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ガイア・レコード  作者: 平田公義
第十五章
108/118

~山脈~ 冷たい雨の中の艦

 雨と霧とか立ちこめるアルプス山脈の渓谷で〔エクセンプラール〕は腰を下ろしていた。


 山々の合間は広く、バイン・シフの巨体でも超えることができる。だが、視界を埋める雨と霧は美しいはずの稜線を掻き消し、進む先すら隠していた。そして、何よりも雨と共に襲い掛かる冷気が〔エクセンプラール〕で暮らす人々を苦しめていた。


「寒い……」

「我慢しろよ。姉ちゃんたちが戻るまではやってやらなきゃ、かわいそうだろ」


 見張り台の上で厚着に身を包み、カーヴァル・イルスロットが震えている友人を小突く。凍てつく雨が容赦なく熱を奪い、吐く息は白く濁った。


 ワイヤーを冷たい風が弄び、わたんだ音がいびつに響く。


「そりゃぁ、おまえはそれが近いからいいだろうよ」


 小突かれた男の子はカーヴァルの前にある照明器具を指し示した。


 鉄製のはこの中には反射板とレンズのほかに光源となるろうそくの火が灯されている。直接さわれば、熱せられたフレームで皮膚が爛れるだろう。


 だが、近くで当たっているぶんには弱々しい暖房器具になってくれた。


「へへっ。だからって寒いのは変わらねぇよ」


 カーヴァルは手袋をした手で、照明器具の取っ手をつかむとレンズを一八〇度左右に振った。


レンズから放たれる光は灰色の景色に筋を作り、ぱらぱらと降る小雨の粒がよく見えた。


「これで大丈夫なのかよ?」

「あのアーデル・ヴァッヘなら見つけられる」

「それって敵にも居場所を教えることになんじゃないのか?」


 友人の手厳しい意見にカーヴァルも思わず苦い顔つきになる。思わず照明器具を振るのをやめる。


「ちゃんと考えろよ」


 男の子は上着の下で膝を抱えながら、ぼやいた。


 追手とてこの悪天候では視認する目印は少ない。船乗りが灯台の回転灯を目印にするように、陸のバイン・シフ乗りたちも霧の中では町灯りを目印に航行する習慣がついているものだ。


