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ガイア・レコード  作者: 平田公義
第十五章
111/118

~山脈~ 閃きと雨の中の激戦〈前編〉

「雨、強くなってきた……」


 (マサキ)はマフラーを上げて、つぶやいた。メインモニタの合間を走るスピーカーから、雨音がかすかに響いて寒々しさが増していく。


 唇は冷たく、頬も固くこわばった。


 深々とする冷気にさらされて、身体が震えだす。操縦桿を掴む指先を動かし、爪先を遊ばせていないと頭の中まで凍り付いて、眠ってしまいそうだ。


結子(ユイコ)、フォノ。大丈夫?」


 少しでも眠気を吹き飛ばそうと(マサキ)は回線を開いて二人の安否を問う。


 内線を聞いた結子(ユイコ)とフォノは寒さに耐えながら答える。


「ええ。温かいものが欲しいけど」

「問題はない、と思う」


 時刻は深夜。


 山に囲われていることも忘れてしまうほど、周囲の音は静かで風もそよとも吹かない。


 ただ雨だけがしとしとと降り注ぐ。


〔アル・ガイア〕は雨音が岩肌やリンドウなどの草花が弾く雫の音を拾って地形を把握し、システム内で仮想地形を作り上げていた。メインモニタも徐々にそれらの情報を収束させて、視覚情報として山の急斜面や細やかな絨毯か壁紙のように広がる草木の輪郭を映し出していく。


 正面に緩やかな下り斜面を見下ろし、背後には伸び上っていく段々の上り斜面。左手に重なるようにして見える尾根の数々が並び、右手も同じく山々が連なる。下を注視すれば、大蛇が渡ったかのような渓谷が横たわっている。


 それらがうっすらと、ゆっくりと、あぶりだしをかけたように(マサキ)の目にもわかる形になっていく。


「…………んっ?」


 (マサキ)はモニタの隅々まで目を走らせ、ふと右手に映った影を二度見する。


 一つ向こうの尾根に、横列に並ぶ巨大な影が一、二……、三。少なくとも三つある。一見すれば、その形は武骨な岩に巨木がてこの様にかかっている風に見える。


 眠りこけそうになっていた(マサキ)の頭が一気に活性化する。全身の毛が逆立つ。


 シルエットから連想されるものが、少女の心肺を高ぶらせる。


結子(ユイコ)、二時方向。敵機かもしれないっ」

「索敵、かける」


 緊張した声に弾かれて、結子(ユイコ)も指示された方向を見てアクティブセンサをその方角に向けた。


 フォノも一気に目が覚めて、指示された方向を一瞥し、続いて艦橋の方へ視線をやる。


 少女たちは臨戦態勢に入り、気持ちを高ぶらせていく。


「待って。ミトさんたちにも出発の準備を知らせた方がいいわ」

「ん。そうだね」


 結子(ユイコ)はフォノの忠告に焦っている自分を自覚して、小さく息をつく。


「落ち着いて、あたし……」


 結子(ユイコ)は胸を押さえて自分に言い聞かせる。


 アクティブセンサは能動的に標的を捕捉することができる。が、同時に標的側にも干渉されたことを悟らせてしまう危険性もあった。


 この時代において、電子戦はほぼ皆無である。一部電算機能が発達した機体、アウドミラの〔AW〕は言わずもがな電子戦を駆使する。


 しかし、機体の性能だけではない。


 熟練の操縦者などは計器類のわずかな狂いやセンサの感度の強弱で見極めてしまう。


「昨敵をかける前に艦に知らせるべきだった、かも……」


 冷静になるにつれて結子(ユイコ)は自分のうかつさを痛感し、索敵中の立体モニタをみつめる。


 騎士にしろ、フライハイトの兵士にしろ、自分の中で判断するシミュレートする。将棋や囲碁の対局に似た戦略の読み合いとつぶし合いに近いだろうか。些細な一挙手一投足をも見逃さない観察眼と感覚が〔AW〕の戦術、ひいては大局を決定づけるのだ。


