~弾劾~ 山道に危険はつきもの
馬車が通る峠を道しるべにして、〔エクセンプラール〕は山脈の東側へと進んでいた。
朝日を吸った白い山肌は歩行戦艦が進むたびに、化粧を落とすように霜を零している。十月の秋風が、輝く霜を攫って谷間を流れていく。
「十月のアルプスってこんなに寒いの?」
見張り台で毛布にくるまるフォノが周囲できらめく霜を見ながら言う。
「年々、寒くなってきてるって話、聞いたことある」
結子も震えながら毛布を引き寄せて白い息を吐く。耳まで真っ赤にして、前からくる風に首をすぼめる。
「だけど、こんなに?」
「山の天気なんだから寒いでしょ」
一方で柾はまっさらな空と太陽を見上げて、陽光に手をかざす。
お昼前の太陽は高く、爽やかな青色が広がる空は穏やかなそのものである。ふと視線を落とせば、切り立った山肌に暗い日陰が峠道を覆い、霜と雪明かりの眩しさに目を細めてしまう。
「それに、この時期は天候も安定しないし、誰も通ろうともしないでしょ」
吹き抜ける風が防寒具のマントをはためかせ、柾は正面に向きなおると双眼鏡を手にして進行方向を気に掛ける。
「それはそうかもしれないけど……」
フォノは焼けつくような眩しい山肌から目をそらして、甲板に横たわる〔アル・ガイア〕の方に目を向ける。
山影に半身を隠して、寒々しい空気の中で寝そべる姿は妙な感じがする。冷たい鎧には霜一つなく、熱を吸う黒色が太陽の熱を宿しているのが普通の機体とは違うと思うのだ。
「このまま無事に山を越えられればいいけど――」
「今のところ天気はいいんだし、大丈夫――」
フォノの不安げな声に、柾は気楽な返しをする。
しかし、途端に〔エクセンプラール〕が痙攣したように跳ね上がった。
同時に後部の方でくぐもった爆音が響く。まるで放屁したように艦尾から黒煙が断続的に噴き出し始めた。。
〔エクセンプラール〕の動きも合わせて鈍くなり、何度も黒煙を噴き出しながら足を引きづるようにして進んでいる。
「何事?」
「煙出てる……」
前部の見張り台にいる柾たちにはその詳細は見えていない。
それでも振り向くと見える空に、悪い煙が立ち上っているのを目にすればおかしなことだ、と誰だってわかる。
「今、何が起こってるのです?」
伝声管に張り付いて、フォノが艦橋に問いかける。
「状況はこちらでも確認しているところだ――、ええ? 機関室で爆発?」
それを聞いた三人は目を白黒させて、慌ててハッチを開けて一目散に機関室へと動いた。
* * *
艦内では警報機がジリジリと耳障りな音を響かせていた。
柾たちはマントを脱ぎ捨て、機関室へと走る。上層から下層へ続く階段を駆け下り、徐々に濃密になってくる煙の筋と臭いが危機感を煽る。
進むたびに咽て、体調を崩した人たちとすれ違う回数が増えていく。
「相当危ない?」
結子はすれ違う人たちを見てそう思った。
やがて、艦の下層中心部にある機関室の通路にたどり着く。
「あたし、機関室みてくる。二人はここで連絡お願い」
「わかった」
柾は真黒な煙が塞ぐ通路に、マフラーを鼻先に引き上げて突っ込んだ。
フォノと結子は上着やストールで口を覆いながら、行き交う人たちの腕を掴んで引き留める。
「何が起きてるのです?」
フォノは捕まえたスタッフに問いかける。
「あぁ。エンジンにゴミか、何かが混じって焼けちまったんだよ」
「エンジンにゴミ?」
フォノと勇子は機関室で働く人たちの話を聞いて呆れた。
「なんでそんな……」
フォノも目に染みる黒煙に涙を浮かべながら、空調で吸い込まれ始めた煙の筋を目にした。
「補助電力でどうにか艦内空調は動いてるみたいだけど、このままだと危ないんじゃないかしら?」
「それはわかっている」
対面しているスタッフは煤だらけの鼻先を手の甲で拭い、通路の奥を見据えた。
「止めるにしても、時間はかかる。交代で行かないと、すぐに体をダメにしちまうんだよ」
スタッフも手詰まりの様子で何をすればいいのか混乱しているようだ。
結子は手首にしているアクセサリを口元に寄せて、柾との通信を測る。
