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ガイア・レコード  作者: 平田公義
第十五章
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~山脈~ 冬の夜は冷たい

〔エクセンプラール〕がようやく腰を落ち着けられたのは、山の中腹であった。渓谷に流れる川が深く切り込んだ狭い幅に流れ込んでバイン・シフの巨体ではすり抜けることはできない。


 小川のせせらぎが真夜中に静かに、〔エクセンプラール〕の艦橋にまで届きそうである。


「ここまでだ」


 操舵士がようやっと緊張から解かれて、舵から手を離す。


「ご苦労様」


 ミトも肩の力を抜いて、ほっと一息。しかし、その胸中は穏やかではない。


 艦橋の窓から前の見張り台から伸びる投光器の光が狭い谷間を照らしているのが目に入る。それは行く手を阻む険し渓谷の入り口。周囲も投光器が照らし出す斜面には、キラキラと霜で化粧をした岩肌や枯草が照り返している。


 ミトは考えることを断ち切って、すっと通信士の方に顔を向ける。


「艦内放送でみんなに敵はいない、と伝えて」

「了解」


 通信士も疲れ切った様子で返答し、ミトは小さく頷く。そして、自然と足が艦橋の入口へと向く。


 それにいち早く気づいた副艦長がその肩を掴んだ。


「すまないが艦長として、もう少しここで指揮を執ってもらいたい」

「わたしでなくても、この先の何をすべきかくらいわかるでしょう?」


 ミトは気だるげに言って、副艦長に向きある。


 副艦長の仏頂面が淡いランプに照らされている。彫りの深い顔つきはそれこそ仏像のような威厳がある。


「状況はわかっている。このまま引き返す可能性があることくらい」

「だったら、今やるべきことは?」

「今後の針路について協議すべきだ」


 副艦長も疲労困憊しているが、先々の不安で頭がいっぱいなのだ。


 ミトは肩を上下させる。


「そういうことは後回しよ」

「なぜ?」

「今は船のみんなを安心させて、寝かせてあげるべきよ。ここ連日、まともに寝れた日があって?」


 ミトの意見はもっともだ。


 副艦長を含めて、言い返す言葉もない。アウドミラ部隊の追撃に連日連夜、緊張しっぱなしであった。例え仮眠や休息を得られても、その不安でろくな睡眠をとっていない。


 ミトは押し黙る男たちを見回して、再び出入り口へと体を向ける。


「休みましょう。見張りに温かい物の準備もしなきゃ」


 そういってミトは艦橋を後にする。


 残された男たちも頭が回らず、その場でうなだれるばかり。何をすべきかがわからない。自分たちの目的すらも、暗闇の中に置き忘れてきてしまったようで、漠然とした不安が募る。


「いつまで、続くんだろうな……」


 機関士長がぼそっとつぶやく。


                *     *     *


 深々と冷え込んだ医務室に、(マサキ)たちはいた。


 手当をしてくれる大人などはいない。連日、襲撃が続いたのだ。加えて、艦内放送による敵影なしの吉報が誰の心も緩め、動く気力を失っている。たまった疲れが溢れだして、底冷えする艦内で眠りにつきだしているのだから。