 その意味では敵の動きはどうであるか、見極める必要もある。


 だが、今の彼女たちにそれを行う余裕はなかった。


 迂闊にもアクティブセンサを作動させてしまったことが、自らの首を締め上げている。徹夜と教にまで続く連戦の精神的疲労は(マサキ)たちの判断力を阻害しているのは言うまでもない。


「あたしが艦橋に連絡する。二人は見張ってて」

「わかったわ」

「なるべく、火は小さくね」


 (マサキ)は二人の了解を得るとシートから降りて、足元のハッチを開けて火打箱を取り出す。


「早く、しないと……」


 (マサキ)は震える手で火打石を火を切って、燃えさしに灯す。その火を腰にぶら下げている銃型の投光器に素早く移して、シートを足場に頭上のハッチへと昇っていった。


「気づかれないで……」


 フォノも緊張して息を吐き出すと、残弾を確認して操縦桿を握り直した。それから、最新の機体情報に目をやって、思わず下唇を噛んだ。


「動ける時間も、弾数も少ないのだから、ね」


 甲板で膝をついている〔アル・ガイア〕の状態は万全ではない。先の戦闘での右肩部の損傷や胸部の損傷にだって不安が残っている。


 その事を敵はどれだけ把握しているだろうか。


 そして今、敵がこちらの位置を正確に把握しているのか否か。


 このまま安全装置(セーフティ)を外すことなく、夜が明けるのを待つことだってありえるのだ。


 この時から両陣営の間で、心理戦が開始されていたのは言うまでもない。


「この暗さで戦えるの……?」


 外にでた(マサキ)は雨で濡れた装甲を伝って、機体の肩に降りると、艦橋の方へ投光器を向ける。


 舐めるように滴る冷たい雨が頬を伝う。


 (マサキ)は一分もしないうちにずぶ濡れになって、空いている手で投光器に雨が入らないよう翳す。体温はすぐにも奪われて、耳や指先が赤くなる。


 だが、暗闇の中でそんな自分の体の変化など気に留められるわけもなく、雨音の冷徹さに彼女はぐっと体を小さくするしかなかった。


「誰もいないってこと、ないよね?」


 (マサキ)は微かに見える艦橋の輪郭を睨んで、チカチカ、とシャッターを開いて信号を送る。


〔アル・ガイア〕を陰にしているため、相手側には気づかれにくいだろう。


 モールス信号を二度送り、三度目に入った時、艦橋の窓についた水滴を払う手の動きを見届ける。(マサキ)にはそれが了解のサインに思えた。


「よし。後は任せるからね」


 安堵の息をこぼし、(マサキ)は投光器の灯りを吹き消すと頭部を這い上っていく。確認を取っている余裕はなかった。


(マサキ)、気をつけて」

「どうかした?」


 結子(ユイコ)からの無線が頭に響き、(マサキ)は操縦席に滑り込みながら問うた。


「雨に紛れて、妙なノイズがある」

「別動隊かしら? 方角は?」


 フォノの警戒心は目に見えている敵から目に見えない何かに向いた。


 どの敵部隊も警戒しなければならない。しかし、すべてを満遍なく見ることなどできはしない。だから、フォノはもっとも脅威になるであろうその方向に注意を向ける。


 結子(ユイコ)が広く全体をカバーするアンテナの役割を果たすなら、フォノはさながら梟の目のごとく敵を正確に捉えるべきであろう。


「下の方」


 結子(ユイコ)の声に、フォノの瞳は真っ暗な谷底を見据えた。


 メインモニタの彩度や明度を上げても、暗闇は取り払われることはない。そこに何がいるかなど、モニタ越しでは判断が付かなかった。


「どうなの? 動いてるのかしら?」

「動いてるようにみえるわ。谷底に沿って西に向かってる」


 それに、と結子(ユイコ)は操縦桿のスイッチを巧みに操り、次々と得られた情報を取捨選択していく。


(マサキ)、三時方向からも接近するものがあるわ」

「ん。了解」


 (マサキ)は艦尾の方に目を向けて、斜面をのそのそと移動する陰を視認する。モニタにはその動体が枠線で囲われて表示されており、三機編隊が長柄の得物を手にしていることまで把握できた。


