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ガイア・レコード  作者: 平田公義
第二章
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~旅立ち~ 皿洗いと空模様

 正午過ぎ。お昼を食べ終えた(マサキ)たちは食器の片づけを手伝っていた。


 多くの女性たちが大きな桶に皿をいっぱいにして、僅かに残った水路に集まる。


 わずかに残された水路から水を引いて、せせこましく皿を濯ぐ。水源である井戸の数々は潰されて、さらにくみ上げるためのポンプも〔エクセンプラール〕にあった人力のものと(マサキ)のバイン・アウトーの動力を組み合わせて使っている。


 また〔アル・ガイア〕で水源を刺激することも考えたが、下手をすれば水源そのものを潰しかねない。


 どうにもならないのだ。便利な機械にも節度がある、と(マサキ)はしみじみと思う。


「本当にこの町を出るのかしら?」

「まだ言ってる。仕方ないじゃん」


 (マサキ)は隣で腕まくりをするフォノを横目に見ながら、回さてきた皿を桶の中に突っ込む。洗剤もなく、ただ冷たい水で濯ぐだけの作業。手先が赤くなって、かじかむ中でも彼女たちには慣れっこだった。


 しかし、同じようにコートの袖をまくって皿洗いをする結子(ユイコ)は渋い顔をして時折手もみをする。


「大丈夫?」

「ごめん……」


 結子(ユイコ)が申し訳なさそうに俯く。


「ううん。結子(ユイコ)は洗ったお皿を拭いて。向こうのほうでやってるから」


 (マサキ)は振り返って、子供たちがいる方を顎で示した。彼らも皿洗いに出ており、水気を拭きとる作業をしている。


 そうする、と結子(ユイコ)は答えて洗い場から席を外す。その足取りはどこかおぼつかない。


 フォノはいってらっしゃい、と送り出して、かじかむ手をエプロンでくるむ。冷たい感触が膝元に伝わる。


結子(ユイコ)、どうかしたのかな?」

「疲れたのかも。来たばかりなのにこんな状況なんだもの」

「それなら、いいんだけど……」


 フォノは心配そうな視線を離れていく黒コートの後ろ姿を見送る。数日ともに生活していて、彼女が以前よりも引っ込み思案になっているのが気になるのだ。隠し事や遠慮をする性格だったのを思い出すと、どこか無理をしているのかもしれない。


 フォノの心配とは別に、(マサキ)は藁を編んで作ったたわしで皿をこすりながら言う。


結子(ユイコ)のことだもの。自分で解決できるよ」

「楽観的に言うわね?」

「あたしはフォノも結子(ユイコ)も信じてるからね。何も話さないってことは自分でどうにかしようってことでしょ?」

「小さいころとは違うわ」


 フォノは不機嫌そうに鼻を鳴らして、桶の中の水を流す。ひび割れた石畳に水がしみわたる。それを気にして、彼女はスカートのすそを膝の裏に巻き込んで、足を伝う水の広がりを目で追った。


「もう七年よ? 結子(ユイコ)にだって色々あったでしょうし、(マサキ)だって————」

「あたしは別に気にしてない」


 (マサキ)はフォノの苦しそうな顔を横目に見ながら、淡々と皿を洗う。汚れを落とそうと力強くこするも、手がかじかんでうまくいかない。


 冷たい感触だけが手のひらにあった。言うことが聞かず、赤くはれ上がった手のひらが気持ち悪い。


 フォノも何も言えず、傾けていた桶を戻す。


「わたしは今も気にしてる。感謝だってしてるわ。だから、無茶なことは一人で背負いこまないで」


 フォノのささやかな願い。(マサキ)と並んでいるための条件を自らに言い聞かせる。


「ありがと。そうする」


 (マサキ)はさらさらと髪に靡くフォノの金髪を一瞥して、同じように桶を傾け水を流した。お皿を落とさないように支えながら、ふとあることを思い出す。


「そうだ、フォノ。〔アル・ガイア〕のことなんだけど」

「何かあったの?」


 気にも留めていなかった〔アル・ガイア〕のことを突きつけられて、フォノは少し驚いた。


 彼女が少し背中に目をむければ、バイン・シフ〔エクセンプラール〕の横で佇む巨大な人型を見ることができる。あれほど巨大なものに乗り込んで、〔AW〕と対峙したのがつい昨日のことのように思い出される。