「はい。これで、いいかしらね」


 フォノはランプの光に照らされた(マサキ)の腕に巻いた包帯を縛った。


 (マサキ)は一瞬苦悶の表情を浮かべるが、すぐに平静を装ってシャツを羽織り直す。


「ありがと」

「怪我の方、大丈夫?」


 結子(ユイコ)が血で汚れた布を捨てながら問いかける。落ちていく布に交じって透明な板がランプの光を照り返した。


「大丈夫だよ。モニタだってすぐ直みたいだし」


 (マサキ)は怪我をしている腕を回して見せる。そのたびに張りつめた糸が切れたように、傷口が鋭く痛む。


 そんな彼女を知ってか知らずか、フォノが彼女の肩に手をのせて制止する。


「傷口開いちゃうわよ。安静にしなきゃ」

「わ、わざとだ」


 (マサキ)は肩に置かれた手の衝撃に一瞬顔をひきつらせる。


 そうかしら、ととぼけた顔をしてみせるフォノであったが、お茶目な表情もまたすぐに暗くなってしまう。


 親友の肩に乗せた手に、知らず知らすのうちに力を入れていた。指先が(マサキ)の柔肌を掴んで、震える自分の手を誤魔化そうとする。


 しかし、(マサキ)は敏感に彼女の心境を悟った。


「今回はちょっと厳しかったってだけだから」

「そうはいうけど……」


 すると、結子(ユイコ)が暗鬱な表情で(マサキ)の横に腰掛ける。


「もう、あたしたち、限界じゃないかな?」

「何が?」


 (マサキ)はきょとんとして問いかける。


 何が限界なのか、わからない。これまでも無理、無茶、無謀を切り抜けてきたのだ。い任せではあったが、そのたびに壁は乗り越えてきたはず。今回の戦いにしても、絶望的な状況を覆して帰還を果たした。


 結子(ユイコ)は固く結った口元をもごもごさせる。


「何? 言ってみてよ」

「あの子を動かすのが、でしょ?」


 フォノが言いにくそうにしている結子(ユイコ)の代弁をする。


 結子(ユイコ)は一瞬顔を上げて、フォノの顔を見るとすぐに顔を伏せてしまう。


 それが暗に肯定している所作だ、とわかった(マサキ)はすぐにフォノへと顔を向ける。


「どうして?」

「今日のアレ、何とも思わないの?」

「アレって雷のこと? あたしはぜんぜん」


 楽観的にいう(マサキ)に、フォノは目を丸くして息をのむ。


 強がっている風には見えない。ごく当然のことだと受け入れている気概だ。その気に当てられて、フォノはしばらく言葉が浮かばなかった。


 少しの間をおいて、ランプの淡い熱気のように彼女は言葉を絞り出す。


「だけど、異常よ」。


 口にして胸にたまっていた言いしれない不安が重い固まりになった気がした。


 何が怖いのか、今までハッキリしなかった。〔アル・ガイア〕が自分たち、ひいてはこの船に乗る人たちに必要だから、機能、性能について深く考えずにしていた。


 便利で、強くて頼りになる。それで十分だった。


 だが、フォノの許容は限界である。


「いつか、取り返しのつかないことに……」

「あたしたち以外が使っても同じことだよ」

「違う。そうじゃないわ」


 (マサキ)はフォノの返答に口を曲げる。


「じゃぁどういうこと?」


 単刀直入に言う(マサキ)にフォノは視線をそらし、胸元のストールの結び目をぎゅっと握りしめる。


 この不安を言葉にして伝えられたらどれほど楽だろうか。論理的に諭せるなら、フォノだって自信を持てたはずだ。


 だが、フォノには自分を元気づける自信がない。頭が回らない、感情ばかりの勘だけである。それは命を救ってくれた親友を『大切』に思うからである。


「あの機体に、わたしたちは殺されてしまう」


 何それ、と(マサキ)は思ったが、沈鬱な表情のフォノから目を離せなかった。


 心臓が締め付けられたかのような息苦しさは自分を偽っている証拠だ。フォノの言わんとする危険性は間違いない。それでも、と(マサキ)は〔アル・ガイア〕を親友と同じように信じたいのだ。