 三方からくる敵の動き。どれが本命で、どれが囮で、どれが先制してくるのか。


 戦いの数をこなしてきた少女たちは思考を巡らせるが、混線するばかり。冷たさと不安の中で考えがまとまらない。


「どうでる?」


 見える相手、見えない相手、距離をとる相手と三者三様のアプローチを仕掛ける部隊に、(マサキ)は濡れたマフラーを緩めて静かに息を吐く。


 仕掛けるべきか否か。


 迷っているうちに、艦尾へと接近する部隊は着々と距離を積めている。


(マサキ)、距離を取っている部隊は自分たちから仕掛けるつもりはないのかもしれないわ」

「どうしてわかるの、フォノ?」

「だって、この暗さよ? こちらの正確な位置を掴みきれないからじっとタイミングを伺っているのよ、きっと」


 フォノは谷底と尾根にかじりついて動かない部隊とを見比べていった。


 もし、尾根に展開する部隊が先制を加えるならばすぐにでも打ち込むべきなのだ。ほか部隊に気を回して、タイミングを失うわけにはいかない。そのうえで自分たちの位置を悟られないよう迅速に移動を開始するのがであろう。


 仮に時間を決めての一斉攻撃であったとしても、砲撃から仕掛けるのが常套手段だ、とフォノは考える。


 加えて〔エクセンプラール〕の混乱を誘発したいのであれば、可能な限り白兵戦部隊の存在を悟られないよう講じるべきなのだから。


 結子(ユイコ)は敵部隊の動きを立体スクリーンに表示して、眉をひそめる。


「位置だけをみれば、対応策はいくらだって――」


 高地にいる〔エクセンプラール〕へ攻め込もうとする敵は必然低地から這いあがらなければならない。三時方向から来る敵にしても高さを稼ぐため斜面を上っていたが、傾いた足場では思うように動けないのが実状だ。


 どの部隊が仕掛けるにしても、〔アル・ガイア〕の火力ならば対応できるであろう。


 そう思うのが結子(ユイコ)であるが、しかし、その発想は独りよがりでしかない。


 ゴォウッと鈍い駆動音が響いた。


「何? 何事?」


 結子(ユイコ)はびくりと肩を揺らし、急ぎ周囲の状況を分析する。


 しかし、そんな分析が出るよりも早く(マサキ)が背後に目をやって目くじらを立てた。


「このタイミングで艦を動かすの!? 誰の指示!?」

(マサキ)じゃないの?」

「そんなの――」


 反論しようとする(マサキ)を邪魔するようにして、〔エクセンプラール〕が前進を始めた。


「船が動いたら居場所がバレるっ」


 結子(ユイコ)は冷や汗をかきながら、敵の動きを一層注意する。


〔アル・ガイア〕もわずかに重心移動して、揺れだした〔エクセンプラール〕の甲板の上に居座り続ける。


「けど、艦橋にいる人たちってこの状況をわかっていないのよ」


 フォノは直感的に言って、汎用機関銃(ドゥーオ)の安瀬装置を解除する。


「そういうこと……」


 (マサキ)もようやく〔エクセンプラール〕が動き出したのを納得した。


 彼女たちは〔アル・ガイア〕の恩恵で暗闇の中でも敵の位置をなんとなしに把握し、動いていることを認識できる。だが、〔エクセンプラール〕には敵など見えない。闇の中に潜む脅威を何もなしに人の目が見つけられるわけがない。


 ただ、漠然と肌を凍てつかせるような緊張感と不安とがひしひしと沸き立ってくるのみ。限界を超えれば、当然それから逃れようとする。


 だから、〔エクセンプラール〕は慌ただしく軋んだ音を立てて脚部を動かす。


 がらがらと斜面を滑るようにして歩きだし、艦底を擦りつけながら進む。下り斜面側の脚部はつっぱり棒のように広く展開し、逆に上り斜面は縮こまって引きずるようにしている。