 まだ十代になって間もない男の子でも、これくらいは想像できた。


「うるさいな。考えてるって」

「その口癖。(マサキ)姉さんがいつも言ってるけど、お前が言うと説得力ないな」


 カーヴァルはカッとなって口の減らない友人に振り返ろうとした瞬間、遠くで岩塊が転げ落ちる音が響いた。


 少年たちは身をすくめた。


「戦ってるのか?」


 震えていた友人は体を小さくしながらも、その山びこを注意深く聞いた。


「わからねぇよ」


 カーヴァルが呻くと、蓋がいたままの伝声管からミト・ハルルスタンの声が響いた。


「何か見える?」

「何も見えない。この雨の中じゃ……」

「灯りは消しなさい。目立つわ。自分の目で確かめなさい」


 ミトのせかせかする声にカーヴァルも眉をひそめる。


 艦橋からでも照明器具の明かりは確認できているらしい。そして、ミトもまた追手のことを警戒しているのがわかった。


 理屈はわかっていても、カーヴァルはそれをうまく受け入れられなかった。


「そんなこと言われても」


 愚痴は口の中で治めながらも、徐々に近づいてくる地鳴りに心臓が跳ね上がる。これを消したら、(マサキ)たちの目印までなくなってしまう。


「姉ちゃんたちは――、うわっ」


 地響きがいよいよ〔エクセンプラール〕をを捉えた。縦に大きく揺れて、カーヴァルも思わず照明器具にしがみつく。


「どうするんだよ!?」


 カーヴァルが叫んだ瞬間、見張り台に巨大な手が覆い被さろうとした。


 つけっぱなしの照明器具がその大きな鋼鉄の掌を照らす。


「な、何だよっ!」

「明かりは消しなさいって」


 霧雨の中から(マサキ)の声が響いた。


「カーヴァル、(マサキ)たちよ」


 ミトからの伝声管からも声が上がる。


「わかってる」


 カーヴァルはまだ緊張で高鳴る心臓に息が荒れていたが、肩に張っていた力は自然と落ちていった。


「帰ってきた……」


 (マサキ)たちが帰ってきたことに心の底から安堵する。


〔アル・ガイア〕は腕を引いて、かすかに四つ目のセンサーアイを発光させる。霧雨の中に浮かぶ眼光が少年には優しく微笑みかけているように感じられた。


「まったく、呆けてどうするよ」


 その合間にも縮こまっていた友人がカーヴァルの体を押しのけて、照明器具のふたを開いた。


 そして、フッと息を吹きかけると中で燃えていたろうそくの火は一瞬で消える。


               *     *     *


〔アル・ガイア〕が甲板に着陸し、降着姿勢に入る。


 その振動が〔エクセンプラール〕を揺るがし、艦橋にも横揺れが伝わった。


 クルーたちが手近なモノに掴まって耐える。


「まったく、敵を巻いても先が思いやられる」

「文句を言ってる暇があるの?」


 艦橋では悪態をつくクルーに艦長であるミトが叱咤していた。


「しかしなぁ。針路もわからないで先に進めるのかよ」

「こんな天気じゃ、包囲も何もないだろ」


 機関士長も操舵士も不安げにつぶやいた。


 艦橋の窓に張り付く水玉は静かに張り付き、その冷たさが染み込んだように内部も冷え切っていた。鋼鉄の冷たさは容赦がなく触れるものすべてが氷のようだ。


 ミトは二の腕をさすりながら、艦長デスクの椅子に腰かける。


「それは相手も同じ事でしょう?」


 デスクの上に広げられた地図と方位磁石を一瞥して、厚手の上着を着ている男衆を見やった。


「みんなには上着とか、毛布は足りてるの?」

「そういう報告は聞いてます」


 鼻をすすりながら通信士が答えた。


「艦底では小さいランプで暖を取ってるって、聞きましたぜ」


 不満そうに髭面の機関士長が割って入る。この寒さに彼も嫌気がさしているようだ。


「当分は我慢してもらうわ。追手の動きもわからないままじゃ――」

「ここに誘導されたって考えないのか?」


 操舵士が思いついたように大声を上げる。


 冷え切っていた空気に投じられた声はよく響いた。それだけにミトもほかのクルーも顔をしかめる。


「あのね、渓谷だっていくつもあるのよ。それを隔てているモノの大きさを考えてみなさいよ」


 ミトはデスクに広げている地図を人差し指で叩く。一言しゃべるごとに白い息が吐き出された。


「艦内の温度わかる?」

「今、三度を下回った」


 計器類をチェックしていた通信士が青くなった唇でいう。


「なぁ、暖房をつけないか? みんな凍えちまうよ」

「さっきも言ったでしょう。無理よ」

 

 ミトは機関士長の意見を突っぱねながらも悩んでいた。


 彼のいうとおり、艦内の温度低下はゆゆしき事態である。が、敵が温度を感知して居場所を割り出さないとも限らない。だが、それ以上に残りの燃料とのことも勘定に入れなければならない。


