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ガイア・レコード  作者: 平田公義
第二章
17/118

~旅立ち~ 夕焼けの幻灯

 暮れなずむ夕日が山岳の頂にかかる。ダイヤモンドのように輝く頂。そこに引き寄せられる絹糸のすじ雲が群青の空へと溶けていく。


 結子(ユイコ)は吹き荒ぶ風にコートの裾をはためかせながら、ぼんやりと黄昏ていた。そこは〔アル・ガイア〕の首元、マルチ・ハープーンの射出装置の上だ。地上二十五メートル近くから見る景色は壮観と言える。


「はぁ……」


 結子(ユイコ)は寒さに震えながら、ため息をつく。秋の染みわたる風にコートの襟を引き寄せては、手先に息をはきかけて暖を取る。


 悶々とする思考がまだぐるぐると巡って、気が滅入ってしまう。


「本当に見捨てられたの……かな?」


 冷え冷えしていたお尻はいつの間にか温もりを宿していた。どれくらい座っていたのかも忘れるくらい、結子(ユイコ)は悩み続けている。


 フライハイトは調査員としてこの町に数人送り込んだ。それは人員集めであったり、補給地として間借りするに適しているかを調べるためだった。断じて、殺戮を起こすためではない。


 それを覆されて、こうして取り残されている現実がとても心苦しい。


 ふと視線を横に向ければ駐機している〔エクセンプラール〕がある。甲板には人はおらず、アイランドでは数人の人が起動準備に入っている。


「これが来たから? こんなもののために……」


 結子(ユイコ)は視線を逸らして、地上に灯り始めた明かりを見た。多くの人たちが〔エクセンプラール〕に集結して移乗の準備を進めている。すでにこの町を出て行くことを決めたのだ。


 決心をつけなければならない状況下に誰もが晒されている。


 結子(ユイコ)も彼らの一員として行動すべきなのだろうか、と延々と悩んでいる。


 踏ん切りがつかないのだ。自由を求めて、差別をなくすために頑張ってきた数年を無為にしたくなかった。裏切られたからと言って、組織そのものが崩壊したわけではない。傍観するというのも手ではある。


 そう思えてしまうのは、懐かしい顔に会って安心してしまったからだ。


(マサキ)とフォノは大変な思いをしてる。そうなんだ、よね。それなんだよ……」


 自分を納得させるようにつぶやいて、長らくあっていなかった友人のことを思い出す。


 七年前に別れたっきり、生きているかも怪しかった二人に再会できたのは無上の喜びだ。変わらない友情があって、暖かく出迎えてくれたことが何よりうれしかった。


 別れた時の後悔も後ろめたさも薄らいで、また友達として過ごせる日々を夢想してしまう。決断できなかったばかりに、一人違う道を歩んでしまったことを悔やんで恨んでしまった。


 だから、以前ほど甘えることもできなかった。友情は不変なはずなのに、どこかで暗い影が潜んでいる気がする。

 

 結子(ユイコ)はコートの内ポケットから〔アル・ガイア〕のアクセサリを取り出して、空に掲げる。黒色のアクセサリは夕日を吸って鈍く光、貪欲な顔をしているように思えた。


「この機体がある限り、コレがある限り、あたしはここにいていいのかな?」


 結子(ユイコ)はこの場所に繋ぎとめる理由は〔アル・ガイア〕しか思い浮かばなかった。空白の時間を埋めるのは簡単なことではない。彼女たちと自分の生活はかけ離れてしまっている。


「あたしは必要とされるのかな?」


 もし〔アル・ガイア〕の操縦者から降ろされた時、(マサキ)とフォノとの関係を何で取り持てばいいのだろうか。


 誰からも必要とされなくなった自分に、何ができるだろうか。


 アクセサリを翳した空は暗く、一番星を輝かせていた。少し視線を傾ければ月が金色に煌めいている。冷たい夜がもうすぐやってくる。秋の風が一層強く結子(ユイコ)の体に当たる。


 そして、不安な気持ちでいっぱいになって結子(ユイコ)は横にある巨大な顔を見た。


「あなたは答えてくれる?」


 四つ目の鋭い瞳は何も言わない。夕日の光が弱くなり、その陰影がどこか困った表情をしているようにも、何かを気にしているようにも感じられた。


 結子(ユイコ)は掲げていたアクセサリを胸元に引き寄せると、そっと右手首にはめ込んだ。静電気のような刺激が腕を伝って脳に炸裂する。


〔アル・ガイア〕が疑問に答えてくれるはずもないのだが、機械だからこそ打ち明けられる悩みもある。機体はそうした弱った感情を汲み取ってくれる気がした。何も答えない代わりに、聞き取ってくれると。