 艦底が砂利を擦る度に激震が甲板にまで伝播する。


「話は後にして。尾根の方、来るよ!」


 結子(ユイコ)の警告とともに、真っ暗な山間に真っ赤な火の玉が膨らむ。その残光が宙に焼き付いた。


 光が渓谷の明暗を深くする。


 赤い光が斜面に光を落とし、尾を引いた。


 瞬く間に飛来した砲弾が〔エクセンプラール〕のいる斜面を揺るがす。爆炎が燃え上がり、吹き飛ばされた瓦礫が進む艦と〔アル・ガイア〕の装甲をたたく。


「このっ。せっかちなんだからっ」


 (マサキ)は敵のこらえ性のなさに毒づいた。


「今のでこっちの正確な位置を測られた、かも」

「相手も同じよ」


 結子(ユイコ)の分析に、フォノは声を張り上げて答える。


「場所の見当はつけたわ」


 フォノの瞳が鋭くなり、モニタに焼きつく残光の、さらにその先にいるだろう敵に照準線を合わせる。心臓は高鳴りっぱなしで、激しく上下する映像に吐き気すら覚える。


〔アル・ガイア〕が汎用機関銃(ドゥーオ)を構えて、大きく上下する甲板で狙いを定める。銃身が揺れて、わずかにセンサーアイの奥で細やかな光の粒子が舞う。


「できる……。やれるっ」


 照準線が未確定の赤色から、確信の緑色に変わる。


 不安も、不愉快さもすべてがすとんっとお腹の底に落ちた時、フォノは迷うことなくトリガーを絞った。


 ダッダッダッ。三点バーストの光が四セット瞬く。


 弾丸が幽玄に青白い弾道を揺らめかせた。


「来るぞっ」


 アウドミラ部隊傘下の砲撃隊の操縦者がいった。いきも詰まるような思いで、操縦桿を強く握りしめる。


 彼らの機体は斜面にうつ伏せになり、カノン砲も寝かせた。少しでも被弾面積を小さくするためだ。


 しかし、フォノの放った弾丸は容赦ない。


 一セット目が距離を測ったように彼らの前ではじけた、続く二セット目が頭上すれすれを通過した。


 ゴォッと機体が震え上がる。


「一体、どういう目をしてるんだ」


 横隊の中心で構える機体の操縦者が飛び去った弾丸の軌道を見て呻く。


 機体を起こしていたら確実に撃ち抜かれていた弾道であった。宵闇の奇襲では、確実に自分たちの方が優勢であったにも関わらず、標的とするクイーン級〔AW〕は瞬時に展開を覆してくる。


「こんな奴に――」


 勝てるわけがない。


 彼の弱気な思考を嗅ぎ取ったかのように、三セット目の弾丸がが中央で寝そべっていた機体の頭部を撃ち抜いた。


 バァアンッ。頭のほとんどを粉々にされて、血煙のごとく火花が散った。


 吹っ飛ぶ頭につられるようにして、機体までもが起き上がり逆エビぞりになって後方へ転げていく。関節のロックがしっかりしていたなら、盛大に〔AW〕がそっくり返るようなこともなかっただろう。


「―――っ!」


 側にいた操縦者たちも叫びたい気持ちを必死に抑えて、奥歯を噛みしめる。だが、暗闇の中で崩れていく僚機のあっけなさが視線をくぎ付けにして逸らすことが出来ない。

 

 転げていく機体を執拗に攻めるがごとく四セット目が置き去りにされたカノン砲を弾きとばした。


 かすかな火花がちりちりと雨の中で揺らめく。


 その光はほんの僅かであっても〔アル・ガイア〕の目は見逃さない。


「手応えあり……」


 フォノは静かに息を吐きながら呟く。少し操縦桿を手前に引いて、右腕部の反応を確かめる。かすかに引き攣ったような動きを見せたが、修正できない誤差を起こす損傷ではない。