「柾、エンジンにゴミが挟まったらしいって」
「ん。了解。何とか、対処してみる」
柾の返答が結子の頭に響く。
結子は隣にいるフォノに寄りながら、目の裏に映る拡張現実モニタで周囲を解析する。
モニタに投影される情報はそれこそ柾、フォノ、結子の五感が察知した感覚を元手に〔アル・ガイア〕が情報として分析し、出力する。
「だとして、このまま――」
一方でフォノは肺に張り込んできた煙に咽て、背中を丸める。
「こういうことがあるんだよ。おい。どういう状況だ、今」
男は背中を支える結子とフォノを一瞥して、煙の奥から姿を現した別のスタッフに言った。
その人物は口に巻いている手拭いを下げて、ボサボサの頭をかきむしる。
「動力止めて、どうにか落ち着いた。あとは掃除だよ、掃除」
「煙が収まるまで何もできないってこと?」
結子は大人二人の会話を聞きながら質問した。
「そういうことだ」
「ったく。徘徊してる老人がやったんじゃないのか!」
「知るか! んなこと」
ボサボサ頭の男は出てきた男と共にさっさと退散した。
「長居しても仕方なさそうだね。悪いものも、入ってるみたい」
結子は拡張現実モニタに出力された煙の成分解析を端にとらえつつ、赤字で投影されている含有物が人体に有害だと直感した。
元素や化合物の名前を見ただけでどういうものかわかるほど、彼女も才女ではない。しかし、今感じているのどの痛み、頭痛、吐き気を思えば危険なものがあることくらいわかるものだ。
「そう、みたい」
結子の意見にフォノも賛成して、奥へ乗り込んだ柾のことを思った。
徐々に奥から機関室で対応していた人たちが戻ってくる。一様に煤まみれの顔をして、煙たそうに目元をこすっている。
その中から小柄な少女を見つけるのに、時間はかからない。
「もうっ。酷いんだから――」
「柾、大丈夫?」
フォノと結子に迎えられて、柾は真黒な手を軽く振ってこたえる。
「ゴミってどこから持ち込まれたのか、わかった?」
「徘徊癖の老人のせいじゃないかって」
「根拠、ある?」
「さぁ? 機関室で働いてる人たちの話だもん」
柾の言葉にフォノも結子も返す言葉もなく、ひとまずその場を後にした。
* * *
〔エクセンプラール〕がメインエンジンを切って、峠の山肌に鎮座することになって三〇分。山間の冷たさに艦全体が冷気に包まれ、鉄板にその冷たさが染み込んで内部も冷え込んできていた。
かといって、すぐに動かせる状態ではないし、復旧の目途もわからないままだ。
「うーん」
艦橋で薄っぺらな外套を羽織って、ミトはデスクに置いている資料に目を通していた。
エンジンが停止した原因を究明するのも必要であるが、もっと頭を悩ませる事態が起きていた。それは必然的であったし、ミト自身もある程度想定はしていたことだ。
「あまりにも、酷い」
この一言に尽きる。
副艦長も藁半紙の資料を一枚とって面倒臭そうに髪を掻いた。
「山越えなんだから、食料、資材ともども消費が多くなるのは当たり前じゃないのか?」
「それにしても、この一週間で予想を超えてるのよ」
「戦闘もあって、それが落ち着いた反動もある」
副艦長も寒々しそうにマントを着込みながら言う。
空調の電源はすべて煙の排出に使っているし、暖房にまで回している余裕はないのだ。メインエンジンにしても四基あるうちの一基が使用不能になっているだけであるが、管理できる状況でない以上、すべてを止めるほかないのだ。
ある程度艦を理解している人でも、無責任にエンジンを動かせるほど熟達しているわけではない。
ミトは副艦長の発言に眉を寄せて口元をとがらせる。
「こらえ性がないってことでしょ。ちゃんと節約しなさいって言ってたのに」
「これだけ寒いんだ。無理からぬ話だ」
「理解はしてあげても、同情は禁物だって。山越えを甘く見ないでよ」
ミトの言葉は正鵠を射て、副艦長も言い返す言葉もなかった。
「水の補給もすぐにさせる。幸い、小川が近いから燃料補給は問題ないだろう」
