~山脈~ 暗雲の宵闇
アルプス山脈の夜は冷え込んで、雨もしんしんと降っていた。たちこめる霧雨は容赦なく暖を奪い、月の光も見えない空はどこまで黒く深い。
その冷たさは空気を伝い、鉄の壁を超えて人々の熱を奪っていく。
〔エクセンプラール〕の格納庫では、皆毛布に身を包み小さなランプの光に集まっていた。
ひそひそと人々の声が暗い空間を渡る。
「寒い……」
「我慢しなさい。外には危ない人たちがいるんだから」
「今晩は厳しいな」
「荷物の整理は明日にしよう。今日は疲れた」
昼間の襲撃もあって、〔エクセンプラール〕を動かしていない人たちであっても疲労困憊していた。
「今日はもう、大丈夫だよね?」
「そうだな。外は真っ暗だから、相手だってこっちを見つけられはしないさ」
とある親子はそう話して、眠るよう勧めていた。
ここで夜通し緊張していてもしかたない。不安は冷え込むのと同じく体を疲れさせ、無用な体力を消費させる。子どもたちを安心させようとする親たちの姿が目立つ。だが、完全に眠りこけるわけにはいかない、とランプの明かりだけは灯したままである。
いつまた砲撃と逃走の衝撃に襲われるかわからない。そんなことを考えていると迂闊に眠ることもできなかった。
精神がすり減っていくように白くなっていた息も、色づくことを忘れだしている。
それは格納庫にいる人たちに限ったことではない。
艦内よりも寒気が厳しい外にでても、同じことである。
「まだ雨、降ってるんだ」
甲板に続く鉄扉を開けて、柾は隙間から吹き込んでくる夜風と水滴のことを言った。
ギイギイときしんだ音を立てて鉄扉が開かれても、あたりは真っ暗で輪郭の一つも見えてこない常闇である。数メートル先も肉眼では見えない。足場もなく、地平線もなく、黒に塗りつぶされた世界は不安を増長させた。
後ろに続く結子とフォノは眠気眼をこすりながらあたりを見渡す。
「山の天気ですもの。そうでしょう」
フォノはあくびをかみ殺しながらいう。
「こうも暗いと見張りも大変ってこと」
柾は言い返して、雨の臭いが立ちこめる甲板にでていった。
彼女たちの目には周囲の風景はわからないでも、拡張現実視界に〔アル・ガイア〕の姿を視認することができる。
僅かに白線で縁取られた像が実際の視界と重なって認識できる感覚は、あまり愉快なものではないが。
「だから、敵も襲撃しやすいかもしれない」
「そういうこと」
柾は結子のいるだろう方向を見ていった。
至近距離にいるというのに、お互いの顔が見えず、わずかに人の形がそばにあるということがわかる程度だ。
この視界は敵にとっても厄介なものであるのは間違いないだろう。
三人は〔アル・ガイア〕の膝元にくると頭上から垂れ下がってくるワイヤーを見上げた。
「周りからの音もないし、敵もじっとしてるかもしれないわ」
「その裏をかくかもしれないのっ」
フォノの意見に柾はつっけんどんに返した。そして、自分の頭にこつんとぶつかったリフトに気づいて、暗闇の中でそのワイヤーをつかんだ。
「持久戦だってことは相手を不安にさせる心理戦だってあるんだよ」
結子はのんびりした口調でいっているが、内心不安で仕方なかった。
今宵に奇襲を仕掛けてくるかもしれないし、もっと疲弊させてから襲いかかってくるかもしれない。グルグルと巡る煩雑とした思考。無益なことに体力を使うべきではないのだが、揺らぐ心には無理な話である。
「ミトさんも今は仮眠をとってるし、あたしたちがカバーしなきゃでしょ?」
柾はそういってリフトに足をかけると、するすると頭部の方へ上がっていく。
「そうだけど……」
「今はみんなが疲れてるときよ。支えあわないと、いざって時が怖いわ」
結子はこれ以上の口論に意味はないと思い、フォノの弱気な声を断ち切る。
「わかってる」
結子はため息混じりに答えて、リフトに持ち上げられていく。ムキになっていると思われたくもなかったし、駄々をこねても仕方ない。