 怖いけど、まだ、やれる。


 少女は背筋に走る寒気にぞわぞわと長い髪が広がる感じを覚えながら、意識はただ撃つことのみに集中する。


「次、後方から迫る敵を近づけさせないで」

「わかったわ。谷底のほう、警戒をお願い」


 フォノと結子(ユイコ)のやりとりを聞いていた(マサキ)は機体の向きを変えつつ、尾根のほうにも気を配っていた。


 フォノの手応えは確かであろう。だが、それで怖じ気てくれる相手とは限らないのだ。


〔アル・ガイア〕は艦尾を正面にとらえ、汎用機関銃(ドゥーオ)を標的に向ける。暗闇の中、茫洋と雨を退ける陰を見据えて、弾丸が放たれる。


青白い流れ星のごとく、闇を走る一閃。断続的で、時折リズムを狂わす射撃タイミングで敵の動きがちぐはぐになっていく。


「散らばるなよぉ……」


 先頭を行く〔AW〕の操縦者はマズルフラッシュの光を目印に、ただ前に進むのみであった。彼の機体には大型の盾が装備されており、それを傾斜に構えて向かう弾丸に立ち向かう。


 操縦者は当たるなと心の中で祈りながら、両機の動きを心配する。そのせいもあって、部隊全体の進軍は遅くなっていく。


 白兵戦を主眼に据えた部隊は次第距離を置き始める。


 バァッと青白い弾丸が盾に命中。甲高い残響が響き渡り、砕けた盾の表層と液体の弾丸が星屑の様に散った。


「ぐぅっ。当ててきやがった」


 操縦者は着弾の度に機体が揺れるのに歯噛みして、フットペダルを強く踏み込む。そうでもしないと、機体はすぐにも傾斜に足を捉えて転げ落ちてしまう。


「動きが鈍くなってきたんじゃない? けど、また砲撃?」


 (マサキ)はつぶやきつつ、砲撃部隊が再びうるさくなってきたのに頬を膨らませる。


 尾根に潜伏していた砲撃部隊が、移動を開始し、〔エクセンプラール〕の追走に入っていた。真っ赤なマズルフラッシュが断続的に、それも徐々に接近しているのが目に見えていた。


 爆音に次ぐ爆音。山が激昂したかのようにその音を震わせる。


「谷底にいる部隊も併走してる」


 結子(ユイコ)は戦闘の光に目を細めながら、立体スクリーンに映るノイズ反応と現在位置の移動方向を照らしあわせる。


 このままいけば、鋭くそびえる山々と急斜面に〔エクセンプラール〕は耐えられない。実際、艦は徐々に下りはじめている。渓谷に沿っている部隊にとっては格好の獲物だ。


「けど、後ろの敵を止めないと」


 フォノがそういった瞬間、砲撃の爆音が谷底から轟いた。


 尾根を越えてきた部隊のモノではない。


 赤く、鋭敏な射線が斜面をかけ上ってきた。


 その光が〔エクセンプラール〕の右舷の手前に落っこちた。光が獰猛な爆音とともに弾ける。


 猛烈な爆炎と熱風が艦を揺さぶった。黒煙が波涛のごとく覆い被さり、それを吸った黒い雨が甲板をぬらす。


「どこから――、きゃうっ」


 結子(ユイコ)が焦っているうちに、横殴りの激震とともにシートが大きく傾いた。


〔エクセンプラール〕の脚部が斜面を滑り、艦底を擦って転げ落ちようとしているのだ。


「踏ん張れ! 踏ん張ってくれ!」


 と、艦橋では操舵士が叫び、右にもっていかれそうな舵を持ち上げる。


〔エクセンプラール〕は鋭い脚部の先を突き立てて、踏ん張りを利かせる。だが、艦底は擦ったまま滑り落ちていた。


 ところが、固い岩盤を脚部が捉えたのか。唐突に艦体が大きく持ち上がる。


「あ――っ」


 間抜けな声を上げる(マサキ)であったが、次に頭からくる負荷に首をすぼめる。


 艦体が持ち上がった時、〔アル・ガイア〕は投げ出され、黒煙を突き破って傾斜を転げる。落馬の衝撃はすさまじく、(マサキ)たちも首をすぼめてとっさに衝撃に備えることしかできなかった。