 しかし、(マサキ)の目線は頭上。不思議そうに空見上げて、つぶやく。


「なんかね。空からくるみたい?」

「え? どういうこと?」


 フォノは面を喰らって、隣でぼんやりと空を眺める(マサキ)を見る。寒さでサクランボのように赤くなる鼻頭がマフラーから抜け出していた。そして、その首筋にあの〔アル・ガイア〕のデバイスがちらついている。


 (マサキ)もぼんやりとした様子で続ける。


「あのね。空を見ると、座標確認みたいな文字が浮かんでるの」

「その首飾りをしてるからじゃないかしら?」

「そうだけど。昨日まではなかったよ」


 本当、とフォノは聞き返してエプロンドレスのポケットから同じくデバイスを取り出して、ヘアバンドとして装着する。静電気が起きて、髪の毛が少しばかり逆立った。


 視界に映る有象無象が歪んで見えた。即時にそれらは輪郭を取り戻すと、視界の端っこに半透明のボードが浮かび上がり、文字の羅列が高速で流れていく。


 いつになっても慣れない不思議な感覚に顔を顰めつつ、彼女はゆっくりと空を見上げる。


「あ、本当ね」

「でしょ?」


 蒼穹に流れるいわし雲の向こう、傾き始めた太陽から少し外れた位置。三重の円に囲われた一点が浮かんでいる。


 フォノは手を翳して、じっとその一点を見るも円を指し示す矢印には確かに座標確認の文字と、X、Y、Zの座標で数字が記載されている。コンマ以下の数字も表示されており、常に変動している。


「天文学かな? この数字?」

「さぁ? 小さいころに呼んだ教科書にもこんな感じのあったわ。座標空間だったかしら」

「何それ?」

「こんなの…………、だったか?」


 フォノは左手の中指、人差し指、親指を違った方向に向ける。


 しかし、それを見た(マサキ)にはちんぷんかんぷんで小首をかしげていた。機械の修理はお手の物だが、そのほかの学問はあまり精通していない。辛うじて数学ができる程度だ。


 まして天文学など星座を確認する程度の知識だ。


「意味は?」

「知らないわ。軸の向きがどうこうってことだと思う」

「テキトー過ぎない?」

「文句言わないでよ。専門家じゃないんだから」


 フォノは三本の指を開閉しながら、頬を膨らませる。何しろ十年も前のことだ。勉学くらいしか取り柄がなかった時期でもあって、いろんなもの本を読み漁っていた。


 広く、浅くの知識。教会での勉強はおおむねそんな段取りで、神職につくこと前提で進められていた。多くの人は家業ついで専門知識と読み書きを覚える。博識ではあるが中途半端な自分を彼女は、あまり認めたくはなかった。


 ちなみに左手の法則はローレンツ力の向き関係である。空間座標を示すものではない。


 (マサキ)は愛想笑いを浮かべて、皿の入った桶を持って立ち上がる。


「ごめんごめん。でも、フォノはいろんなこと知ってるよね。狩りも上手だし、すごいよ」

「そう、思う?」

「うん。さ、早くこれを渡しちゃお。そろそろ燻製が出来上がってる頃だろうから、その手伝いもしないと」


 (マサキ)は軽く肩をすくめて、フォノを促す。


「そうね。でも、働き過ぎじゃないかしら?」

「人手不足だもん。仕方ないよ」


 フォノは桶を持ち上げつつ、(マサキ)の開き直った言葉に感心する。


 少し前まではこの町が襲われるなど考えてもみなかった。しかし、こうして壊滅してしまった町で生きるというのは土台難しい話である。秋の収穫をほとんどの蓄えを灰にされてしまった以上、ここで冬を越すのは無理だ。


 (マサキ)は根本的な面をすぐに見抜いていた。フォノが町に未練があるのに対して、彼女は生きる道を考えつづけ行動している。


「変わらないね、(マサキ)は」


 フォノは先を行く彼女の背中につぶやいて微笑む。


「ありがとう」


 と、そんな言葉が(マサキ)から聞こえた気がした。とても小さく、耳元でささやくような声だった。


(マサキ)、何か言った?」


 フォノが何気なく問う。


 しかし、(マサキ)はきょとんとした顔を向けて、何もと答えた。


 幻聴だろうか。この数日、怪我人を相手に色々と心身共に疲れているのかもしれない。そう考えて、フォノは先の声を忘れることにした。

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