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ガイア・レコード  作者: 平田公義
第三章
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~畔~ 旅の生活

 ————七年前の出来事。


 その日は雨が降っていた。森の中、ミルク色の濃霧に浸された恐ろしい景色だった。息をするたびに入り込む重たい空気が、肺を重くする。


 心臓は高鳴りっぱなし。素敵なことにときめくのとは真逆の、絶望の中で足掻く息苦しさに怯えている。


 ぽつ……、ぽつ……。指先を這うように伝わるねっとりとした熱いもの。


 あの日の赤色はよく覚えている。


 目の前が真っ暗になりそうなのに、ルージュのような紅色だけは目に焼き付いて離れなかった。言葉はでなかった。


 そう。思えば、あの時から何かが壊れていたのかもしれない。


 思えばすべて、あの日から三人は秘密を共有していた。


 その罪からだろうか。


〔アル・ガイア〕が三人の前に現れたのは、彼女たちを試そうとしている雰囲気があった。神様がいるはずがない。だというのに、運命の悪戯か時の定めは三人を困らせてしまう。


 ————七年前の出来事。


 一人は友人の頼みを断った。彼女の手に滴る泥のような血の色に恐怖してしまったがために、別れを選んだ。


 一人は友人とともに逃げ出した。彼女の手が握るワインのような血の色を贖うと決める。


 一人は、人を殺した。身体にまとわりつく燃える様な血の色に心が軋む。


 七年前の記憶。罪の記憶。


 そのことを彼女たちは努めて、表出そうとはしない。紡ぎ合わせてきた絆という糸がほつれて、解かれてしまわないように。


 


 空は晴天。北の山脈から流れてくる冷たい空気が清らかな匂いを運ぶ。


 歩行戦艦〔エクセンプラール〕は船底を森林にこすり付けるようにして前進している。細く鋭い脚部が木々をなぎ倒しながら、深々と地面に食い込んで船体を安定させる。


 その平べったい甲板に、〔アル・ガイア〕は横たわって秋晴れの空を仰いでいる。肩身の狭そうなベッドで仰向けになっているようだった。


「走り回らないのっ! そっちは危ないから近づかない」


 そして、戦艦の腹では元気な声がこだました。


 (マサキ)・カイリは格納庫で養鶏の世話をしつつ走り回る子供たちを叱りつけたのだ。


 駆けまわる子供たちは空返事をして、そのまま格納庫の中で鬼ごっこを繰り広げる。乗り込んでいる大人たちは自分たちの陣地で内職をするなり、井戸端会議をするなりして子供たちに関心を受けようともしない。


「狭いんだから、人の迷惑にならないでよ!」


 元気の有り余っている子供たちに忠告を飛ばしながら、ふっとやりきれない表情になる。


「けど、何時間も船に乗ってるのはつまらないよね」


 (マサキ)は周囲のことを気にかける反面、遊びに興じている子供たちのこともわからなくはなかった。

 

 複雑な気分をかかえながら、急ごしらえの柵の中に鶏を移し、これまた廃材で組み立てた鶏小屋の中から卵を取る。


「今日もこれだけか。やっぱり、船の中は辛いよね」


 (マサキ)は養鶏の糞尿が臭う鶏小屋で顔を顰めながら、ボウルに入れた卵の数に不安が募る。日に日に鶏たちが生む卵の数は減っている。鋼鉄の船の中では居心地が悪く、上下の揺れもストレスになっているのだろう。


 卵は貴重な食材だ。特に怪我人には滋養強壮のためにも必要になってくる。


「久々にホットケーキとか食べたいけど、無理だよね?」


 (マサキ)は小屋から出て、柵の中でコッコッコッと頭をゆらして歩き回る鶏たちを見た。どの鶏も鶏冠が萎れて、揺れる床に落ち着かない様子でたどたどしく歩を進めている。


 疲れている。そう思えるほど、鶏たちから覇気を感じられない。


 (マサキ)が心配そうに見つめていると、突然何かが飛来して柵を破った。


 飛来してきたものに驚いた鶏たちがパニックに陥って、羽をバタつかせ柵の外へと逃げ出してしまう。


「ああ! 鶏がっ」


 ボウルをかかえながら、(マサキ)は狼狽して悲鳴を上げる。


「ちょっと、誰っ!? ここでボール遊びしたの!?」


 (マサキ)は柵に引っ掛かった革を鞣して縫い合わせたボールを睨む。格納庫内が広いとはいえ、ここで寝泊まりしている人もいれば、養鶏もいる。ご法度にしていたはずだ。


「まったく、もうっ!」


 (マサキ)はボウルをその場において、逃げ出した鶏を追った。


 あちこちから悲鳴が上がる。格納庫で生活している人たちが逃げ出した鶏たちに驚いて、さらに混乱が大きくなっていく。気がつけば、そこらじゅうに羽毛が舞って罵詈雑言までも飛び交っている。