「おいっ。アーデル・ヴァッヘが落ちたぞ!」

「んなこといってる暇があるなら、機関室に出力をあげるようにいえ!」


〔エクセンプラール〕でも〔アル・ガイア〕の転落に気づいていたが、舵を取られまいと必死に支える操舵士の怒声に誰も逆らえなかった。


 艦橋が大きく傾いているのを実感しているからだ。そこに限ったことでなく、格納庫にいる人々は地面を擦る振動も相まって阿鼻叫喚が渦巻いていた。


 また、騒動で目を覚ましたミトも身支度をそこそこに艦橋へと急いでいた。


「この状況、不味いじゃないの!」


 艦橋に続く階段で、ミトは手すりにしがみついていた。足の不自由な彼女にはこの振動は天敵である。


「何とか持ち直さないと……。せめて伝声管があれば」


 ミトはおろしている髪をうざったそうに手で払いながら、手すりを伝って階段を這うようにして進んでいく。


 再び、爆音が轟く。


〔エクセンプラール〕の手前で炸裂する爆炎が装甲を焦がし、艦首が大きく渓谷へと鎌首もたげた。


「このぉ」


 (マサキ)はぐるぐると回る視界に吐き気を覚えながら、操縦桿をめいっぱい押し込み、フットペダルを踏み込んだ。


〔アル・ガイア〕は両手足を延ばして、回転を止めるもずるずると渓谷へと滑り落ちていく。


「船が――」

「そんなこといってる場合!?」


 頭上のモニタに瞬く紅の光に結子(ユイコ)が呻く間、フォノはめくれたスカートを正し操縦桿を強く握りしめてあたりを見渡す。


「あの攻撃、ずっと後ろからきてたのよ」

「わかってる。結子(ユイコ)は再度敵の居場所を洗い出し、あたしたちは――うっぷ」


 (マサキ)は体をうねらせて、危うくとしゃぶつを出すところで止まった。顔は青ざめて、ぶるぶると背筋がふるえる。


 だが、ここで緊張を解くわけにもいかない。


 滑り落ちる〔アル・ガイア〕はやがて渓谷の溝を走る川に落っこちて水しぶきを盛大にあげた。雨の中に怒濤の水柱があがる。


 その音が川上から進軍していた部隊にとってよい合図であった。


「隊長の計画が当たった」

「やれるぞ」


 兵士たちは歓喜した。


 たった二機のポーン級〔AW〕であっても、不用意に皮に飛び込んできた相手は飛んで火にいる夏の虫。


 川もポーン級にして深いところで、腰の位置にまで水位がある。〔アル・ガイア〕で太腿ほどだろうか。それだけの深さで、機械とはいえ重心を傾けさせる強い力がある。


「上も本格的になってきたな」


 川を下る操縦者たちは山道で激しくなる爆音と光を一瞥する。


 斜面をゆく〔エクセンプラール〕の行く手を阻む榴弾。それが炸裂する度に、メラメラと炎をあげる。その淡く、短い光は暗視カメラの光量を補ってくれる。


 だから、操縦者の数百メートル先にはよろよろと立ち上がる〔アル・ガイア〕の姿がよくわかった。


「川上から二機――っ」

「すぐ起きるっ」


 (マサキ)は〔アル・ガイア〕を叱咤するように怒鳴って、操縦桿を捻った。


 だが、思うように〔アル・ガイア〕が立ってくれない。水の流れに不安定な姿勢のままだ。


「水が……」


 (マサキ)は歯噛みして、水の力を侮っていた自分を呪いたくなる。


(マサキ)っ」


 結子(ユイコ)の叫びに、(マサキ)はネガティブな考えを捨てて、できうる手段を実行する。


「安定させれば――」


 川の激流に乗って迫る〔AW〕二機を前に、川下の〔アル・ガイア〕は腰部の鞘を反転させて、カタナを射出。水の流れに逆らい、黒い巨体が刃に押されて起きあがる。


 水が左右に分かたれて、気泡をたてて背後へと過ぎていく。その勢いに〔アル・ガイア〕の巨体が固まる。姿勢は安定したが、正面から水の流れをせき止める形となり身動きが取れなくなってしまう。