 視界が一瞬歪み、次々と今迄に見えなかったものが眼前に映り込む。半透明のボードが視界の端でこまごまとした文字の羅列を流す中、新しいボードが結子(ユイコ)の目の前にポップアップする。


〔アル・ガイア〕の横顔に重なるようにして、『未確認機、接近。十一時方向、毎時八キロで進行中』とメッセージが映し出されたのだ。


「未確認機……?」


 結子(ユイコ)はただならない不安を覚えて、立ち上がる。強風で体が押されて、不安定な足場ですてっむを踏む。頭部にしがみつくと十一時方向、ちょうど夕日が沈む山陰の方に顔を向けた。


 肉眼では墨汁で塗りたくられたような、のっぺりとした山の輪郭しか見えない。明るいうちなら、丘陵や山林の青々となだらかな地形が確認できただろう。


「本当にいるの?」


 結子(ユイコ)は〔アル・ガイア〕を向いて、そう問いかける。


 すると、〔アル・ガイア〕が少し頭部を動かす。山の方角だ。


 誰が乗っているわけでもないのに勝手に動き、結子(ユイコ)は排熱装置に足を引っ掛けてその動きの邪魔にならないようにした。微かな熱風が足の間を通り抜ける。


 微かな駆動音。〔アル・ガイア〕の側頭部についている回折式カメラがピントを合わせる。


 次の瞬間、彼女の視界からメッセージボードが消失して新しいボードが出現する。サークル型レンズをしたボードだ。


 望遠鏡を覗き込んでいるような像は真っ暗。おそらく山陰の風景だ。それに上から水を流したように光が走る。そして、その光が人型のシルエットを縁取り、さらには地形をも薄く囲った。その輪郭から〔パンツァー・グランツ〕だとすぐにわかった。


「これ、本当?」


 結子(ユイコ)は驚いて、山陰の方を見た。彼女の意志を組んだようにサークル型のボードは視界の端に退いて視界を明け渡した。しかし、肉眼ではそれほどはっきりした輪郭は捉えられない。


 この像を信じていいのだろうか。


「どうしよう……」


 結子(ユイコ)は困ってふと思う。


 こんな時、(マサキ)とフォノがいたらどんなに心強いのだろう、と。


 次の瞬間、彼女の頭に切羽詰まった声がこだました。


『何、かしら? どうなってるの?』

『わからないよ。だけど、〔アル〕からの緊急メッセージみたい』

(マサキ)? フォノ?」


 結子(ユイコ)は仰天して、周囲に視線を走らせる。しかし、そこは地上二十五メートルの高所。結子(ユイコ)以外の人影などあるはずもなかった。もしいたにしても、直接その声が届かないのはおかしな話だ。


 耳で聞いているのではない。脳の奥から湧き立つような声なのだ。


 すると、(マサキ)とフォノらしき声が狼狽する。


結子(ユイコ)なの? 声が聞こえた気がしたけど』

「フォノ、でしょ? その声」

『フォノを呼んでるよ。それにこの声、そうだよ。結子(ユイコ)、今どこにいるの?』


 (マサキ)らしい声が緊迫した声で質問する。


「えと、〔アル・ガイア〕の上」

『ねぇ、やっぱりわたしたち疲れてるんじゃ……』


 フォノらしい声が心底疲れ切った声でそんなことを言う。


 結子(ユイコ)も今起きていることに自分も気が滅入っていて、幻聴が聞こえているものだと思いたい。だが、先の人型の像を見てしまっては何か危険が迫っていると認識する必要があるだろう。