副艦長は無理矢理話題を変えて、窓の方へと足を向ける。
ミトはそんな副艦長の背中を一瞥して、資料に視線を落とした。
「問題は修理の資材。町までそう遠くはないと思うけど」
「行った事、あるのか?」
副艦長はささやかな反撃とばかりに言った。
ミトはむくれながら、つまらなそうな瞳で副艦長を流し目で見る。
「あの村に流れ着くまでに色々あったのよ。アルプスも超えたわ。それにマッターホルンだってこの目で見た」
「本当かよ?」
副艦長はミトの右足を一瞥して、意地悪な笑みを浮かべる。
「信じる、信じないは自由よ」
ミトがそういっていると、艦が小刻みに揺れる。
甲板の方に寝ていた〔アル・ガイア〕が上体を起こしているのだ。艦橋の窓に機体のいかつい顔が並んだ。
「アーデル・ヴァッへが動いてるぞ?」
「柾たちでしょう? 三人にはすぐに帰ってくるように言って」
ミトは窓から差し込む影で、〔アル・ガイア〕の機動を察して誰を指名するわけでもなく言った。
「了解。このままよりはマシか」
それには手持無沙汰の通信士が答えて銃型の投光器を手にして、サインを送る。
「柾、ミトさんから遅くならないでって伝言」
光に気づいた結子が操縦桿を操りながら言った。
「わかってる。二、三日で帰るって返しておいて」
「日帰りでって意味だと、思う」
「いいのいいの。山、越えるんだから」
柾は操縦桿のスロットルを操作しながら、立体モニタに映る出力ゲージに目を通していく。
以前に受けた機体の損傷など、走査された情報に不備がないかを確認。もちろん、自分の目で機体の外観は確認しているが、如何せん〔エクセンプラール〕の設備では外装を取り払うことなどできず、機体の電気信号頼りではある。
「結子、問題なさそう?」
「いける、と思う。それから、ミトさんには返信しておいた」
そうは言いつつ、結子は乱立する立体モニタの中に見たことのない表示があるのを捉えていた。
〔アル・ガイア〕に深刻な損傷が残っていることを知らせるものではなく、むしろ今まで使えなかった機能が開放されたことを知らせるポップであった。だが、その本筋がいつもの武装以上に読み取りにくかった。
「安全装置の解除条件? こんなに細かいの?」
確かに新しい武装が開放されたのは間違いない。
それを使用するには何かと制約があるらしく、解除に関する子細がずらりと並んでいた。一見してすべてを理解できるものではない。
結子は立体スクリーンの文面に指先をなぞるが、機体の上下振動に視線ががくりと太腿に落ちた。
「ん。動かすなら、言って」
「ごめん。それじゃ、行くよ」
「武器の方も問題なし」
フォノが自分の受け持ちの報告をすると、柾もいよいよフットペダルを踏み込んで機体を立ち上がらせる。
「問題なし、か……」
結子はフォノの冷静な声と新武装のポップを比べて、彼女の言葉を信じた。フォノは用心深い方だ。その彼女が武器に対して鈍感とは思えない。使えない武装はないも同じで、使う気もしないということなのだろう、と結子は完結した。
ポップを消して、機体の姿勢制御ダンパーの圧力調整に入る。
「こっちも、機体に異常なし。ダンパー圧力調整、よし。防寒具、持った?」
「もちろん。バイン・アウトーも調整済み」
柾は二人の声に自信をもらって、準備を進める。
〔アル・ガイア〕が汎用機関銃に右腕部を伸ばしていく。
その様子を眺める艦橋の大人たちは不安げであった。
「二、三日出るそうです」
「早く帰って来いって言ってるのに。みんな人の話を聞かないんだから」
「町に出るのにはそれくらいかかる」
「食料の流通を確保するのに、そんなにかけてられないって話」
ミトの言葉に、副艦長も感嘆の声を漏らす。
「てっきり、いつもの親バカかと思った」
「それだけじゃないってことよ、今の状況って」
ミトは副艦長の軽口に不愛想に答えながら、今後の食料供給について思考を巡らせる。
「クレーンから銃を離すぞ」
「ご自由に」
機関士長の声にもミトは上の空で答える。