「思ったより勢いがある? 堪えるので精一杯?」


 フォノは〔アル・ガイア〕の反応の遅さと、バッテリー残量が危険信号の点滅を始めたことに眼を回した。


 だが、敵は水を味方に付けて容赦なく得物を振りかざす。


「ぐっ――。二人とも衝撃に備えて」


 (マサキ)は瞬いた敵の刃の線を視界にとらえて、即座に体重を後ろにかける。


〔AW〕二機の、長剣がうなる。


 唐竹の剣線に淡い光が走り、〔アル・ガイア〕は汎用機関銃(ドゥーオ)を持つ右腕部を翳した。同時にカタナを収納し始め、体がゆっくりと後に傾く。


 川の流れに身を任せて、攻撃の緩和を試みる。


 そして、長剣が降り下ろされるとともに両者が爆音のごとき飛沫をまき散らして川の中へと倒れ込んだ。


 暗い水の底で泡が揺らめき、視界を包んだ。気泡の浮上する軌跡を(マサキ)たちは眼の端でとらえる。わずかに曲線を描く気泡の動きがあるところにいる場所だ。


「――、そこ!」


 水の激流と衝撃、耳元で喝采のようにあがる泡のはじける音。


〔アル・ガイア〕は川底に背中をつけると、流れに身を任せ、右脚部で一機の〔AW〕を蹴り上げる。自然と機体が後転し、派手な水音を響かせる。


 長剣を手にした〔AW〕一機が川から突き飛ばされて、宙を舞う。数十トンもある鋼鉄の鎧が宙返りをして、固い傾斜にたたきつけられた。


 その激突音が鈍く山々を駆け巡る。


「こいつっ」


 もう一機はかろうじて、川から上体を浮き上がらせると長剣を構えた。装甲の隙間から水漏れが入り、操縦者を震わせる。


「水漏れか。だが、この程度なら大丈夫」


 たかだか数滴の水漏れだ。操縦者は強がって見せて、標的に意識を集中させる。


 まだ水の中できりもみしている〔アル・ガイア〕の気泡が目に見えている。この好機を逃すものかと、操縦者の脳みそは焼けるように熱くなっていた。


〔AW〕が浮上を始めた標的の武骨な兜に狙いを定める。しかし、水の流れによって、切先が思う処に定まらない。


「構うものか!」


 操縦者は気合を入れて叫んだ。


 そして、完全に〔アル・ガイア〕が起き上がるよりも早く、逆手に持った長剣が降りおろされる。


 ガツンッと切っ先が出っ張った胸部装甲を掠めて、腹部を貫く。


 自重をかけた重たい一撃。


 さすがの〔アル・ガイア〕も再び水面下へと押し戻された。


「ぐっ。まだ動くんだからっ。フォノ!」


 (マサキ)は水の流れと共に、敵がうかつにもセンサーアイを発光させていることに気づいた。


 水面に揺れめく二つの光がじっと見つめている。少しでも光を取り入れるために思わず入れてしまったのだろう。


 ギリギリと長剣がひねられて、〔アル・ガイア〕の腹部に刺さる損傷が広げられていく。水が入るたびに気泡が噴き出し、ケーブルが五臓六腑のごとくのたうった。


「このまま、大人しく沈んでいてもらう」


〔AW〕操縦者には、それができると確信していた。


〔アル・ガイア〕を破壊することを前提にしていた行動であったが、捕獲するという大金星を逃す道理はない。


 ポーン級の機体はまさに下剋上と言わんばかりに、てこの原理で刃を上へ上へと倒していく。さらに腹部の傷口が広がり、どっと泡の塊が噴き出した。


「ぐぐ……っ」


 (マサキ)たちの耳元にはやかましい警報が鳴り響く。金切声のような鉄の音が伝播して、焦燥が足元から駆け上がってくる。


 その侵攻を阻止しようと〔アル・ガイア〕の左腕部が長剣を掴んだ。


「無駄なあがきを――」


 操縦者は勝利を確信して言い放つ。