 機械と人。


 比肩できるはずもない両者であるが、機械を作り上げてきた家系の娘にとっては同じ『大切』である。


「精神的にも、限界、あると思う」


 (マサキ)が言葉に詰まっているのを見て、結子(ユイコ)が補足する。


「あたしは――、平気」


 条件反射的に(マサキ)は答えた。だが、すぐに失速してため息が零れる。


 精神的疲労。山越えでの連戦、これまでの戦闘を踏まえても、不安は募る一方である。完璧な安心、完全な安寧を得る旅をしているのだ。目的が果たされるまでは満たされない。


 擦り減っていく心。戦いという毒にも似た刺激に蝕まれて、満たされない想いばかりが累積する。


 結子(ユイコ)は膝元で指先をもじもじさせながら、ちらちらと(マサキ)を窺う。


「平気なら、いいけど。いいんだけど……」


 本当は伝えなければならないことがあった。


 手元に視線を落とすたびに拡張現実(AR)モニタに映る一つの報告。


〔アル・ガイア〕が戦闘を重ねるたびに開花させていった機能の数々。機能拡張が進むたびに、機体内では着々とある力が蓄えられていた。


 目覚めたあの日から芽吹き、数多くの戦陣の中で育まれ、傷つくたびに強くなる。


 そして今、電撃の一滴を浴びてその力は蕾となった。


 得体のしれない二つの弾頭。


 結子(ユイコ)が言わないでも、(マサキ)もフォノも閲覧できる情報だ。


 これに危機感を覚えているのは結子(ユイコ)だけ。言葉にしてしまえば、肩にかかる重さはずっと楽になる。


 しかし、それはできない。


 七年。七年もの間があと一歩踏み出す勇気をせき止める。数か月の間にも、幼いころの様に仲良くなれた。苦難も共に乗り越えてきた絶対の信頼があるのを自負している。


 だからだ。結子(ユイコ)は余計な心配事を二人に増やしたくない。口を閉ざすことが最善であると判断する。 


 危険は隠して、フォノのいう方向に持っていくことが結子(ユイコ)には必要だと思えた。


「あの、ね。(マサキ)……、フォノのいうこともわかってあげよう」

結子(ユイコ)も、もう乗りたくないの?」

「…………うん」


 消え入りそうな声で結子(ユイコ)は小さく頷いた。


 余計な真実を隠すことが、絆を繋ぎとめることには『大切』だと判断したのだ。


 (マサキ)はふっと息を吸って、ゆっくりと息を吐く。張りつめた肩が降りて、疲労感に反論する気も失せてしまった。そもそも、何度ともなる〔アル・ガイア〕搭乗論は平行線をたどっているのだ。


 今更、と(マサキ)は思っていた。


 というよりも、結局〔アル・ガイア〕に頼らざるを得ない状況になってしまえば否応なく乗ることになる。


 そういう状況を作ってしまっている元凶が〔アル・ガイア〕であろうとも。


 フォノが見かねたように、おずおずと口を開く。


「今更だって思うかもしれないけど……」

「そうでしょうとも」

(マサキ)はすごいわね」


 フォノの言葉に、(マサキ)は皮肉かと思ったがすぐに考え直す。


 力なく、少しつつけばそのまま倒れてしまいそうなほど疲れきっているフォノの顔は冗談ではなかった。むろん、結子(ユイコ)も同じだ。


「……単純に、逃げたくないだけ。あたしは」


 (マサキ)が思うところを言葉にできたのならば、フォノと結子(ユイコ)との隔てりはもっと小さかったかもしれない。


 恐怖や不安は(マサキ)にもある。次々と開花していく〔アル・ガイア〕の力に、自分の力量が追いつかなくなっているとも感じていた。


 いつか、とりかえしのつかないことになる。


 その言葉ばかり、頭の中で繰り返される。そのたびに心臓が雛鳥の様に縮み上がって震える。


〔アル・ガイア〕が本当に得体の知れないものになりつつある。機械であるならば、人の手によって作られたはずだ。その人知を越えるとき、一体どれほどの過ちを背負うことになるだろうか。


 フォノも結子(ユイコ)も、懸念しているところは自分たちの安全よりも他者を巻き込んでしまう災いである。


 実体のない危険。被害を想像することもかなわない。


 だから、無責任に放り出したりはしたくない。


「あたしは、そうしたいだけ……」


 (マサキ)は自分に言い聞かせて、フォノと結子(ユイコ)を交互に見やる。


 だが、今回ばかりはフォノも結子(ユイコ)も首を縦に振ることはなかった。目を伏せて、口を閉ざしてしまう。


 所詮は一個人の感情だ。理解されようとも、共感は難しい。


 冬の夜長は深々と冷たさを漂わせて、すべてが凍らせてしまいそうな危うさが伝わっていった。

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