「残りの燃料だって少ないんでしょう?」

「四割ってところか。ここ最近はまともに補給してないからな。あと、一日二日走るのが限度だろうよ」


 機関士は無精ひげを生やした顎をさすり、口元をひん曲げる。そういって自分でも今おかれている状況にぐうの音もでなかった。


〔エクセンプラール〕を動かして一ヶ月ちょっとであったが、彼の見積もりは的確であるだろう。


「補給できる箇所があれば……」

「だったら――」


 と、これまで傍聴していた若い航海士が持ち場から立ち上がってデスクに寄った。


 そして、地図をみてアルプス山脈の南、モンブランを北に据えた湖を指した。


「ここから川を下るようにすれば、トリノにも出れます。それに、燃料補給も」

「わたしたちの現在地はわかってないのよ?」

「そこは外にあるアーデル・ヴァッヘで――」

「できるの?」


 ミトが厳しい口調でいうと、若い航海士は自信なさげにたぶんとつぶやいた。


 それにはミトを含めたクルーたちも白いため息をついた。


(マサキ)にでも聞くしかないわね」

「呼んだぁ?」


 艦橋のドアが開くとともに、雨に濡れた(マサキ)たちが入ってきた。鼻と頬を真っ赤にして、そのくせ肌は白く冷え切っているように見える。


「ん? えぇ、ちょっと話に出ただけよ」


 ミトは椅子から立ち上がると、自然(マサキ)たちの下に歩み寄っていた。


「なにか仕事、あるの?」


 結子(ユイコ)が寒そうに身を震わせながら問いかける。


 フォノも疲れ切った顔でぼうっとしている。起きたばかりのように胡乱の瞳と今にも眠ってしまいそうな息遣いが余計にミトの心配を煽った。


「あるなら、早めに済ませるけど」

「ううん。急ぎの仕事じゃないから、あんたたちは少し休んでなさい」


 けど、と(マサキ)がバツが悪そうに言う。


 ミトは跪いて目線を合わせると、(マサキ)の濡れた髪を撫でて小さく息を吐いた。掌につく雨粒の冷たさ、震えている感触がじかに伝わる。


「……こんなに濡れて。寒かったでしょう?」

「全然、大丈夫。それよりも……」


 (マサキ)が言おうとする口にミトは人差し指を当てて制した。


「いざって時には頼っちゃうんだから、それまでは寝てなさい。軽食もつけるわ」

「いいのかなぁ?」

「いいの。ほら、アクセサリはそれまであたしが預かっておく」


 ミトは人差し指を離すと、首筋に手を伸ばす。そして、首元のアクセサリを外した。


 一瞬、(マサキ)は首筋にピリリと刺激を感じたが、気づいたときには体のけだるさが一気に襲い掛かっていた。肩が重くなり、立ちくらみまで起きる。


「うぅん……」

「ほら、フォノも結子(ユイコ)も」


 フォノと結子(ユイコ)はミトに催促されるまま、ためらいがちにアクセサリを外す。


 途端に二人は膝から崩れて、背中合わせにへたり込んだ。


「だ、大丈夫?」


 これにはミトも驚いて、慌てて二人の下に跪く。フォノも結子(ユイコ)も疲れ切っているようで、糸の切れた人形のように首を垂れて、目を閉じていた。深く、長い寝息は彼女たちが寝ている証拠でもあった。


「これのせいなの?」


 ミトは手にしている(マサキ)のアクセサリと二人の手に握らているものを見て口元を真一文字に結った。


「二日も戦えるだなんておかしかったのよ」


 口の中でつぶやき、忌々しげにアクセサリを握りしめる。


 三人が追手との戦闘で心身ともに疲弊しているのはわかっていたはずだ。だが、目に見える形で(マサキ)たちは根を上げることはしなかった。


 いや、そう思い込まされていたのかもしれない。邪推なのだろうが、〔アル・ガイア〕を操るアクセサリが(マサキ)たちに暗示をかけていたと考えられる。


 ミトにも確たる証拠はない。それでも疑いもてば、その矛先は〔アル・ガイア〕に向くのは当然である。


「も、もうダメ……」


 と、ついに立っているのもつらくなった(マサキ)がミトの背中に抱き付くように倒れた。


 その重さにミトは驚いたが、重たい少女の体に安堵する自分がいた。


「誰か、三人を部屋に運ぶの手伝ってちょうだい」


 ミトの依頼に機関士長と航海士、操舵士が渋々といった様子で立ち上がった。


「ありがとう」


 静かにミトはつぶやいて、少女三人の寝顔に複雑な気持ちを抱いた。


               *     *     *


 アウドミラ部隊はモンブランへと続く大渓谷を東に進み、しばしの休息を部下たちに与えていた。兵士たちは仕事の片手間にトマトスープとビスケットのように固くなったパンに切れ端を食べる。