そうしている合間にも、〔アル・ガイア〕が汎用機関銃を取る。次いで、甲板上に用意されていたバイン・アウトーを模型でも扱うようにつまみ上げて両のマニピュレーターで包んだ。
「針路は?」
「南西に。渓流を辿れば、交易町の一つにつくと思うけど」
結子は立体スクリーンに古びた地図を表示した。
それは〔エクセンプラール〕に保管されていた巡礼路が記載されたものであり、長らく彼女たちが使っている地図の写しそのものであった。
「どうしたの、これ?」
フォノは今まで見たことのない機能に小首をかしげる。
「なんだか、わたしが見たものをこの子がいつの間にか記録してた、みたい?」
結子自身、いつの間にこんな機能がついたのか定かではなかった。
だが、便利なもので本物の地図に書き込みする必要はなく、必要な順路に線を引くことが出来る。結子は指先で山脈の合間をなぞる。すると、手首にしているブレスレットが反応し、その道筋に赤い印線が引かれた。
その表示は柾とフォノの操縦席に表示されている地図と連動し、二人にも道筋が見えた。
「渓流を下れば、こういう風になる」
「そう……」
柾は道筋を一瞥して、シートに収めているお尻を軽く奥に押し込んだ。
「この通りに行くよっ」
柾の声が発せられた瞬間、〔アル・ガイア〕は跳躍。
黒い巨躯が谷間の陰に跳んでいく。川の水を弾き、大きく走り出した。
* * *
山間を移動する一団は柾たちだけではない。
アルプス山脈は北ヨーロッパと南ヨーロッパを隔てる要所となり、当然山越えをする団体は数多い。交易のためのキャラバン、ノード教信者による巡礼団、はたまた大学教授たちによる物見遊山まで、アルプスの交通事情は盛んである。
それゆえにいくつもの順路が存在し、その数だけに宿場町、交易拠点が点在している。
「ん……」
山脈の古い峠道を進む一団、その中核で屈強な重種の馬に跨った男が山の一角を見据えた。
全身を黒いローブで身に纏い、頭をフードですっぽりと隠している。その首には銀の十字架を下げ、背中には修道騎士団の紋章である十字架と鷲の刺繍が刻まれていた。
と、馬の傍を歩く側近の一人がその視線に気づいた。
「いかがなされましたか、キャメロット様?」
「いいや。少し遠くの方で船の音がしたもので……」
そう言って、男、キャメロット・ザセットは一度後ろを振り返り側近の方に視線を落とした。
「気のせいだったようだ」
「ここしばらく緊張状態が続いております。少し休まれては?」
側近の心配そうな声に、キャメロットはかんらかんらと笑って見せる。
「この程度のことでわたしがへばるわけなかろう」
側近は苦々しい表情を浮かべながら、上司の高笑いに少しほっとしていた。
キャメロット・ザセットが耄碌するような歳でもなければ、貧弱な僧でもない。修道騎士団に属し、聖騎士の称号を受け持つ彼が町の司祭と同じはずがない。
キャメロットは高笑いで見上げた空を眺めつつ、その緑色の瞳で霊峰マッターホルンの頂を正面にとらえた。連なる山々の白粉のような肌は美しく映えた。
「紅海を渡って来た時に比べれば、行楽そのものだ。山の綺麗なこと、この空気の澄んでいることといったら」
息をするたびに胸に広がる冷たくも、染み込む空気にキャメロットは頭が冴えわたる。
雪解け水を飲み干すような爽やかな感覚。
「何度往来してもよいものだ」
「左様で」
側近も前を行く同僚たちに向きなおり、手にしている杖の乾いた音を聞いた。
彼らは別に巡礼のために険しい峠を進んでいるのではない。
「しかし、今回の件、それだけに見逃せないものですな」
「うむ。その心がけ、神に仕える者として立派である」
キャメロットからすっと陽気な雰囲気が沈んで、本来の目的を思い出していた。
「神の啓示が告げられた以上、我々はそれを確かめねばならない」
キャメロット率いる一団に課せられた任務はほかの騎士団とは一線を逸している。
騎士団の本分が守護や防衛、規範として前に立つことである。そして、人を良い方向へ導くのが常だ。
しかし、彼らは信仰の名のもとに、最も忠実に動く部隊である。