「お願い! 捕まえて! 捕まえてくださいーーーーい!」


 (マサキ)は血相を変えて、周囲に呼びかける。


 格納庫は騒然となって、逃げだした鶏たちの捕獲にてんてこ舞いになった。




 船室を回っては怪我人の下の世話をして体を拭く。


 ここ数日、フォノ・アインリヒは怪我人を相手に艦内を練り歩いてばかりだった。出発してすぐよりかは落ち着いてきたが、残りの薬品も包帯や綺麗な布も底をつきかけている。


「無謀だったんだわ、やっぱり」


 フォノはそう言いながら、汚れ物が入った手押し車を押して通路を歩く。


 常夜灯のついている通路を見上げながら、さらに心労がどっと押し寄せてくる。


「ここの明かり、ガスじゃない見たいだけど何なのかしら?」


 フォノは等間隔に配置されている常夜灯を目で追って疑問に思う。


 ガス式のランプにしては明るいし、オイルランプにしても煙っぽくない、臭いもない。光源がなんであるのか、フォノも町の人たちも理解できなかった。


 ただ一人だけそうした機械工に強い(マサキ)ならば、些細な疑問に答えてくれるかもしれない。


「やっぱりすごいのね。バイン・シフとか、アーデル・ヴァッヘとか、バイン・アウトーとか……、みんな鉄でできてて、動いているんですもの」


 改めて自分の足元を見つめて、感慨にふけった。


 そして、曲がり角に差し掛かった瞬間、横間から人が飛び出してフォノは心臓が跳ね上がった。


「きゃっ! 危ないわよ」

「お。フォノ姉ちゃんじゃん」


 横間から飛び出てきた眉目秀麗な少年、カーヴァル・イルスロットが屈託のない笑みを浮かべて手押し車の淵に寄りかかる。


 フォノは呆れて深く息を吐くと彼を見上げる。


「走ったら危ないわよ? これの中に突っ込んだりしたら、なおさらよ?」

「なにこれ?」


 カーヴァルは背後を気にしつつ、手押し車の中に顔を近づける。


「使ったおしめ」

「げぇ、ウンコかよ!」


 排泄物の強烈な臭いに顔を真っ青にして、カーヴァルは顔を離した。彼の綺麗な顔が歪んだ。


 外見が長身の美形なだけに、とても残念な言葉であった。年齢はフォノたちよりも低く、学力の方も少し遅れている。配慮のない言い方だってお構いなしだ。


 フォノは自分よりも頭一つは背が高い少年に軽く頭を振る。


「あなた、これだから(マサキ)に色々言われるのよ?」

「そ、そうだ。(マサキ)姉ちゃんがっ!」


 カーヴァルが思い出したように言うと、通路に女の子の怒号が響いた。


「いたっ! あんたって子は手間をかけさせるんじゃない!」

「そういうことだから、じゃあね」

「また何かやったわね……」


 フォノがつぶやくうちに、カーヴァルは心底楽しそうな笑みを浮かべて横を通り過ぎて行った。


 続いて、そんな少年の後を追いかけてきた(マサキ)が鬼の形相でフォノの横間を通り過ぎて行った。話しかける余裕はない。眼中にないよう様子で風のように走り去っていく。


 一瞬だけ見えた(マサキ)は体中に羽毛をつけて、ひっかき傷が頬にあった。


 フォノの予想通り、何かしでかしたようだった。


「このさき、大丈夫かしら……?」


 先行き不安な思いだけが募って、フォノに疲労感を与える。




〔エクセンプラール〕の見張り台に結子(ユイコ)は立っていた。


 布を張っただけの日よけ、縁についている伝声管、布張りの椅子とシンプルでもの寂しい場所だ。それでも、一人で考え事をするときにはちょうどいい静かな場所でもある。


 双眼鏡を覗き込みながら、周囲の景色を眺める。


 生い茂る木々がざわめき、さざ波のように靡く。遠くの山稜は穏やかで、薄い雲が流れていく。


「はぁ…………」


 結子(ユイコ)は肌を撫でる冷たい風に震えて、双眼鏡を下ろす。


 鼻をすすりつつ、セットしている砂時計がすべて下に落ちたのを確認する。定時連絡の時間だ。


 伝声管の蓋を開けると、ブリッジに報告する。


「こちら見張り台。周囲に異常なし。警戒を続けます」

『了解。針路は変わらず南南西を取っている』

「わかりました」


 伝声管から漏れる反響した声に返答すると、結子(ユイコ)は顔を離して周囲に目を走らせる。


 すると、背後の艦内に続く梯子から乾いた音が聞こえた。誰かが上がってくる。


「何……?」