 寒い環境にもあって甘酸っぱく、香辛料の利いたスープの温かみは兵士たちに活力を与えた。


「そろそろ、分岐点か?」

「はっ。確認いたします」


 アウドミラのいる旗艦〔十五番目の城フュンフツェーント・ブルク〕は後部に巨大砲塔のようにナイト級を背負って、前後を行く〔ガング〕に守られていた。


 縦一列に行灯のように光る艦橋が小刻みに左右に揺れながら進んでいく。


 バイン・シフの縦隊はなだらかな渓谷を歩いているのだが、徐々に霧雨の合間から深く切り立った岸壁がちらほらと見え隠れするようになってきている。


「だいぶ狭まってきたな……」


 アウドミラはそうつぶやいて、艦橋の外を眺めつつ一口大のパンを口に放り込んだ。パサパサと塩気の強いパンはビスケットのように硬い。


「近く、川の音あり……。了解。隊長っ」


 通信士が見張り台のクルーに確認をとった。


「聞いていた」


 アウドミラは律儀に体を向けてきた通信士を制した。それから、デスクの上にあるスープ入りのカップを取った。


「後続に伝えろ。挟み撃ちだ。健闘を祈る、と」

「了解っ。各員に伝達――」


 通信士はスープを一口つけてから、伝声管に向きなおる。


 アウドミラの指令に艦橋のクルーたちにも緊張が走った。


 いよいよ作戦も佳境に入ってきたのだ。長丁場の戦はアウドミラ部隊の十八番であるが、今回の持久戦は短いほうであろう。それだけにはやる気持ちもあった。


 アウドミラだけは静かにカップの中のトマトスープを啜った。角切りトマトの芳醇な味わいとしゃきっとした歯ごたえを残したタマネギが甘酸っぱい。


「山岳戦は奴も経験がないだろう」


 アウドミラはデスクの上にある資料を流し見してつぶやく。


 ふと視線を外に移すと、白い水のカーテンに包まれた景色にパッパと見張り台の照明器具が点滅する。前の見張り台から先行する部隊に伝令が飛ばされているのだ。同じくして、後方でも同じ旨の信号が送られていた。


 旗艦の発信が終われば、前後の二隻が受信完了の発光をした。


「二股の渓谷。正面に確認」


 最前を行く〔ガング〕の見張り台では、光信号と共に声が上がる。


 前を行く二隻が照明器具をせわしなくまたたかせ、さらには艦橋の中の証明までも点滅しながら後続に伝える。そして、艦隊は左の渓谷へ流れていく。


「伝令確認。後続は動いているな?」

「はい。ここの土地勘は後続のフレッグス艦長らのほうがいいですからね」


 旗艦では航海士と通信士が声を掛け合った。


 アウドミラは静かにそのクルーたちのやり取りに耳を傾けただけであった。特に心配することでもなかったし、通信士のいう通りだとも思った。


 事実、左にそれていく〔十五番目の城フュンフツェーント・ブルク〕のすぐ後ろについていた〔ガング〕は艦首を右へ振り、艦隊から離脱していく。


 その足は柔らかい土壌を踏む音から水を盛大に跳ね上げる足音に変わっていった。


「後続、離脱していきます。それから隊長へ、武功は上げてみせるとのメッセージです」

「あいつらしい」


 アウドミラは厳しい表情のままであったが、実に頼もしいメッセージだと感じた。そして、自分も行動に移る時だと確信する。


「よし。アーデル・ヴァッヘ隊には準待機命令を出せ」


 アウドミラは命令を下すなり、熱々のスープを飲み干した。そして、立ち上がると手の甲で口元を拭う。


「俺はすぐに出る。整備担当には五分で出せるよう伝えろ」

「五分で、ですか?」


 機関士長が驚きの声を上げた。


 連日の戦闘でアウドミラたちの機体にもガタつきが見えはじめている。整備員たちだって、万全の状態とまでに仕上げられるものではない。


 それでも、アウドミラは艦橋の出入り口へと歩んでいく。


「そうだ。敵に休む暇は与えない。それに、そこまで遠くにはいっていないだろう」

「どうして、わかるんです?」


 これは航海士である。


「この視界の中、闇雲に動き回るよりもじっと身を潜めているほうが利口だ。元は素人の集団だ。それが関の山だろ」

「それはそうですがね。万が一という場合もある」


 操舵士が不安げにいう。


「それに対処できるのが、おまえたちだ。信頼している」


 それだけいってアウドミラは出ていった。

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