 だが、次に敵の右腕部が握る汎用機関銃(ドゥーオ)の銃口が水面から伸び上ったのを目にした瞬間、頭が真っ白になった。


 汎用機関銃(ドゥーオ)の銃口が〔AW〕の腹部に押し当てられる。


「離れなさいよっ」


 フォノは力任せにトリガーを引いて、目を細めた。


 そして、汎用機関銃(ドゥーオ)からの一射が〔AW〕の腹部を穿つ。一撃だけで十分だった。ゼロ距離から生れる衝撃ではじけ飛び、基部もぐちゃぐちゃにされてしまうのだから。


 搭乗している者などは頭を強く打ち付けて機体がどうなったのかなど考えもつかない。


〔AW〕の下半身が川の流れに押し負けて沈み、続いて皮一枚で繋がっていた上半身も枯葉の様に水の中に沈んでいった。


 ひと時の余韻が(マサキ)たちに舞い降りて、損傷警報の音も耳に入ってこなかった。自分の上がっている息遣いさえも、遠くに感じられた。


「こんなこと、してる場合じゃないのに」


 (マサキ)は息を整えて、そうつぶやく。


〔アル・ガイア〕は鬱陶しい長剣を無理矢理引き抜き、川から起き上がる。立ち上がりつつ、頭部を左右に振って、周辺警戒。


「船は? ミトさんたちはどっちに行ったの?」


 フォノは胸を押さえて、不安に打ち震える。


 爆音が遠くから聞こえる。山びことなって連なる残響が心臓を締め付ける。そして、僅かに山影から橙色の光が漏れているのに気付いた。


「あんなに先に言ってる。砲撃隊も動いて――」


 結子(ユイコ)は自機の位置と〔エクセンプラール〕の位置、さらに敵部隊の動きなどを推移する。


 敵は確実に殲滅を仕掛けるために分断をしてきたのだ。こうなっては〔エクセンプラール〕は逃げの一手しかない。損耗している〔アル・ガイア〕が火急で追って、間に合うかどうかわからない。


 それらの計算をはじき出す前に機械はノイズを摘出する。もっとも凶悪で致命的なノイズは静かで潮騒の様に機体を包んでいた。


 ほんの些細な殺気。人間では到底気づかないだろう電子の覇気。


 それにいち早く気づけるのは、同じ機械を置いて他にいない。


〔アル・ガイア〕の頭部が川上の方に振り向いて左腕部を構えて盾を素早く形成する。


「――――んっ」


 (マサキ)は体に走る負荷と共に息をつめた。


 ほとんど同時に川上が真っ赤に燃え上がったように輝き、赤い閃光が一直線に〔アル・ガイア〕に飛来。


 その砲弾が〔アル・ガイア〕の盾に直撃して、目もくらむ爆炎を膨らませた。盾が溶解する。左腕部の関節が一瞬にして崩れる。


 少女たちが悲鳴を上げる。


 水が壁の様に押し広げられ、〔アル・ガイア〕も爆発の威力にその巨体が宙へとほうり上げられた。


 一瞬の出来事だ。


 大質量の〔アル・ガイア〕は再び水にたたきつけられて、数百メートルを転げまわった。


「直撃か。だが、これで終わったとは思いたくないな……」


 爆炎が消えていくのを目に焼き付けながら、射撃を行ったアウドミラは静かに息を吐き出す。


 彼の機体はじっと川辺に立ち、長距離カノン砲を構えたまま微動だにしない。円形のレドームがゆっくりと回転し続け、その単眼のカメラ・アイがピントを調整するために忙しなく動く。そのたびに赤色の発光ダイオードがレンズと共に回る。


 死期を待つハゲタカの瞳のごとく、自ら上がってくるだろう〔アル・ガイア〕を辛抱強く待つ。


 そして、顔を出したが最後再び長距離カノンが仕留めるだろう、とアウドミラは思った。


「さぁ、どうでる?」


 アウドミラは自問し、そして、暗闇の中にいるだろう相手に問いかけた。

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