「わかってるなら……」
上がっていく結子は拡張現実モニタに更新される機体状態を流し見する。
「機体の状態だって考えないといけないの」
一人つぶやいて、ゆがんでいる胸部操縦席のハッチに乗った。胸部損傷は派手ではあったが、幸い致命傷を回避することが出来ていた。その弊害にハッチの開閉が幾分か歪んでしまったのは、我慢しなければならないが。
柾とフォノもそれぞれ操縦席に滑り込んで、シートに着いた。
肌を包むように降っていた雨から逃れても、今度は澄んだ空気の針のような冷たさに体が震えた。
特にフォノは濡れた髪を撫でながら、大きく息を繰り返す。肺に入り込んでくる冷たい空気。それだけで身体の隅々まで凍り付いたように固くなる。
「こんなに寒くなるなんて……」
フォノは小さいくしゃみをして、震える手で操縦桿を握る。
全体を包むモニタに光の波が走った。だが、それを経ても景色に代わり映えはなく、茫洋と浮かぶ立体スクリーンの青色が冷たく光るばかり。
そこに映し出されている情報もうんざりするものだ。
「ほとんど弾が残ってない。これで、どうするっていうの?」
「フォノ、少ない弾薬でも残ってるだけありがたいって思わなきゃ。カーヴァルたちも頑張ったんだから」
柾はフォノの独り言を内線で聞きながら、立体スクリーンに触れて情報をスクロールする。
そうはいっても厳しい状況に立たされていることに変わりはなく、柾の表情も曇ってしまう。
機体の損耗率は激しく、胸部と右肩部の損傷が特にひどい。他にもコンバーターや機体に施されている外界センサ、それも光学センサや触角センサ数か所という肝心要なセンサが破損している情報がある。
柾は結子との回線を開いた。
「結子、機体修復の優先順位、変えられる?」
「うん。右肩の方に集中させる」
結子の声は柾が言わんとすることはお見通しといった感じだ。自分の役割を心得ている。
だけど、と続く言葉もそれだけに厳しい物である。
「機体のエネルギー残量もほとんどないから、動かせる程度にまでしかできないよ」
「カーヴァルたちの戦闘がこういう形で響いてくるなんてね」
フォノは大きく息をついて、青白く見える立体スクリーンの二人の顔を見比べる。
「仕方ないけど、これで持ちこたえるしかないよ。山腹にあるっていう町からも、離れてるかもしれないし」
柾は眉間にしわを寄せながら、モニタに投影される方位角の線を見渡す。
上下と左右に走る青い線が円運動の軌跡を描いて、角度や方位を計測している。空と地上を測量する光や音は人間には見聞きできない不可視光線と超音波によって能動的、受動的に検出される。
機体は静かに膝をついたままであるが、一切の光を出すことなく、そして音を出すこともなく周囲を検知しているのである。
「少しでも光があればいいのだけど、それって相手にとっても重要な目標になるから、今はこれでいいと思う」
検出される情報を見やりながら、結子はそう意見した。
町の位置などは推測でしかない。アルプス山脈を越えるための街道や水源などは最低限の整備しかされていない。だが、古くからこの山脈で暮らす民族がいるのも事実である。
町は必ずあるし、〔エクセンプラール〕の燃料たる水も存在している。
「最低、川を見つけられれば……いいんだけど」
柾は一通りの情報と機体の状態を見て、立体スクリーンのいくつかを消した。
「今はじっと警戒し続けるしかないね」
言って、頭上のハッチを開けて上半身を外に出す。
頬を打つ雨が少し強く感じられた。周りは全くの暗闇のままで、近くにあるはずの艦橋すらとらえられない。
「雨も強くなってる。空気も、なんだか……」
柾は真っ暗な空を見上げて、マフラーで口元を隠した。
確信があるわけではない。ただ鼻にかかる雨の臭いが泥臭い風に思われた。月明かりも通さないほどの分厚い雨雲が傘を広げているのだろうか、と思った。
しばらく、柾は空模様が気になって、ずぶぬれになるのも気にせず空を見上げつづけた。