 結子(ユイコ)は縁に手をかけつつ、床の出入り口に顔をのぞかせる。


 と、そこには鬼の形相の(マサキ)が上がってくるところだった。


「何、してるの?」

「ん? ちょっと探し人。結子(ユイコ)、ここにカーヴァルって背の高い男の子来なかった?」

「来てない、けど……」


 困惑する結子(ユイコ)を差し置いて、(マサキ)は見張り台に上がると縁にしがみついてあたりをくまなく見渡した。


 その姿は鼠を追いかける猫のようだった。


「まだ艦内にいるんじゃない?」

「艦内は探した。いるとすれば、ここか、デッキか……」


 デッキを険しい目つきで睨む(マサキ)


 結子(ユイコ)は呆れて砂時計をひっくり返すと、双眼鏡を持ち直すと周りに目を向ける。


 考えても見れば、小さいころから(マサキ)は一度決めたことは意地でも突き通す子だった。どんな事情があるにしても、決めたことなのだから止められるはずもない。


 そうして、七年前にも別れてしまったのだから。


 ふと結子(ユイコ)はもの寂しい気持ちに駆られる。


(マサキ)、今まで大丈夫だった?」

「ん、どうしたの急に?」


 あっけらかんと言う(マサキ)結子(ユイコ)は双眼鏡をのぞいたまま言う。


「七年前一緒に行かなかったから、二人とも元気にしてるかな……って、ずっと考えてた」

「そのこと、か。うん…………、元気にしてたよ。ここにいるのが何よりの証拠でしょ? 結子(ユイコ)とも会えたし。そういう結子(ユイコ)はどうだったの?」

「あ、あたしは……」


 戸惑って、双眼鏡から目を離した。目を細めて、これまでの人生を振り返る。


 あちこちを転々として、機織りをして地道に働いて、フライハイトに入ってからは潜入捜査で多くの領地を崩壊にまで追い込む手引きをしていた。


 すべては自由を勝ち取るため。そうして大義名分を掲げていれば、いつか幸せになれると信じていたから。誰かの身勝手で別離を味わうのはもうたくさんだ。


 (マサキ)も返答が遅いのを不思議に思って、結子(ユイコ)の背中を見た。風にそよぐ彼女のコートがもの寂しい音を奏でる。


「どうかしたの?」


 結子(ユイコ)は友人に顔向けもできず、ふと顔を上げる。


 そして、目に飛び込んできたものを見てぽつりとつぶやいた。


「湖……」

「え? 湖?」


 (マサキ)は驚いて、結子(ユイコ)の隣に立つと正面に目を凝らす。


 前進する〔エクセンプラール〕より少し左にそれた位置にぽっかりと開けた土地があった。静かな湖面が太陽の光を吸って輝いてみる。


結子(ユイコ)、やったよ。これで補給ができるよ!」


 (マサキ)は嬉々として結子(ユイコ)の手を取ってはしゃいだ。


 これでひと時の休息がとれる。飲み水の確保や洗濯物、〔エクセンプラール〕の燃料としても水は必要となってくる。


 この機会を逃す道理はない。


 不意に顔を見合わせた結子(ユイコ)はそうだね、と同意しつつも寂しげな笑みを浮かべる。


(マサキ)は変わらないね……」


 幼い日のまま純真で、天真な少女。


 結子(ユイコ)は七年の間にも世の中というものを知ったつもりで、それゆえに少し気持ちがすり減った感じがあった。昔を懐かしむようになったり、以前よりも正直になれずにいる。


 過去のことが重しとなって、(マサキ)とフォノとどこか別の見地に立っている気がする。


 すると、(マサキ)は切なそうに目を伏せて、握っている手に力を込めた。


「変わってないよ。あのときから……」

「どうかした?」


 その消え入りそうな声は結子(ユイコ)には届かず、疑問そうな視線を投げかけられた。


 だから、(マサキ)は赤くなった鼻頭を隠すようにマフラーを上げる。それから、爽やかな笑みを浮かべると、握っている手を離して梯子の方へ移動する。


「何でもないよ。結子(ユイコ)、報告よろしく。あたしは悪ガキを捕まえなくちゃだから」

「うん。任せて」


 結子(ユイコ)は嬉しそうに言ってブリッジに報告を入れる。


 (マサキ)は梯子を下って、艦内へと戻った。


 そして、〔エクセンプラール〕は湖へと針路をとって休息の連絡を艦内に通達した。 

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