた表情を浮かべたが、すぐに諦観したような顔つきになって水面を見つめる。流れで歪む自分の顔がとても疲れて見えたのは、気のせいだと思いたい。
「わかった。頑張ってみよう」
柾は二人の意見が正しいとわかっていた。第一発見者としての責任もある。しかし、日が経つにつれてアクセサリから引き出せる機体データが恐ろしくなっていた。
まるで刃物を手にするような、ずっしりと重たい感触が手のひらにかかる。
だが、そこから逃げることはできないのだと自分に言い聞かせる。逃げてダメなら立ち向かうしかないのだ。
と、近くの雑木林がざわめいた。
「————っ!」
結子は弛緩していた気持ちに喝が入り、即座にその方向へ体を向ける。踵を軸に半回転。コートが扇状に広がった。
が、苔が生えた足場はよく滑る。振り返ると同時に足が冷たい水の中に落っこちた。バシャッと飛沫を跳ね上げて、体が傾き始める。
「へ、あ、あ————」
咄嗟にもう片方の足を下げる。水の中に両足が浸かる。しかし、沢の流れとごつごつとした足場にまたバランスを崩してしまう。
結子から冷や汗が噴き出る。洗濯物を持った手を大きく振り回しながら、安定を試みるも自然の力は有無を言わさず働きかける。
それには柾とフォノも目を見張って驚いた。
「ちょっと!」
「結子!?」
二人の視界に入ってくるのは、さらに一歩二歩と沢の中で足をばたつかせる友人の後ろ姿。
そして、自分たちに向かって倒れ掛かってくる黒コートの背中。その手に持っている汚物の入った布が彼女の手から離れて、少し上流の方へ飛んでいく。
沢の水よりも冷たい嫌な予感が全身を駆け巡った。
「いぃやぁああああああああああああああああああ!!」
少女たちの金切り声とともに盛大な水のはじける音が鳴り響いた。
結子の転倒に巻き込まれて、柾とフォノは身体から水の中へ落下する。
そして、上流に放り出された布が石に引っ掛かり、中身を垂れ流しにしていた。
三人水浸しになり、言い知れない気持ち悪さを全身に感じていた。
「ね、姉ちゃんたち、大丈夫?」
その一部始終を見ていた少年、カーヴァル・イルスロットが友人二人とともに雑木林から姿を現した。手伝うことはないだろうか、と駆けつけたのだが、三人が水に使っていく連鎖を見て唖然としていた。
三人娘たちはとにかく恥ずかしくて、寒くて、肌が焼けつくような冷たさに身震いする。汚物を浴びているようなものですぐにも這い上がりたかったが、体温が激減してなかなか行動に移せなかった。
そして、ようやくびしょ濡れの体を起き上がらせると、ぶるぶると震えて自分の体を抱きしめる。
次の瞬間、森に三人のくしゃみが木霊した。