* * *
アウドミラ部隊は暗闇の中で偵察部隊の帰投を待っていた。
「やはり、山は時間がかかるな」
自機の首筋に立つアウドミラはゴーグル・モニタに投影されてる機体の映像を眺めていた。
機体のメイン・カメラから送られる映像は暗視モードに設定され、微かに斜面や鋭い岩肌を捕らえることが出来た。それでも厳しい視界であることに変わりはない。
同期している機械の目であっても、一キロ先の景色を認識するのがやっとであった。それほどに降り注ぐ光は少なく、調光補正を最大限使っていても、ポーン級はもう五〇〇メートル、アウドミラのナイト級ならば一キロほどぼやけてとらえられる程度である。
だが、一番悲惨なのはこの暗夜の中をバイン・アウトーで偵察に出された兵士たちである。
「ん。来たか?」
アウドミラはゴーグル・モニタに動くものが見えたと思った。
傾斜をよたよたと進み、転がる岩塊に機体をこすりながらナイト級が発するかすかな青白い光を頼りに進んでいた。遠くから見えれば、星のようにも見えたし、一瞬でも目を離せば見つかりにくい色合いをしていた。
「あれか? ようやっとだ」
偵察隊も半信半疑に光を頼りにバイン・アウトーを歩かせる。
冷たい雨と横殴りの風が機体を煽った。
アウドミラはヘッドギアを外して、真っ暗な視界に目をしかめ目頭を揉んだ。
「風も出てきたな」
アウドミラはそういうと首筋にあるリフトワイヤーを起動させて降機する。
降りる最中にも風と雨は彼の体を打って、不安定にあせる。その程度で怖気るアウドミラではないが、戦略の読み違いを痛感させられた。
「こうも山の天気が変わるとはな。とっ」
アウドミラが地面に足をつけたとき、傾いていることを忘れており、ずるりと倒れた。情けない格好をしていたが、暗闇の中であったために部下たちに見られるようなことはなかった。
彼はすぐに体を起こすと、腰ぎんちゃくからライターを取り出して火をつける。パッパッと火花が散り、掌をかさに灯る火がぼうっと輝いた。
その小さな光であっても、夜目の利く偵察隊の兵士は味方だと瞬時に理解する。
「隊長!」
一人が声を上げる。
山にその声が木霊する。雨風に揉まれて、反響は思いのほか弱かったのは幸いであろう。
アウドミラは足場に注意しながら、バイン・アウトーの足音がする方へ降る。砂利が転がり落ち、腰ほどもある大きさの岩に手を当て、ゆっくりと降りていく。
「声は控えろ」
アウドミラは偵察部隊のバイン・アウトーの装甲が見えたと思って声を出した。
事実、暗がりの中から四足のバイン・アウトーの影が見え始め、ライターの明かりに細い脚部が光った。
「状況は?」
「ええ――」
偵察部隊はバイン・アウトーを停車させると、アウドミラの顔を認めて降車する。
「渓谷沿いにバイン・シフを確認しました。動く気配はありません」
「こちらの存在は気づかれていないな」
「はい。灯りを消しているところからするに、今夜はやり過ごすつもりなのでしょう」
偵察部隊の報告を聞いて、アウドミラは一考する。
このまま精神的に標的を疲弊させるのも手だが、自分たちの体力も考えなければならない。それに山の天候も怪しくなってきている。
「少々、作戦の変更がある」
「と、言いますと?」
兵士たちはアウドミラを囲んで指示を待った。頭の中ではついに、という予感がよぎる。彼等も偵察に出てから、薄々絶好の機会だと感じていたからだ。
アウドミラは一度部下たちの方を見やって、暗闇に隠れる表情を想像した。そして、思うだろうことを汲み取るべきだと判断する。
「今夜仕掛ける」
その決断に呼応する様に、暗雲がゴロゴロと嘶いた。
兵士たち一同、アウドミラの判断に反論する者はいないだろう。迅速かつ的確に、好機を逃さない上司の判断は信頼できるからだ。
「各自持ち場に着け」
アウドミラも部下たちのやる気に確信を得て、ライターの火を消した。