 (マサキ)らしい声が二人の声を断ずるように大声を上げる。


『さっきの見たでしょう!? もし本当だったら————』


 それ以上の言葉はなかった。だが、最悪の場合を想定しているのはその短い息遣いからもわかった。走り出したようだ。〔アル・ガイア〕に駆けつけているのだろう。


結子(ユイコ)はいつでも〔アル・ガイア〕を出せるようにして。フォノ、あたしたちは一度みんなに報告して出発を急がせよう』

『ここでまた戦うの?』

『なるべく、遠ざけないとまた被害が出るかもしれないでしょ。そんなの絶対嫌だっ』


 (マサキ)らしい言葉だ、と結子(ユイコ)は思った。


 誰かのために必死になれる女の子。小さいころからそうだった。例え、茨の道を歩もうとも、(マサキ)はそれを突き進んでいくだろう。


 でも、と弱々しいフォノの声が脳髄に響くと結子(ユイコ)は〔アル・ガイア〕の肩に降りた。


(マサキ)、すぐに準備する」

『さすが結子(ユイコ)。お願いね』

『無茶なことにならなければいいのだけど……』


 フォノの不安そうな声に、結子(ユイコ)もまた同じ思いだった。


 だが、ここで何かあってはまた同じことの繰り返しだ。それを断ち切るためにも、〔アル・ガイア〕が先行する必要がある。


 冷たい風が吹き荒ぶ。近くの森林がざわめき、緊張が走りぬける。




 無用な混乱は避けたい。


 しかし、〔AW〕が接近していることを告げなければ取り返しのつかない事態になる。


 (マサキ)が目にしたアクセサリ特有の映像を誰が信じるというのだろうか。それでも、未確認機、修道騎士団か、それとも対当する一派かが接近していることに変わりない。


 (マサキ)とフォノは〔エクセンプラール〕に集まる人並みをかきわけながら、声を大にして警告する。


「みんな! またアーデル・ヴァッヘが来る! 早く船に乗って!」

「わたしたちが時間を稼ぎますから、だから、早く乗ってください!」


 少女たちの叫びに人々は困惑する。


 夜になりつつある空の下で、彼らは焚火の準備をしているところだった。今日は夜営をして明日の昼には出る予定だったからだ。しかし、〔AW〕の接近を耳にしてその手は止まってしまう。


 隣りの人と目配せして、どうしようとざわめく。不安が波紋のごとく広がって、彼らは立ち尽くすばかりだった。


 彼女たちの言うことを信じるのか、それとも信じないのか、逡巡してしまう。(マサキ)たちの様子や〔アル・ガイア〕を操った実績を思えば、嘘と断言するのも躊躇ってしまう。


 (マサキ)とフォノは詳しく話す余裕はなく、〔アル・ガイア〕へとひた走る。


 と、人垣の中から延びた腕が(マサキ)の腕をつかむ。


「ちょっと、何を言ってるのよ!?」

「ミトさん!」


 (マサキ)は腕を振りほどこうとするのをやめて、困惑顔のミトを見た。彼女は周囲に目を配りながら、(マサキ)の腕をぐっと引き寄せて言う。


「いい加減な嘘をつくと許さないわよ」

「いい加減じゃない。本当に来てるのっ。だから、みんなは船に乗って早くここから離れてよ」

(マサキ)っ!」


 先を走っていたフォノが立ち止まって振り返る。


 (マサキ)はその方を向いて叫ぶ。


「先に行って」

「あなたたちはただアレを動かしたいだけじゃないの? どうなの?」

「そんなことないっ。ミトさんならわかるでしょう?」


 向き直った(マサキ)の眼前には顔を強張らせて、力のこもった瞳を向けるミトがいた。


 信じたくても信じられない、といった感じだ。ミトも(マサキ)たちが恐怖心をあおるような嘘を振りまいているとは考えていないだろう。しかし、受け入れたくない事実でもある。そうした複雑な心情を抱いている。


 準備が整いつつあるところにまた戦火が生まれるのを、嘘でも本当でも受け入れていいものではない。


 (マサキ)は腕をつかむミトの手が震えているのを感じ取って、悲しげに俯く。


「そりゃぁ、ミトさんが疑うのは無理もないし、不安なのもわかるよ。けど、今みんなを守れるのは〔アル・ガイア〕だけなの。だからお願い」


 吹き荒ぶ冷たい風に鼻頭がむずむずする。木々の臭いと焚火の燃える臭い。戦いで起きる嫌な臭いを思い出させる。


〔アル・ガイア〕を動かすことは(マサキ)自身、好意的ではない。〔AW〕は人を殺す鎧だ。まして勝手に殺戮をする機体など怖くて扱いに困ってしまう。


 それでも、それを制御できるのは現状、(マサキ)たちしかいない。


 (マサキ)は顔を上げて、微笑んだ。


「戦いは避けるよ。帰ってもらうよう、説得してみる」

「それがダメだったら————」

「その時は追い返すだけっ」


 (マサキ)はそう言ってミトの手を振り切ると〔アル・ガイア〕へと駆けていく。後ろ髪をひかれる思いを抱くも振り返らない。話している時間も惜しい。急がなくては〔AW〕の部隊は着実に暗闇にまぎれて接近してくる。


 視界の端に浮かぶサークル型のボードには新しく赤や緑のグラデーションに彩られた像が浮かび上がる。フェードアウトして視点が広がり、前衛の人型とその後方に三隻のバイン・シフらしいシルエットを映し出していた。


 広範囲に展開しだしている。


(マサキ)っ!」


 後ろからミトの呼び止める声がした。


 (マサキ)はびくりとして、立ち止まってしまいそうになる。それでも足に力を入れて、前へと進む。ここで踏みとどまって甘えていてはいけない。


 やがて、遠くの方で野鳥が一斉に羽ばたく音が風に乗って聞こえた。敵が接近している証拠だと周りの人たちも動き出す。


 その中でミトは何度も〔アル・ガイア〕の方を見て、迷いを振り切る様に乗船の誘導を買って出る。

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